『繰り返す。緊急事態発生。警備府近海で、大規模な深海棲艦の艦隊が――』
放送は、なおも続く。この声は多分、ヴェールヌイかな――って、そんなことを考えている場合じゃない。色々なことが立て続けに起こりすぎて、軽く混乱してきているけれど、少なくとも、ベッドで横になっている場合ではないということは、わかる。
「痛っ……!」
まだ、身体が痛む。けれど、我慢できないほどじゃない。ゆっくりと脚を動かして、ベッドから降り――
「……無理はするな、長月」
――扉が開く音と同時に、声がした。
「菊月、か。どうした」
声の方向に視線を向ければ、同じ第六警備隊所属の菊月が、腕を組んで立っていた。
「伝言を伝えにきた。提督からだ。『駆逐艦長月は、そのまま待機』だそうだ」
「何故――っ!」
――立ち上がろうとして、激痛。
「何故かは、自分の身体に訊け。はっきり言っておくが、そんな状態で出撃されても、足手纏いになるだけだ」
「だ、だが、鎮痛剤でも使えば、一時的に痛みを消すくらいは、できるはずだろう!」
確か、提督がそんなことを言っていたはずだ。
「確かに、できるだろうが……それを踏まえても、だ。悪いが、万全な状態ではない新人駆逐艦が、たった一人加わったところで、何かが変わるような状況ではない。のこのこ出て行ったところで、無駄死にするだけだ。だったら、寝ていてもらったほうが、いくらかマシだな」
「……そう、か」
――そこまで言われてしまっては、僕としてはどうしようもない。折角、色々と吹っ切って、僕なりに覚悟を決めたばっかりなのに。
けれど、どうしようもないものは、どうしようもない。それに、無駄死にするとまで言われて、それでも、と言えるほどの蛮勇は、僕にはない。
「では、せめて、今の詳しい状況を教えて欲しい」
ただ、何が起こっているかくらいは把握しておきたい。近海で深海棲艦の艦隊が発見された、という以外の情報を、全く知らないし。
「……そう、だな」
僕の言葉に、菊月は、苦い顔をして若干言葉を詰まらせる。
「思わしくないのか、状況は」
問いかけると、無言のまま小さく頷いた。
「……敵艦隊は、本土近海に出現する規模としては、あり得ないほどに大きい。それだけではなく、『
「なるほど、な……」
確かにそれじゃあ、
「だが、ここは仮にも警備府で、重要拠点の一つだろう? 何十もの艦娘がいると聞いているし、なんとかなるんじゃないか?」
けれど、それだけでは、そこまで絶望する状況にも感じられない。僕が
「――万全な状況であれば、そもそも総員出撃命令など出さんさ」
しかし――返ってきたのは、そんな言葉。
「どういうことだ? 今の警備府は、万全ではない、と?」
「ああ。……別に、負傷者が多いわけではない。燃料弾薬他の資材だって、十分にある。だが――今の警備府は、主力艦娘の殆どが不在なんだ」
苦々しい表情で、菊月は言う。
「……何故だ?」
「大規模作戦が発令されていてな。主力艦の大半は、前線の海域へと派遣されているんだ」
大規模作戦――要するに、『艦これ』で言うところのイベント海域だろう。そういえば、ラストが本土防衛作戦のイベント、あったっけな。しかも、それまでに他のイベント海域に出した艦娘は使えないってことで、苦労したっけ。つまり、それと似たような状況か?
「しかし、初耳だな、そんな話は」
「私たちのような二線級の艦娘には、縁のない話だからな」
まあ確かに、数十の艦娘がいると聞いていた割には、ほとんど大型艦を見かけなかったのは確かだ。
「勿論、万が一の事態に備えて、主力級の艦娘を数名待機させてはいたようだが……明らかに、数が足りん。よって、現在出せる艦娘の大半を投入し、食い止めることとした、ということだな。正直、私たちなど、よく言って数合わせ、悪く言えば捨て駒のようなものだ。無論、沈んでやるつもりはないがな」
菊月はそう言うが、明らかに表情は暗く、不安の色が見て取れる。困難な任務であること――死の危険性が十分にあることを、理解しているんだろう。
「だが、お前は捨て駒としてすら役者不足だ。無駄に手駒を消費して、最悪相手の糧にしてしまっては、無意味どころか逆効果だからな。故に、そこで休んでいろということだ」
「……ああ、わかったよ」
――それでも菊月は、泣き言一つ言うことはなかった。
「――菊月ちゃん、まだおわらないのー? おいてくよー?」
「すまない文月、待たせてしまったな。今行く」
菊月は、廊下から響く文月の声に反応して、踵を返す。
「――そうだ、長月」
「うん?」
しかし、扉に手をかけたところで、再度こちらを振り返り――
「身を挺して、仲間を庇う行為。――見事だった。お前になら、私は喜んで、背中を預けよう」
――初めて見せる、笑顔を浮かべながら、言った。
「快復を待っている。また、共に戦おう」
そして、菊月は、病室から去る。二人分の足音が、遠ざかって行く。
「……まったく。どいつもこいつも、なんだってそんなに褒めるんだ」
――足音が聞こえなくなると同時に、捻くれた愚痴が口をついた。
だからさぁ。僕、褒められるのとか、感謝されるのとか、慣れてないんだってば。そんなことされるような人間じゃないし。
「しかし……なんだかなぁ」
まあ、とりあえずそれは置いておくとしてだ。現状、僕には何もできることがない。恐らくはかなりの危機的状況であるにもかかわらず、だ。正直、結構悔しい。みんなが戦っている中、一人安全圏にいるというのも、罪悪感があるし――
「みんな――みんな?」
――ふと、皐月の顔が、頭に浮かんだ。
「……大丈夫かな、あいつ」
皐月の練度は、あまり高くないはずだ。そんな奴が、棲鬼や棲姫がいるような戦場に向かって、無事に帰ってこられるのだろうか。勿論、自分の実力なんて、自分自身が一番よくわかっているだろうから、敵いもしない強敵に、自分から突っ込んで行ったりはしないだろう。けれど、今まで皐月がしていただろう、普通の近海警備と比べたら、危険性は段違いのはずで――
「――ああっ、くそっ!」
――居ても立ってもいられなくなって、ベッドから飛び降りた。
心配してやるほど深い仲じゃない――そうかもしれない。
自分がどうしたところで何も変わらない――きっとそうだろう。
そもそも命令違反だ――反論の余地も見当たらない。
身体の痛みはどうした――そんなのは吹き飛んだ。
「――ほっとけるかよ、今更っ!」
一緒に飯を食べて。一緒に風呂に入って。同じ部屋で寝て。取り留めもない話をして。一緒に戦って。命がけで庇ってやって。そこまでした相手を――ほっとけるものか。
病室を出て、廊下を駆ける。ついさっきまでベッドでうめいていた重傷者とは思えないほどに、身体の調子はすこぶるいい。
「しかし――どうするか」
何も考えずに飛び出したはいいけれど、具体的にどうすればいいのだろうか。勝手に艤装を使おうとしても、多分バレるだろうし、そもそも僕の艤装が今どこにあるかすらよくわからない。提督に尋ねるなんてのは、待機命令を出されている以上は論外だろうし。それとも、提督を説得するか? 痛みが引いたことを伝えれば、可能性はありえるだろう。けれど、それでも駄目だと言われてしまう可能性はあるし、そうなればきっと、提督は僕が勝手な行動を取らないように警戒するだろうから、無断で出撃するのも難しくなる。なら、最初からこっそり出撃したほうがいいだろう。
――で、結局艤装はどこだよ! 格納庫か、それとも整備場か? いや、そもそも格納庫にしたって整備場にしたって、一個や二個じゃない! 全部探して回れってか! それに、見つけたところで勝手に起動とかできるのかもわからないし!
「――待てよ」
と、そこまで考えたところで。ふと、一つの可能性に思い当たる。
「……明石の、工廠」
――あの場所には確か、いくつもの艤装が放置されていたはずだ。長月用の艤装も、あるかもしれない。あれなら、勝手に持ち出してもバレないだろうし。もっとも、まともに使えるかどうかは怪しいが、ダメで元々だ。
知り合いと出くわさないように警戒しつつ、一目散に工廠を目指す。慌ただしく駆け回る、人と人との間を縫ってひた走り、妙に静かな目的地へと、辿り着く。
扉に手をかける。鍵は、かかっていなかった。薄暗い屋内を、記憶を頼りにしながら進み――
「――あった」
――目当てのものを、見つけ出した。
まるで、
「よいしょっ……と」
都合が良すぎると、思わないわけじゃない。でも、だからなんだって言うんだ。まさしく好都合じゃないか。
艤装を背負って、起動する。主機がアイドリング状態になり、艤装の情報が脳内に直接伝達される。あまりにも上手く行きすぎて、軽く恐ろしさを覚えるほどだ。
その辺に置かれていた主砲と魚雷を装備して――準備オッケイ。
「……いや、でもなぁ」
ただ、はっきり言って、これじゃあ棲鬼や棲姫と戦うには、火力不足だろう。そりゃ、駆逐艦の身で、そんな大物の相手をすることを想定する方がおかしいんだろうし、実際に遭遇したとして、出来うる限り戦闘は避けるべきだろう。けれど、どうしても戦う必要がある状況に陥ったとして、何も対抗手段がない、となっては困る。
「何か、ないか――」
高性能な魚雷でも落っこちてないだろうかと、ガラクタの山をひっくり返しながら、周囲を探し回り――
――ふと、作業台に乗せられた、一つの装備に目が止まった。
「――今更、何を迷うってんだ」
――吐き捨てるように呟いて、不安や疑問を全て放り投げた。
手を伸ばして、掴み取る。
「それじゃあいっちょう――助けに行こうか」
――誰を?
決まってる。
――