姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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 ベルたちが夕食に訪れたのは『豊穣の女主人』だった。既に店に戻っていたシルに無事財布を手渡し、その後は細やかながらアイリスの歓迎会を催した。この三日間碌に眠っていないヘスティアは終始テンションが高くベルを困惑させたが、アイリスは心底楽しげだった。賑やかな食事は随分と久し振りの事だった。

 食事を終えて家路につく。酒で火照った身体を夜風が撫でる。暫く三人並んで歩いているとホームである廃教会が見えてきた。

 

「ベル君、先に帰っていてくれるかい? 爆睡したいのは山々だけど、アリス君の【ステイタス】を更新しないといけないからね。どうせ君たち、明日も迷宮(ダンジョン)に行くつもりなんだろう?」

 

 それくらいはお見通しだよ、とヘスティアは苦笑する。

 

「解りました。それじゃあアリスさん、また明日。お休みなさい」

「ええ、お休みベル」

 

 ベルと別れ、二人はアイリスのアパートへとやって来た。たった半日振りの事だが、アイリスは随分とこの部屋が懐かしく、また安らぎを感じた。

 

「眠気覚ましにコーヒーでも淹れましょうか?」

「いや、要らないよ。――それより、これでやっと二人きりになれた。君に色々と訊いておかなきゃいけない事があるんだ、アイリス君」

「……色々、とは具体的にはどのような事でしょうか?」

「そうだねぇ……例えば、背中の【神聖文字(ヒエログリフ)】が何で真っ赤に変色してるのか、だとかかな」

 

 そう言われ、アイリスは危うくコップを落としそうになった。

 

「い、今なんと仰いました?」

「気付いてなかったのかい!? まあ、無理もないか。自分の背中を自分で見る事は出来ないからね」

 

 アイリスは部屋に置かれた姿見と手鏡を使って己の背中を映し見る。ヘスティアの眷属(ファミリア)になったあの夜にも、同じようにして自分の背中に刻まれた文字を確認していたが、その時は黒かった文字が確かに真っ赤に染まっていた。

 

「……どういう事なのでしょう?」

「こっちが聞きたいよ。何か心当たりはないのかい?」

 

 ヘスティアにそう尋ねられても、アイリスは直ぐには声を発する事が出来なかった。心当たりはある。あり過ぎると言ってもいい程だ。だが、果たして信じてくれるだろうか。

 そう不安に思っていると、ヘスティアはアイリスの内心を見透かすように苦笑を浮かべる。

 

「ボクには君が言ってる事が嘘か本当なのか解らないけれど、だからこそ信じる事に決めたんだ。関係がありそうな事は、どんな些細な事でもいいから話してほしい」

 

 真摯な瞳で見詰められ、アイリスは自分の頬が熱くなるのを感じた。少しでも誤魔化そうと考えた自分が恥ずかしかった。

 言われた通り、アイリスは事の発端と思われる数日前に見た夢の話から、新種の魔物(モンスター)と戦いアイズの助力を得てこれを仕留めた事、戦闘中に聴こえた幻聴の事まで包み隠さず語った。

 

「背中に感じた激痛か……。今はもう痛くはないんだよね?」

「ええ」

「なら試しに、その盾の魔法というのをこの場で使ってみてくれないかい? もしもまた痛むようなら、早めにミアハに診てもらった方がいいだろうからね」

 

 ヘスティア曰く、自分の知る限りミアハ以上に医術に長けている神はいないのだという。『神の力(アルカナム)』を封じた今の状態でも、視診などは問題なく出来るらしい。それならば病院でもやればいいのにとアイリスは思うが、考えてみればポーションによって怪我の大半は治ってしまうし、冒険者の多くは病気で死ぬ前に魔物によって殺されてしまう。オラリオでは医者の出る幕はないのだ。

 

「解りましたわ。……では、少し離れてくださいまし」

 

 恐怖がないわけではなかった。再びあの激痛に襲われるかもしれないと思うと足が竦みそうになる。しかし、先ほどとは大きく異なる点が二つ。一つは、痛みを感じれば直ぐにでも魔法を中断出来る事。そして、二つ目にして最大の違いは、今のアイリスは独りではないという事だ。心許せる人間が傍にいるというのは、それだけで萎えそうになる心を奮い立たせてくれる。

 アイリスは小さく深呼吸をしてから、左手を前方に突き出し呪文を口にした。

 

「【我が身を護れ】」

 

 王女の祈りに応え、掌から蛍火が溢れ出す。薄暗い室内をぼんやりと揺蕩(たゆた)いながら、次第に一箇所に集まっていく。

 

「【イージス】」

「っ!?」

 

 その魔法名を聞いて愕然とするヘスティアを尻目に、再び光の盾は顕現した。今度は、身体の何処にも異常は感じない。幻聴が聴こえるという事もなかった。

 

「ふぅ……。問題は……ないようですわね?」

 

 安堵の溜め息を零しつつ、アイリスは開いていた掌を閉じた。それに伴い、盾は一瞬にして光の粒に戻り薄闇に溶けて消えていく。

 

「こうなると、やはり【神聖文字】の変色が痛みの原因と推察出来ますけど、ヘスティア様の方こそ何か心当たりはありませんの? ……? ヘスティア様?」

「へっ!? な、何だい!?」

「いえ、ですから何か心当たりはないか、と尋ねているのですけど……」

「ない! ないよ!? 何もない!!」

「……そうですの」

 

 どうにも、先ほどからヘスティアの様子がおかしい。そうは思いつつも、神を詰問するのもどうかと思いアイリスは押し黙る。

 

「と、取り敢えず【ステイタス】を更新してみようか! 君が見た夢や聴いた幻聴が何某かの神の能力によるものなら、『神の恩恵(ファルナ)』が何らかの変調をきたしてる可能性があるからね。ほら、解ったらサッサとベッドに移動するんだ!」

「え!? 嫌だ、わたくし、まだ心の準備が……」

「そのボケにはもう突っ込まないからね!?」

 

 ヘスティアに背中を押される形で、アイリスは隣の寝室に移動した。

 部屋の内装はリビングと変わらないが、ゴチャゴチャと物が置かれていないだけで随分と印象が変わる。が、どちらにせよ、やはり女の子の部屋という感じではなかった。家具は少し大きめのベッドと衣装ダンス、それから物書き机があるだけで、リビングとは対照的に物が少な過ぎるようにヘスティアには思えた。

 

(必要なものだけ持てば、いつでも逃げ出せる構えだね)

 

 その日が来ない事を祈りつつ、ヘスティアはアイリスをうつ伏せの状態でベッドの上に寝かせ、その後アイリスの腰に跨った。

 

「うっ……胸が苦しいのですけど」

「直ぐに終わらせるから我慢してくれ。――さあ、始めるよ」

 

 チャリッ、と僅かな金属音がアイリスの耳に届く。

 懐から針を取り出したヘスティアは、自らの指に軽く突き刺し、アイリスの背中に溢れた出たそれを滴り落としていく。神が流す聖なる血液――即ち『神血(イコル)』を。

 次いで、ヘスティアは血液を落とした箇所を中心に指を這わせ、刻印を施していく。

 

「んぁっ」

「変な声出すなよ!」

 

 音声のみ聞けば嬌声と勘違いしそうな声を出すアイリスにヘスティアは顔を顰めつつ、その後は無言で作業を続けていく。

 やがて、【神聖文字】が淡く発光し、書き換えが完了した事を告げた。相変わらず文字は赤いままだったが、『神の恩恵』そのものには異常がない事にヘスティアは安堵した。

 

(さて、【ステイタス】はどうなって――)

 

 しかし、安堵も束の間、ヘスティアの思考は空白に埋め尽くされる。

 

 アイリス・F・ハイランド

 Lv.1

 力:H109 耐久:I0 器用:D504 敏捷:G283 魔力:H176

《魔法》

【イージス】

・詠唱は『我が身を護れ』。

・光の盾を形成する。

 

 (むら)が酷いものの、全アビリティ熟練度、上昇値トータル一〇〇〇オーバー。

 だが、これはまだ許容の範囲内だ。【ステイタス】が完全に白紙状態だった事を思えば、獲得した【経験値(エクセリア)】の量次第で充分に起こり得る。実際、アイリスは殆ど単独で大型の魔物を倒してみせたという。得られた【経験値】の量は相当なものだったはずだ。

 また、魔法の方も簡潔に書かれているだけで特に突っ込みどころは見当たらない。少なくとも、魔法名以外は――の、話だが。

 問題は、この次だった。

 

《スキル》

魔弾の射手(デア・フライシュッツ)

・自動装填

 ・弾丸と弾薬を自動的に装填する。

 ・『装填』と念じる。口に出す必要はない。

魔弾(フライクーゲル)

 ・射手の望んだ場所へ必中する。

 ・但し、弾丸その物が消滅すればその限りではない。

 ・使用に際しては、『装填』の後に『魔弾』を追加する事。

・残弾:6

 

 まずヘスティアは、文字を読むという段階で大きく躓く事になった。

 

(何だよこれ!?)

 

 ヘスティアに理解出来たのは、末尾に書かれた六という数字のみだった。それ以外は何と書かれているのか、皆目見当も付かない。

 書かれている文字が、ヘスティアの慣れ親しんだ【神聖文字】である事は疑いようがない。只、文字は同じでも、読み方が決定的に異なるのだ。まるで、別の言語(、、、、)を書き表しているかのように。

 そして、極め付けは――。

 

「【ランクアップ】可能……」

 

 呆然として、ヘスティアは思わず呟いた。

 『偉業』の達成による、高次への昇華。それ自体は、特段珍しい事ではない。だがアイリスの場合、余りにも早過ぎるのだ。

 オラリオの短くない歴史の中で、Lv.2到達最速記録保持者は他ならぬ【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインである。しかし、そんな彼女でも、そこに至るまでには一年の時を要したという。対して、アイリスが【ランクアップ】に要した時間は僅か数日。しかも一日中迷宮に潜っていたわけもなく、実際に要した時間は更に短くなるはずだ。

 

「……いい加減冗談抜きで辛いのですけど、まだ終わりませんの?」

「え!? ああ、ごめん、もう大丈夫だ。直ぐ退けるからちょっと待ってくれ!」

 

 ヘスティアが慌ててベッドから跳び降りると、アイリスは緩慢な動作でのそりと起き上がった。そして、怨めしそうな目付きでヘスティアを見やる。

 

「これでもしも形が崩れたら、ヘスティア様には責任取っていただかないと。わたくしがプロポーションを維持する為に日々どれだけ苦労していると――」

 

 それ以降はヘスティアには聞き取れなかったが、アイリスの鬼気迫る雰囲気に背筋が寒くなる。

 

「あー……君に訊きたいんだけど、君の立場上目立つのは極力避けたいところだよね?」

「ええ、見付かって連れ戻されるなんて御免ですもの」

「なら【ランクアップ】は当分見送った方がいいかな。アビリティの熟練度は【ランクアップ】後も持ち越されるから、出来る限り上げておいて損はないしね」

 

 アイリスに筆記用具を借り、ヘスティアは【ステイタス】を共通語(コイネー)に訳して書き記していく。

 

「取り敢えず、目標は耐久をGまで上げる事。ベル君に聞いたよ。君、自分は射手だとかボクには言っておいて、近接戦闘もちゃっかりしてるらしいじゃないか。強烈なの一発貰う前に、弱い魔物相手に慣らしておくのが賢明だとボクは思うよ」

「善処しますわ」

「それと、君の魔法は使える場面なら積極的に使っていく事。消費が激しいようだから、やっぱりこれも地道に上げていかないとね。詳しい話はギルドの子にでも訊いてくれ。――あと、これ」

 

 【ステイタス】の書き込まれた羊皮紙と一緒に、所々破けてしまった包みをアイリスに手渡す。

 

「これは……?」

「魔物から逃げてる途中で包装はボロボロになっちゃったけど、中身は無事なはずだから」

 

 開けてみてくれ、というヘスティアの指示に従い、アイリスは包装紙を丁寧に開いていく。

 中から出てきたのは、小さな赤い帽子の付いたヘッドドレスだった。

 

「まあ、まあまあまあ! これをわたくしに?」

「ちょうど展示されてるのが目に留まってね。あのドレスのお返しにしては安っぽ過ぎるけど、今のボクじゃこれが限界というか……」

「プレゼントというのは、何を貰うかではなくて、誰から貰うのかが重要ですのよ? 付けてみても宜しいでしょうか?」

「……構わないよ。もう君のものだ」

 

 ベルに自分の名を冠する武器をプレゼントしたとき以上に小っ恥ずかしい気分になりながらも、ヘスティアは平常を装って頷く。

 鏡と睨めっこするアイリスの後ろ姿を眺めながらヘスティアは思う。アイリスに関する謎は、減るどころか益々増えた。けれど、アイリスを二人目の眷属に選んだ事は、決して間違いではなかったと。

 

「どうでしょう? 似合っているのかしら?」

「うん、いいんじゃないのかい?」

「では、早速ベルにも見せに行きましょうか。満足のいく感想を訊き出すまで今夜は寝かせませんわ」

「ちょっと待てぇ! それはベル君を誘惑させる為に買ってきたわけじゃ――……ふぅ。相変わらずヒトの話を聞かないねぇ、君は。いいだろう。そっちがその気なら、ボクにも考えがある! ベル君は渡さない! ベル君はボクのだぞッ! 聞いてるのかアイリスくーん!!」

 

 喧噪が過ぎ去り、室内に静寂が戻って来る。

 後に残ったのは、少し大きめのベッドと衣装ダンス、それから物書き机。カーテンの開けられた窓からは、月明かりが差し込んでいた。

 

 これは、姫と兎と女神様――三者で織り成す聖譚曲(オラトリオ)




これにて第一章完結です!

次回は舞台裏で起こっているもう一つの物語をお送りします。

※10.14

ご指摘を受け、アビリティの数値を変更しました。内容そのものに変更はありません。

※10.16

一部「様」が抜けていたので修正。

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