姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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「『私の可愛い子。お母様は、もう貴方の傍にはいられないの。けれど、天国からいつも貴方を見ているわ。私のお墓の傍らに、小さなハシバミの木を植えなさい。そして、何か欲しいものがあれば、その木を揺するの。どうしても、どうしても困った事があったなら、その時は助けを求めなさい』」

 

 子供に語り聞かせるような、ゆっくりとした優しい口調。本来眠気を誘うであろうその声は、しかし、今は寧ろ意識を覚醒させていく。母は一度たりとも、こんな風に絵本を読んでくれる事はなかった。

 声の主は、何か絵本を読んでいるのだろう。これは――そう、『灰被り(シンデレラ)』だ。

 

「『私の死をどうか悲しまないで。いつも神様に祈りを捧げて、何があっても、誰かを怨んではいけません。神様は善良な人を助けるの。善良でなければ、酷い罰を下される――どうか、それを忘れないで』」

「……それはリリに対する皮肉ですか?」

「あら、目が覚めましたのね?」

 

 まるで今気が付いたとばかりに少女は言うが、白々しいにも程がある。何故なら、これは物語の冒頭部分。灰被りが母と死に別れる場面なのだから。

 少女がパタリと本を閉じ、足を組み替える姿をリリルカは黙って睨め付ける。

 部屋は薄暗く、机の上に置かれた燭台の明かりがぼんやりと互いの姿を照らす中、向かい合うように椅子に座っている。両者の違いは、只一つ。こちらの両手両足が、縄によって縛られているという点だけだ。

 そこまで冷静に分析してから、リリルカは内心首を傾げる。一体、この少女の目的は何だ。まさか、善良な人間になれと説教がしたい訳ではあるまい。

 

「わたくしの家の庭にハシバミの木はありませんでしたけど、代わりに小さなバラ園がありましたわ。白い薔薇、母が好きだったの」

 

 相も変わらずこちらの問いには答えずに、懐かしむように少女は言う。

 

「父は、今でも母を愛しているのだと思いますわ。使用人に任せずに、今でも自ら手入れをするくらいですもの。……だからこそ、わたくしの事がお嫌いなのでしょうね。わたくしを産んだから、母は身体を壊して亡くなった。わたくしの母との思い出は、病床で読んでくださった絵本の数だけ」

「……まともな思い出があるだけマシじゃないですか」

 

 リリルカは苛立たしげに言う。

 こんな話を自分に聞かせてどうしようというのか。同情でもしてほしいのか。その程度で不幸などと笑わせる。

 いいではないか、父に愛されてなくても。少なくとも母には愛されていたのだから。

 

(リリは……どちらにも……)

 

 両親との思い出など自分にはない。思い出したくもない。

 

「ですから、子供の頃は母との思い出の絵本を何度も読み返しましたわ。それこそ、諳んじられるまで。特に、わたくしはこの灰被りが好きで、いつの日かわたくしの元にも王子様がやって来てくれるのではないかと夢見たものですわ」

「……へぇ。夢は叶いましたか?」

 

 随分と世間知らずで能天気な夢だ。余りにも馬鹿らしくて、失笑混じりに少女に問う。

 

「いいえ。何年待っても一向に現れなくて、残念ながらタイムリミッドを迎えてしまいましたわ。ガラスの靴を置き忘れる事もなく、城から逃げ出したの」

 

 何かの比喩――いや、言葉遊びだろうか。

 リリルカが何も言えずにいると、構わず少女は続ける。

 

「けれど、考えてみれば虫のいい話ですわよね。向うの方から現れてくれるのを待つなんて。――物語と現実は違う。本当に欲しいなら、自分から手を伸ばさなくてはね」

「…………」

 

 少女の言葉は、リリルカの胸の奥の方にちくりと刺さった。少女にそんな気はないのだろうが、まるで自分が糾弾されているような気分だった。

 しかし、少女はリリルカの内心など知る由もなく、ハッとした表情を浮かべると、次いで自嘲するように笑った。

 

「あら、御免なさい。わたくしったら、自分の事ばかりぺらぺらと話してしまいましたわ。今まで、同年代、特に同性の友達っていた例がないの。だから舞い上がってしまって……ご容赦くださいましね」

「友達いなさそうですもんね。いいですよ、別に。さっさとこの縄を解いて解放してくれるなら、リリは気にしません」

「流石に、そういうわけにもいきませんわね」

 

 少女はそう言って、机の上からナイフのようなものを取り上げる。

 リリルカにはそのナイフに見覚えがあった。

 

「そ、それはリリの魔剣! 返してください!」

「わたくしを燃え殺すのに、こんな物騒なもの必要ありませんわ。貴方の魔法で猫耳と尻尾を生やせばそれで事足りるのですから」

「……は?」

 

 この少女は、一体何を言っているのだろう。

 先ほどまでとは別の意味で、リリルカは困惑する。

 

「ところで、猫耳メイドに興味はありまして?」

「ありませんよ! というか、さっきから真顔で何を言ってるんですか!?」

「試しに、語尾に『にゃん』と付けてみて貰えないかしら」

「付けませんよ!? あと何地味に可愛く言ってんですか! 勝手にマイブームにでも何でもしてください!」

 

 思わず大声で叫んでしまい、喘ぐように息を吐く。

 そんなリリルカを尻目に、少女はそのルベウスの瞳を煌めかせる。

 

「この打てば響くようなツッコミ! 嗚呼、やはり、わたくしの目に狂いはありませんでしたわ。わたくしが捜していたのは、丁度貴方のような人材でしたのよ」

「…………」

「あら、またわたくしとした事が。突然こんな事を言われたら、驚くのも無理ないですわよね」

「ええ、確かにリリは驚いてます。驚き呆れてますよ」

「実は、迷宮で彼とわたくしの二人きりだと、わたくしのボケ倒しになってしまって……。誰も突っ込んでくださらないと、まるでわたくしが馬鹿みたいではありませんの!」

「リリがいつ説明を求めましたか!? それに、敢えて言いますけど、馬鹿みたいじゃなくて馬鹿そのものだとリリは思います!」

 

 言ってから、しまったと後悔する。

 余りにも馬鹿馬鹿しくて、つい本音を口走ってしまった。生殺与奪の権利を奪われたこの状況で相手を罵倒するなど、それこそ馬鹿のする事だ。――と思ったが、思い直せば先ほどから悪態を吐きまくっている。

 

「酷いですわ! わたくしが馬鹿だなんて、馬と鹿に失礼ですわ!」

「何で更に自分で自分を貶めてるんですか!?」

「いえ、わたくしって勘違いされ易いのですけど、どちらかといえばサドではなくマゾなのですわよね」

「いきなり性癖カミングアウトしないでくれますか!?」

「ということで、是非貴方をうちのファミリアに勧誘したいのですけど、どうかしら?」

「何が、といことで、ですか! 嫌ですよ絶対!」

 

 ぜぇぜぇ、とリリルカは荒く呼吸を繰り返す。こんなに叫ぶなんていつ以来か。

 

「えぇ……こんなに頼んでいますのに? なら、貴方がこそ泥なのとその手口をばらしてしまおうかしら?」

「ここに来て脅し!? こんな馬鹿げた脅迫リリは聞いたことありませんよ! 前代未聞です!」

「昔、お父様が仰っていましたわ。欲しいものが目の前に転がってきたのなら、決して手を伸ばすのを躊躇うな、と」

「いや、そこは躊躇ってください! 大いに躊躇してください!」

 

 何だ。何だ。何なんだ。

 この少女と話していると調子が狂う。まるで調律の失敗したピアノのように、可笑しな音ばかり奏でてしまう。

 

「でも、これは貴方にとっても決して悪い話ではありませんのよ? 毎月不自由なく暮らせるだけのお給金を支払う事を約束しますわ。貴方だって、盗みをしたくてしているわけではないのでしょう?」

 

 当たり前だ。誰が好きで盗みなんて――。

 本当に、好きでやっているのではないと言えるだろうか。

 ざまぁみろと、一度でも思った事がないと言えるだろうか。

 言えない。言えるわけがない。

 

「……? どうかなさいまして?」

 

 俯いたのを不審に思ったのか、少女がリリルカに尋ねる。

 

「そんな都合のいい話があるわけ……。貴方も、リリを騙そうと――」

「わたくしが、嘘を吐いてるように見えまして?」

「そ、それは……」

 

 確かに、少女が嘘を吐いているとは思えない。この美女は、真正のアホの子であるとリリルカは確信している。しかし、

 

「貴方は良くても、他の団員の方もそうだとは限らないでしょう。第一、主神様がお許しになるとも思えません」

「そうですわね。その辺り、面倒な制約があるのでしたわね。まあ、それは追々解決するとして、わたくし以外の団員は一人しか居りませんから、彼と顔を合わせればそれで済みますわ」

 

 随分と、簡単に言ってくれる。

 

「貴方のファミリアに入る事が決定事項のようになってますけど……まだリリは、受けるなんて一言も言ってませんが」

「拒否権があるとでも?」

「…………」

「冗談ですわよ。本当に嫌なら、断ってくれても構いませんわ。けれど、貴方は必ずわたくしたちのファミリアに入る事になる」

「……随分と自信満々ですね」

「ええ、わたくしには見えていますから」

 

 そう言って、少女は意味ありげに微笑む。

 ――本当に、馬鹿馬鹿しい。

 

「ここに彼との待ち合わせ場所が書いてありますわ」

 

 折り畳んだ紙に重ねるように魔剣を机の上に置くと、少女は椅子から立ち上がった。

 

迷宮(ダンジョン)に潜る事になると思うから、そのつもりで準備をしておいてくれると嬉しいですわ」

 

 言うべき事は言い終えたとでも言うように、少女は真っ直ぐ扉の方へと歩いていく。しかし、ドアノブに手を添えたところで振り返り、

 

「ああ、言い忘れてましたけど、わたくしがマゾというのは真っ赤な嘘ですわ」

「この大嘘吐きィ!!」

 

 前言撤回。真っ赤というか真っ黒だった。腹黒だ。

 ふふふっ、と楽し気に笑って、少女は部屋から出て行った。

 ――いや、ちょっと待て。

 

「ちょっと!? これ! 縄解いてください!」

 

 叫んでみるが、少女が戻って来る事も、ましてや返事もなく。

 

「このっ! え~っと……あれ?」

 

 思えば、少女の名前さえも聞いていない事に、リリルカは今になってようやく気が付いた。

 




?「猫耳の悲しみを癒すのは猫耳しかない」

という事で、猫耳とツッコミ要員確保の為の勧誘回になりました。前回後書きで尋問とか書いた手前、肩透かしになってしまった感は否めませんね。

先週は投稿出来ずすみませんでした。来週は諸事情で少々忙しいのですが、恐らく投稿出来るだろうと思います。

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