姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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 美しい金糸の髪を風に揺らし、アイズは闘技場の上から街を見渡す。

 ギルドの職員によれば、祭りの為に用意された魔物(モンスター)の一部が、闘技場地下の檻の中から何者かの手引きによって脱走したらしい。鎮圧の協力を依頼されたアイズに断る理由もなく、やはり表情の乏しい顔で苦もなく引き受けた。職員の目には、そんなアイズの態度は超然としたもののように映ったようだった。

 逃げ出した魔物は、ギルドが把握出来ているだけで計九体。それらが、街の東部一帯に散り散りになってしまっているらしい。被害状況は不明だが、このままではそう遠くないうちに犠牲者が出るだろう事は明白だった。

 

「……見付けた」

 

 風に乗った震動で感知出来たのは八体。残り一体の捕捉を諦め、腰に下げた愛剣――『デスペレート』を涼しげな音を立てて鞘から抜き放つ。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 それが引き金(トリガー)だった。アイズの全身を風の気流が包み込んでいく。

 【エアリアル】。それが、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが使える唯一の魔法だ。

 観客の歓声を背に、アイズは人知れず宙へ身を投げ出した。

 目指すは最短。金の瞳が目標を射抜く。

 

「リル・ラファーガ」

 

 瞬間、壁を蹴り付けた。まるで砲弾の如く、アイズの身体は一直線に降下する。

 

「!?」

「な、何だ!?」

 

 着弾。同時に『デスペレート』を閃かせ、『トロール』の緑色の巨躯を貫いた。肉塊が周囲に飛散し、巨体が音を立てて崩れ落ちる。

 

(……まずは、一つ)

 

 巨人と対峙していた冒険者や市民が唖然とする中、アイズは血に染まった石畳を抉り削って反転――。勢いそのまま、突風と共に十字路を疾走し、二体目を切断する。

 

『――ガッ!?』

 

 驚愕する(まなこ)を尻目に、アイズは三階建ての民家の屋根へと跳躍した。その肢体には、返り血一つ浴びていない。

 

(これで、二つ)

 

 着地し、止まる事なくアイズは幾つもの建物を一足飛びに駆け抜けて行く。

 迷う事はない。その必要もない。

 地面に降り立ち、視界に捉えた目標に向かって、全速力で迫撃する。

 

(三つ!)

 

 敵の位置を事前に把握したのが功を奏していた。多少は相手も移動しているだろうが、それも誤差の範囲。風を纏ったアイズにとって、障害物は障害物足りえない。縦横無尽なその様は、まさに疾風怒濤だった。

 高速で移動する鹿型の魔物『ソードスタック』にも圧倒的な速度で肉薄し、物理法則を無視するかの如く、建物の壁を足場にして難無く斬り伏せる。

 

(四つ!)

 

 金の暴風が剣を提げ、街中を駆け巡っていった。

 

     ×     ×     ×

 

 銃を油断なく構え、眼前で蠢くソレをアイリスは冷静に観察する。

 芋虫――。それ以外に形容し難いが、実物とは大きく異なっている。

 その大きさも然る事ながら、長い下半身に乗る恰好で上半身は小山のように盛り上がっていた。厚みのない扁平状の器官は先端が四つに別れており、腕の役割を果たしている事が伺える。また、黄緑色の皮膚は、所々が濃密な極彩色を刻んでおり異様に毒々しい。その姿は、生理的嫌悪感を抱くには余りあった。

 少なくとも、上層に生息している魔物ではない。だとすれば各階層を突き破り、地中を掘り進んで地上までやって来たとでも言うのだろうか。

 ――いや、それは有り得ない。もしそんな事が可能なら、オラリオはとっくの昔に壊滅している。

 ならば、闘技場から逃げ出して来たのか。恐らく、それが最も合理的な解釈だろう。

 だったら、勝算はある。生け捕りにするよりも、息の根を止める方が簡単だ。

 【ガネーシャ・ファミリア】の構成員の練度がどれ程のものなのかは解らないが、殺すだけなら自分にも出来るはずだ、とアイリスは思う。何故なら、魔物には共通の弱点がある。彼らにとって、生命の源である『魔石』――それを砕いてしまえばいい。

 都合がいい事に、怪物はまだこちらを視界に捉えていない。目が退化しているのか、それとも地上の明るさに目が眩んでいるのかは解らないが、兎も角これはチャンスだ。

 

(さて、『魔石』は何処かしら……?)

 

 だが、それも直ぐに見付かった。

 人間ならば腹に当たる部分。そこに、奇妙な膨らみがあった。肥大化し過ぎた核が、内側から肉を押し上げている。

 

(そこ、ですわね)

 

 目標に照準を合わせる。狙うは『魔石』、ただ一点のみ。

 祈るように引き金を引いた。火薬が炸裂し、銃口から弾丸が射出される。辺りに銃声が響き渡り、硝煙の香りが立ち込めた。

 狙いは違わなかった。命中率に難のあるマスケットだが、目標との距離が二〇メートルもないのだから当然だ。

 

「嘘……」

 

 だが、それでも外した(、、、)。怪物は倒れない。

 石畳から煙が上がる。銃弾によって僅かに開いた傷口から紫色の粘液が流れ落ち、地面に浅い穴を穿った。

 ――酸か、或いは未知の物質か。

 鉛で出来た銃弾も、同じ様に溶かされたのだ。魔物の体内であの液体に触れたが為に、『魔石』に到達する事なく消失してしまったのだろう。

 

「間抜けですわね、わたくしは」

 

 自嘲の声が思わず漏れる。

 解っていたはずだ。相手は人知の及ばない、正真正銘の化け物だという事を。

 流石に怪物も、自らを傷付ける(アイリス)の存在に気が付いた。顔面と思しき位置から口腔が開かれる。

 

「けれど」

 

 ここで諦めてしまえるほど潔い女なら、そもそもこんな処には立っていない。

 怪物の一挙手一投足を見逃すまいと、アイリスはルベウスの瞳を見開く。

 

『――――ァァ!!』

 

 いきり立つような咆哮。魔物の口から、先ほど傷口から流れ出たものと同様の体液がアイリスを狙って吐き出される。だが――

 

「その程度でわたくしを射止めようなどと、少々考えが甘いのではなくて?」

 

 ――当たらない。踊るようにステップを踏み、アイリスは次々と吐き出される溶解液を躱していく。

 アイリスの動きは特別速いわけではない。寧ろ、冒険者の基準で言えば鈍重なくらいだ。にも関わらず当たらないのは、流れるような動作で不規則に動き回り、狙いを付けさせないからに他ならない。また、ダメージを与えられない事は理解しつつも、牽制目的でダガーを数本投擲する。

 『魔石』を破壊出来ない以上、アイリスに勝てる見込みはない。だがそれでも、負け戦を引き分けに持ち込む事ならば可能だ。

 つまりは逃走。戦略的撤退。

 そして、これまでで一番大きな塊をバックステップで躱したところで、魔物の攻撃に間隙が生まれた。体液を生成する速度が、吐き出す速度に追い付けなくなったのだろう。要するに、弾切れだった。

 このチャンスを逃す手があるはずもなく、アイリスはこの時初めて背後を振り返った。

 

「な、何で……」

 

 信じられないものが映った。

 視界に捉えたのは、蹲る小さな背中。泣いているのか、肩が小刻みに震えている。

 顔を確認するまでもない。先ほど、アイリスの目の前を両親と一緒に通り過ぎて行った獣人の少女だった。

 

「何をしていますの!? 早くにお逃げなさい!!」

 

 悲鳴に近い声を上げながら、アイリスは脇目も振らずに少女に駆け寄る。

 少女が顔を上げた。目尻を真っ赤にして、大粒の涙を零している。

 

「ぐすっ……ぐすっ……立て、ないよぉ……」

 

 見れば、少女の姿は酷い有り様だった。

 転んだ拍子に擦り剥けたのか膝には血が滲み、長めのスカートは破れてしまっている――が、それはまだいい。問題は、右の脹脛が赤く腫れ上がってしまっている点だ。恐らく転んだ後、逃げる誰かに踏まれたのだろう。これでは、立ち上がれなくて当然だ。

 

(この子を担いで逃げる……?)

 

 ――無理だ。子供とはいえ、二〇キロは間違いなくあるはずだ。そんな重石を持って走れるほど、アイリスには体力もなければ筋力もありはしない。

 

「あははっ……まあ、仕方ないですわよね」

 

 少女を背後に、アイリスは怪物と相対する。

 

「安心してくださいまし。貴方の事は、わたくしが必ず守りますわ」

 

 優しく少女に語り掛ける。それが自身の最期の言葉になるだろう事を理解して、それでも気丈に笑みを浮かべる。

 少女を見捨てる選択肢は当然あった。けれど、もしもそれを選んでしまえば、その瞬間アイリス・フランシス・ハイランドという人間は死んでしまう。それはきっと、本当の死よりも恐ろしい。

 

「嗚呼、でも」

 

 怖い。怖い。怖い――。

 怖くないわけがない。

 逃げ出したくて堪らない。

 こんな処で終わりたくない。

 

「もっと――」

 

 けれど、これでもう終わり。

 

「――二人と、一緒にいたかった」

 

 涙が一筋頬を伝う。

 怪物が、再び口を開く。

 

 そして、耳の中で声が響いた。

 

『――――――――』

 

 世界が、静止する。

 

『――――――――』

 

 それは、いつか見た夢の記憶。

 

『――――――――』

 

 導かれるように左手を前に突き出し、祈るように言葉を紡ぐ。

 

「【我が身を護れ】」

 

 王女の願いに答えるように、掌に光が集まっていく。その光景は、まるで夏の夜の蛍火のようで――。

 世界に、時間が戻って来る。

 魔物が吐き出した体液が、全てを溶かさんとアイリスに迫り、

 

「【イージス】」

 

 瞬間、光の盾が顕現した。

 




前回に引き続き次回に続く、という終わり方になってしまいましたね……。

因みに、最後の方の時間が止まったというのは本当に止まってるわけではなく、車に轢かれた時などに周りの景色がスローモーションで見えるみたいな感覚的な話です。

また、ステイタスを一度も更新していないのに魔法が使えるようになった理由については、後々作中で語られるかと思います。

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