――生まれてこのかた、僕は努力というものをしたことがなかったし、本気というものも出した覚えがなかった。別に、天才だったわけじゃない。ただの努力嫌いのクズだっただけだ。平凡未満の癖に、平均程度の苦労すら放棄し、それでいてろくな結果を出せないことを嘆き、あげくに全ての責任を自分の才能だとか、体質だとかのせいにする。控えめに言って駄目人間で、どう擁護したところで無能には違いない。自分自身、そんなことはわかっていた。わかりたくもないけれど、わかっていた。わかっていてなお、改善しようとしなかった。しようとする気にもなれなかった。僕は自分が嫌いだったし、何よりも自分を諦めていた。そんな奴のことなんて、どうでも良かったんだ。結局、僕は変わらない。変われない。そんな風に、自分自身を見下していた。
けれど。ああ。誰にだって、変化は訪れるのだ。それが、どんな形だったにせよ――
「…………う、ん?」
――目を覚ました。
さっきまで、夢の中で何かを考えていた気がするけど、よく覚えていない。
いや、そんなことより、ここは病室じゃないか。僕、出撃してたんじゃないっけか?
「……なん、で」
「――長月⁉︎ 目が覚めたんだね⁉︎」
――僕の言葉を途中で遮るように、誰かが顔を覗き込んできた。
「……さつ、き?」
果たしてその誰かとは、よく見知った……とは、まだまだ言えないが、十分に見覚えのある相手。金の瞳と髪が眩しい――まあ、皐月だった。
「良かった……本当に、良かっ、た……」
しかし、なんだろう。声は弱々しいし、顔なんて今にも泣き出しそうだ。おいおい、元気っ子の君らしくないじゃないか。そんな姿も、それはそれで可愛らしいと思うけれど。
「……なあ、皐月。一体、どうなっているんだ?」
でも、今はそんなことを考えている場合じゃなさそうだということは、さすがの僕にも理解できる。そういうわけで、まずは僕の率直な疑問を皐月に問う。
「……ホ級の攻撃からボクを庇って、大破したんだ。覚えてない?」
「ああ……そういえば」
――思い出してきた。言われてみれば、そうだった気がする。と言っても、庇った記憶自体は残ってないんだけど。
「ボク、本当に、長月、死んじゃうかもって、心配で……」
「あー、ごめん、ごめん。な? ほら、こうやって、ちゃんと生きてるからさ」
今にも泣き出しそうな様子の皐月に、手を伸ばす。
「……大丈夫、大丈夫だ」
そうして、頬に手を触れた。あったかくて、柔らかい。
「……うん。よかった、無事で」
少し落ち着きを取り戻した皐月は、僕から顔を離す。
「じゃあボク、長月が起きたって、司令官に報告してくるよ」
「ん、わかった」
そうして、皐月は踵を返し、廊下へと姿を消した。
――静かになった部屋に、独り残される。
「……なんだかなあ」
――なんで僕は、庇ったりしたんだろうか。そりゃ確かに、あのままだったら、間違いなく皐月は被弾していただろう。けれど、皐月と
もっとも、大破で済んだというのはあくまでも結果であって、轟沈の危険だってあったんだろう。けれど、仮に轟沈だったにせよ。いやむしろ、なおさらのこと、僕には庇う理由なんてなかったはずだ。だって、皐月とはついこの前会ったばかりで、殆ど他人と言ってもいい間柄だ。そりゃまあ、艦これプレイヤーとしては前々から馴染み深かったけれど、それが命を賭してまで皐月を庇った理由だということは、さすがにないだろう。そうなるとやっぱり、
「……うーん」
わからない。考えれば考えるほど、わからない。
「ま、いいか」
そういうわけで、思考放棄。考えてもわからないことを延々と考えても無駄なだけだし、ベッドの上でいつまでも悩んでいても仕方がない。とりあえず、起きよう――
「――痛っ⁉︎」
――身体を起こそうとした瞬間、全身に激痛がはしった。
「まだ動かねえほうがいいぞ、長月。損傷箇所を、元通りにしたばっかりだからな」
廊下から、声が聞こえる。視線を向けて確認すると、扉を開けて提督が入ってきた。そういえば皐月、報告してくるって言ってたな。
「見た目こそなんともねえが、お前さんは重傷患者なんだ。自覚しとけよ?」
「ああ、たった今、自覚した……」
腕や首を動かすぶんにはなんともないが、腰や脚を動かそうとすると、物凄く痛い。
「ま、痛みを消すだけなら鎮痛剤でも使えばいいんだが、その状態で身体動かしても悪化するだけだ。しばらく休んどけ」
「……了解だ」
確かに今は、安静にしているべきだろう。素直に従っておく。もっとも、動こうにも動けないけど。
「しっかしまあ、よく生きてたなあ」
「そんなに、酷かったのか?」
そういえば、大破したとは聞いたけど、具体的にどんな感じだったのかは聞いていない。
「――敵の砲弾は、お前さんのちょうど腰のあたりに直撃した」
言って、提督は
「艦娘は、確かに普通の人間と比べちゃずっと頑丈だ。まして、艤装のサポートを受けている状態なら尚更な。だがそれでも、駆逐艦の低い防御力で、しかも近距離から巡洋艦の砲撃を喰らったら――」
――差した指を、縦に振った。
「――こう、だ」
まるで、何かを、切るように。
――その仕草の意味を、少し考えて。
「……冗談、だろう?」
――理解した瞬間、さすがにぞっとした。
「冗談にしちゃブラック過ぎるっての。紛れもなく事実だ。お前さんの場合、処置の早さが命の分かれ目だったな。艤装には生命維持機能があるたあ言え、もしこれが、すぐには帰還できない遠方の海域だったら、死んでても不思議じゃなかった」
口調こそ軽いが、しかし提督の表情は真剣だ。とすると、やっぱり本当なんだろう。いや、疑ってたわけじゃないけど、信じたくなかったというか。現に、痛みはあるとはいえ、見た感じ身体は普通だし。こっちの医療技術が高いのか、それとも艦娘だからなのか。
「ま、次からは上手くやれよ。しっかりトドメは刺すようにしとけ」
「……ああ」
――まあ、うん。結局、今回の事態の元凶は、僕自身の慢心に他ならない。提督の言う通り、きちんと倒していれば、こんなことにはならなかったのだ。ヴェールヌイに、慢心は禁物だと言われたばかりなのに。
「ヴェルも俺も、お前さんには期待してるんだ。つまんねえ死にかたはするなよ――長月」
最後にそう言って、提督は病室から出て行った。再び、一人になる。
「……はあ」
――ため息。
確かに、命の危機があることくらいはわかっていた。わかっていたけど――実感はしていなかった、ということか。今更、恐怖感が湧き上がってくる。僕にだって、死にたくないと思うくらいの、普遍的な感性は備わっている。ただ、あまりにも非日常すぎて、どうやら麻痺していたらしい。そして、実際に死にかけた今、その麻痺が治ってきた、というわけだ。
「帰りてえなあ……」
思わず、そんな言葉が口をつく。そう、僕は本来、こんな世界で死にかける必要がある人間じゃない。平凡で平和な世界で、ありきたりの生活を送っていれば、それでよかったはずなのだ。なのに、どうして。
とはいえ――帰る方法なんて、さっぱりわからない。どうやって来たのかもわからないのだから、当然だ。だったら、覚悟を決めてこの世界、この状況に順応してしまうのが、一番楽だろう。そんなことはわかっている。わかっているからこそ、僕は
「……その結果が、これか」
――さすがに、気が滅入る。だって、冷静になって、客観的に考えれば、今の状況は、地獄そのものじゃないか。駆逐艦かわいいなどと、思っている場合じゃない。
けれど――
「――嫌だな」
何が、嫌かって。死にかけたことでも、これからも死にかけるだろうことでも、元の世界に帰れないことでさえもなく。
「考えるの、やめた」
――こんな風に、ネガティヴな思考にふける長月なんて、嫌だ。
ああ、やっぱり馬鹿だな、僕は。死にかけても治らないのか。本当に、死なないと治らないんだろうな。いや、死んだって治るか怪しいか――
「――長月、入って大丈夫?」
――扉の向こうから、声がした。一旦、思考を中断する。
「ああ、いいぞ」
返事を返すと、ほどなくして皐月が入ってきた。
「なんだ、また来たのか。どうした、皐月? 何か用事か?」
「用事、っていうかさ。さっき、言い忘れてたことがあって……」
そう言って、少し照れくさそうに頬を染める、皐月。
「なんだ?」
「……えっと、その、さ」
少し、俯いて。それから、もう一度僕の方を見て――
「ありがとな、助けてくれて」
――そう、言葉を続けた。
「――えっと、それだけ! じゃあね、お大事に!」
それから、少しだけ間を置いて、早口で言って。皐月は去って行った。
……うん。
「…………あー、あー、あー! あー‼︎」
――足音が聞こえなくなったのを確認してから、叫ぶ。
元々、お礼とか言われ慣れてないんだよ僕! その上皐月の照れ顏滅茶苦茶かわいいし! 自分の慢心が引き起こしたことだ、とかなんとか、色々言いたいことあったけど、気恥ずかしさと皐月のかわいさで全部吹き飛んだ!
「あーくっそあー痛っ⁉︎」
思わずじたばたしようとして、激痛。そうだ一瞬忘れてた、僕重傷者じゃん。何やってんだ。
「……はは」
まあ、でも。
「礼を言うとしたら、こっちの方だよ。皐月」
なんだか、一気に気が楽になった。
「……ふぁ」
――気が抜けたからだろうか。眠くなってきた。やることもないし、寝てしまおう。
「……おやすみ、なさい」
瞼を閉じて――意識を、手放した。