少女が旅を始めてから既に四ヶ月が経とうとしている。今では焚き火もお手の物であるし、射撃の方も毎分二発は安定して撃てるようになっていた。
そんな少女ではあるが、不安がないわけではない。この先一体自分は何処へ向かえばいいのかだとか、こんな事を続けていて本当に大丈夫なのかだとか、そういった将来への漠然とした不安である。
(一体、わたくしの王子様は何処にいるのでしょう……?)
そう。こんな目的の為に旅を続けているのだ。不安にならないはずがない。若干子供っぽいところがあろうと、少女の精神年齢は年相応なのだから。
王子様とは言ってはいるが、何処かの国の王子と恋に落ちたい、という意味で言っているわけではないのだ。言うなれば、運命の人と巡り合いたい――そんな誰しもが一度は持つであろう在り来りな願望である。
「何処に行けば会えるのでしょうねぇ……?」
「人捜しでもしとるのかい?」
「え?」
何時の間にか、心の声が口を吐いて出てしまっていたらしい。しかし少女は否定はせず、何処か真剣な面持ちで小さく頷いた。
「ええ。人捜し……それから、自分探しを。この世にこうして生を受けたのですから、きっとわたくしにも果たさなければならない役割があるはず。……ですから、それをわたくしは見付けたい。わたくしは――」
――あんな男の妻として、生涯を終えたくない。
その言葉だけは呑み込んで、今度は少女が尋ねる。
「そう言うおじさまこそ、一体何をなさっている方なのかしら? 見たところ、商人のようですけど」
「
そう言って、初老の男はニヤリと笑ってみせる。
現在少女たちがいるのは、周りに草木の生い茂った池の畔だった。この辺りは乾燥地帯であり、数少ない給水ポイントの一つであるこの池の周辺では、今夜も多くの旅人が集まって暖を取り、
「吸ってもいいかね?」
男は懐から
「ぷはぁ~。……にしても、果たさなければならない役割、か。お嬢ちゃんは運命論者なのかい?」
「いえ、ちょっと待ってくださいまし」
「ん? 何かね?」
「……今、どうやって火を点けたんですの?」
そうだ。この男は、
少女は当初こそ火の起こし方が解らなかったものの、フリントがフリズンの当たり金と擦れ火花を散らすさまを見て火打石の存在に辿り着いた。他にも、摩擦による火起こしの方法がある事も今では知っている。だが、男はそのような道具は一切持っていなかった。何もないところから火を出すなど、それではまるで――。
「魔法使い、のようですわね」
――魔法使い。少女も本の中で慣れ親しんだ御伽噺の住人だ。灰被りにカボチャの馬車と素敵なドレス、そしてガラスの靴を杖一つで用意する――そんな、超常の存在。
男は自分の事を魔法使いと言われどう思ったのだろう。飽きれか、それとも怒りだろうか。しかし、少女の予想は外れた。
「はっはっはっ。バレては仕方ない。そう、儂は魔法使いなんだよ」
男はお道化るようにそう言って、少女の言葉を肯定した。
「……馬鹿馬鹿しいですわ」
だが、少女は不機嫌そうに唇を尖らせる。少女は自分がからかわれていると思ったのだ。
「ほう、それまたどうしてだい? 元はと言えばお嬢ちゃんが儂を魔法使いだと言ったはずだが。予想が当たったのだから素直に喜べば
「はぁ……。どんな手品を使ったのか知りませんけど、よりにもよって魔法だなんて。……とんだお笑いですわね」
「……よく解らんが、お嬢ちゃんは相当
それは、年長者としての教訓か。或いは、実体験から来る戒めだろうか。どちらにせよ、少女は到底信じる気にはなれなかった。
「ならば、信じられるようにしてやろう。――見ていろ」
しかし、少女の内心を悟ったように男は強い口調でそう言ってから、人差し指をピンと立て、そこへ視線を――いや、意識を集中させた。
「【全てを
果たして、それは呪文だったのか。男の指先に、揺らめく小さな灯りがともる。少女は目の前で起こった不思議な出来事に只々目を丸くした。
「えっ……あっ……そのっ……」
言葉が、上手く出てこない。
「どうだ? 信じられそうか?」
「……そう、ですわね。……信じますわ」
「なら結構。実は、
これだから年は取りたくない、と男は苦笑する。すると、指先の炎は一瞬にして消失した。
少女は自分が今見たものを己の中で整理する為か俯き、垂れた前髪がその美麗な相貌を覆い隠す。やがて、少女は俯いたまま、ポツリと小さく呟いた。
「……一つ、お聞きしても宜しいかしら?」
「言ってみなさい」
「火を出せるならっ! カボチャの馬車も出せるのかしらっ!?」
少女は顔を上げ、くわっと眼を見開き男に問う。男は少女の迫力に若干たじろぐが、態とらしく咳払いをして申し訳なさそうに切り出した。
「あー……残念だが、儂にはカボチャの馬車は出せん」
「……そうなんですの」
「そんな目に見えてがっかりする事なかろう!」
案外現金な子だ、と男は溜め息を吐く。
「なら、仮にカボチャの馬車を出せる魔法使いがいたとして――」
「妙にカボチャの馬車に拘るな?」
「だって、カボチャの馬車は乙女の浪漫ですもの。……続けますわよ。――その魔法使いに師事すれば、わたくしもその魔法を使えるようになりますの?」
少女がそう問うと、男は我が儘を言う孫を諭すように、首をゆっくりと左右に振った。
「根本的にお嬢ちゃんは勘違いをしとる。儂らの使う魔法というのは、そんな万能なものじゃない。一つの魔法で起こせる事象は一つのみだ。例えば、今儂が使った魔法では、火を起こす事しか出来ん。まあ、火力の調節くらいは出来るがな」
男は箸休めでもするかのように再び煙管を吹かし、一服してから更に続ける。
「それと、魔法――少なくとも儂が使ったようなやつはだが――は誰かに師事して教えを乞うて習得するようなものでもない。神の恩恵と鍛錬によって自らの才能を開花させる事で――って何だ? 呆けたような顔をして」
「今、神の恩恵と仰いまして?」
「ああ。正確には
「ちょっと待ってくださいまし。……もしかして、『お天道様が見てる』みたいな……何かを神格化して言ってるだけの事では……?」
「違う、違う。『暇潰し』なんて理由で天界から降臨した本物の神々だよ。今から千年くらい前だったか、最初の神が現れたというのは。まあ、流石の儂も当時は生まれてすらいないから、実際にこの眼で見たわけじゃないがな」
「――――――――」
少女は、今度こそ絶句した。しかし、そんな少女の様子を見て、男も真顔になって少女に問い掛ける。
「何だ? もしかしてお嬢ちゃん、本当に神を見た事ないのか?」
「そんな風に気軽に尋ねられても、正直反応に窮しますわね……」
少女は頭痛でもするのかこめかみを押さえる。
「では、神の誰かと契約を結べば、わたくしでも魔法を使えるように――いえ、それだけでは駄目なのでしたわね。鍛錬……つまり、己を成長させなければ、契約しただけでは魔法を使えるようにはならない……?」
「ほう? やはり儂の見込んだ通り、お嬢ちゃんは聡明な子だ。頭の回転が速い」
「それはまあ……これでも、一応大学は出ていますので」
「大学……?」
今度は男の方が首を捻る番だった。
「まあ、それは良いか。――兎も角、神と契約する事でその神の
男は煙管をひっくり返して灰を落とし、新しい煙草を詰めてから、先程と同じように魔法を唱えた。
「ふぅ~。……それと、どんな魔法を使えるようになるのかは、本人も解らぬし、神でさえ知り得ん。儂が炎の魔法を操るのもまた、偶然……或いは運命、か。だから、さっき儂はお嬢ちゃんに、お嬢ちゃんは運命論者なのか、と問うたのだ。――おっと、信じては駄目だぞ? これは流石に後付けだ。……そう怖い顔をするでない。夢に出てきそうだ」
男は嘆息すると、遠い昔を思い出すように皺を深くする。
「儂の主神――二柱目の方だが――も、怒ると今のお嬢ちゃんとそっくりな顔をしおった。いやはや、美人の睨みは蛇すら石に変えるの。……まあ、魔法に興味が湧いたのなら、オラリオを目指してみると良い。あそこは世界の中心だ。神も大勢居る。神と契約し、神の恩恵を得て冒険者となる――それが、魔法を習得する一番の近道だ」
「オラリオ……冒険者……」
少女は瞼を閉じて小さく反芻すると、やがて小首を傾げて男に尋ねた。
「冒険者って、何をする職業なのかしら……?」
「平たく言えば、
「……それは可笑しいですわ」
「可笑しいとは?」
「だって、魔物は既に
少女が膨れっ面で言うと、男は思わずといった風に失笑した。
「くっくっくっ。まあ、お嬢ちゃんがそう思うのも無理はない。だが、迷宮で生み出される魔物と、地上に住み着く魔物は別種に近いのだ」
「そうなんですの。――おじさまも冒険者なのですわね」
「いや、冒険者稼業はもう引退して久しい。お嬢ちゃんの言った通り、今の儂は只のしがない商人だ。だが、【
「いえ……御免なさい。そんな事はありませんのよ? でもわたくし、職業柄どうにも疑り深くなってしまって……」
少女が申し訳なさそうに謝罪すると、男は片方の眉を吊り上げてみせた。
「ほう? お嬢ちゃんの職業か。興味深いが、聞かなかった事にしよう。それよりも、だ。人を疑うというのを悪い事のように思う者がどうにも多いが、儂はそうは思わん。無条件に他者を信じる方がどうかしとる。――良いか? 何でもかんでも信じてしまうようなヤツはな、悪い商人の恰好の獲物だ。そうだろう?」
「悪い商人? それって、もしかするとおじさまの事かしら?」
「馬鹿者め。儂ほど清く正しく商売やっとる商人はそうそう居らんぞ?」
男が大真面目な顔でそう言うと、少女は堪え切れなくなったのか小さく吹き出した。
「……ようやく笑ったな。世の中憂い顔の方が映える美人も居るが、お嬢ちゃんは違う。お嬢ちゃんは、そうやって笑っている方がずっと綺麗だ」
「……もしかして、今わたくし口説かれているのかしら?」
「はっはっはっ。儂のような
「…………」
実は結構心動かされていた少女ではあったが、悔しいので頬の赤みは焚き火のせいにした。