姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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断章一
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「小娘一人見付け出せないとはどういう事だ!?」

 

 赤毛の青年が卓に拳を打ち付け怒鳴り声を上げる。怒鳴られた小太りの男は、額に脂汗を浮かべて弁解する。

 

「し、しかしながら殿下……! 相手が相手だけに大々的に捜索するわけにもいかず、何より国外となると……!」

「言い訳は聞き飽きたわ! 一体何ヶ月前に追っ手を放ったと思っている!? これだけ時間をかけておきながら居場所を特定出来ぬなど、諜報員が聞いて呆れるぞ!!」

「そ、それは……」

 

 赤毛の青年の指摘は尤もだった。諜報員とは情報収集のプロである。それが成人を迎えたばかりの右も左も解らぬ娘一人捜し出す事が出来ないというのだから、無能と謗られても仕方あるまい。但し、その前提が正しければ、の話だが。

 現段階になっても、判明している情報は極めて少ない。

 一つは、娘が貿易船に紛れ込み、東の大陸に密航したらしい事。これは、積み荷の一つだった保存食が食い荒らされ、代わりに数枚の硬貨が残されていたという酒場での噂話を捜索隊の一人が偶然耳にした事で判明した。その話を口にした船員は、随分と気前のいい鼠がいたものだと普段より上等な酒を飲んで笑っていたという。

 これは捜索隊にとっては完全に想定外だった。捜索隊は当初、対象は国内に身を潜めているものとばかり思っていた。

 

「おいおい、俺らが捜しているのは慎ましやかなお嬢さんじゃなかったのか? とんだじゃじゃ馬じゃねぇか」

「違いない。見付かった暁には、今度は逃げ出せないように手綱をしっかり握ってやらないとな」

 

 しかしこの頃はまだ、そんな軽口を叩けるくらいには彼らにも余裕があった。

 娘の足跡を辿り、捜索隊が向かったのは東の大陸のとある港町だった。聞き込みを行ってみると、驚く事に住人の多くが娘の事を覚えていた。何でも、非常に目立つ格好をしていたらしい。

 ここでまた一つ、有力な手掛かりが見付かった。マイクという男の証言によれば、娘は彼から大枚を叩いて馬を購入したらしい。また、その時には既に、娘の服装は目立たないものに変わっていたという。

 その後も聞き込みを続け、娘が東の方角に向かったらしい事までは解った。だが、そこまでである。捜索範囲は余りにも広く、また娘が町を訪れてから既に二週間が経過していたのも痛かった。おまけに――。

 

「な、何だこの化け物は!?」

魔物(モンスター)だ! 逃げろ、逃げろォ!!」

「ぐああああああああああ!」

 

 運悪く『リザードマン』の群れに襲われ、捜索隊は半壊した。彼らにも戦闘の心得はあったが、所詮それは人間相手のもの。怪物と戦うなど、正気の沙汰ではない。これは英雄譚ではなく、しがない諜報員の物語なのだから。

 その後は捜索隊の規模を更に縮小せざるを得ず、碌な手掛かりも見付からぬまま現在に至る。

 

「や、やはり、アイリス殿下は既に亡くなっているのではないかと……」

「滅多な事を言うものではないぞ、アルバート公」

 

 と、今まで沈黙を守っていた黒髪の青年が、小太りの男――アルバートを諫めた。

 

「し、失礼しました! 何卒お赦しを!」

 

 アルバートは自分の発言が意味する事に気が付き、二人の青年に向かって何度も頭を下げる。頭頂部が禿げ上がる年の頃の男が青年に頭を垂れる様は、傍目から見れば異様な光景に映るだろう。だがそれは、アルバートと青年たちの地位の違いを如実に物語っていた。

 赤毛の青年はアルバートを見下しつつ、小馬鹿にするように口の端を歪める。

 

「ハッ。あいつがその程度で死ぬ玉かよ。蛙の子が蛙であるように、魔女の娘も等しく魔女だ。案外、その怪物とやらも上手い具合に手懐けて――」

「お前も口が過ぎるぞ、ジュリアス。たとえ母が違おうと、アイリスが妹である事に変わりはない。それは、私にとってお前が弟であるのと同じ事。肉親を悪く言うものではない」

 

 黒髪の青年が赤毛の青年――ジュリアスを窘めるが、ジュリアスは一転、然も可笑しそうに腹を抱えて笑い出した。

 

「ハハハッ! おいおい兄貴、アンタそれ本気で言ってるのか? 世の中の兄貴は、妹に性的な視線を向けたりしねェよ」

「ジュリアス、貴様……!」

「気付いてないとでも思ってたのか、フェルディナント? アンタ、アイリスの結婚に最後まで反対してたよな? そりゃそうだ。自分が惚れた女を他の男に取られたくはないよなァ? しかもあんなジジイに穢されるのかと思えば、(はらわた)煮えくり返る気分だった事だろうよ」

 

 ジュリアスは哄笑し、更に挑発を続ける。

 

「まあ、確かに顔はいいからなァ。しかも、小柄な割に胸も尻もデカいときてる。餓鬼っぽい性格だけが難点だが、それも抱くだけなら関係ないしな。けどよ、普通は勃たねェだろ。幾らイイ女でも、所詮は妹だからな。どうしても、本能的に歯止めがかかっちまう。つまり歯止めの利かねェアンタは充分に異常者ってわけだ。これも魔性のなせる業かね?」

 

 そこまでが限界だった。

 黒髪の青年――フェルディナントは椅子を倒して立ち上がると、腰に帯びていたサーベルを抜き放ちジュリアスに向けた。

 

「貴様、覚悟は出来ているだろうな?」

「図星を指されて頭に血が上ったか、フェルディナント? その物騒なものを早く仕舞え。アルバートが狼狽えているぞ?」

「知った事か。私に対する暴言を撤回しろ。然もなくば、この場で殺してやる」

「王子の言葉とは思えないな」

「貴様が言えた義理か」

 

 一触即発の空気――。それを打ち破ったのは、勢いよく開け放たれた大扉と闖入者の第一声だった。

 

「おやおや、お取込み中でしたか? これは失敬。出直す事に致しましょう」

「待て、待て待て待て! 出直さなくてよいファウスト伯! 戻って来い!」

 

 回れ右をして帰ろうとする燕尾服をアルバートは慌てて止め、これ幸いとばかりにフェルディナントに忠言する。

 

「殿下、どうか剣をお収めください。交渉の結果次第では、アイリス殿下をガレリアへ嫁がせる必要はなくなります。そうだな、ファウスト伯?」

「ええ、確かに。実際、アイリス殿下を嫁に出す必要はもうなくなりました」

「そ、それは誠か? いいだろう、聞かせてくれ」

 

 フェルディナントはサーベルを鞘に納めると、椅子を戻して着座した。ジュリアスも、驚きつつも聞く態勢に入る。アルバートはホッと胸を撫で下ろした。

 燕尾服の男――ファウストは、被っていたシルクハットを外し、何処か芝居染みた動作で恭しく礼をする。

 

「フェルディナント殿下にジュリアス殿下、ご尊顔を拝し恐悦至極――」

「前置きはいいからサッサと話せ」

 

 ジュリアスに急き立てられ、ファウストは挨拶を中断し頭を上げた。

 

「では、簡潔に。先方に最後通牒を突き付けられました。ガレリアは我が国に宣戦布告するそうです。正式な表明は後日改めて宣言されるかと存じます」

 

 誰もが、自分の耳を疑った。

 フェルディナントは引き攣った笑みを浮かべる。

 

「ファウスト伯、冗談が過ぎるぞ。……笑えない冗談だ」

「ジョークならよかったのですが、残念ながら紛れもない事実ですよ」

 

 あくまでも淡々と答えるファウストに、次の瞬間、アルバートが掴み掛った。

 

「馬鹿な! 有り得ん! たかだか婚儀が破綻したくらいで宣戦布告だと!? そんな話、儂は信じんぞ! 我らを謀るのは何が目的だ!? 言え!」

「信じようが信じまいが、現実は変わりませんよ。それと、襟首を掴まれると苦しいのですが」

「貴様……!!」

「取り乱すな、アルバート」

 

 冷や水を浴びせるように冷静にそう言ったのは、意外な事にジュリアスだった。

 

「解らん話でもないさ。今まで従順だった羊が、突然反旗を翻したんだ。ご主人様としては我慢ならんだろうよ」

「ふざけるな! 我が国は独立国だぞ!? ガレリアの属国ではない!」

 

 皮肉るジュリアスに、フェルディナントが食ってかかる。しかし、ジュリアスは尚も嘲るように続ける。

 

「確かにな。兄貴の言う通り、我が国は独立した主権国家だ。だがな、軋轢を回避する為とはいえ、長年に渡って朝貢染みた真似をしてきたのは紛れもない事実だ。どんな命令でも二つ返事で聞く馬鹿がいたとしたら、ソイツを奴隷か何かだと勘違いするのは無理もない事だろうよ」

「くっ」

 

 反論出来ないのか、フェルディナントは口を噤む。

 

「だがここに来て、従順だった奴隷が初めて命令を無視しやがった。驚くと同時に、怒りが込み上げてきた事だろうな。まあ、奴隷にも言い分はある。貢ぎ物が足を生やして逃げ出すなんて完全に不測の事態だ。でもな、ご主人様にとっては、奴隷の事情なんぞ知った事じゃないんだよ。命令違反という事実があるだけだ。そりゃ折檻されるだろうよ」

 

 そして、ジュリアスはニヤリと笑う。その眼光は、肉食獣のそれだった。

 

「だが、こちとら奴隷でもなけりゃ羊でもないんでな。折檻されるのを大人しく待っててやる謂われはねェ。殴ってくるなら、殴り返すまでだ」

 

 獰猛な笑みを浮かべたまま、ジュリアスはファウストに尋ねる。

 

「この事を親父には?」

「いえ、まだご報告していませんが」

「なら、直ぐに報せに行け。自室に引き籠っているはずだ」

「御意に」

 

 ファウストは身を翻し、応接間を出て行く。

 

「それから、アルバート」

「な、何でございましょう?」

「明朝議会を招集しろ。くれぐれも内密にな」

「お、仰せの通りに!」

 

 アルバートも大慌てで応接間から出て行き、室内には兄弟二人だけが取り残された。

 

「さあ、始めようか」

「な、何をするつもりだ?」

「決まっているだろう。――反撃だ」




【西の大陸】

オラリオがある東の大陸とは海を隔てており、移動手段は船のみである。しかし、この海域は潮の流れが複雑で、古くは難破船が絶えなかった。近年ハイランド王国で蒸気船が発明された事で東の大陸と交易が始まる。
人種はヒューマンのみ。魔物が生息しておらず、従って魔石も存在しない。その為、独自の文化が形成されている。

【神聖ハイランド王国】

アイリスの母国。建国以来君主制を採用しており、ハイランド家の当主が代々国王として国を治めている。
国土を海と山に囲まれ、唯一国境が接している隣国のガレリアから一方的に搾取されている。
資源に恵まれており、特に科学技術に関しては目覚ましい発展を遂げている。
初等教育を行う小学校と、高等教育を行う大学が存在する。

首都:アルケニア

セントフィエナ城:ハイランド家が住まう白亜の城。多くの使用人が従事し、また警備も厳重である。

通貨:ユルド(金貨・銀貨・銅貨とあり、通称ハイランド~)。貨幣価値は金貨一枚で約一〇万ヴァリス相当。

【ガレリア】

ハイランド王国の隣国。支配体制が変わる度、国号もその都度変更している。
国土面積はハイランド王国の六倍、人口は四倍。また、多民族国家である。
強大な軍事力を保有しており、外交は極めて高圧的。
アイリスとの婚姻を持ち掛けるが、当人が出奔した為に縁談は破綻。一触即発の状況が続いている。

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