「――それにしても、さっきは凄かったわね。ヴェルをあそこまで追い込むなんて」
「その……あんまり褒められると、少々照れくさいのだが」
――ヴェールヌイとの模擬戦の後、僕の訓練は一度中断され、少し早めの昼食休憩に入っていた。
「だって、事実じゃない。私の記憶が正しければ、ヴェルとあれだけ張り合えた新人は、あなたが初めてよ」
「いや、でも、ほら。結局、負けたわけだしな?」
あまりにも暁が褒め殺してくるので、そろそろ気恥ずかしくなってくる。嬉しいことは、嬉しいんだけど……正直僕は、褒められ慣れていないせいか、褒められまくると逆に不安になってくるのだ。
「それは当然だろう。新人相手に負けたら、私の面目が立たない。そもそも、かなり手加減はしていた」
「だ、だよな!」
若干辛辣なコメントをするヴェールヌイに、逆に安心――
「――でも、それを差し引いても、見事だったよ」
――したところでまさかのアンブッシュ! グワーッ!
「最後の雷撃なんて、咄嗟に砲撃で魚雷を撃ち抜いていなければ、絶対に避け切れなかったはずだ」
ああ、海面に向かって砲撃したのって、そういう理由だったのか。いや、今はもう、そんなのどうでも良いけど。それよりも、褒められすぎて顔が熱い。
「さっき私は、この警備府で一番強くなれるだろうと言ったけど、あれは本気だ。もっとも、どのくらいの時間が必要かまでは分からないし、その前に沈んでしまう可能性だってあるけどね」
「そ、そうか……」
鏡があれば、きっと赤面する
「――でも、慢心しては駄目だ。あまり調子に乗りすぎるな」
ヴェールヌイは、少しだけ強い口調で言う。……まあ、うん。ちょっと、テンションが上がりすぎてたとは思う。
「……反省は、している」
「うん、よろしい」
すぐに元の調子に戻ったヴェールヌイは、カレーうどんをすすり出した。よくもまあ、白い制服で平然と食べられるもんだ。
「あんまり落ち込まなくても良いのよ? ヴェルが言い過ぎなだけだから」
「いや、大丈夫だ。落ち込んでるわけじゃない」
慰めるように言う暁に、僕はそう返す。いや、実際落ち込んでたわけじゃないし。ようやく褒めちぎるのを止めてくれたから、ほっとしているだけだ。むしろ、平静を取り戻せたし、ヴェールヌイには感謝しているくらいだ。
「そう? なら良いの。……さっきのでよく分かったと思うけど、ヴェルは少し、新人に厳しすぎるのよ。暁としては、あんまり厳しくし過ぎて、折れちゃう子が出たりしないか気が気じゃないわ」
「――そんな軟弱者は、最初から艦娘になんかなるべきじゃないよ」
暁の話に、ヴェールヌイは辛辣な言葉を挟んだ。
「ヴェル、そんな言い方……」
「だって、そうだろう? 訓練で心を折られる程度の艦娘なんて、到底実戦になんて耐えられやしないよ。――私たちは、戦争ごっこをやってるんじゃない。命のやり取りをしているんだ」
口調こそ厳しいが、ヴェールヌイの言うことは限りなく正しいだろう。
「……分かったわよ。昔からそうだものね、
「ああ、そうだ。今更変わらない。それに、私だって、限度くらいはわきまえているし――やりすぎだと判断されたならば、暁より誰より、司令官が止めるだろう。だから、大丈夫だ」
「ええ、その通り。……ごめんなさい。少し、心配しすぎたわ」
「……私も、少々強く言い過ぎたな。すまない、暁」
僕が黙々と唐揚げを頬張っているうちに、気が付けば二人は和解していた。……いや、だって、横から話に入れそうな雰囲気じゃなかったし。ご飯でも食べてるしかない。
「――ああ、長月も、すまない。見苦しいところを見せた」
「いや、大丈夫だ。意見が衝突することくらいはあるだろう」
言って、僕は最後に残った唐揚げの欠片を頬張り、軽く咀嚼して飲み込んだ。
「しかし、ヴェールヌイと暁は、長い付き合いなのか?」
そして、なんとなく、興味本位で質問してみた。
「ああ、まあね。暁、何年経ったっけ?」
「ええと、ひい、ふう、みい……四年かしらね」
小さな指先を、一つずつ折りながら数える暁の仕草がかわいい。厳しい指導を受けたり、かと思えば褒め殺されたり、目の前で若干不穏な空気が流れたりと、色々とあって消耗した精神が、今の一瞬で一気に回復した。どうも僕は、駆逐艦のかわいい姿を見れば、心の疲れは一気に吹き飛ぶらしい。我ながら単純だ。
「そうか、もうそんなに経ったのか。――暁と私はね。大湊に来る前、別の基地に所属していた頃からの付き合いなんだ。私と暁、そして同型艦の雷と電、合わせて四隻しか艦娘がいない、小さな基地だった」
「色々あったわよねえ、あの頃は」
懐かしむように、うんうんと頷く暁。ああ、暁かわいいなあ。いや、長月が一番なんだよ、うん。でもさあ、暁もかわいいじゃん。
「あの頃
「つまり、暁と、雷に電だけじゃなく、司令官とも付き合いが長いのか」
暁の仕草に気を取られつつも、ちゃんと聞いていた僕であった。いやまあ、自分から訊いておいて話を聞かないなんて、さすがに失礼にもほどがある。
「その通り。司令官とも、四年来の付き合いだ」
「あら? 司令官とヴェルの
――お茶を飲みかけていたヴェールヌイが、思いっ切りむせた。
「だ、大丈夫⁉︎」
「げほっ、ごほっ――あ、暁! 余計なことは、言わなくて良いから!」
ヴェールヌイは珍しく取り乱し、恥じらいが混じった表情で、暁に掴みかかった。色素の薄い髪と肌に、赤面はよく映える。カワイイヤッター!
「……ええと。もしかして、ヴェールヌイと司令官は、そういう関係なのか?」
でも、とりあえず今は、ヴェールヌイのかわいさは傍に置いておこう。――えっと、何? つまり、提督が言っていた『相手』って、もしかして?
「いや、その、それは――」
「良いじゃない、隠さなくても。ほら、長月に見せ付けちゃいなさいよ、司令官との愛の証を!」
暁は、妙に楽しそうな様子だ。
「おお、愛の証だと? 興味があるな、見せてくれ」
――でも正直、僕も楽しいし、乗ってみる。
「う、うう……」
赤面して、若干涙目で縮こまるヴェールヌイ。――あ、やべえ。滅茶苦茶かわいい。もし今二人きりなら、何をしでかしていたか分からない。もっとも、相手がいる子に手を出せるような度胸は僕にはない。なら、相手がいなければ手が出せるのかというと、それまた微妙なところだけども。
「ほらほら、早くしたら?」
「なあ、頼むよ。気になるんだ」
「わ――分かったよ! 見せればいいんだろう⁉︎」
完全に真っ赤になったヴェールヌイは、襟から胸に手を突っ込んで、ネックレスの先端を引っ張り出した。というか、ネックレスなんて着けてたのか。気づかなかった。
「ほら! 好きなだけ見ればいい!」
叫びながら、ヴェールヌイはネックレスを僕に突き付ける。先端には――銀色に光る指輪が、付けられていた。
「結婚指輪か?」
まあ、最初からだいたい察しは付いていたけれど、あえてすっとぼけてみる。
「――婚約指輪、ね。正確には。ヴェルが引退したら、正式に結婚するんですって」
「えっ」
――ケッコンカッコカリかと思ったら、コンヤクカッコマジだったでござるの巻。予想の斜め上を行かれた。
「暁、余計なことは言わないで……」
「隠してるわけでもないんだし、良いじゃない」
「そう、だけど……」
ヴェールヌイは、帽子のつばを掴んで、目を伏せる。しかし、真っ赤に染まった顔は、全く誤魔化せてはない。
「――しかし、ヴェールヌイ。そうなると、一つ気になることがあるんだが」
だが、容赦はしない。訓練でしごかれたことや、褒め殺しにあった鬱憤を、全力でヴェールヌイにぶつける構えだ。
「な、なんだい……?」
「司令官とヴェールヌイが、そういう関係なのは分かった。では――」
僕は、昨日の夜の、提督の言葉を思い出していた。確かあの時、提督は――
「――やはり、司令官と
――そういうことをしたいなら、もう相手がいる、と。
「な――なな、なななな、ななな何を言いだすんだい、急に!」
僕の放った言葉を聞いた瞬間、ヴェールヌイはただでさえ赤くなっていた顔をさらに真っ赤にして、立ち上がった。
「よ、よく考えてよ。私はまだ子どもだし、あり得ないだろう?」
「そんなことは、理由にならないだろう。好きなんだろう? お互いに。なら、そういうことをしていても、不思議じゃない」
文字通りに、耳まで真っ赤にしたヴェールヌイに、さらに追撃をかける。正直、楽しい。
「さあ、どうなんだ。してるのか? してないのか?」
ずい、と。僕も立ち上がって、ヴェールヌイに詰め寄った。
「…………黙秘するよ」
――だが、ヴェールヌイはしばし無言になった後、一言呟いて、座り直してしまった。
「なんだ、つまらないな」
まあ、あんまりいじりすぎて、変な恨みを買いたくはない。僕も、それ以上の追求はせず、引き下がった。
「……ねえ。司令官と夜戦って、どういう意味? 多分、何かの隠語よね?」
「暁は、知らなくていい」
――でも、黙秘したってことは、うん。きっと、そういうことなんだろう。
「何よそれ! 教えてくれたっていいじゃない!」
「まだ早いよ、暁には」
「子ども扱いしないでよ! 同い年のくせに! ぷんすか!」
ヴェールヌイと暁のやりとりを、横目に見つつ――僕の心は、あのくたびれたおっさん、もとい提督への、羨みやら妬みやらで、溢れんばかりに満たされて行くのだった。