「うす」
「ええ」
互いに簡潔に挨拶を済ますと、俺はいつもの席につき文庫本を取り出す。雪ノ下が部室に来てから暫く経っているのか部室の中は既に暖房が効いており、校内といえど廊下はやはり肌寒く、そんな中教室から特別棟にあるこの部室まで歩いてきた俺の冷えきった身体をじんわりとだが温めてくれる。ホッと一息、溜息をつくと俺は取り出した文庫本を開き読み始める。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
今のところ悩みを抱えた依頼人が来たり平塚先生が連れてくる気配はない。そもそも奉仕部に依頼が来る頻度はさほど高くはなく、せいぜい1ヵ月に1~2件程なのだから来る可能性はほぼないとみていいだろう。また、三浦からの依頼を終えて以降の奉仕部が現状抱えている案件はない。特にする事のない時間。
俺も雪ノ下も読書に集中している為か、互いに会話はなくただただ沈黙が部室を包む。二人の本を読み進める音と少し古びたヒーターが稼動する音だけが聞こえる。
静かな部室に静かな時間がゆっくりと流れていく。
沈黙を嫌う人間は多い。大抵は居心地の悪さを感じその場から逃れる術を考えるか沈黙を埋める為に必死に言葉を紡ぐ・・・多くの人間の中では沈黙とは苦痛なものなのだろう。
だが、俺は雪ノ下といる時・・・奉仕部にいる時に訪れる、静かな時間、ひと時は嫌いではない。不思議と居心地の良い沈黙。京都での修学旅行を終えてから暫くの間、この沈黙には痛ましさや居心地の悪さを感じたものだ。同じ空間、同じ人間といるのに全く違う。そう考えると、このひと時は稀有なものであり、大切な時間・・・
かつて失いそうに・・・いや、失い取り戻した大切なものを再認識してしまう・・・
不思議と顔には小さな笑みが零れる。
願わくばこのひと時が少しでも長く続きますように・・・
等と物思いに耽っていると、今まで本を読み進めていた雪ノ下が不意に口を開いた。
「そう言えば・・・由比ヶ浜さん遅いわね・・・
何かあったのかしら?」
「由比ヶ浜なら教室で三浦達と話してたな。
部室には来ると思うぞ?」
いや、いつ来るかは知らんけどさ。でもあいつ部活あるからって三浦達の誘い断ってたし来ると思うんだが・・・来るよね?
「そう・・・ところでさっきニヤニヤとしてたけれど、何か卑猥な事でも考えてたのかしら?いやらしい。場合によっては通報も辞さないのだけれど?ヒス谷君」
えぇ?ニヤニヤしてたの俺?
感傷に浸ってニヒルに微笑んだつもりなんだけど・・・
卑猥な事なんて微塵も考えてないよ?ほんとだよ?
いや、考えた事がないかと聞かれたらそりゃ嘘になるよ?考えた事はあるよ?だって男の子だもん!
でも、今は違うじゃん?
あと、雪ノ下には俺が放課後女の子(雪ノ下)と二人きりの部室でニヤニヤ文庫本を読みながら卑猥な妄想をしてる奴に見えたの?
っべー、そら通報も辞さないわな・・・俺でも通報しちゃいますわ・・・
今や子供に挨拶した位で事案になっちゃう世の中だからな・・・全く生き辛い世の中である。
「卑猥な事なんて考えてないからその冷たい眼をやめて手に持った携帯も下ろそうか?あと、ナチュラルに人の名前間違えるなよ、ヒス谷って何?ヒステリー?」
と雪ノ下の罵倒を受けていると何やら部室の前ではパタパタと足音が聞こえ間もなく扉が開けられた。
入ってきたのは件の人物、由比ヶ浜だ 。
「やっはろー!ゆきのん、遅くなってごめんね~!」
いつもの頭の悪そうな挨拶をすると同時に雪ノ下の方に駆け寄ると遅くなった事を謝罪する由比ヶ浜。
ビッチな見た目に反して律儀な奴である。
そこらのスイーツ(笑)ビッチとは違う。アホだけどさ
「こんにちは、由比ヶ浜さん。あなたが気に病む必要はないわ」
「ゆきのん・・・!」
雪ノ下の手を取り嬉しそうにするガハマさん。
まぁ、実際依頼人は来てないしな・・・ただ、俺と黙々と本を読んでいただけだからな・・・そういった意味では由比ヶ浜が気にする必要はほんとないな。
しかし、由比ヶ浜・・・気にしなくてはいいと言ったものの、雪ノ下には謝罪をして俺にはないって・・・いや、まぁいらんけどさ・・・でもなんつーか、このスルー感というか雪ノ下との扱いの差は何なんですかね?
と由比ヶ浜を見ていると視線に気づいたのか雪ノ下から離れ先程までの笑顔を一転させプリプリした様子でこちらに向かってくる。
どしたん?
「ヒッキー!!なんで先に部活行ったし!?私探したんだよ!?」
「いや、約束してなかったし。なんか話し込んでたし」
いつ頃からは忘れたが由比ヶ浜と一緒に部活に行く事も増えたがいつ一緒に行くとか明確には決まってない。約束はしてないし俺は悪くないと思う。
「うぅ・・・確かに・・・じゃ、じゃあ明日は一緒に行こ、ヒッキー!」
「・・・前向きに検討しとくわ」
「・・・何故かしら、この男の口から前向きという言葉を聞いても後ろ向きな発言にしか聞こえないのは・・・」
とこめかみに手をあて呆れた口調で雪ノ下が言った。
さすが、雪ノ下わかってらっしゃる!
「そう言えばヒッキー、今日どうして5限遅れたん?いつもなら10分前には戻ってきて寝たふりしてるかなんか本読んでニヤニヤしてるのに」
・・・・・いや、確かにそうだよガハマさん。
そうだけどストレート過ぎるのは八幡的にポイント低いよ?思ってても言わないで!
ぼっちが寝たふりしててもそっとしといて!見守るのがマナーだぞ!
『おい!ヒキガエル(俺の事)が寝たふりしてんぞ!冬眠の練習か!冬眠にはまだ早いぞ!』
小4の時にそういった隣のクラスの山本はマジ許さん。未だに許さん。未来永劫許さん。なんなら末代まで許さん。俺が『絶対許さないリスト』を作るきっかけとなった位だ。
あと何度も聞くけど俺ってそんなニヤニヤしてんの?
家帰ったら鏡見てみるか・・・
「・・・つか、俺の事見過ぎだろ?なんで知ってんの?」
「み、み、み、み、み、見てないし!?ヒッキーマジでキモい!ヒッキーって逆に目立つっていうか!?悪目立ちってやつ!?一人浮いてるから逆にみたいな!?ヒッキーマジでキモい!」
うがーと顔を真っ赤にしてまくし立てるように否定する由比ヶ浜。
いや、そんな必死にならんでも・・・あとキモいキモい言うなよ・・・
それと、寝たふりしてるとか浮いてるとかキモいとかこいつも大概俺を無意識なんだろうけど傷つけるよな・・・雪ノ下は意識してだが・・・
どこかに空気の美味しいところないかな?
今毒素にまみれてんの、気のせい?
「は、話反らしてもダメだからね!?で、なんで遅れたし!」
素直に一色に捕まってたというのは何故か躊躇してしまった・・・何故だろう?
まぁ、特に言う必要もないからだろ、と自分を納得させる。
「それは、まぁ、アレだよ、アレ。アレだな」
「アレしか言ってないし!?」
「遂にボキャブラリーまで少なくなってしまうなんて・・・」
「ボケ?ラブリー?」
と首を捻る由比ヶ浜は放置する。帰って辞書開くかGoogle先生に聞いてくれ。
由比ヶ浜は首を捻りながらも席に座り、ふっと一息つくと鞄から茶菓子を取り出す。
「由比ヶ浜さん、紅茶いれるわね。比企谷君も」
「ありがとう~ゆきのん」
「あんがとさん」
その後は俺と雪ノ下は紅茶を片手に文庫本を読み進める。由比ヶ浜は携帯をカチカチ弄りながら時折茶菓子をパクつく。また俺や雪ノ下に話を振り俺達はそれに応じる。そんなどこにでもあるありふれた時間が流れていく。ふと気付けば外はもう暗くなりつつある。
もう下校時間が迫っていた。
「今日は終わりにしましょうか」
「そうだね、もうすぐ下校時間だし」
「だな、あんまり遅いと疲れるし」
それぞれ帰り支度を済ませヒーターの電源を切る。
温かな部室から出るのは少し名残惜しい気もするが、いつまでもこうしている訳にもいかない。始まりがあれば必ず終わりがくるのだから。
雪ノ下が鍵を閉め俺達は部室を後にした。
いつもと変わらない葉山達、奉仕部、雪ノ下や由比ヶ浜・・・しかし、彼女は?
一色いろははどうなのだろうか?
変わらない奉仕部でのひと時を過ごす中でふと俺はそんな事を思った。
続く