Fate/eternal rising [another saga]   作:Gヘッド

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はい!Gヘッドです!

さぁ、今回でアサシンたちのお話は終わりでございます。




自分を愛して、誰かを愛して

 思えばいつもセイギの隣には彼女がいた。この聖杯戦争が始まってからというものの、彼の日常に彼女という存在が必要不可欠となってしまっていた。もちろん、それは他のサーヴァントから彼の命を守るという役目もあるが、それ以前にもっと根本的なところからアサシンは彼の隣にいたのかもしれない。

 

 だから、彼女がいなくなるということはその根本的な何かが消えた状態。サーヴァントとしての役目ではないそれ以上の何かが彼らを繋げていて、その繋がりが消えた瞬間こそ彼女が彼の前から姿を消す時だ。

 

 そして、消えてしまったあとはまた前みたいな日常に戻るのだ。しかし、それでも彼の心は以前の魔術師らしい心ではなくなっていて、もう戻らなくなっていた。

 

「ハァ……、ハァ……」

 

 息を切らしながら、それでも全力で辺りを駆け回る。辛そうに短い間隔で息を切りながらもきっと明日は筋肉痛確定であろう足にさらに鞭を打ち付けた。白い息が口から出て、その湯気で彼のメガネが曇る。それでも止まることなくただ彼女だけを必死に探していた。

 

 打ちつける心臓の鼓動が早まるごとに彼の気も急ごうとする。どこにいるのだろうかと考えれば考えるほど出てこない自分に苛立ちが増してゆく。

 

 五分くらい、周辺を探していた。もしけしたら、アサシンは自分をからかっているのかもしれない。そんなことを考えながら、気を紛らわせようとしていた。

 

 それでも見つからない。だから、彼の顔に不安と戸惑いが現れる。滅多に顔を歪ませない彼が負の感情を隠さない。ポーカーフェイスの仮面を外していた。

 

 それほどまでに彼にとってアサシンという存在は大事な存在なのだ。一種の依存として似たようなこの気持ちを彼は抑えきることができないから、こうやって苦しいだけの走りをやめようとはしない。

 

「どこ、どこにいるの?アサシン⁉︎」

 

 大声で叫んだ。しかし、彼女の姿はおろか声さえも一切感じ取ることはできない。空虚な感覚だけが彼を襲い、そしてまた彼を孤独にしてしまう。

 

 足取りが重い。彼女に嫌われたのか、それとも真名解放したからその影響が出たのか。彼女に何かあったのではと心配する。

 

 胸をぎゅっと握りしめた。この苦しさだけを頼りに彼はまた走り出した。

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 赤日山からほんの少し離れたところにアサシンはいた。市の西にある蛇龍川よりうんと小さな川が海に向かって流れていて、その川の橋に彼女はいた。

 

 橋の柱の根元に座り込むと、脱力して身体に溜まった疲労を吐息とともに出した。力ない目で空を仰ぐ。

 

「セイギ、置いてきちゃったけど、大丈夫かしら」

 

 後頭部を柱につけて、全体重を委ねる。

 

「嫌われるわね。こんなことしていては」

 

 息切れを起こしながらそう呟くと、遠い目で赤日山を見た。彼はまだそこにいるのだろうと考えて、彼女は手を伸ばした。しかし、退化(覚醒)していない彼女はどこまでも伸びる腕を出すこともできず、短い腕は空を掴むことぐらいしかできなかった。

 

「うふふ……、私って弱いわ」

 

 腹を抱え、辛そうに何かを耐えていた。彼女が寄りかかる柱が段々と赤く染まってゆく。

 

 それは紛いもない血であった。血といっても、彼女の場合は人工の魔術によって作られた血で、純粋な血などではない。しかし、その血も彼女にとって生命活動を維持するには大切な素材だ。生きる人にとっての血とは酸素を各細胞に運ぶ存在であり、似たように彼女も各部品に魔力を注ぐのが血なのだ。つまり、その血を失えば彼女は生命活動が困難になるということ。

 

 いつもなら彼女の身体に備え付けられていた自己修復機能が作動し、これくらいの傷など数秒で治せてしまうのだが、どうやらバーサーカーのあの攻撃で壊されてしまったらしい。

 

 ダラダラとタンクの中にあるオイルが流れてゆくのを彼女は何もできずにただ感じていた。ゆっくりと薄れゆく命、それは渇望する。生きたいとただひたすらに。

 

 その中で、できるならば、と彼女は考えた。それは死にゆく彼女が持った最後の実現可能な夢。

 

 もうセイギには少しも会いたくないと。

 

 矛盾しているような願い事である。いや、実際矛盾していた。

 

 彼女はセイギが好きだ。それは友達とか仲間とかそういうなまっちょろいライクではなく、魔法瓶に入れた熱々の紅茶のようにいつまでも限りなく永遠と続くラブである。そして、異性として好きというより人間として愛している。彼の魔術に翻弄され人としての生き方を見失いがちだが、必死に自分の生き方を手探りで見つけようとする彼の自分にはない何かを見てしまった時から、ずっとずっと。

 

 彼の遍く全ての所を彼女は愛していた。口にはあまり出さないし、表に出す気は毛頭ないが、それでも彼女の心の中は彼で満たされていた。

 

 彼が言った言葉が未だに彼女を支え続けている—————

 

 だが、同時に彼を愛しているからこそ、会いたくないという思いもあるのだ。

 

 —————好きだから。だから、彼に迷惑をかけたくないのだ。

 

 彼女は現世に間違えて現れてしまった、いわば異物。誰の悪行か何かは知らないが、聖杯戦争があるから彼女がこの時代に生まれてしまったのだ。本当は現れるべきではない、この世にはいてはならない過去の人。緩んだ因果がもたらした不具合の一つ。

 

 そんな彼女が消えることは当然のことで、むしろ万歳と喜んでもいいほど。()()に戻るために彼女の消滅は必要不可欠なのだから。

 

 そして、それを見られてしまっては彼女はこの世への未練を残してしまうだろう。見なくともわかるセイギの顔を思い浮かべるだけで死にたくないと考えてしまう。

 

 それではダメなのだ。自分がいてはいけないのだ。自分がいてはセイギも普通の生活を送れない。彼女が側にいたら、彼はきっと歩むべき道を歩めなくなる。

 

「結局、私は要らない存在なのよね。彼にとって私はいてはいけない。まぁ、孤独に好きな人を思いながら死ぬのは案外悪い死に方じゃないのかも。三回目の死はきっと気持ちの良い死よね、私」

 

 彼女は自分の鎌をそっと喉に突きつけた。赤い一筋の血がすうっと下へ垂れる。

 

 眼前に広がる星空を眺める。点々と互いに競争をするように煌めく星々は憎らしいほど美しい。

 

 段々と彼女の瞳に映る星がぼやけてきた。一つ光が五つの淡い光に分かれて、それでも綺麗に世界を彩る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして彼女は首を搔き切っ—————

「—————アサシンッ!!」

 

 

 

 

 聞き覚えのある、そして心の何処かで一番聞きたがっていたあの声が聞こえた。精一杯の大声で心全てを乗せたような声に彼女はピタリと手を止めてしまった。

 

 遠く後ろの方から叫ぶ彼が想像できる。彼が川の柵の向こうで彼女を見つけて叫んだのだろう。

 

 突然叫ばれた彼女。自然に後ろを振り向いてしまいそうになったが、彼女はぐっと堪えた。

 

 ダメだ、ダメだ。振り向いてしまってはダメなのだ。彼女は何度も心の中でその言葉を刹那の中で繰り返し繰り返し叫んだ。そこで振り向いてしまっては、ここまで距離を置いた意味がない。

 

 きっと彼が彼女のいる所に着くよりも首を切る方がよっぽど早いだろう。だから、振り向かずに首を切るだけで彼女の役目は終わりになる。これでもう彼と会わずには済むのだ。心苦しいことはなくなる。彼にとっても良いだろう。

 

 この一瞬は苦しいかもしれない。しかし、後先のことを考えればこの一瞬の苦しみは小さなものだ。

 

 彼が走っている足音が聞こえてくる。足音は未だ遠いが、段々と近づいてくるごとに恐怖感が増してしまう。

 

 死ぬのが怖い。いや、死ぬことよりも会えなくなるということが怖いのだ。自分が愛した人にもう二度と会えなくなるというのが彼らを恐怖させる。だから、最後に一度は彼の顔を見ておきたいからだ。

 

 だが、振り返ってしまってはならない。振り返ってしまったら最後、彼女は彼から離れられなくなる。彼のことをさらに愛し、この世に未練を残したまま辛い気持ちだけを抱いて去らねばならない。

 

 辛いのはもう経験などしたくない。人を殺したことを自覚して絶望したときで十分である。次の辛い経験が報われぬ愛など死んでも嫌なのだ。

 

 だから—————

 —————だから、死のうと決めたのに

 

 彼女の手は動かなかった。小刻みに震える彼女の手は決して冬の寒さで悴んでしまっているわけではない。歓びと悲しみによって震えているのである。

 

 暗殺者は最後の殺しに失敗をした。最後の殺しは一番近くの首を落とすだけなのに、それが彼女にとって困難を極めるものとなり、結果失敗として出てしまったことは暗殺者として大きな汚点となるだろう。

 

 彼女は震える手で握る鎌を放した。鎌は血濡れることなく星空の光だけを映しながら地面へと落ちる。

 

 大きな安心感がふと湧いてきた。込み上げてくるかのような思いが彼女の胸の中で渦巻き苦しくさせた。

 

 惨めである。人を何人も殺してきた。そんな彼女がまた人を殺すことを失敗するだなんて。そこにいる死の恐怖と愛に打ち負けた彼女は英霊などではない、ただの一人の娘と成り果てていた。

 

「ハァッ……。アサシンッ……、アサシンなのかい……?」

 

 息が切れていて、運動オンチで運動嫌いなセイギが死ぬほど本気で走ってきたというのが見て伝わる。赤い鼻と耳先が吐く白い息に隠れた。

 

「……ああ、見つかっちゃったか……」

 

 アサシンは細い目で彼を見る。娘の微笑みは明るく柔らかく美しく、そして可愛げのある笑顔だった。

 

 セイギの赤い鼻がピクリと動く。アサシンのその返答を聞いた途端、座り込んでしまった。よほど走り回ったのだろう。息が切れるほど、鼻が赤くなるほど、喉が乾くほど、足が棒になるほど。彼女のためにそれだけ本気を出した。

 

 そして、彼からも笑みが零れた。安堵の笑みだった。もしかしたら、もう会えなくなるのではないかと彼の心の何処かにあった不安をかき消したこの現実に対して、急に緊張が緩んでしまった。

 

 だが、セイギはまた険しい顔をする。それは彼女が寄りかかる橋の柱を見てからだった。

 

「その血は……?」

 

 べっとりとトマトジュースを投げつけてできたような跡は当然セイギも気づいた。そして、その血がアサシンが負った傷から出ていることも。

 

 彼は理解した。アサシンが彼に心配させないようにするため、そして二人の別れを辛いものにしないために彼女は一人で死のうとしていたのだと。彼女のその行動から垣間見える優しさに彼は胸が苦しくなった。

 

 アサシンはセイギに見られて恥ずかしく思い苦笑いする。

 

「情けなくてごめんなさいね。バーサーカーとの戦いでこの機械の身体にガタがきてしまったの。今じゃ走ることはおろか歩くことだってできやしないわ」

 

 彼女はそう言うと手を伸ばした。ガタガタと震える彼女の腕はもう歓びとは違った理由の震えとなっていた。セイギは彼女のその手に自らの手で触れた。ひやりと冷たい手だった。ほっそりとした肉の少ない指で彼女は彼の指に絡ませてぎゅっと力一杯握る。しかし、それでも非力な娘は握る力も弱く、生まれたばかりの子犬が噛むくらいの力しかなかった。

 

 アサシンの弱り具合にセイギは現実を見る。彼女をどれだけ愛そうと、どれだけ通じ合おうとも彼女とセイギはサーヴァントとマスター、もとい死者と生者。この夜を境に二人の結びつきは解かれる。どんなに強い結びつきでも彼女は彼の目の前から消えてしまうのだ。

 

 —————それでも、二人は人間だから。人間だから欲が出てしまう。

 

「生きてよ……。ねぇ、生きてよ」

 

 セイギはアサシンの手を握り返しながら涙ながらにそう願った。

 

 どうしても人間は欲というものが出てしまう。そういう性なのだ。ダメだと分かっていても、無理だと気づいていてもどうしても夢を見てしまう。

 

 やっぱり人間だ。だから、人間が夢を見てしまえば結果は儚く散るのだ。

 

 それを受け入れるかどうかは彼ら次第であるが。

 

 アサシンは深い愛を含む笑顔で、しかし、顔を横に降る。その姿に彼は言葉にできない苦しみを胸の中に無理矢理押し込めて、息ができなくなってしまう。

 

 どうしても彼はアサシンに隣にいてほしいのだ。今まで一人で魔術の道を歩んできた彼にとって、ともに隣を歩く誰かはあまりにも大きな存在だった。だから、失ってしまってはもう彼は歩けない。

 

「……もう、私が悪いみたいじゃない」

 

「そんなことないッ!でも、でも、アサシン、君がいてくれないと……、僕は……」

 

 セイギは彼女の肩を掴んだ。そして、必死に懇願する。

 

「僕は……」

 

 だが、どうしてもその先の言葉が出てこなかった。喉の入り口のところまで出かかっているのに、どうしても出てこない。それこそ、言ってしまったら、本当に令呪でアサシンを生き返らせてしまうように思えてしまったからだ。セイギが自分自身でも制御が効かなくなってしまいそうで、もう一言も言えなくなってしまった。

 

 ただ、彼の肩を掴む力の強さでアサシンには想いの強さはしっかりと痛いくらい伝わった。

 

 セイギは俯きながら涙を流す。涙は目頭から鼻のホリを通って滴る。悲しみによって震える手で涙を拭いとった。

 

 彼も結局のところ一人が怖いのだ。達斗と同じように彼も一人になってしまったらどうすれば良いのか分からない。だから、大切な人を失いたくないと思うのだ。

 

 ただ、一つだけ、一つだけ違うとすればそれはセイギとアサシンの間には男女異性間の愛情というものが芽生えていることであろう。その特殊な想いが二人の結びつきを強固にしてしまい、離れる時の苦しさは地獄のようにしてしまう。

 

 アサシンは熱い想いを口にできなかったセイギの首元に腕を伸ばした。そして、ぎゅっと抱きしめた。

 

「大丈夫よ、セイギ。あなたは私がいなくても何とかなるわよ。だって、こんなに若いのにここまで聖杯戦争を勝ち抜いたなんて、凄いことだわ」

 

「……でも、もうこれからの未来に君はいない。ここまでできたのはアサシンがいたからだ。僕は本当は魔術工房の中で一人ぼっちで実験をしていたに過ぎないんだ。君が現れて、世界が美しくなってしまったから、もうあのモノクロの世界に戻ってほしくないんだ」

 

 そして一言。

 

「好きだから、怖いんだ—————」

 

 その言葉は彼女にとって嬉しくも感じたし、寂しくも感じた。彼女だって同じ気持ちだ。できるのなら彼と離れたくはない。

 

「私だって好きよ。あなたのことを狂おしいほど。でも、私たちにはやらねばならない時が絶対に来るのよ。どんなに無慈悲な別れであったとしてもね」

 

 セイギの額が彼女の胸につく。彼は額越しに彼女の心音を聞いた。ゆっくりと落ち着いている。もう、死ぬことに動揺は一切していないようである。

 

「ねぇ、セイギ。私たちたちが最初に出会って、私が自分の真名を教えた時にあなたが言った言葉、覚えている?」

 

 彼女はセイギの頭を撫でながら星空を見上げる。

 

「あなたは言ったわ。自分は自分のままでいることが一番なんだって。素の自分も偽ろうとする自分も、全ての自分を受け入れて誇ることが一番かっこいいって。確かにあの時、私は聞いたわ」

 

 セイギはそのことを聞いて、確かにそんなこともあったと思い出す。

 

 

 

 

 それは三週間ほど前、彼女が彼に自らの真名を名乗った時であった。特に召還したい英霊がいなかったセイギはもちろんアサシンの真名を知らなかった。しかし、聖杯戦争を一緒にやり過ごす上で相手の身の上を知ることは大事である。そこでセイギがアサシンの真名を聞いた後のことだった。

 

 アサシンは人殺しである。人から嫌われてもおかしくない存在であり、当然セイギにも嫌がられると思っていた。

 

 彼女はしょうがないことだと思いながらも真名を口にした時、やはり自分は殺人鬼なのだと自覚した。そして、セイギの顔を見るのが辛くなった。しかし、反応も気になってしまうものである。その一瞬の気の迷いで彼女は彼の顔を覗いた。

 

 すると、セイギは平気な顔をしていた。けろりと別に普通のものでも見ているかのようだった。いや、むしろ話に飛びついてきている。魔術のホムンクルス研究で非常に発展に貢献した身体が目の前にあるのだと彼は目を輝かせていた。その反応にアサシンは驚きを隠せなかった。

 

「—————その、あなたは私のことが怖くないの?」

 

 ふと心の声が漏れてしまった。あまりの驚きにたじろぎながら出た言葉だった。

 

 セイギはその質問をくすりと笑った。

 

「怖がると思ってるの?」

 

 彼女は縦に頷く。セイギは笑顔を向ける。

 

「怖い……かぁ。まぁ、確かに怖いといえば怖いよ。もちろん、僕の目の前にいるのは殺人鬼だし、それはもう事実だしね」

 

「でも……」

 

「うん。本当、どうかしているのは僕なんだ。僕は嫌われ者の魔術師だから、そういうところが人とは違うのかもしれない。それに、嫌われ者として僕は一種の仲間意識みたいなものもあるからね。つまり、君は僕の仲間なわけで、怖いだなんて思えないんだ。それに、君はヤバそうな奴じゃないみたいだから。もし本気でヤバイ奴だったら、もう僕はこの世にいないよ」

 

 彼の返答はアサシンをふと笑顔にさせた。その無邪気な笑顔は本当に殺人鬼なのかと疑問を抱くほどのものだった。

 

「そうだ。嫌われ者の先輩から嫌われ者の後輩にアドバイスをしてあげよう」

 

「アドバイス?」

 

「そう。それはとても簡単なことだよ」

 

 セイギは自分の胸の前に握り拳を当てた。

 

「—————自分をもっと好きになればいい。自分のことがどんなに嫌いでも、自分だけは絶対に裏切らない。だから、好きになるんだよ。それが僕たちの存在意義の保ち方だからね」

 

 その言葉は変哲もひねりもないチンケな誰かさんの受け売りのようなただの言葉。そんな言葉に当然耳を貸す必要はなかった。

 

 しかし、彼女にとってその言葉は救いのようなものだった。自分をどれほど憎んでも、どれほど蔑んでも結局は自分は自分を裏切らない。

 

 孤独を紛らわす方法をもう一人の孤独の少年が教えてくれた。そして、孤独な二人の運命が一つに絡まった。

 

「自分を愛してみなよ—————」

 

 その言葉は彼女を大きく突き動かす。思えばあの時から機械仕掛けの心に人の心への兆しが差し込んだのかもしれない。

 

 

 

 

「私はね、自分を愛するってことができなかった。だけどあなたのあの言葉で私は変われた。冷酷で獰猛な殺人鬼だった私をあなたが人間にしてくれたの」

 

「僕が人間にした?」

 

「ええ。もう、聖杯なんて必要なかったことに気づいちゃったのよ。人殺しもしないで、私はやっと一人の人間になれた」

 

 彼女はもう真の人間だった。機械仕掛けの身体でも心は人なのだ。

 

 そもそも、殺しをして人の命を吸えば人間に近づけるということ自体が間違いだったのだ。本当はそんな大層なことなどしなくてもよかったのだ。

 

 彼女が最後にかけていた人間らしさ、それは『愛』であった。自分を愛し、誰かを愛し、巡り会えたこの運命を愛し、そしてその愛のために生きる彼女はもう人以外の何者でもない。

 

「セイギに愛をもらって、光を見せてくれて、嬉しかった。だから、今度は私があなたに何かしたいところなのだけれど、この身体じゃどうしようもできないみたい。できることと言えば、あなたに見られないように死ぬだけだったのに……」

 

 力無い笑みを浮かべる。その笑みを見ただけで胸が苦しくなってくる。

 

「私だって本当はあなたと一緒にいたい。でも、それはダメなの。それはあなたの今後の人生に影響してしまう。それをセイギがどんなにいいって言っていても、私はそれが嫌だわ。私はセイギがしっかりと生きていてほしいの。私なんかいなくても、一人で仕事とかして、誰かと結婚とかして、幸せな家庭を持って、死に際に最高の人生だったって喜びを噛み締めてほしい。そんなあなたの笑顔を私は見たい」

 

 もう、セイギは何も言えなかった。それは彼女がこれほどまでに自分のことを想っていてくれているとは思わなかったからだ。自分の思い通りにいかない悔しさと彼女の想いへの嬉しさが混ざった涙を流すしかなかった。

 

 そんな彼を見て、アサシンは少し喜びを感じた。それは過去に許されないほどの大罪を犯した彼女が死ぬことに涙を流す想い人の存在。これほどまでに彼女の心を潤したことはないだろう。

 

「ああ、そうだ。忘れていたわ」

 

 アサシンはそう呟くとセイギを抱き締めた。彼は突然のことに涙を流しながら動揺している。そんな彼を御構い無しに頰を擦り付けた。

 

 そして—————

 

「—————セイギ、私はあなたのことを誰よりも一番、愛しているわ」

 

 その言葉を彼の唇に乗せた。彼女は自身の身体にある残りの魔力全てを彼に移す。唾液と混ざった淡い恋色の魔力がセイギの中に満たされてゆく。

 

 短い濃密な時間、彼女はその甘い唇越しで彼に想いを伝える。そんなことをしなくとも分かっているけれど、それでも募る抑えきれない想いを相手にぶつけて、乱れて、また揺れて。

 

 何度も繰り返したはずのこの行為ももう最後。その最後は涙の味がした。とびきり甘く、悶えるほど苦いそのキスは彼女がここにいた証。

 

 段々と薄れゆく彼女の身体を強く握りしめる。離さまいと必死に彼女に縋る。しかし、その彼女の身体の細部が光の粒となってゆく。彼の涙を一層と輝かせる光の粒は空へと上がってゆく。

 

「アサシン、僕も」

 

 彼は泣き崩れた顔にぐっと力を入れる。ぎこちない精一杯の作り笑顔を見せた。

 

「君のことを愛しているから—————」

 

 その言葉に彼女は笑った。娘の無邪気な笑顔。

 

 目尻を潤わせて、「ありがとう」の一言。そして、彼女のその笑顔が目の前から消えた。完全に消え去った。

 

 彼女に心を奪われたままのセイギは抱きしめていたはずの彼女が消えたことに気づく。目の前に誰もおらず、ポッカリと空いた腕と腕の間が彼を胸苦しくさせる。

 

 彼は前へと倒れ込む。橋の柱に彼の額が強く当たるが、彼にとってその痛みは大したものではなかった。

 

「ううぅ……、あぁぁぁ……」

 

 言葉にならないこの痛みはなんなのだろう。腹の底から横隔膜を越えて押し寄せてくる、まるで嘔吐のような感覚。しきりに肩がピクリと動き、息が満足にできない。

 

 —————ああ、そうか。

 

 —————セイギは悟った。

 

 —————失恋を経験したのだと。

 

 冬の夜空の下で彼は幸せの前に甘い恋とほろ苦い恋を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーヴァント・アサシンはここに消滅した。彼女の魂は聖杯へと溜まる。

 

 その瞬間、聖杯が満たされた。

 

 そして、聖杯はここに現れる—————




いやぁ、ラブラブですね。こんな恋なら一度は経験してみたかったものです。

しかし、アサシンとバーサーカーの戦いは長かったです。いやはや、メンドくさい。

本当だったら6〜7話ぐらいで終わらせるつもりでしたが( ̄▽ ̄)

さて次回からセイバー陣営へと戻ります。

が、しかし、作者は長らくアサシン陣営しか書いておりませんでしたので、最初の方は苦戦してしまうかと思います。なので、もしかしたら更新は少し間が空いてしまうかも、です。

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