恋夢幻想   作:高嶺 蒼

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恋夢幻想~20~

 視線を感じて振り向くと、血にまみれた男がこちらを見つめていた。

 身を起こしかけたまま、それ以上身動きもできずに彼を見つめ返す。

 ひどい状態だ。

 まだ生きているのが不思議なくらい。

 

 ほんの一瞬、二人の視線が絡み合う。

 だがその直後、彼は喘ぐように口を開き、その瞳をさまよわせーそれからゆっくりと目を閉ざした。

 苦しそうな様子はなかった。

 穏やかに彼は深い眠りのそこに落ちていった。もう二度と目覚めない永遠の眠りへと。

 

 「終わったのか…?」

 

 掠れた声で大神はつぶやく。

 だがそれが幻想でしかないことを彼はすぐさま思い知らされた。

 

 ゆっくりと、にじみ出すように叉丹の中からわき出た黒い気体が、抜け殻となった彼の肉体を大神の目から覆い隠す。

 その向こうで何かが起ころうとしていた。

 見えなくても伝わってくる強大な存在の威圧感に、大神は自らの足がすくんでいることを自覚する。

 目を見開き、そこからそらさないようにするのに多大な努力が必要だった。

 すぐにでも回れ右をして逃げ出したい衝動を必死に堪え、大神は己の剣を手に立ち上ちあがる。

 あれは良くないものだと本能が訴えていた。 

 

 終わらせてしまわなければ。悪夢が始まる前にー

 大神が走る。

 始まろうとする悪夢を無に帰すために。

 

 ーだが遅かった。

 

 静かな目覚め。

 その存在が目を開ける。

 そしてその一対の瞳が大神を認めた瞬間ー大神の体は強大な力の奔流をまともに受けて吹き飛んでいた。

 

 自分に何が起きたかも認識する暇もなく、大神は背中から石の壁に激しく打ち付けられる。

 そしてそのままずるずると床に座り込んだ。

 立ち上がることもできずに大神は衝撃にかすむ目を前に向ける。

 そこに一人の存在がいた。

 

 闇の翼を持つもの。

 雄牛の角を持ち、鋭い牙をその口元からのぞかせる、禍々しくも美しい、神々しいまでの威厳を感じさせる存在をなんと呼べばいいのかー大神はその言葉を持たない。

 だが、それが邪悪なものであるということーそのことだけははっきりと理解できた。

 あれがこの世界に存在していいものではないということだけは。

 

 「我、覚醒せり」

 

 重々しい声が響いた。

 ただそれだけで全身が粟立ち、叫びだしたいほどの恐怖に駆られる。

 それに必死で耐えながら大神は声を張り上げ、問いかけた。

 

 「何者だ…」

 

 それだけの言葉を発するだけで、体中がひどくいたんだ。

 どうやら肋骨を二、三本やられたらしい。

 さらにそのうちの一本が肺を傷つけているようだ。

 呼吸のたびに血の匂いが口腔を満たした。

 そしてなぜか右腕の付け根が焼けるように熱かった。

 

 「我が名は悪魔王サタン」

 

 腹の底まで響くその声は、人間の原初の恐怖心に訴えかけてくる。

 あらがえない恐怖を無理矢理押さえつけ、大神は悪魔王と名乗るその存在をにらんだ。

 そのまま右手をつき立ち上がろうとして、それができないことにそこで初めて気がついた。

 不思議に思い、自らの右腕を見下ろして愕然とする。

 

 そこにはあるべきはずのものがなかった。

 彼の肩は見慣れた腕の代わりに、肉と骨とをのぞかせる断面をさらし、そこから紅い液体をあふれさせている。

 しばらくのあいだ呆然とそれを見つめ、それから大神は周囲を見渡した。何かを探すように。

 捜し物はすぐに見つかった。

 大神から数メートルと離れていない床の上。

 剣を固く握りしめたまま、それはまるでゴミのようにそこに転がっていた。

 

 大神はほんの一瞬目を閉じ、それから仰ぐように上を向く。

 体にまるで力が入らなかった。

 それでもあきらめきれずに大神の足は弱々しく堅い床を蹴る。

 大神の目はまだ輝きを失ってはいなかった。 

 そんな大神をサタンは哀れみをも込めた目で見た。

 その唇が慈悲深く言葉を紡ぐ。

 

 「あきらめるがいい。お前はもう死ぬ」

 

 恐ろしくも美しいその瞳を見つながら、大神は自分の体がもう思い通りに動かないことに気がついた。

 死ぬのかー大神は思う。こんな所で、何もできないままー。

 かすむ目を精一杯に見開いて眼前に立ちふさがるその存在を見上げる。

 その瞳を熱い液体が満たし、その一筋が頬を伝って地面に落ちた。

 あきらめたくはなかった。

 だがどうにもならない絶望が大神の心を黒く塗りつぶそうとしていた。

 

 

 

 

 「あきらめてはいけません、人の子よ」

 

 その声は突然、どこからともなく響いてきた。

 それと同時に白に埋め尽くされる視界。

 その中で大神は誰よりも愛しい人の顔を見た。

 もう二度と、再びまみえることはかなうまいと思っていたその人の顔を。

 

 純白の翼をその背に宿し、どこまでも清らかに優しく微笑みたたずむ人ーその人はもしかしたら彼女ではないのかも知れない。

 だが、大神はその人に対する呼び名をそれしか知らなかった。

 だからーほんの少しの音にもかき消されてしまいそうなはかない声で大神はそっと彼女を呼ぶ。

 自分が唯一知っている、その呼び方で。

 

 

 「あ…や・め…さん?」

 

 「いいえ」

 

 

 だが彼女は否定の言葉を口にしてそっと左右に首を振る。

 

 「私は大天使ミカエル。常にサタンと共にあり、そして導くもの。彼が蘇るとき、私もまた蘇る」

 

 大天使ーそんな存在を大神は知らない。

 だがそうなのだろうと、大神は思った。

 目の前にいる存在はあやめの姿で立ち、あやめの声で大神に語りかけてくるけれど、彼女はあやめではない。

 その瞳は以前と変わらず慈愛に満ちていたが、そこに大神への思いはかけらも残されていなかった。

 彼女は失われたのだ、永遠にーやるせない思いで彼女を見つめ、大神は目を閉じる。

 ほんのつかの間、その事実を自分自身に納得させるために。

 

 「さあ、お立ちなさい。そして立ち向かうのです。愛する人々を、大切なものを守りたいと願うのならー。あなたにはそれができるはず」

 

 言葉と共に光が降り注ぐ。

 その光に包まれながら大神は痛みがいやされていくのを感じた。

 そして再び目を開けたとき、大神は自らの光武の中にいた。

 見慣れた空間の中で目をしばたかせ、自分の腕を見下ろす。

 失われたはずの右腕はいつもと変わらぬ様子でそこにあり、大神は狐につままれたような思いでそれを見つめた。 

 

 問いかけるように奇跡をなしてくれたのであろうその人の顔を見る。

 彼女は何も言わずにただ微笑み、静かに大神を見ていた。

 言葉など必要なかった。

 大神は自分のなすべきことを知っていたし、彼女もまた、大神がそれを成すであろうことをちゃんと分かっていたのだから。

 

 体中に力があふれていた。

 愛する人々を、大切なものを守りたいならーその言葉を胸に大神は剣を握りしめる。

 その目は真っ直ぐに悪魔王の秀麗な顔を見つめていた。なんの恐れも気負いもなく。

 そしてサタンもまた、大神を見つめていた。

 一歩一歩近づいてくる白い機体を冷たい瞳が映し出す。

 その唇が言葉を紡いだ。

 

 「まだ刃向かうか」

 

 大神は頷く。

 もちろんそのつもりだ。諦めはしない。勝つ可能性は限りなく低いかも知れないが、それは決してゼロではないのだから。

 

 

 「往生際の悪い男だな」

 

 「往生際なんて知るもんか。あいにくと諦めのいい性格はして無くてね。最後の最後まで絶対に諦めない」

 

 「たった一人でも、か?」

 

 

 たとえ一人でもーそう言いかけたときその声は響いた。

 

 「隊長!!」

 

 大神は目を見開き、それから微笑んだ。振り向かなくても分かる。

 それはマリアの声だった。

 

 「申し訳ありません。遅くなりました」

 

 すぐ隣に彼女の気配。それだけで体に言いようのない力がわいてくる。

 一人じゃないということ、仲間がいると言うことはこんなにも力強いものなのかー大神は改めてそう感じていた。

 

 「一人じゃないさ」

 

 その言葉を聞いて、サタンが馬鹿にしたような笑いを浮かべる。

 

 

 「弱いものが二人に増えたところでいったい何になるというのだ」

 

 「いいやー」

 

 

 駆けつけてきたのがマリア一人じゃないのだと言うことに大神はもう気がついていた。

 遠くから近づいてくる気配。どれもがみなよく知ったものばかりだ。

 

 「隊長~。悪ぃ。待たせたな」

 

 最初に聞こえてきたのはカンナの声だ。

 

 

 「まだ無事のようですわね、少尉」

 

 「大神さん、大丈夫ですか?」

 

 

 続いてすみれとさくら。

 

 

 「お兄ちゃん、アイリスが来たからもう大丈夫だよぉ」

 

 「そうや。みんなそろえば怖いもんなんかないで」

 

 

 最後にアイリスと紅蘭の声が元気に響いた。

 みんないる。誰一人欠けることなく。

 そのことがただ嬉しかった。

 まだ戦いが終わったわけではない。勝って帰れると決まったわけでもないけれどー不思議と目の前にいる敵が前ほど怖くなくなっていた。

 

 目を閉じる。

 ほんの一瞬、みんなの気配を心に刻みつけるように。

 それから目を開けて悪魔王を見た。絶対に負けないーその思いをいっぱいに込めて。

 

 「二人が七人に増えたところで何も変わりはしない。お前達は我に勝てない」

 

 大神は無言のままに剣を構えた。仲間達も思い思いに戦闘態勢をとる。

 誰も諦めてはいない。みんなが自分たちの勝利を信じていた。

 サタンを睨みつけたまま、大神が口を開く。

 

 

 「確かに俺達一人一人はお前の足元にも及ばない、弱い存在かも知れない。だが俺達は一人じゃない。共に戦う仲間がいる。俺達を信じ、見守ってくれる人々がいる。だから俺達は負けない。お前を倒し、この帝都を、世界を守ってみせる」

 

 「無駄なあがきをする」

 

 

 目を細め、サタンは立ちふさがる弱き者達を見渡した。

 勝てるはずもないことは分かり切っているだろうに、それでもなお立ち向かう者達。

 それは絶対的な強者であるサタンにとっては理解不能な存在であった。

 

 

 「無駄なことではありません。彼らは信じているのです。自分たちが作り上げる未来を。そして彼らはあなたが思うほど弱い存在ではない」

 

 「-ミカエルか」

 

 

 よく通るその声にサタンは苦々しさを隠そうともせずにその名をつぶやく。

 そしてゆっくりとかつての同胞へと視線を転じた。

 

 「お前は人という存在に幻想を抱きすぎている。人間は弱い。嘘にまみれ欲におぼれ、醜悪で美しさのかけらもないーそれが人間だ。そんなものが存在したところでなんの価値も無かろう?」

 

 問いかけにミカエルは美しい顔をそっと悲しそうにゆがめた。

 元々答えなど求めてはいなかったのだろう。サタンはそんな彼女の表情に気づかないまま、さらに言葉を続ける。

 

 「我は世界を浄化しようとしているのだ。人間を一人残らず滅ぼし、世界を新しく生まれ変わらせる。きっと清らかで美しい世界になる。そうは思わないか?」

 

 今度の問いは大神達に向けたものだった。

 震え上がらずに入られないほどの強い眼光にさらされ、それでも大神は目を逸らさずにそれを見返した。

 

 

 「確かに人は弱い。正しいだけの存在でないことも知っている。けど俺は信じてる。俺達の同胞を、人という存在を信じてる。闇の中にあってもなお、人々の心には揺るぎない思いがある」

 

 「揺るぎない、思い?」

 

 

 虚をつかれたようなサタンの声が妙にあどけなく響く。

 大神は微笑んだ。

 

 「それは希望だ。どんな深い闇に沈もうと、人々は未来を信じ光を目指す。そんな思いがある限り俺達は戦う。戦い、勝ち取って、その思いを現実にするために」

 

 大神のその黒い瞳には揺るぎない輝きがある。

 サタンはただ唇をゆがめて笑った。

 そして言う。ならば来るがよい、と。自らの敗北などつゆほども信じていない、そんな口調で。

 

 それが合図だった。

 かけ声も号令もなく、七機の光武は一斉に動いた。

 最初の攻撃はマリアと紅蘭。遠距離、中距離からの銃撃を難なくよけたサタンに、今度は滑るように近づいたカンナとすみれの両機が襲う。

 息のあった左右同時の挟撃をなんとかしのいだサタンの正面に桜色の機体が躍り出た。

 

 「-くっ!」

 

 さすがによけきれずに、小さなうめき声がその唇からこぼれる。

 さくらの剣は、確実に敵の脇腹に決して浅くはない傷を負わせていた。

 完璧であったはずの体勢がかすかに揺らぎ、一瞬の隙を見せる。

 大神はそのときを待っていた。

 

 「アイリス!!」

 

 叫びながら走る。

 

 「うん、お兄ちゃん!」

 

 答えて、アイリスはありったけの霊力を大神に向けて放つ。

 

 「いっけぇぇ」

 

 その霊力の固まりを背に受けて、白い光武は急加速する。

 揺るぎなく剣を構えた機体が向かう先にあるのは、悪魔王の姿。

 今度こそよけるまもなくー正面から大神の剣をそのみに受けた。

 白刃が深々と彼の体を突き通していた。

 

 信じられない思いでサタンは目の前の白き者を見つめた。

 負けるというのか?絶対の強者であるはずの自分が、こんなにもちっぽけな存在に。

 その白い機体からは霞のように純白の霊気が立ち上っていた。

 

 「みんな、俺にちからを!!」

 

 大神が叫ぶ。それに呼応するようにみんなが声を返した。

 

 

 「隊長!」

 

 「大神さん!」

 

 「少尉!」

 

 「隊長っっ!」

 

 「大神はん!」

 

 「お兄ちゃん!」

 

 

 それぞれの色の美しい霊力の輝きが大神の元へ集う。

 それは集まり一つになりー七つの霊力は大神という触媒を通して一気に悪魔王の体へと注ぎ込まれた。

 果てることのない絶叫ーそれは悪魔王の断末魔だ。

 

 ーそして全ては光に包まれた。 

 

 

 

 




もうぼちぼちエンディングが近づいてきました。
あと少し、お付き合いください。
次回は週末にお届けします。

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