Fate/eternal rising [another saga] 作:Gヘッド
暗い夜の林の中、冷たく手を悴ませる生き物嫌いな風が林の間を駆け抜けていく。その間には一人の少年が禿げた木の幹に手をつけて、俯いていた。
「うォォェっ!ゲボッ、ゲボッ、ゲボロゲボロゲボロ……」
不潔な効果音。アサシンがいちごジャムと納豆を混ぜたような色の液体を口から出すセイギの背中を優しくさする。
「まさか、ここまでセイギが運動に対して壊滅的だっただなんて、一切思わなかったわ」
とんでもないほどの運動のできなさにアサシンは呆れるしかなかった。
「僕だってできるなら普通になりたいよ。でも、それが簡単にはいかないんだなぁ……」
彼はそう言ったあと、また喉から逆流させた。
アサシンはこんな汚い場面に遭遇しているのに少しだけ気が緩んだようにも感じられた。
バーサーカーに追われているというのに、どうしてこうもセイギはあの背筋を凍らせるような張り詰めた空気を変えられるのだろうかとアサシンはふと疑問に思った。
「セイギは怖くないの—————?」
ふと、心の声が出てしまった。セイギはその質問にきょとんとしている。
「怖いに決まってるじゃん」
なんとも平凡で、予想を裏切るような言葉だった。
「そりゃ、怖いよ。だって、バーサーカーだよ?凡人とは別格の存在、英雄の中でもトップレベルの化け物だからね?そんな相手に戦いを挑んでいる時点で死んだも同然でしょ」
彼の顔が変わった。息を整え、またバーサーカーのいる方に身を向けた。
「でも、やらないといけないから。ヨウとセイバーのためにやるんでしょ?あの二人にはさすがにバーサーカーと戦うのは荷が重すぎるよ。なら、僕たちが二人の背負ってる分を背負わないと」
しんみりとしたその言葉はアサシンと、言葉の主であるセイギの心を穿つ。
「そう決めたんでしょ?」
アサシンはこくりと頷いた。
それでもやっぱり二人は何処か腑に落ちないところがある。
別に自分たちが聖杯を得るわけではないのに、何故バーサーカーと死闘を繰り広げているのかといったところ。
もちろん二人ともヨウとセイバーの力にはなりたい。だが、だからと言って、聖杯を渡すことに関しては心の隅では少し疑問に思ってしまう。
あの二人は助けたい。力になることができるのなら、少しでも力を分け与えたい。それで彼らの夢が叶うなら。
だけど、今まで頑張ってきた分はどうなるのだろう。自分たちが聖杯に望む願いはどうなるのだろう。きっとそれは過去にあったという存在だけになってしまって、実現というものにはならない。
多分あの二人は自分たちの辛さに気付いていない。いや、別に気にしてほしいわけではない。でも、このまま気付かれないであの二人の夢を叶えたら、損得感情で考えるとどうしてもストンと胸の中に落ちない。
損得感情で考えるなと言ってしまえばそれでおしまいかもしれない。ただ、果たしてそれをこの場で見出せるのかと言われればそれは決まっている。
辛いんだから、何かほしい—————
人間だから。他の動物よりも脳が発達していて、高度な計算能力とかがあるから、どうしても考えてしまう。人間として生きる上でどうしても必要なものが今回ばかりは邪魔をする。
簡潔に言うと、バーサーカーとの戦闘は、アサシンの死は自分たちにとってなんの得もない。あるとすれば、それは
そして、それは二人の未来にとって望ましい形であり、今にとっては望ましい形ではない。少なくとも喜びは二人の中に生まれることはないだろう。
つまり、実質的に得はない。未来を見据えてなら得はあるかもしれないが、現在のことだけ考えると意味もなければ恩恵もない。
戦う意味を見失うのは至極当然のことであり、もちろんセイギもアサシンも予想はしていた。
「まぁ、やっぱり、口ではどうこう言っても簡単にはできないよね。誰かのために自分の幸福を削るだなんて。何処ぞの英雄ならまだしも、僕はただの魔術師だし」
セイギは自分の口のふちに付いた汚物をそっと手で拭いながら歩き出した。
「アサシンは失いたくない。正直言ってセイバーを捨ててでもアサシンを選びたい。だけど、アサシン、君が言い出したんだ。セイバーちゃんを救おうって。僕はそれに従うよ」
迷ってる。それでも、セイギはアサシンの言葉を尊び、それに従う。アサシンがそれを望むなら、彼は自分の本当の望みさえも捨てる気だ。
「それに、ヨウは友達だし。友達の笑顔も見たいよ」
気さくに笑った。それが今の彼にできる精一杯の強がりだった。
その笑顔につられて、アサシンは何かを見つけ出したようにホッとした。そして、彼女はやんわりと穏やかな笑みを見せる。
「ええ、そうね。私ったら、何を考えているのでしょうね。自分で決めたことなのに。ごめんなさい。気が錯乱してしまったわ」
そう。彼女は何故セイバーに聖杯を譲るのか。
「私はもう十分幸せってものを味わったわ。もう本当、お腹いっぱい。昔はあんなに飢えてたのに、今はちょっと飽き飽きするくらい、幸せ。幸せの笑顔ってこんな風に作るのね」
彼女はもう幸せを掴み得た。聖杯を得なくとも、とっくのとうにそれと同等、いやそれ以上のかけがえのない幸せを得ていた。
欲張らない。こんなに幸せな自分がさらに幸せを得るなら、セイバーに渡そうと。それが彼女の思いだった。
戦う。それは幸せが詰め込まれた二人の最後の共同作業となる。
バーサーカーの唸り声が聞こえる。もう二人との距離はそう遠くない。これならあと数十秒後には二人に追いつくだろう。
バーサーカーが通る場所の所々に罠を仕掛けたが、そのどれもが大した功績もなく無惨に破壊されただろう。二十パーセントほどしか残っていないと推測できた。
どうしようか。さらに罠を増やそうか。いや、そんなことしてもどうせすぐに壊されるのがオチで、なんの意味もなくセイギが無駄な魔力消費をする。
なら、闇に紛れて影からあの大男の首を狙おうか。いや、それも現実的に無理だろう。さっきその攻撃で何度も失敗しているし、繰り返し同じことをしていたら、さすがの
とすると、やはり一つしか道はない。それは正攻法、正面突破。さっきのバーサーカーとアサシンの一対一なら勝ち目はほぼゼロに等しかったが、今はセイギもいるし幾分か可能性はあるだろう。
まぁ、それでも今のままでは十パーセントほどの確率しかないのだが。
なら、勝てるようにどうにかしなければならない。だが、どうすればいいのか。
その時、アサシンがセイギにあることを提案する。
「ねぇ、セイギ、良いこと思いついたのだけれど、良いかしら?」
不敵な笑みを浮かべる彼女。その姿はセイギに不安感を覚えさせた。
「あれ、やっても良いかしら?」
「あれ?あれって……あれのこと?」
「そう。令呪を一画使うことにはなるけれど、バーサーカーとも対等に渡り合えるはずよ」
アサシンの変わらぬ笑顔は晴れ晴れとしたものだった。
「でも、それって……、アサシンは嫌じゃないの?すごく嫌だって言ってたから……」
「そりゃぁ、あの姿の私は嫌いよ。醜いし、自分が自分でなくなりそうな自我に襲われるし、人殺しの快楽全開だし……。でもね、あれしかないの。あれなら、バーサーカーをやれるかもしれない」
「アサシンは、アサシンはどうなっちゃうの?それをした後、アサシンはどうなるの?」
「此の期に及んで私の心配?大丈夫よ、何とかなるわ。私はあの頃の私じゃないから、ちゃんと制御できるわ。まぁ、もし、できなかったなら、残ったもう一画の令呪で……」
彼女は自分の首に手を当てた。
「—————私を殺してちょうだい」
その縁起でもない言葉にセイギは身の毛がよだった。
「……ちゃんと、制御できるの?」
「多分、できると思うわ。と言っても、この現世に召還されてからはまだ一回も試したことなかったから、確かなことは言えないけれど……」
「そんなッ⁉︎そんなんじゃダメだよ……!」
必死に反対するセイギ。それは全てアサシンのためである。
だが、アサシンはそのセイギの肩に手を置いて、こう言った。
「大丈夫。私を信じて—————」
その言葉にセイギはもう何も言えなくなった。
不安が取り消されたわけではない。彼女がどうなるかわからない。
だけど、はっきりと言われてしまったら何も言い返せない。
彼女が決めたことだから、彼はもう何も反対できない。
苦しくても、怖くても、彼女の意思を尊重する。
それこそ彼が彼女にできる唯一のこと。
心の底では思っている。やめてほしいと。
でも、彼はこう言うしかないのだ。悔しく歯を食いしばりながら、自分に力がないばかりに彼女がそんなことをしなければならないのだと自覚をして言う言葉。
「……分かった」
そして最後に、相手を不安にさせないようにとするぎこちない笑顔。相手にはバレバレなのに、どうしてもしてしまう角ばった不自然な形。
それも一つの愛の形であるとアサシンはまた小さく大きな幸せを知った。
こんなにも私は彼に愛されている。それだけで、十分なんだよ、と。
「あっ、そうだ。それともう一つ提案するけれど、これなんてどうかしら?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バーサーカーが現れた。太い首から低く獣のような呻き声を上げながら、木をなぎ倒し二人を見つけた。二人の姿を見つけると、バーサーカーは剣を振り回しながら突進してきた。
アサシンはバーサーカーの突進に身を翻しながらかわし、セイギは魔力の塊を鞭のように形状変化させて、その魔力体を木に絡ませて逃げた。
セイギはバーサーカーと距離をとると、自分の手の甲を眺めた。たった二画の赤い線のような痣が彼の手の甲に刻まれている。アサシンとの繋がりを意味するその二画のうちの一つを使うということに少しだけ苦しみを覚えながらも、手を闇夜に向かって掲げた。
「令呪を以って命ず—————」
セイギはその後の言葉を言おうとした。だが、自然と言葉が口から出ない。目尻は熱く、首筋は猫じゃらしでくすぐられているかのように感じる。込み上げてくる涙は別れの令呪を拒むセイギの内心。
だけど、聞こえた。アサシンは微笑みながらセイギに声をかけた。
「大丈夫。あなたは私がいなくても一人じゃないでしょ?ヨウがいるじゃない。一人ぼっちなんかじゃないわ。怖がらないで。あなたはあなたが思っているよりずっと強いわ」
その言葉に背中を押されて、セイギはアサシンと別れる決心をした。
ああ、そうだ。僕は暗殺者らしくない彼女に惚れたんだ、と悟った。
「—————アサシン、君の真の姿を見せておくれよ」
彼の手から魔力の波動のようなものが放たれ、全物質に伝わった。大地を走り、風をかき乱し、大気を震わせた。
「じゃあね、アサシン」
セイギはそう言残すとその場から離れた。バーサーカーとアサシンの戦いを見ず、背を向けて山の外へと走り出したのだ。歯を食いしばり、ぐっと何かを堪えるような顔をしていたのをアサシンは最期に見ていた。
バーサーカーはそんなセイギを追いかけようとしたが、アサシンがそれを遮った。
「ダメよ。行かせない。彼は今を生きている生者だからこの戦いに参加しない方がいいわ。死闘っていうのは生きてる者がやるより死んでいる者がやった方が色々といい気がしない?」
アサシンは不敵な笑みを浮かべる。バーサーカーはそんなことお構いなしに、いつものようにエンジン全開闘争心マックスである。そんなバーサーカーをアサシンは皮肉ぶるようにこう評した。
「いいわよね。何も考えられないって。自分がこれからどうなるのかも考えなくて済みそうだし」
バーサーカーは馬鹿にされていると分かったのか、アサシンに攻撃を繰り出そうとした。
だが、バーサーカーはそうすることはなかった。それは目の前にいるアサシンの様子が変だからである。
彼女の白玉のような白く美しい皮膚からじんましんのようなものが噴き出していた。ぶつぶつとまるでマグマから噴き出る泡のように。
「ああ、始まってしまったわ。ウフフ、これでもうあなたも私もおしまいね」
彼女の身体は見る見るうちに変貌してゆく。皮は爛れ、骨は浮き出て、牙は突き出し、爪は鉤爪となり、毛は獣のように剛毛となる。尻尾も段々と獣臭くなってゆく。喘ぎ声をあげながら、声も変質していった。
また醜く変貌してゆく中で彼女の身体から次々と機械部品のような物まで出てきた。導線、金属片、ネジなどと到底人の身体にはあるはずがない物が現れてきた。
野生の獣のように骨格が変化してゆく中で、内にあった彼女の機械の身体は剥き出しにされてゆく。ワイヤーのようなもので作られた筋肉、ネジやゼンマイで動かされている腐った内臓。肉と金属で形作られてゆく異形な何か。
その変貌の過程は恐れを感じないはずのバーサーカーでさえ数歩後ろに退くほどのものであった。見たこともない。そんなことではバーサーカーは退くわけがない。
不気味で気色の悪いその姿はまさに本当の彼女に相応しい姿に他ならない。
「サぁ、始メましょウ。私にあなタノそノ血ヲ見せテェ」
それは怪物の声だった。色々な声が何層にも重なっていて、さっきまでの妖艶で美しい声とは打って変わり、醜悪で化け物じみた声。
奇怪な形は生物ではない何かを思わせる。グロテスクで本当にこれがあのアサシンだったのかどうか疑問を持たせる。
だが、それは正真正銘、アサシンである。あの黄金比をした美しい顔の持ち主である。
そして、今、醜い姿に成り果てているのもアサシンなのである。
それはかつて封印したもう一人の自分。
そして、彼女の本当の名に沿った自分。
人を殺すのが好きな自分。
自分が一番嫌いな自分だった。
「あナタの死をワタしニ見せてェェっ‼︎」
彼女は人を殺め殺め、殺め過ぎた極悪醜悪凶悪な殺人生物。
昔の人々は彼女をこう呼んだ。
『九十九殺しの妖怪、
さぁ、ついに出ましたアサシンの真名。
って、え?千狸?アサシンと全然違くない?
はい、全然違います。アサシンは作者のがっつりオリジナルストーリーです。
資料とあっているとすれば、吸精の化け物ってことぐらいです。
次回はアサシンの過去から入ります。