三つ子の魂百までなどというと、誰が言い出したんだ馬鹿馬鹿しい、努力が足りんだけだ、これを考えたやつはまったくけしからん者に違いないなどと友人知人に吹聴してまわったが、最近になってどうにも私には良からぬ癖がぶちまけられたシミのようになっているらしいことに気付かされて、三つ子の魂百までとはよく言ったものだなどと盆帰りにしみじみ口にしたので珍妙なものでも見るような視線を貰ってしまった。
その悪癖というのが、そうだね、というやつで、これが言われて思い返してみるとなぜ気付かなかったのかと頭を抱えるようなものだったので私は還らぬ水を盆にかき集めるような作業をせねばならなくなったのだ。
例えば私の友人に格闘技に限ればこいつがもっとも右であろうという男がいて、この男に「おい、私が格闘技をするとなればいったい何がよいかね」と尋ねると「それはお前、柔道以外にあるまいよ」などと言われた。常人ならばここでそれはなんの理由があっての言葉だねなどと返すのだろうが、これが私のズレたところで「そうだね」なんて言って話は抜き損ねた雑草のように嫌な後味だけ残してぷっつりと切れてしまった。喉元まで出た言葉の行きどころを探している友人を横目に「柔道かい、そうかいそうかい」とだけ言って満足してしまったのである。私は友達甲斐のない男であった。
自分でも不思議に思うのだが、この致命的といっていい悪癖に対して私は実に五十年もの間無自覚であった。つまり母がお腹を痛めて私を産み落とした日からほんの三週間前までである。五十年の間にいったいどれ程の会話を「そうだね」の一言で切り捨ててきたのかと思うともうこれは暴れん坊将軍や必殺仕事人などヒヨっ子みたいなもので、盆どころか琵琶湖でもひっくり返してしまったかのような取り返しのつかなさだろう。どうでもいいが、私は琵琶湖というやつを生の両目で見たことがない。もし実際に足を運んでみて、いけないこんなものでは到底足りんということにでもなれば、もう日本海かいやいや太平洋ということにでもなりかねない。そんなものいくら掬ってみてもしょうがないから、いやまだ琵琶湖だろうと私は決めつけているのである。
それはともかく、そうだね、である。前述した通りほんの三週間ほど前にこの悪癖は私の知るところとなったのだが、これは私の故人(この場合、古い友人)の言によるものであった。偶然会ったところを、「これこれ茶でもどうだね」と軟派な若者のように声を掛けて、二人で茶をしばいているときに「いつか言おうと思っていたのだが、君の、そうだね、という物言いはまったくけしからん。話という話の息の根を止めている」などと言われて私は雷にでも打たれたようなうめきをもらしたのだ。
「よく言ってくれた、君は私のセリヌンティウスだ」なんてようやく私が言うと、これはもう矢も盾もたまらんという感じで「そうだね」と言われてしまったものだから私は金魚のように赤面してしまい「なるほど、君はメロスだな」という彼のからかいを受けるだけになってしまった。
悪癖を自覚した私は、これは治さねばならんと思い、日夜頭のなかで老若男女と様々な会話をシミュレートしたのだがその内訳は、そうだね、で終わってしまったのが七割、あとの三割は私がむっつり黙ってしまうという惨々たる結果だったので、これはもうしょうがないと思って、酒と煙草を止め野菜を食べる生活を始めたのである。
妻が「あなたいったいどうなさったの」と尋ねてくるので「無駄を言う暇があったら君も野菜を食べて長生きしなさい」と私が言うと「そんなに生きてどうするんです」なんて言うものだから「決まっているだろう、五十年を溝に捨ててしまったのだから私は百五十まで生きる。三つ子の魂も、精々百までだ」なんて強がりを言うのであった。
どうでもいいことについて長々と書けば純文学っぽくなるんじゃねと思っている方、それは大きな間違いです
ソースはこの作品