Fate/eternal rising [another saga]   作:Gヘッド

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最後の令呪

 『黒灰舞ひ炎は揺らめく(レーヴァテイン)』。バーサーカー・スルトの存在を証明する彼にしか持ち得ない宝具。かつて世界を巻き込んだ戦いの最中、彼が軍神フレイから奪い去った剣であり、彼を終焉の巨人に変えてしまった剣でもある。

 

 その剣はかつてほどの威光はなく、神代の時代と比べたらただのなまくらに過ぎないだろう。これくらいでは世界を壊すどころか、一国さえ破壊できやしない。しかし、それでもサーヴァントとしての力は十分にあった。この聖杯戦争で十分に勝ち抜けていけるだけの力が。

 

 彼は剣を振り下ろした。すると、剣から煙が吹き出た。爆発によって生じたような黒い煙がその場をたちまち覆ってしまった。

 

 視界の先は何にも見えない。いや、見えないわけではない。赤い煌めきながらゆらゆらと揺れる光が辺りに見える。

 

「ウッ、な、何なんだよ……。僕がいるっていうのに、宝具なんか使いやがって。僕を巻き添えにする気かよ。っていうか、やっぱり熱いな」

 

 達斗は上着の襟を口に押し当てた。バーサーカーが放った灰は高温の油をばらまいているようなものである。達斗のいるところはバーサーカーからは少し離れているため灰がそこまで多くはないが、バーサーカーのところに近づくにつれて段々と気温が高くなるだろう。達斗のいる場所の気温は六十度ほど。それだけでも結構な熱ではあるが、達斗自身バーサーカーのマスターなので、それなりに加護のようなものを得ているため八十度ほどでは少し熱いくらいに感じるほどである。そして、バーサーカーのいるところはざっと二百度は超えている。それほどまでに高熱な空間となっているのだ。

 

 また、彼の灰は魔力を焼いてしまう。少量ならともかく、大量に吸い込んでしまったりしたならどうなるか分かったものではない。魔力を二百パーセント回復した達斗でも、七〜八分ほど吸っていたら魔力欠乏で死に至る。

 

 だが、達斗はそこから離れようとはしなかった。バーサーカーのレーヴァテインがどれほど危険なものなのかをマスターである彼は当然のように知っている。

 

 それでも、そこに居続けた。バーサーカーのいる方を刮目している。粉塵で視界が遮られていてもその先を見据えるように、目を逸らすことなくじっと見ていた。

 

 達斗としてはここで目を背けてはいけなかった。そんなことをしたら、自分のことをずっと近くで見続けていてくれたバーサーカーへの裏切りでもある。

 

 バーサーカーが勝つことを信じて疑わない。その確固たる強い意志が少年の中にあった。それは彼への信頼に似た何かの類が引き寄せた少年の行動だった。

 

 段々と彼の視界を邪魔する灰が鎮静化してきた。彼の周りの空気を漂う塵芥は重力に逆らえずに地に落ち、冬の冷たい風に飛ばされる。そうして、目の前の視界が開けてきた。

 

「えっ……?」

 

 彼の視界に入ってきたのは思いもよらぬバーサーカーの姿だった。

 

 さっきまでは禿げた木が秩序なく生える森はもうなく、辺り一面は炎と灰のみだった。大木は炭と化し、めらめらと焼き尽くす炎は獲物を未だに求め続け、冬なのに陽炎が大気を歪ませる。

 

 その中にバーサーカーは立っていた。彼の目の前には身体の大半を切断された醜い化け物がいた。化け物はぐったりと焼けた地面に伏していて息の根が止まっているようである。

 

 その化け物の腕の一本がずっと前に突き出ていた。二十メートルほど先の焼け焦げた大木に伸びた腕が突き刺さっている。

 

 血が吹き出た。それはバーサーカーの出血だった。彼は出血箇所を手で押さえて跪く。

 

「■■■■■……」

 

 苦しみの表情を浮かべる。歯を食いしばりながら、アサシンをぐっと力強く睨みつけた。

 

「おっ、おい!バーサーカー!お前、大丈夫かよ?」

 

 達斗は重症を負ったバーサーカーの所へ駆け寄ろうとした。

 

「うわっ、アツ!」

 

 しかし、バーサーカーの宝具を発動してからまだ一分ほどしか経っていない。故に彼の周辺は相当な高熱であり、常人ではおろか達斗でさえも近づいたら火傷では済まない。

 

 それでも達斗は歩み寄る。それはまるでバーサーカーが彼にしていたように。

 

 足の裏が熱い。熱湯の風呂の中に入っている気分だった。肌を焼くような大気。喉は乾き、汗はドッと出た。

 

 達斗はバーサーカーの前まで来た。彼はバーサーカーの受けた傷を見て言葉を失った。

 

「お前……、腕が……」

 

 バーサーカーの左腕から血がポタポタと滴っていた。いや、左腕があった所からだ。

 

 アサシンはバーサーカーの宝具を受けるのと同時にバーサーカーの左腕をもぎ取ったのだ。そのままアサシンの不気味な腕は二十メートルほど先の木と彼の左腕を突き刺した。

 

 バーサーカーは苦しみに耐えるように臥い伏した。跪き、辛い痛みに悶える。

 

 初めてだった。バーサーカーが初めて達斗の前で痛みに苦しんでいるのは。達斗がバーサーカーの人間らしいところを見るのは。

 

 今まで達斗はバーサーカーをサーヴァント、つまり英霊だと捉えていた。だから、自分たち人間とは少し格の違うまるで神に似た何かだと、ずっとそう考えていた。

 

 だけど、全然違った。本当はそんなじゃなかった。

 

 バーサーカーは痛みに悶えたり、心の底に悩みを抱えていたり、苦しんだり、悲しんだり、絶対的な願いに向かって常に手を伸ばしている。

 

 達斗はどうしてもバーサーカーは自分とは違うと思いたい。この巨人は英霊(サーヴァント)、自分は人間(マスター)なのだと。

 

 でも、そんな風に思えなくなってくる。一緒にいればいるほど分かる英霊の人間らしさ。それに目を背けても背けきれなくなってくる。

 

 いつしか、英霊を人間と思ってしまっていた。英霊は自分たちと何ら変わりはないのだと。

 

 やめてほしい。そんな風に考えたくはないと達斗は思う。

 

 でも、それでも目の前に映る彼の姿は屈強で、そして脆い人間なのだ。

 

「痛いのかよ?お前が痛いって思うのか……?」

 

 達斗は誰にも聞こえぬような小さな声で尋ねた。当然、そんな小さな声ではバーサーカーの耳に届くはずもなく冬の夜風にかき消された。

 

 達斗はどうしてもバーサーカーは同じ人間だと思いたくなかった。

 

 だって同じ人間なら、相手のことを考えないといけないから。前までは違うものだと見ていたからマスターとサーヴァントとしての主従関係を守れた。

 

 だが、達斗は人間でバーサーカーも人間だ。なら、苦しんでもがいているバーサーカーがいて、そんな彼に罵倒をし闘えと命じるマスターはいるであろうか。

 

 バーサーカーは自らの剣を手に取る。そして、その剣を傷口に当てた。超高温の剣は切断面を一瞬にして焦がした。この状況において、バーサーカーの咄嗟の止血方法である。もちろん、本来しっかりとした医療行為等が可能ならばそんなことはしないような荒い対処法だが、何もしないよりかはよっぽど良い。

 

 肉が焼ける音が聞こえた。煙を出しながら、バーサーカーは歯を食いしばる。

 

 バーサーカーのその行動を見ていて、達斗はふと思った。

 

 その傷は今夜限りのものとなるだろう。何故なら、今夜で聖杯戦争は終わりの鐘を鳴らすからだ。そしたらきっとこの目の前にいるバーサーカーはどうなるだろうか。負けたら、彼は英霊、巨人スルトとして霊基に戻りこの記憶は刻まれるがまた新たにこの世に現れる時にはその傷は過去のものとなるだろう。勝ってもスルトは自身の望みを叶えるために自らを殺そうとするだろう。生き残るにしても、魔力供給が間に合わずに現界が限界に達する。つまり、どちらにせよ彼はこの世から消える存在であり、その傷に苦しむスルトを無視することが最善の選択であることは明白だった。

 

 そして、それは頭の良い達斗でも簡単に分かることだった。腕を失い痛み苦しむバーサーカーを目を向けたって何の意味もないことなど瞬時に理解した。

 

 理解できた。故に理解できなかった。

 

 自分はこんなにも冷徹な人間なのかと思ってしまう。バーサーカーの傷を目の当たりにして自分は手を差し伸べないのかと。それではただの魔術師にしか過ぎないではないかと。

 

 達斗は魔術師が嫌いだった。達斗はサーヴァントが嫌いだった。大切な母親を奪った聖杯戦争が嫌いだった。聖杯戦争がある世界が嫌いだった。

 

 いつか、そんな世界に一矢報いるために、あえて嫌いな聖杯戦争に参加して、あえてサーヴァントを従えて、あえて魔術師になって。

 

 世界を壊すためだったのに、いつの間にかそんな世界の片隅で悲しみながら一人を嘆いている巨人に心を許して。

 

 彼の熱で冷めた心は温かくなっていた。

 

 その温かい心はかつての冷めた自分を嫌悪する。

 

 あの頃なら、こんな姿のバーサーカーに手を差し伸べることなどあり得なかった。使えないと蹴り飛ばしながら罵倒していた。

 

 それが今では—————

 

「—————令呪を以って命ず」

 

 自分は変わってしまったとつくづく思う。世界への苛立ちだけのために前進していたあの時の自分。大切な仲間を見つけて、その仲間のためだけに聖杯への道のりを後進する今の自分。

 

「その腕を治しなよ—————」

 

 思えば前進とはなんなのか。聖杯への道のりが前進なのか。この苛立ちを解消させるのが前進なのか。

 

 そのどれも、前進であり後進である。

 

 前進とは前へ進むことだ。しかし、その前とは結局はなんなのか分からない。今向いている方向が前なのかもしれないし、後ろもしれない。

 

 つまり、前進は後進で、後進は前進なのだ。

 

 だから、マスターとサーヴァントという関係ではない、特別な繋がりは後進であり前進なのだ。

 

 家陶達斗という一人の少年の前進がその一夜にして起こった。

 

 令呪の力は絶大だった。バーサーカーの切断された腕が見る見るうちに接合してゆく。血管、筋組織、皮、全細胞が傷跡もなしに、まるで時が遡ったかのように令呪と言う名の絆の糸で縫い合わされた。

 

 バーサーカーは元に戻った腕を動かしてみる。当然のごとくその腕はしなやかに動く。さっき腕を落とされたとは思えないほどだ。

 

 しかし、その腕の修繕はいわば二人の聖杯戦争の脱落を意味する。達斗の手の甲にあった残りの一画は消え失せ、痣はぼやけてしまい、目に見えるのは若干の消え損じた赤。それもすぐに見えなくなってしまうだろう。

 

 達斗とバーサーカーの間に繋がっていた魔力供給のパイプは令呪の消滅とともになくなった。バーサーカーが現界できる時間はもって十分ほど。

 

 バーサーカーは達斗を見る。何故、自分の怪我を治したのかと彼は疑問だった。

 

「何だよ、不満なのかよ?」

 

 達斗は下から彼を睨みつける。小さい顔のくりっとした目が上に釣り上がる。

 

 バーサーカーは別に不満を感じているのではない。切断された腕が元に戻ったことや痛みが消えたことは嬉しい。自分のために大切な残り一画の令呪を使用するということは、達斗にとってその行動が聖杯以上に意味があったということ。大切に思われることは悪いことではない。

 

 ただ、それで良かったのかとバーサーカーは達斗に問いかけたかった。自分なんかのためにその最後の一画を使って良かったのかと。

 

 ここでバーサーカーはどうしても卑屈になってしまう。自分は一族の仲間でさえも滅ぼした罪人であると。そんな者を助けて何になるのだと。

 

 彼の思っていることはもっともである。彼なんかを助けるより、そのまま聖杯へ手を伸ばした方がよっぽど良かったのかもしれない。

 

 そもそも、バーサーカーも達斗も聖杯には六騎の魂が溜まっていると思っている。つまり、その場合、目の前にいるアサシンの魂を聖杯に溜めれば聖杯は満ちる。だから、最後の令呪を使わなくとも少し待てば聖杯は手に入れられるのだ。

 

 もちろん事実ではない。ただ、彼ら二人の中でそのことは事実であり、最後の令呪の使用は本当に無駄なことでしかないのだ。

 

「分かってるよ、無駄なことくらい……」

 

 達斗はしょげてしまう。それでもバーサーカーから顔を背けることはしなかった。

 

「でもさ、僕はこれが間違ってるとは思ってないよ。確かに聖杯は手にできないし、無駄だらけな選択で僕らしくない。だけど、それでいいんだ。後悔はないよ」

 

 達斗は恥ずかしそうに口をもごもごとしながら、ボソッと呟く。

 

「その……、僕たちは……、な、仲間だろ?」

 

 その温かい言葉は熱の巨人の救いを求める心に光を差した。

 

 あの時、巨人は絶望した。焼け焦げた世界で一人佇みながら、孤独というものに。

 

 だが、今の彼の目の前には小さな魔術師がいる。罵詈雑言を放ち、横着でワガママで、でも何処か放っておかない子供。

 

 そんな子供と彼は聖杯戦争を共に歩めたことに、感謝した。

 

 絶望した世界に希望を見た。

 

 仲間という希望を—————

 

 

 —————ミシッ。

 

 イヤな音が聞こえた。その音は枯れ枝が折れた音だった。目を向けると、化け物がまた戦おうと必死に周りから生命力を吸い取っていた。

 

「ムリだよ。もう、この燃え尽きた森で命のあるものなんて俺たち以外には何一つない。だから、お前はもう戦えない」

 

 達斗は化け物の敗北を告げる。それでも、バーサーカーよりバーサーカーらしい化け物は惨めに辺りのものを触り、命を吸い取ろうとする。

 

「ナ、イ……、いのチ……、な、イ……。イの、ち……、ナイ……」

 

 必死の形相で命を手探りに探すその姿は本当に人間ではないかのようだった。いや、もう人間ではなかった。人間ではない何か別の生き物だ。

 

 化け物は嘆く。

 

「ホし、イ……、いのちほシイ……。イキたい……。いきテ、いタイ……」

 

 化け物は人間らしさを捨てて、あのアサシンの面影など何処にもない。逆に言えば、あのアサシンから人間らしさを引けば、きっとただ切実に生きたいという思いしかないのだ。殺すということもこの化け物にとっては生きるための唯一の手段であり、それがないと人に変わるどころか生きることもできやしない。

 

 化け物は達斗の存在に気付いた。すると、死に物狂いで達斗に向かって金属の手を伸ばした。最後の力を振り絞って。

 

 達斗はそんな変わり果てたアサシンを可哀想な奴だと憐れんだ。聖杯のためだけに彼女は美しい姿を捨てて、この醜い姿に成り果てたのだから。かつて人間になりたいと願っていたのに、結局彼女は元に戻ってしまうのだから。

 

 聖杯とは恐ろしいものだ。あの存在が色々なものを狂わせ、醜く変貌させる。

 

 過去のそのあまりにも眩しい光に魅せられていた自分が惨めだ。きっと、この化け物と同じくらい、醜く憐れな存在なのだろう。

 

「せめて、一思いに散りなよ」

 

 アサシンの長い金属の腕が達斗の身体に触れるというその瞬間、バーサーカーの剣が円を描くように空を切り裂いた。その剣の刃はアサシンの腕を一刀両断した。最後の力を振り絞ったが上手いようにいかなかったアサシンはその結末に満足したように微笑んだ。

 

 そして、倒れ込んだ。最後の力を使い切ったアサシンは力及ばずそのまま終わりを迎えた。

 

「そう……、ソウ……。私ノ終わりッてやっぱリこンナモのなノかしラ?」

 

 絶望の中で笑う彼女。その彼女は土に額をつけながら、全てを悟った。

 

「そんなことないと思うよ。あんたとあのクソ魔術師も結局のところ、僕たちみたいなものだったんでしょ?なら、どう終わろうが、助けられたことに変わりはないんじゃない?」

 

 達斗はそう言うと、バーサーカーに指示をした。今度こそ彼女の命を奪いされという命令である。バーサーカーは彼女の横に立つと黒く大きな剣を振り上げた。

 

「ふフふっ……。ソう……ナノかモネ。そンな……もの、なのカモね」

 

 バーサーカーは剣を振り下ろす。

 

 その時だった。大地がぐらりと揺れた。地に落ちた灰がまた舞い上がったのだ。

 

 突然のことである。バーサーカーの振り下ろした剣はアサシンを斬ることなく宙で止まった。

 

「何だ?これは?」

 

 突然のことに動揺する達斗。しかし、あまりにも予想外の事態に頭の中の収束はすぐにつきそうにない。

 

「アア、始マっテしマッたのね……」

 

 アサシンのその言葉でバーサーカーは直感的に閃いた。その瞬間、彼は事態の重大さに気付いた。

 

 彼は急いで達斗を担ぐと焼け焦げた山を全速力で降りて行く。

 

「おっ、おい!ちょっと、バーサーカー!お前、何すんだよ⁉︎」

 

 理解ができぬ間にことが進み、バーサーカーに説明を求める達斗。しかし、今はそんな悠長な時間はないのだ。

 

 バーサーカーはこれ以上とないほど必死に、今まで見せたこともないような本気さを見せた。ただ走るというだけなのに、なぜこれほどまでに走るのか、察しのいい達斗は何となくだが理解した。

 

 だが、時間はもうないのだ。

 

「あア、モウ逃ゲられなイわよ。私はアナたたチを誘キ寄せるタだノ囮に過ぎなナイの……」

 

 それから山が爆発し崩れ落ちたのは十数秒後、すぐのことであった。


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