「とりあえず、だ」
握り締められた手を、やや強引に引き剥がす。
「やっぱり、師匠はやめてくれ。そんな柄じゃない」
「そう、ですか。では、なんとお呼びすれば?」
「……先輩、とかでいいんじゃないか、普通にさ」
とりあえず、無難そうな選択肢を提示する。
「ししょ――いえ、先輩がそうおっしゃるならば!」
「それと、だ。そのかしこまった口調もどうにかしてくれ。歳は同じくらいか、ともすれば私のほうが下かもしれないしな」
「わかりま……わか、った」
「ん、よし」
案外素直じゃないか。いい子だ。
「それで。私は風呂に行きたいんだが、本当についてくるのか?」
「し――じゃ、なかった。先輩が行くなら、あたしもそうさせ……そうしたいんだけど、ダメ?」
「ダメじゃない。ただ、身体が汚れてもいないのに風呂に行っても、仕方がないだろう?」
「それなら大丈夫! あたし、昨日は入隊のごたごたとかで、お風呂入ってる暇なかったから!」
堂々と言うことではないと思う。それも女の子が。
「まあ、好きにすればいいが――先に言っておくぞ」
一歩踏み出してから、軽く振り返って清霜のほうを向く。
「私からお前に教えられることなんかない。私はお前を戦艦にはしてやれない。断言する」
――
「だから、私につきまとう利点は、きっとないぞ?」
「でも、先輩は戦艦になったじゃない」
「それだって、半分は間違いだ。もしかすると、お前の耳に届くまでの過程で事実が湾曲されていたかもしれないから言っておくが、私は戦艦になったわけじゃない。駆逐艦のままで、戦艦の主砲を撃っただけだ」
多少突き放すような物言いになってしまったが、しかし変な希望を持たせてしまうよりはマシだろう。
僕は、彼女の夢を叶えられるような存在じゃない――
「――ううん。やっぱり、先輩は戦艦だって」
「……いや、だから」
「それに、先輩の話は、司令官から直接聞いたから。間違いや誇張は、多分入ってないはずよ」
「なら、余計にどういうことだ」
というか、なんで新入りにまで広まってるのかと思ったら、提督自ら広めてたのかよ。大丈夫なのか、主に無断出撃したこととか。
「それは、まあ――ヒミツ、かな?」
言って、清霜は悪戯っぽく、人差し指を唇に当てた。
「なんだそりゃ」
「――ともかく! あたしは長月先輩を尊敬してるの! だから、お風呂にもついて行きます!」
「いや、その理屈はおかしい」
よくわからないが、ついてくるのをやめないということはわかった。
「で、お風呂はどっち?」
「……あっち」
これ以上何を言っても無意味そうなので、諦めてそのまま風呂に行くことにした。
「しっかし、広いなぁ、警備府は」
「確かにな。慣れないうちは、たまに迷いそうになっていたよ。……もう、一通り見て回ったのか?」
「ううん。司令官に案内してもらってたんだけど、さっきどっか行っちゃったし」
ああ、それで提督と一緒にいたのか。というか、だったら仕事があるって嘘じゃねえか、あのおっさんめ。
「そういうことなら、私が案内するよ。風呂の後でな」
「本当ですか! ありがとうございま――ありがと!」
思わず再び敬語になった口調を、清霜は慌てたように砕けた口調に戻す。
「……警備府の案内、か」
僕も、ここに来てすぐ、皐月に案内して貰ったっけ。
『――ボクも、新入りの頃、先輩に案内して貰ってさ。だから、自分でもやってみたかったんだよ』
確か、そんなことを言っていた。
「……少し、その気持ちも分かるな」
「はい? どうかした、先輩?」
「なんでもないさ」
――ここでの生活に慣れてしまうのが、一概にいいことだと言い切れるほど、まだ僕は元の世界への未練を捨て切ってはいない。
けれど、帰れる見込みが立つまでは。あの時、扉の向こうにいた何者かから、僕をこの世界へ導いた真意を聞き出すまでは。こうして過ごすのも、そこまで悪くないと思えてきた。
「そうだ、忘れてた! 先輩、戦艦になった時の話、詳しく聞かせてください! 司令官は知らないような、先輩だからこその話を!」
「だから、戦艦になったわけじゃないし――大して、面白い話じゃないと思うぞ?」
こんな風に、
「――あ、長月!」
――それに、友達もいる。
「ここにいたんだ。今からお風呂?」
「ああ。皐月は?」
「ボクもちょうど、そろそろ入ろうかなって思ってたところ――って、あれ? 後ろの子は? 見ない顔だけど」
もうしばらくは、この状況を楽しむのも、一興だろう。