Fate/eternal rising [another saga]   作:Gヘッド

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はい。やっと長い長いアーチャーの過去も最後となりました。
いやぁ、疲れた。
さぁ、ということで、アーチャー過去編最後でございます。



栄枯盛衰と怒りの源流《終編》

 その後、ヒョルディースとリュングヴィの結婚のことはすべて白紙となり、彼女の思い通りとなった。だが、そのために彼女は大勢の人の目の前で俺と接吻をした。その代償は重く、エイリミ王は半ば強制的ではあったが、俺たちに結婚することを要求した。

 

 それもそのはず、エイリミ王の国とリュングヴィの国とは結婚を結んで、国と国も結ばれようとしていたのに、今回の件でその結ばれるはずだった国と国は別れてしまった。その結果、待つのは戦争である。リュングヴィは大勢の人の前で屈辱を味わったのだから、その怒りをエイリミ王の国に向けるのは当然のことであった。

 

 だから、エイリミ王は俺とヒョルディースを結婚させようというのだ。俺とヒョルディースを結婚させて、大国である俺の国を味方に回そうというのである。もちろん、俺にその結婚の拒否権はなく、ヒョルディースと結婚することとなる。

 

 そして、ヒョルディースは俺の国に嫁ぎに来た。俺の国でもあの件の噂は流れており人々は俺たちを好奇の目で見ていた。特に表情をあまり変えない俺が他人の女を寝取っていたなどということは民にも驚きであったらしい。民は俺がもう結婚などしないかと思っていたなどと言っていたらしく、その話を耳に入れる度、自らの行いを悔いた。

 

「はぁ、何で俺はこんな女と結婚してしまったのだ—————」

 

 深いため息が俺の口から出た。

 

「何です?こんな女では不満ですか?」

 

「不満も何も、昼間から酒を飲んでいる女に言われたくない!」

 

 太陽の光が俺たちを照らしている。草木が生える庭に一人で休息を取ろうといたら、彼女が勝手にやって来た。彼女の手には金属の杯があり、その杯の中には真紅の酒が注がれていた。彼女は俺の隣に座り、美味しそうに酒を飲んでいる。

 

「お酒は私の必需品です!私からお酒を取ったら何が残るっていうのです?」

 

 杯にまた酒を注いだ。彼女の言葉は自虐的でありながらも、言い返すことが出来ない。

 

「お前、この国の酒全てを飲み干す勢いで飲んでいるだろ?」

 

「そんなことありません!私のことをそんなに呑んだくれだと思っているのですか!まだ半分くらいしか飲み干そうとしか考えてません!」

 

 この女、口を開けば出てくるのは酒、酒、酒。話していて嫌になる。

 

「あのな、お前。仮にもこの国の王の女、妃なんだぞ?それなりの身分なんだ。そういう行動は慎んでほしい」

 

「嫌です!こういう時こそお酒が死ぬほど飲めるチャンスじゃないですか!」

 

「これ国税!俺たちの大切な国税!無駄にするな!」

 

 俺はよくこんなに国税をわんさかと無駄遣いする妃を持ったものだ。こうなることは妃にする前から分かっていたことなのに、何故こんな女を妃にしてしまったのか。

 

 酒をガブガブと飲んでいる彼女を見た。ほろ酔い気分の快い表情を浮かべ、空に向かって杯を差し出し、何やら馬鹿なことを叫んでいる。

 

 そんな彼女が近くにいて何処かホッとする。今までずっと何事も張り詰めていた俺に束の間の休息の時間を彼女は与えてくれるという事実を否定出来ない。勝手に近寄っては、隣で酒を飲んで、追憶に沈むその顔を俺に見せる。

 

 こんな安心を俺は追い求めていたのだろうか。苦しみ、絶望したこの運命の中で、ふと気を許せる心の居場所を探していた。そして、見つけた。

 

「—————まぁ、こんなのも悪くはない」

 

 口から溢れた。微笑している自分がここにいる。

 

「ヒョルディース。ありがとう————」

 

「……え?」

 

「……ん?どうした?」

 

「イヤァァァァ‼︎私の旦那が、私の旦那が、初めてそんなことを言っている!気持ち悪いッ‼︎世界の終わりだわぁッ‼︎」

 

「なっ⁉︎それはないだろ!というか、旦那とか恥ずかしいわ!まだお前が嫁いでから数ヶ月しか経ってないんだから、まだ旦那って呼ぶな!」

 

「あ〜、照れてる〜」

 

「照れてなどいないわ!」

 

 ああ、この女と一緒にいるとダメだ。全然安心出来ない。精神が摩耗してしまう。

 

 俺は剣を振りに行こうとして立ち上がった。

 

「あれ?何処行くんですか?」

 

「剣を振りに行く」

 

「またまたぁ〜。真面目さんなんですから」

 

「あのな、王たる者、民の道標とならねばならない。そんな王が怠けてなどいられるか。—————それに、王となれと言ったのは貴様だろう」

 

「……え?私、そんなこと言ってませんが」

 

「……え、……ああ、そうだったな。お前ではないな」

 

 ヒョルディースは俺の言葉をひどく不審に思っている。それもそうだ。ヒョルディースはシグニューではない。だから、彼女がそんなこと言っているわけがないのだ。

 

 でも、時折ヒョルディースはシグニューの生き写しではないかと言えるほど豹変する。そんな姿を見たのはほんの数回だが、その数回は双子である俺をも騙してしまうほど。

 

「それに、もうすぐリュングヴィが戦を仕掛けてくるだろう」

 

 リュングヴィはエイリミ王に戦を仕掛けるだろう。そしたら、エイリミ王と国交があり手を組んでいる俺の国もその戦争に参加しないわけにはいかない。元はと言えば、その戦争の原因は俺とヒョルディースにあるのだから。

 

「民を守る。それが俺の仕事だ。先頭に立つのだから、その分背負うものも大きい。躓くなんて許されない。例え俺が死んでも、民を殺すような真似だけはしたくないんだ」

 

 あの頃、俺は力ある者に、王になりたいとそう願った。大切なものを守るために。そして、王となった。その仕事は辛いが、俺にはこの仕事は合っているとつくづく思う。

 

「民は俺の守らねばならない大切なものだ。だから、俺は守る」

 

「なら、私と国民、どっちが大事で守らねばならないものなのです—————?」

 

「そりゃぁ、もちろん民だろ」

 

「ええっ?普通、そこは『お前だよ』っていう場面じゃないですか?」

 

「そんなこと俺が言えるか」

 

「あはは、そうでした。そうですよね。だって、私の惚れた人はそんな優しい人だから—————」

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 沈黙が生じた。彼女の言った言葉を俺は瞬時に理解できず、また言い出した彼女も自分が何を言っているのかが分からなくなり、恥ずかしそうに顔を背けた。

 

「そ、その、お、お酒が回ってしまったようで……。こ、これは」

 

「ああ、分かっている。酒に酔ったんだろう?」

 

 その時、俺は彼女が滅多に酒に酔わないということを知っていてそう言った。ずっと一緒に暮らしているのだ。彼女は本当に気があるのだろう。

 

 だが、それを別に刺激することはしない。子作りを急かすなんてこともしない。彼女は彼女のやりたいように自由にやらせてあげたいのだ。

 

 正直言って、それが俺にとっては贖罪なのだ。シグニュー似の彼女を手厚くするのは、シグニューに対しての特別な思いがあるから。

 

 寧ろ、俺は彼女のそういうアプローチを交わし続けている。彼女を傷モノにしたくはない。そんな思いが俺の中にあって、出来ればこのまま俺は死ねればいいと思う。

 

 罪を贖いたいのだ。それこそ、自分の自己的な望みで、そのために彼女を動かしている。本当に彼女のためになっているのかというのは、結局の所俺には分からない。

 

「では、俺は稽古にちょっと湖のほうに行ってみよう。何かあったら連絡してくれ」

 

 浮かない顔をする彼女にそう言葉をかけて、俺は馬に乗った。彼女は近寄ってきて、笑顔を俺に見せた。

 

「行ってらっしゃいませ」

 

「ああ、言ってくる」

 

 彼女に背を向けて俺は馬を走らせた。彼女の遣る瀬無いため息が出たのが聞こえたように感じた。それでも、聞こえたため息を馬の足音で押し潰す。そうでもしないと、俺が俺の心を保てない。彼女のために俺はこうしているのだと自らを正しながら。

 

 湖に着いた。ここは俺がシグニューと小さい頃よく遊んだ場所だった。ここは知る人ぞ知る穴場のような場所で、魚は良く採れるわ、空気は澄んでいてリラックス出来るわで、偶にここに来ては色々と日々の溜まった疲れを癒したり、鍛錬をしたりしている。

 

 湖の畔で俺は剣を抜いた。この剣こそ俺を王にしたと言っても過言ではない不思議な力を宿した選定の剣グラム。言ってしまえば、この剣だけが今までずっと俺と一緒にいる。

 

 何とも皮肉なものだ。剣は人を殺すための武具にして、人を殺さねばただの鉄。なのに、そんな武具だけが俺についてきているとは。

 

 グラムを鞘から抜き、俺は剣を構えた。近いうちにいつか大きな戦がやって来る。その時、俺の大切なものを多く失わねばならないだろう。だから、一人でも多くのものを守りたい。

 

 かつては神に力を得ることを頼ったが、今俺がするのは鍛錬のみ。

 

 —————剣を振る。ただの鉄の塊が空を斬った。

 

 静かな湖畔、水気のある地面に足音がかき消される。砂利の音だけが響く。湿度の高い空気が体内に入り込み、そして吐き出される。蒼い空に深い緑、その下に透き通った湖があり、湖は全てを映し出していた。

 

 過去も現在も。だが、未来は濁って見えそうにない。静かな不安が俺を襲う。今、剣の鍛錬をしていても、失うかもしれない。救いきれないかもしれない。そんな現実を直視することが出来るのだろうか。

 

「—————邪念があるぞ、お主」

 

 何処かで聞いたことのある声が背後からした。後ろを振り返るとそこにいたのはいつぞやの老人。

 

「オーディーン神。何故貴方がここにいるのです—————?」

 

 老人は長い木の杖をついている。俺が歳を取っても、この老人は年老いた様子はなく、俺がこの老人の歳に近づいているような感じがした。

 

「フッフッフ。儂か?儂はの、お主を見に来たのじゃよ」

 

「俺をですか?」

 

 老人は深く頷いた。

 

「お主が王として大成しておるかと見に来たのじゃ。お主には運命を紡ぐ神ノルンの加護がある。その加護はちょいとした厄介な代物での。その加護に守られる者は不運こそ無いが、その不運は周りの者に移るのじゃ」

 

「そんなこと知っておりますとも」

 

 その不運を周りの人になすり付けるという妙な加護のお陰で俺の体には特に目立った傷などない。だが、周りの人が俺の分の不運を背負い死んでゆき、その死にゆく姿を見る俺は心に傷を負う。

 

「貴方は私に鋼の王となれと言うのですよね?周りの者が死んだとしても、心揺らがずに国の民を正しい方向に示し導く王になれと—————」

 

 俺がそう言うと老人は頷かなかった。沈黙が少し流れ、その沈黙が俺に違うのだと言っていた。

 

「確かに王は鋼の心も必要じゃ。時には決断するのも辛い選択をしなければならん。じゃが、王とて人じゃ。人は辛いことがあれば泣き、嬉しい時があれば笑う。しかし鋼の王はその人であることも捨てねばならん。人を捨てるのは儂等のような神だけで十分じゃよ—————」

 

 老人は皺だらけの手に握られている長い木の杖を湖の水面に浸けた。静かな小鳥の音しか聞こえないこの湖に小さな波が立った。杖を中心として波が広がる。

 

「お主の心はこのような湖じゃ。この大きな空を濁りなく綺麗に映し出す澄んだ湖。お主の心も一度何かをつけ加われば波が立ち、心が揺らぐ。人の心は全てそんなものなのじゃ。それこそ人が人である証。お主は人らしい王じゃよ—————」

 

 老人は俺が人らしい王だと言う。それはつまり、何かに揺らぎやすい王なのだと言うのだ。

 

「でも、それは俺の理想とした王じゃない。俺の理想とした王は力強く、どんなことがあっても決して信念を曲げないような王。それこそ、俺の父のような人です」

 

「そうなのか?まぁ、お主がどう思い、どう理想に向かって進もうとせよ、結果今のお主は優し過ぎる」

 

「俺が優しい?」

 

「ああ、優しいとも。鋼の王になろうと心掛けているのに、全てを守ろうとしているではないか。それに、ノルンの運命の加護をお主は嫌っておるようじゃ。お主は周りの人を不幸な目に遭わせるのが苦痛で仕方なく、自分で背負おうとする。理想は先頭に立ち茨の道に最初に足を踏み入れる役目。今のお主はその理想とは程遠く、そして誰かを不幸にしている。鋼の王とはその現実を見ても心痛めない者。そんな者は神か悪魔でしかなく、もしお主がそうであったらそんな力など与えておらん」

 

 言われてみればそうだ。俺は全てを背負い込もうとしている。だが、結果としてみんなを不幸にしていて、そんな、加護は俺にとっては嫌いでしかない。確かに俺に不幸は来ないものの、それでも周りの者の不幸を見ているのは酷く心を痛める。そう考えれば、俺は確かに優しいのかもしれない。

 

「一つ気になることがあります。貴方は俺が優しいから力を与えた。しかし、結局のところ俺は不幸しか遭っていない」

 

 他人に不幸をなすり付ける。その行為自体が俺にとっては不幸でしかない。それをするということは、要するに不幸からは逃げられない。

 

「ああ、そうだとも。お主は不幸から逃れられぬ運命なのだ。それこそ、人の身ならば皆そうじゃ。力など関係ない。人は皆、不幸に必ず遭う。じゃから、人はその不幸で負った心の傷を何かで癒すのではないか。お主もやっと見つけたではないか。心の傷を癒す者を」

 

「それはヒョルディースのことですか?」

 

「うむ。よく酒を飲む娘じゃ」

 

「いや、あんな女と一緒にいても疲れるだけ。現に俺はこうして一人で静かに鍛錬をしていたのです」

 

「しかし、あの時のお主の顔は何とも楽しそうな顔をしていた。前に儂と会った時からは想像もつかないほどに明るい笑顔じゃった」

 

 そう言われた俺はふと自分の頬を触った。

 

「そんなに笑っていましたか?」

 

「うむ。微笑ましいほどにな」

 

 人らしい王、それは傷つきながらも前へと進む人のこと。俺の理想、鋼の心を持つ王は傷つかない心を持っていて、冷たい金属の心に熱は帯びることなく淡々と前へと進む。

 

 どちらにせよ前へと進むけれど、進み方が多いに違う。

 

 確かに俺は鋼の王を目指していても、結局は人らしい王になっていってしまうのかもしれない。

 

「人らしく俺は生きますよ。王だから人としての生き方を望めないなんて、確かにそんなものはない。王は人、人は人らしく生きる。そんな人になれと、そうですよね?」

 

 老人はまた陽気に笑った。大空で輝く太陽と競うくらい陽気に。

 

「それでよい。お主はそれでこそ、王として素晴らしい—————」

 

 老人はそう言うと、俺に背を向けた。老いた外見と、その中でまだしなやかに動くであろう足腰は厳粛で威厳があるように感じる。

 

「そうじゃ、お主に一つだけ言わねばならないことがある」

 

「言わねばならないこと?」

 

「ああ、忠告じゃ」

 

 その時、背筋がゾッとした。俺が何か悪いことをしたということに思い当たる節はなかったものの、その威圧感にはただ感服するしかないと悟ってしまう。

 

「お主嘘を吐いてるじゃろ—————?」

 

「嘘……ですか?いや、別に吐いてなどいませんが」

 

「儂との時でなく、国と国の話の時とかにじゃ」

 

「……ええ、吐いております。それが何か?」

 

 俺が老人の言うことを認めると、老人は静かに「そうか」と呟いた。気力無さそうなその言葉に何が含まれていたのか、それを俺は考えまいとした。

 

「お主、嘘を吐くのはもうやめなされ。確かにお主はその人の心を覗ける権能のようなものを持っとる。それは確かに素晴らしい権能じゃ。じゃが、嘘を吐くな」

 

「嘘を吐くのが悪いことだと?子に教えるようなことを俺に教えるのですか?」

 

「まぁ、そうじゃ。お主は優しい。じゃが、夢の反対の絶望を知ってしまっておる。真に怖い人間は、優しい人が恐ろしく怖い。優しすぎるが故に、そして絶望を知っているが故に、悪にも簡単に手を出せるのじゃ」

 

 嘘を吐くことが悪いと老人は言う。もちろん、嘘という言葉は悪いように聞こえることが多いし、実際悪い嘘が多い。だが、それでも嘘は使い用によってはとても簡単に利益を得ることが出来るのだ。

 

「利益を重視するのはよい。それは一個人の勝手じゃ。しかし、利益とは他者に何かを与え、その見返りとして受け取るもの。そして、お主が与えているものは嘘、虚構じゃ。それはつまり、お主にとってしてみれば良いかもしれんが、誰かは必ずその嘘の分だけ傷ついており、その嘘の分だけお主は怨みを買うことにもなる」

 

「だが、今のところその嘘はバレていない」

 

「バレている、いないの話ではない。それではダメなのじゃよ。世界はいずれお主を消しに行くだろう。そうしたら、儂も動かねばならん」

 

「世界が俺を消そうとする—————⁉︎」

 

 その言葉に驚きを隠せなかった。いや、隠せるわけもない。世界が俺を消そうとするだなんて聞いて、驚かないやつなどいるわけもなく、きっとそれは思い過ぎた冗談のように聞こえる。

 

 だけど、老人が嘘を吐いている様子はない。その姿が本当の事なのだと俺に教え込ませていた。

 

「嘘ばかり吐き続けていると、世界の修正の対象になる」

 

「嘘だけで?」

 

「ただの嘘つきとお主はちょいと違う。ただの嘘つきは嘘を吐いたところでこの地が壊れることはない。例え何百人死のうとも、人類が絶滅なんてするほどでもない。それをあり得るかもしれんと考えている者はただの可能性論者で、確率に縋り現実を見ぬ愚か者よ」

 

「だが、俺は違うとでも言いたいのですか?」

 

「うむ。お主は選定の王じゃ。選ばれし王であり、神の加護も得ている。つまり、お主は世界が修正をかけねばならないほどに嘘を吐き続けてきた。嘘とはいつしか剥がれるもの。例え一時の利益のために嘘を吐いても、その後は地獄だってあり得る。だから、やめるのじゃ。世界がある動くぞ」

 

 世界が動かもしれない。だから、俺は行動を自粛せよ、と—————

 

「すみませんがそれは出来ません」

 

「断るのか?」

 

「断る……のでしょうか。その、俺は自分で自分の道を決めます」

 

 言い切ってしまった。神である老人の忠告を払い、自分でそこは判断すると。

 

 心の何処かにある俺の叛骨精神が浮かび出た。老人が神であるからなのか、それとも世界というものに抑制されるというのが嫌だからなのか。

 

 どちらにせよ、強大なものに自らの運命を決められるのが嫌なのだ。まるで自分が誰かの手駒なような気がする。一つしかない自らの運命は俺が決めるのだ。

 

 老人は侘しそうに立っている。

 

「—————そうか、それならよい。お主が決めたことじゃ、その信念、貫いてみせい」

 

 老人は何か思ったことを口にしなかった。俺の意思を尊重してくれたのか、老人はもう何かを言うことなくそこから去った。

 

 悪いことをしたのかもしれない。老人は俺のことを心配して、生きながらえる道を示した。だが、これは俺が決めた道であり、その道は意地でも歩かねばならない。それが、俺の後ろで倒れていった者への手向けであり、義務である。

 

 だが、その道を進むについて、一つだけ心残りがある。それは民のことだ。民は俺に有無を言わずについて来てくれる。嬉しい限りなのだが、そうなると何千もの罪なき民が命を落としてしまうかもしれない。我が道を進むにはそれだけがどうしても心残りで仕方がない。

 

 民を導く者が王なれど、民を道ずれにするのが王ではない—————

 

 正直迷っていた。信ずる己の道か、守るべきものなのか。

 

 今ならまだ間に合う。民のために降伏すれば良いのだ。

 

 —————だが、そうしたら、我が道理に反する。

 

「どうすればいいのだ……」

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 リュングヴィの国との戦が間近になってきた。両国の間には元々溝があったが、その溝にさらに追い討ちをかけるようにヒョルディースとの事件があり、やっぱり戦争は避けられまい。

 

 俺はまだ戦場にはいなかった。まだやり残したことがあるように思えてしまい、ずっと館の中で閉じこもっていた。部屋の中で並べられた本に囲まれて、戦術を模索し、持たせる武器などの採択をしていた。

 

 別にそれぐらいのことは部下に任せてもよかった。だが任せ切れないのだ。信用してないわけではない。いや、むしろ信用はしている。信用はしているのに、どうしても自分でしたくなるのだ。

 

 全ての責任は自分で負いたい。誰かに任せるでもなく、自分でするからこそ、責任は自分にあり、最悪の場合は自分に全ての矢先が向く。そうすれば誰かが責任を負う必要もない。

 

 それに、館の中でじっとしているのも嫌なのだ。国境付近の警備に就く者は日々、戦争に巻き込まれる恐怖を感じていることだろう。それなのに王たる俺がここで悠々と過ごしていてはいけない。だから、自分に何か出来ることをしたいのだ。

 

 二つの理由が俺を動かしていた。

 

「あなた、いますか—————?」

 

 透き通るような綺麗な声が書物の部屋に響いた。

 

「ヒョルディースか。どうした?」

 

 ヒョルディースは扉からひょっこりと顔を出すようにして部屋の中を見ていた。

 

「その、もう夜遅いですよ?」

 

「ん?ああ、もうそんな時間か」

 

「お夕食は食べたのですか?」

 

「さっき食べた」

 

 机に向かいながら彼女と話をしていたら、彼女は話を聞いていないと思ってしまったようで、俺のことをじっと見つめていた。

 

「どうした?ヒョルディース」

 

「私の話を聞いてます?」

 

「聞いてる、聞いてる。聞いてるとも」

 

 素っ気ない返事に彼女は頬を膨らませて、まるで怒っていると感情を表現するかのようであった。これでもまだ約二十歳。まだ俺からしてみれば若い歳だ。

 

「んもぅ!私の話聞いてます⁉︎」

 

 若い歳の女の子が怒りをぶつける。かまってくれないからいじけた子供のようであり、そんな子供みたいな大人の言動にため息を吐きながらも、口角は上がっていた。

 

「その……」

 

 言いたいことがあるように見える。だが、その言いたいことを言い出せずに、もじもじとしている。いじらしいと言えばいじらしいが、その彼女の目から溢れ出る不安を起こしているのは俺だと気付くと不意に後ろめたく感じる。

 

「こ、こっちに来て下さい」

 

 目を合わせないようにしながら手招きをしている。言うことが恥ずかしいのか、赤面していた。何故こういう時だけ俺に敬語なのだろうか。っていうか、あなたとか呼ばないでよ。恥ずかしい。

 

 俺は席を立って彼女のいるドアの近くへと近寄った。

 

「こんな時間に俺を呼び出してどうしたのだ?」

 

「こんな時間って……。やっぱり夜遅いのにお仕事していたこと、気づいてましたよね?」

 

「……なんだ?俺が仕事をするのが悪いか?」

 

「いや、悪いってわけじゃないんですけど……。その……、遅くなっちゃうじゃないですか」

 

「遅く?寝る時間がか?」

 

「寝るというより……ベッドに就く時間?」

 

 彼女が言い換える必要はないんじゃないかと思いながらも、何だか不振に見える彼女の行動の真意を問うてみる。

 

「お前、俺に何をする気だ?」

 

「なッ⁉︎な、何って⁉︎そっ、そりゃぁ、あれですよ。その……あれ—————」

 

 彼女はキョロキョロと周りを見回し、周りに人がいないことを確認する。一大の大仕事をする泥棒のようである。

 

「こ、こ……」

 

「こ?」

 

「こ、こ……、むきゃぁぁぁぁぁ‼︎」

 

 彼女の頭の回路がショートしたようである。高い熱によって頭がやられたのか、俺にパンチを繰り出してきた。

 

 が、一応俺も戦士である。鍛えてもない細い女の腕から繰り出されるパンチなど、避ける必要もなく簡単に手で受け止めた。

 

「んもぅ〜!当たらない!」

 

「いや、当たるわけないだろう、俺、巷では人狼(ウールヴへジン)って言われてるんだぞ?」

 

「そんなこと知りません!当たって下さい!えいっ!」

 

 当たって下さいと彼女が言うので、受け止めていた手を離した。すると、彼女のか弱いパンチが俺の胸にポンと当たった。これが剣であったのなら、少しは痛かっただろう。

 

「やった、当たった!」

 

 この女何に喜んでいるのだろうか。話したいことがあるのでは?なのに、パンチを当てて、もう満足しているではないか。

 

「って、そうじゃありませんよ!話を逸らさないで下さい!」

 

「話なんて一度も逸らしてないのだが」

 

「ムッキー!もう、さっきから私のことをおちょくってばかり!そんなに楽しいですか⁉︎」

 

「案外楽しい」

 

 別に弄る気は無かったのだが、彼女が勝手に空回りしている所をただボーッと見ているのは楽しいものである。俺の目の前にあるのがまだ戦場ではなく、安寧な生活なのだと言うことをしつこいほどに逐一報告しているようなのだ。

 

 彼女は俺の手の内で踊らされていたと思ったのか、俺の服の襟を掴んだ。そして、俺を何処かへ連れて行こうとする。

 

「あっ、おい、何処へ行くんだ?」

 

「いいからこっちへ来て下さい‼︎……ッて、重いです!」

 

 彼女は顔を赤くしながら俺を引っ張った。だが、俺は本に囲まれた部屋での仕事がある。

 

「仕事をしたいんだが……」

 

「ダメです!いつまで仕事する気ですか⁉︎ホント、真面目ですね⁉︎」

 

 何とも言えない。確かに真面目過ぎるのも良くないだろう。いや、真面目が悪いわけではないが、ずっと椅子に座ったまま本と向かい合っていたら、それこそ良い案も浮かばなくなってしまう。

 

「今日は寝るか」

 

 俺がそう呟くと、彼女は目を輝かせた。まるでこの時を待っていたかのようである。やけに嬉しそうに俺を見つめていた。

 

 変な彼女の視線を浴びながら俺は自分の寝室に入った。

 

「……」

 

「……」

 

「いや、お前何でここにいる?」

 

 ヒョルディースもこっそりと俺の部屋に入り込んできた。彼女は俺に目を合わせようともせず、また何かを言いたそうな仕草をする。

 

「お前の寝室はここじゃないだろう?」

 

「その、そうなんですけど……。そろそろ、いいかなって……思っちゃったりして……」

 

「そろそろいいかな?何がだ?」

 

「その……、こっ、こ……」

 

「こ?」

 

「こ、子作り—————」

 

 子作りか。

 

 うん。子作り(セックス)

 

「……お前、何処か頭打ったか?」

 

「なっ⁉︎ち、違います!私これでも本気ですよ⁉︎」

 

「酒を飲むのにか?」

 

「酒を飲むことも本気ですし、子供のことも本気です!」

 

「まさか、お前、酒に酔っているな?」

 

「酔ってません!本心です!」

 

 どうやら彼女は別に言葉の意味を間違えているでもなく、酒に酔っているでもなく、言わされてもない。自分からその話に切り出したようである。俺が踏み込もうとしなかった問題に、彼女自らその問題に足を踏み入れた。

 

 彼女は自分で言いながらも恥ずかしくなってきてしまったようである。いつもの彼女なら、そこで止めるのだろうが、今回はその羞恥心も捨てて、本音を俺に伝えていた。

 

「しませんか?子作り(セックス)—————」

 

「分かった。とりあえず、自分の部屋に戻れ」

 

 とにかく俺はその場しのぎをしようとした。俺は彼女を傷モノになんて出来ない。彼女は俺の妻であり、もちろん彼女は俺に子を孕ませるように要求する権利はあるが、俺は大切に思っている彼女をそんな風に扱えない。

 

 彼女は相手にしてもらえないことを悔しがる。

 

「私を子供だと思っているんですか⁉︎私、もう二十歳を過ぎました!」

 

「俺からしてみれば子供だろ。俺、もう五十過ぎた」

 

 彼女はこういう口論にはとことん弱いらしい。感情的で、直感的で、考える前に行動といった彼女の行動はまさに俺と正反対。それ故に取ろうとする行動も変わってくる。

 

「私のことが嫌いなんですか?」

 

「いや、そういうわけじゃない」

 

「じゃぁ、良いじゃないですか」

 

「でも出来ないんだ」

 

 彼女はその理由を聞こうとしたが、俺は彼女にその理由を言えるだけの勇気がなかった。彼女を傷つけられないなどと言ったら、それこそ彼女を傷つけてしまうことになる。

 

 女は男に何も言えぬ時代に、彼女は頑張ってもここまでしか行動を起こせない。これから先は俺次第であり、その俺が意思を見せなければ、そういう行為は出来ない。だから、俺の我儘を言ってしまえば、彼女の希望は実現不可能だと知り、彼女は傷ついてしまうのだ。

 

 傷つけたくないと言えば彼女は傷つき、だが言わなくとも彼女はきっと傷つくだろう。

 

 次の言葉を言えぬ俺の目を彼女は見た。その瞳は誰かにそっくり、いや同一である。

 

「私とではダメですか—————?」

 

「そう……いうことになる」

 

 否定出来ない自分が憎い。いや、多分理性を無くしたら、俺は彼女に襲いかかるだろう。俺だって男だし、性に対しての欲求だってある。

 

 でも出来ない。出来ないというより、一種の我儘、したくない。

 

 俺は頭を下げた。この俺の我儘に付き合ってくれと。

 

「—————すまない」

 

 その一言が口から漏れた。彼女は頭を垂らした俺を見ようとはしない。右手で左腕をぎゅっと掴んでいた。

 

「謝らないでください。そう、別に謝るのはあなたじゃない。私だから」

 

「えっ?」

 

「—————本当は私なんて迷惑でしたよね。私、確かに王の娘という評価はありますけど、逆に言ってしまえば私ってそれだけの女なんです。女なのに酒は飲むは、態度は悪いわ、馬鹿で、その上誰かをいつも大変な目に巻き込んで。最悪な女なんです」

 

 彼女らしくない。その言葉がこの状況を一言で表すのに適しているだろう。まさに、この光景は彼女のらしくない。自由奔放で、他人に迷惑をかけて、本当に彼女は女であるのかと疑うような人物こそヒョルディースであり、俺の目の前にいるヒョルディースはヒョルディースではなかった。

 

「私はあなたを利用した。リュングヴィとの婚約から逃げるためにあなたを利用した。あなたは私と結婚するつもりでもなかったのに、私はあなたと結婚して、その上戦争まで引き起こした張本人」

 

 何も彼女の言うことに偽りはない。そう、それこそ本当に今までの彼女の経緯であり、彼女はそれを心では自覚していた。彼女が俺の人生を狂わせている。

 

「私は今、この館に転がり込んできている身。私がそんなに偉そうに指図出来ないことは分かっているし、あなたの妻なんて本当は堂々と言ってはいけないのも分かってる。その点は本当にごめんなさい—————謝るのは私の方」

 

 彼女は俺に謝った。

 

「でも、今は違う。いや、今というより、前から本当はすでに違っていた」

 

「違っていただと?」

 

「—————本当は一目見た時から慕っておりました」

 

 前に認識したことをが過去となり、その過去を現在から振り返る。それによって気づくこともあるのだろう。

 

 ただその甘い一言は俺の表情を変えるにはまだ力及ばずである。

 

「だから、今は本当にあなたとの……」

「もういい。そんなこと、お前が生まれるずっと前から知り得ていた—————」

 

 数奇な人生に巻き込まれたヒョルディースを俺は手元に置こうとしていただけなのだ。そんな重大な事実を、改めて実感させられた。

 

 そして、彼女がもう()()()()の確証も得た。予想通りだ。

 

 過去と現在が繋がっているのだと、今になって気づいたのだから、もう俺は彼女を止める権利などない。

 

 俺はそっと彼女を抱き締めた。

 

「すまない。今さっきのことは忘れてくれ」

 

「……いいのですか?」

 

「ああ。俺も本当はお前のことを愛している。お前を傷モノにしたくないと思っていたが、訳が変わった。俺はお前の望みを否定する権利なんてないからな」

 

 —それは俺がお前を殺してしまったから

 

 ———あの時見捨てなければ

 

 —————今こうして現れたのが不思議

 

 —————でもその謎を受け入れよう

 

 ———今ある幸せを噛み締めながら

 

 —もう二度とお前を行かせない

 

「そうだろう?シグニュー(ヒョルディース)—————」

 

「はい—————お兄様(あなた)

 

 そして、二人は深い夜、愛を形とした。

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 しばらくして、ヒョルディースは懐妊した。単純に嬉しかった。愛が形となって、子としてこの腕の中に現れるのだと。

 

 だが、それから間も無く戦は始まってしまった。生まれる我が子の顔を見ることなく、俺は戦に出向くこととなった。彼女は哀愁を帯びた顔を覆う笑顔を俺に見せながら、頑張ってと声をかけてきた。

 

 折角、二人になれたのに俺と彼女はまた別れた。運命の道が交わったのは一瞬で、いつまでも続くというわけではないようだ。

 

 それから、俺は戦場に立った。兵士たちの一番先頭に立ち、王でありながらも、誰よりも勇ましく剣を振るった。狼のジャケットを羽織り、味方の屍も敵の屍も瞼の裏に焼きついた。血の池を飛び越え、鳴き声を叫び声でかき消し、肉を抉り、人の命が儚く思えてしまうほどに腐りきってゆく。

 

 来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も、来る日も—————

 

 ただ人の命を機械的に奪っていた。

 

 目の前の現実を否定しようとして、でも大切なモノのために、俺は現実を否定しなかった。

 

 俺は人殺しだ。だが、それでも、シグニュー(ヒョルディース)と娘のために俺は精一杯やっていて、それしか方法がないんだと心に釘を刺す。

 

 そして、俺の手と剣が血濡れてくるにつれて、手の感覚も自分のものではないかのような感覚がするのだ。

 

 でも、俺は戦場に立たねばならない。それが王としての役目だ。

 

 ジリジリと俺の神経が虫に喰われていくように消耗していく。これが戦。守るものが多くなってしまったから、こんなにも戦が辛く感じるのだと分かってしまった。守るものが多いから、俺は死ぬことが怖くなり、段々と俺の王としての理想像とは違ってくる。オーディーンが言うには、これこそ俺の理想像らしいが、民の前では弱々しい姿を見せてなどいられない。

 

 段々と俺は人らしくなっていくのを抑えながら、王としてなろうとする。

 

 —————王は人の生き方を望めぬ。

 

 俺は王になりたいが、徐々に人に近づいている。

 

「ダメだ!これでは……。あと、少し、あと少しだけ。俺が王ならば、この戦は勝利するのだ。だから、あと少しだけ我慢をしろ、俺—————」

 

 戦は比較的勝っていた。段々とリュングヴィの敵の数を減らしていったが、敵は退こうとはせず、むしろ好戦的だった。その事実が、さらに俺を揺さぶるのだ。

 

 だから、俺は未来よりも、今の幸せを掴もうとばかりしてしまった。

 

 嘘を嘘で塗り固めて、さらに力をつけていった。

 

 その結果、俺たちの軍の士気は向上、勝利に一歩近づいた。

 

 だが、まだその時の俺は気づいてなどいなかった。その一歩は仮初めの一歩であり、本当の一歩はまだ一度も歩いていないのだと。

 

 気付かぬまま、老人からの忠告を守らずに俺は嘘を続けた。

 

 最終決戦、俺たちはリュングヴィをついに追い詰めた。これで戦は終わり、全てが丸く収まるのだと。

 

 だが、俺に幸運などやってこない。やってくるのは、不幸のみなのだ。

 

 リュングヴィをあと一押しで仕留められるという時に、世界は俺を排除しに来た。世界は俺の心臓を押し潰してきたのだ。段々と、じわりじわりと嬲るように苦しみを与えながら俺は膝をついた。

 

「じゃから、言ったじゃろう。お主、嘘を吐き続けるなと」

 

「この……苦しみは、世界……から……なのか—————?」

 

 老人は頷くことしかしない。

 

 その老人を見ていて悔しくなった。あと一歩、あと一歩で良かった。その一歩が虚構であろうとも、その一歩を歩けたのなら安寧があったはずなのに。

 

 地面に頭を擦りつけて、立ち上がることすらままならぬ苦しさの中、泣いた。

 

「あと、少し……。その少しを……何故世界は許さない‼︎⁉︎俺の夢を、守りたいものを守らせてくれればそれでいい……!何故、俺はこうも守れぬのだァッ—————⁉︎」

 

 目の前の現実を全て投げ出してしまいたかった。両目を抉って、記憶を失いたかった。

 

 あと一回、その一回でいい。

 

「俺に、力をくれ……ッ‼︎オーディーン‼︎」

 

 必死に願った。力を得るために。

 

 だが、オーディーンは拒絶した。

 

「無理じゃ。力を欲したところで、儂は世界の一部。お主の目的は世界の理から反してまでもの染みを叶えようとしているが、それを一部である儂が許すか?」

 

「なら……俺は、どう……すればいいん、だ—————?」

 

「……諦めるのじゃ」

 

 その一言は死刑宣告よりも残酷で心を抉った。たった一つの望みを切られたように、苦しみ、悶え、喘ぎ、喚き、叫び、泣いた。負の感情をその一瞬で全て味わったような気分だった。

 

 不甲斐ない自分を殺したい。だが、殺したいが、そんな力などもう無かった。

 

 早く殺してくれ。そう思った時だった。

 

「—————お兄様‼︎」

 

 二十年ぶりにその声を聞いた。戦場の真ん中で、彼女は何故ここにいるのか。分からないことだらけだった。

 

 シグニューは赤子を抱いていた。彼女はオーディーンを見ると、まるで全てのことを理解したようで、彼女は目を瞑り歯を食いしばっていた。

 

「お兄様、もういいのです。あなたは頑張った。いや、頑張らせてしまった。過去に私があなたを縛ってしまったから、あなたはずっと苦しい思いをしてきた。もう、安らかにお眠りください。そして天上ヶ原(ヴァルハラ)へと行ってください」

 

 彼女の涙が俺の頬に滴る。彼女は俺が死ぬのだと告げた。それは百パーセント確定事項で、オーディーンの力でも変えられぬ運命なのだ。それが世界の定めた運命だった。

 

 俺は自分があまりにも懦弱で許せなかった。目の前にいる彼女と我が子さえも守れないのが自分なのだと確認したのだから。

 

 戦士としてでも、王としてでも、ましてや人としてでもない。シグムンドとして、最大の屈辱なのだ。

 

「すま……ない。俺、何も、守れ、なかっ……た」

 

「いいのです。私はあなたがいてくれた、それだけで良かった。だから、新しくこの世界でヒョルディースという生を受けたのですから」

 

「……そういう……、ことか」

 

 彼女は転生、生まれ変わったのだ。それはシグニューという肉体の枷を捨てて、一旦魂だけの存在となり、それから新しくヒョルディースと言う名の肉体の枷を得てこの世界に現界した。彼女は俺と会うためだけに、もう一度この世界に来たのだ。

 

 だが、それには一つだけ疑問があった。

 

「お前……それだけ……の、魔術、いや……魔法を、使えるの……か」

 

 そんなことが出来たとしたら、それこそ大魔法であり、後世に名を伝えられる大魔術師となるだろう。だが、そんなことが出来る者は神ですら少ない。

 

「私、そんな大層な魔術は使えません。だから、私は世界に自らを売りました」

 

「お前……、世界……と、契約、し……た……の、か—————?」

 

「—————はい。世界と契約したのです。そして、その代わりに一つ願いを叶えてもらうことにしました。それは、お兄様と結ばれること。私、お兄様と結ばれたいと思っておりました。でも、兄妹の中では許されぬ恋。だから、体を変えたのです」

 

 彼女はそのためだけに世界と契約をした。たった一つの願い、俺と結ばれるという夢のためだけに自らを売ったのだ。

 

 この先彼女はどうなるのであろうか。彼女は多分、霊長類の守護者となり、世界に組み込まれる。もう彼女は世界の奴隷のなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 [また助けられなかったのか?]

 

 俺の心にいる何かが語りかけてきた。語りかけるというよりも、罵倒だ。

 

 [お前は何も出来なかったな。誰かを守ることなんて出来やしないじゃないか。愛する女も子も、民も、何もかもをお前は壊したんだよ]

 

 違う、そんなことない。俺は、守ろうと努力をした。

 

 [努力をして何になる?努力をした結果がこれか?]

 

 じゃぁ、俺の努力は無駄……なのか?

 

 [ああそうだ。努力は確かに力をつけるにはもってこいだ。でも、お前は努力をしても、何をしようにも

 

 

 —————力不足なんだよ]

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「お……い、オー、ディーン、俺に、力を……寄……越せ—————」

 

 あと少し、ほんの一分二分で尽きる命。だが、俺は足掻いた。

 

「無理じゃ。力を無闇に与えてはならぬ。それが例えお主であっても」

 

「なら、俺……を、世界……と……契、約さ……せろ」

 

 その言葉を言った時、場が凍りついた。俺がまるで言うことを禁じられた禁句を言ったかのようで、そんな俺をただまじまじと見ていた。

 

「世界……から力……を借、り、る……なん……て癪……だッ……!で……も、ここ、で、俺は……力……を、借り、ねば、シグニュー……を守ること……さ、え出、来ない……。そ……れだ……けはダメ、だッ!ここで……彼、女を、守……らね……ば、俺は……人、とし……て最……下層、の……、人間に……等しい‼︎……卑しい……人間、と、なる‼︎」

 

「そんなことありません。あなたは努力を……」

 

「努力……をし、て、俺……は何……かを守、れた、かッ—————⁉︎」

 

 その言葉は自らに問いかけていた。長年、ずっと考えずにいたけれど、一番に考えなくちゃいけないことだった。俺が俺という存在の人間であるために一番必要な証明は、王であることでも優しいことでもない。

 

 誰かを守れねばならぬのだ。

 

 そして、今、俺が出せる結論はただ一つ。

 

「大、事な……もの何、一つ……守れ、や、し……なかった—————」

 

 選定の剣(グラム)を手に入れても、権力を手に入れても、虚構の力を手に入れても、何も残るものはないのだ。今までの自分の全てを否定した。この歳にもなって、俺は全てを否定せざるを得なかった。

 

 この何十年の歩んだ道のり全てが無駄だったと実感してしまう。

 

 老人は絶望の奈落の穴に俺を落とした。

 

「無理じゃよ。世界はお主のような者を望んでなどおらぬ。お主は叛乱因子。そんな者を自らとして取り込もうというほど世界は物好きではないわい」

 

 そうである。俺は世界から敵として見なされている者。契約なんて無理なのである。

 

「じゃぁ、俺、は……」

 

「—————お主は何も出来ぬ。死ぬまで待つのじゃ」

 

 それは死の苦しみに悶えるよりも残酷で、あらゆる痛みを与えられることよりも屈辱な宣告。

 

 今まで信じてきたものが全て無になったこの虚空は死ぬという行為のさらに先を見たような気分だった。自分という存在がいなくなり、この世界から消えてしまい、意識そのものが綺麗になくなってしまえばいいのにと思えるほどに。

 

 守りたい。その思いの何処が間違っていたのかを知り得ぬまま、俺は死ぬことになるなんて。

 

「間違ってない‼︎お兄様は間違ってなんかありません—————!」

 

 シグニューはそう叫んだ。

 

「お兄様は私を守ろうとしてくれた。確かに守りきれなかったかもしれない。でも、守ろうとしてくれたその背中を見て、私は頑張ろうって思えたんです!私たちの前を行くお兄様の背中だから、私たちは前に進めている。嘘の道でも、お兄様が歩んだ道のりは嘘なんかじゃない!お兄様が生んだ笑顔は嘘じゃない!」

 

 俺は間違っていない。その言葉は殻を閉ざしつつあった俺の心をハンマーでぶち破った。また俺の世界を揺らした。

 

 俺は守れなかった。でも、守ろうとした。その事実は変わらないし、それがいつしかみんなが歩く力となる。

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 [ここで終わるのか?]

 

 まだだ。まだ、ここで終わってはならない。

 

 [じゃぁ何をする?誰を救う?お前の手で誰の未来を指し示す?]

 

 俺は—————

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「なぁ、シグ、ニュー……。俺に、証を……、譲って、く……れ」

 

 肉体に与えられた苦痛を遥かに凌駕する絶望の中、見つけた淡い微かな光。若干の闇を持つその光に俺は縋った。

 

 彼女は俺を照らす月になると言った。俺はそんな月を守る存在と言った。

 

 彼女は霊長類の守護者。故に、これからの彼女は見たくもないものを見て行くだろう。人の憐れな弱く暗い歪んだ姿を。

 

 俺はそれから彼女を守ろう。彼女はもう俺を照らして道を指し示した。俺が守るのは当然のことなのだ。

 

「俺、に……力を……譲っ、てく、れ」

 

 この機会しかなかった。この機会で俺は誰かを守ることが出来なかったら、もう誰かを守ることなど出来ず、人生の全てを否定して後悔しながら死ぬだろう。

 

 それだけは嫌なのだ。それこそ自らの存在意義の証明が出来ぬということ。

 

 だが、シグニューは中々承諾しなかった。俺を自分の代わりにして、嫌な仕事を押し付けたくなどないのだろう。

 

 それでもここだけは引き下がれなかった。

 

「シグ……ニュー……、俺に、力……を、譲って、くれっ—————‼︎」

 

 愚かなまでの一途な望み。それを彼女は折ることができなかった。元は彼女が作ってしまった存在意義。今更折ることなど出来ないのだ。

 

 彼女は承諾した。その理想を追い求める者こそ俺であり、俺の終結(ラスト)には理想を掴んだという終わりに仕上げようという彼女なりの配慮もあった。

 

「お主、良いのか?世界との契約を譲ってもらうことは出来るが、叶えて欲しい望みはもうこの女が叶えておる。つまり、叶えたい望みを叶えるというメリットが無くなり、ただ死後も永遠と守護者という命に引きずられる世界の傀儡となる。つまり、死後は永遠のタダ働き。それでも本当に良いのか?」

 

「ああ、いい……とも。契約を、譲っ、ても……らう……だけ……で、俺の望み、は……叶え……、られ……る」

 

「……そうか。なら、お主の持つ剣は破壊させてもらう。お主は王として決定されてしまっておる。故に、今のままでは守護者になれない。壊せば王としての証を失い、儂の神の力を使えば世界との契約の譲渡も可能。どうじゃ?最終確認じゃ。この剣を破壊しても良いか?」

 

 目の前にある剣を見た。刀身は多少の傷が付いていながらも、金属の光沢が綺麗に輝いている。長年使い続けたせいで柄に巻かれている皮が破れていたり、薄れていたりしている。その上から巻かれたシミの付いた包帯も破れて汚れている。

 

 ああ、思えば俺はこの剣と人生の半分以上を歩んでいたのだ。そして、これは選定の剣、即ち俺が王である証。それを破壊するということは俺が王でなくなることを意味する。

 

 だが、もう迷うことはない。俺はもう決めたのだ。自分の道を。

 

 それは王という権力に頼らない。

 

 力などなくても良い。ただ、誰かを守るために俺は地獄だろうと何だろうと飛び込もう。

 

 人類を守る守護者になることこそ、シグニューを守るということ。

 

 一気に二つも守れるのだ。

 

 手っ取り早い。

 

「あ……あ、壊し……てい……いとも。それは……、もう、過去……の自分……、だ」

 

 俺がそう言うと、老人は杖のような槍を掲げた。その槍の先にあるのは選定の剣。

 

「あ……あ、ありが……とう。お前、は、よく……頑張っ、た……よ」

 

 こいつがあるから俺は守れないということも経験した。戦争も経験して、地獄とも思えた。

 

 だが、今思えばそれは良き経験だ。

 

 守れるってことがここまで嬉しいだなんて思ってもいなかった。

 

 老人は槍を振り下ろした。剣は砕かれ、俺は王として死んだ。そして、世界と契約し、守護者として人類を守る役目を担った。

 

 幾度となく戦場を経験し、無慈悲な惨殺や人の醜さも何遍も見た。

 

 だが、俺は後悔などしていない。絶望もしていない。守れたという現実を見た。人を殺しても、守れているのだと実感出来るから俺はそれでいいのだ。

 

 —————我が人生に悔いはない。第二の人生にも悔いはない。

 

 ただ、我儘を言えば、愛する我が子の事だけが気になってしまった。

 

 我が子だけはどのように人生を歩めたのかを俺は知り得ない。

 

 出来るのならば、まだ抱き締めていない我が子に逢いたい—————

 

 父と認識されて、お父さんと呼ばれたい。

 

 —————微かな願いだ。

 

 だが、その微かな願いも、時に大きくなって行く。

 

 そして、そんな時に限って、俺は聖杯戦争のサーヴァントとして選ばれた。

 

 いや、選ばれたというより、聖杯戦争のサーヴァントとなるように勝手に設定をした。

 

 そして、逢えた。

 

 愛する我が子に。

 

 我が子よ、どうか俺に君の運命を守らせてくれ。

 

 それが今ここに俺の存在する意味なのだから—————





長い、とにかく長いですね。文字数約二万文字。何回スクロールをしたことでしょうか。本当はこんなに書くつもりはなかったのですが、何故か膨れ上がりここまで書きました。

最後の所なんか、もう作者、話し進めたくてちょっと手を抜いて……。いえ!何でもありません。まぁ、いつか、暇が出来たら、ちゃんと書きたいと思っております。

さぁ、5日後からは現実世界へと戻り、戦闘の続きです。いきなりシリアス展開、そしてまさかの……です。


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