姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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「予想通りですわね……」

「これは……凄いですね」

 

 人波に揉まれるようにして東のメインストリートまでやって来たベルとアイリスは、目の前の光景に只々圧倒されていた。

 人、ヒト、ひと。何処も彼処も人だらけ。道の両脇には沢山の露店が並び、幾つもの人垣が出来上がっている。

 

「兎も角も、引き受けたからにはこの中からフローヴァを見付け出さねばなりませんわね」

 

 腕組みをしてアイリスが思案する。自然胸が強調され、擦れ違う男共の目が引き寄せられるが、そちらへは一瞥すらしない。一方、ベルは居心地の悪さを感じていた。

 何故あんな餓鬼が、あんな美人の隣に立っているのか。そんな嫉妬と羨望の入り混じった視線が、ベルの胸や背中に突き刺さる。

 

(いや、それは僕の被害妄想なのかもしれない……)

 

 ベルはアイリスに引け目を感じていた。

 初めてアイリスと出会ったあの時、ベルは直感的に助けないといけないと思った。もし自分がそこで動かなければ、この人は夜の闇に溶けて消え去ってしまうのではないかと、そんな不安すら抱いた。けれど、オラリオで再会して、パーティーを組んで一緒に戦って、そして気付いてしまった。あの時の直感は、全くの間違いであったと。

 アリス(、、、)は、強い。彼女の操る銃の威力もさる事ながら、機転や度胸、対応能力――冒険者に必要なもの、その全てを持っているように思える。ならば、魔物(モンスター)にすら遅れを取らない彼女が、只の暴漢如きにいい様にされるわけがない。きっとあの時、自分は余計なお世話をしたのだ。

 

「――ベル……?」

「……ッ!」

 

 アイリスに心配そうに声を掛けられ、ベルはハッと我に返って顔を上げた。いつの間にか俯いてしまっていたらしい。

 

「ど、どうかしました?」

「どうかしたのか、というのはわたくしの台詞だと思うのですけど……まあ、いいですわ」

 

 腑に落ちない違和感を軽く首を振る事で追い出し、アイリスは続ける。

 

「残念ながら、やはり人捜しは足を使わないといけないようですわ。――二手に別れましょう。ベルは闘技場の方へ行ってくださいまし。わたくしはこの辺りを捜してみますわ。一時間後、フローヴァを見付けてもいなくても、そこのお店の前に集合……で、宜しいですわね?」

 

 そう言って、アイリスは大通り沿いにある喫茶店を指し示す。

 

「はい。ああでも、僕がお財布を持ってたら、アリスさんが見付けてもシルさんに渡せないんじゃ……?」

「ええ、ですから一時間後に必ず集まるのですわ。もしも、わたくしがフローヴァを見付けて、彼女が何か買いたいと言えば立て替えておきますわ。合流後、すぐに返金して貰いますけど」

 

 そこまで考えてあるなら断る理由もない。ベルは大きく頷いた。

 

「じゃあ、一時間後にここで」

「ええ、また後で」

 

 ベルが闘技場に向かって人垣を縫うように走り出す。その後ろ姿をアイリスは手をひらひらと振って見送った。

 白髪が完全に見えなくなったところで、ようやくアイリスもゆっくりとした足取りで歩き始める。しかし、一旦立ち止まり、くるりと背後に視線を向けた。見詰めるのは、喫茶店の二階。

 

「……嫌な感じがしますわね」

 

 何が起こるのかまでは解らない。けれど、良くない事が起こる予感だけが漠然とある。自分からベルを遠ざけたのは、これから起こるのであろう、その良くない事に彼を巻き込まない為だった。

 

「まあ、いいですわ。それよりも、今はフローヴァを捜さないと」

 

 自分に言い聞かせるようにそう言って、アイリスは再び大通りを歩き始めた。

 

     ×     ×     ×

 

(今、目が合った……?)

 

 そんなはずはない、とフレイヤは思う。地上からではこちらの顔は陰になっていて見えないはずだからだ。

 だが、直感的に、フレイヤは理解していた。理屈など関係ない。確かに、少女と視線が合った。あの、呑まれそうなルベウスの瞳と。

 

(太陽のような眩しくも暖かな光。なのに、ぽつんと一点影が見えた。そう、まるで黒点のような……)

 

 興味をそそられなかった、と言えば嘘になる。あんなモノ、長い年月多種多様な魂の輝きを見続けてきたフレイヤも見るのは初めてだった。

 

「お~い、聞いとんのかフレイヤ? 窓の向こうに誰かおるんか?」

 

 けれど、今は――。

 

「御免なさい、急用が出来たわ」

「はぁっ?」

「また今度会いましょう」

 

 フレイヤが席を立ち、ロキが訝しげな声を出す。一方、同席していたアイズは雑踏に消えていった白兎の事を考えていた。

 

(……あの子も、来ているのかな)

 

 見間違いかもしれない。確信も持てない。けれど、何処かで期待している自分がいる。会えるかもしれない、と。

 

「なぁアイズたん、誰かいたん? めっちゃ気になるんやけど」

「……御免なさい。何でもないです」

 

 アイズは窓から視線を外し、小さく首を振って答える。しかし、ロキは納得がいかない様子で、尚も胡乱な目付きでアイズを見詰めた。

 

「何やねん、フレイヤもアイズたんも。うちだけ除けもんみたいで面白くないわ」

 

 これは何かあるな、と確信したロキは、暫くの間アイズに蛸のように纏わり付いてみた。が、冷静に捌かれるだけで、一向に口を割る気配がない。

 結局、入店当初に頼んだ朝食が運ばれてきたところでロキの方が音を上げ、アイズへ伸ばしていた手を止めた。

 

「まあ、ええわ。その代り、うちが満足するまでデートに付き合ってもらうで」

 

 パンに齧り付きながらそう言う主神を、アイズはやはり感情の乏しい顔で見詰め、やがて小さくこくりと頷いた。

 

     ×     ×     ×

 

 時刻は少し遡る。

 薄暗い工房で、女神二柱が顔を見合わせた。丸一日に及ぶ格闘の末、ようやく目当てのモノが完成したのだ。

 漆黒刀身を持つ小振りの短刀。一見簡素ではあるが、特異な能力を秘めていた。

 使い手の力量に応じて切れ味が変化する、という掟破りの特性。成長する武器。それが、鍛冶の神ヘファイストスが自ら鍛え上げた業物の正体だった。

 

「ご要望には応えられたかしら?」

「うんうんっ、充分充分っ! 文句なんてあるわけないさ!」

 

 ヘスティアの喝采を受け、ヘファイストスは隈の浮かんだ目を細める。

 

「今更だけど、よく引き受けてくれたよね、ヘファイストス」

「本当に今更だわね。まあ、強いて言うなら、あんたがその子を大切にしてるってのがちゃんと伝わったからよ。あとは、伯母としてではなく、あくまで友人として頼んできたところかな。伯母の権限で強制してきたら絶縁宣言させてもらうところだったわよ」

 

 ヘファイストスが苦笑してそう言うと、ヘスティアは心外だと柳眉を吊り上げた。

 

「ボクが君に対して何かを強制するなんてそんな事、するわけがないだろ! 冗談でも怒るぞ!」

「はいはい、悪かったわよ。いや、何で私が怒られてるのよ……」

 

 眠気のせいで頭が上手く回らない、とヘファイストスは凝りを解すように首をぐるぐると回した。長時間同じ姿勢を保っていたせいもあり、全身が凝り固まっている。

 

「反省したならもういいさ。そんな事より、この武器の名前はもう決まっているのかい? 決まってないならボクが付けようか? そうだね、ボクとベル君の愛の結晶って事で『ラブ・ダガー』とか!」

「止めいっ、駄作臭がぷんぷんじゃないのッ。……でも、そうね。これはあんたの武器としか形容しようがないし――『神の(ヘスティア)ナイフ』、ってところかしら」

 

 ヘファイストスがそう零すと、ヘスティアはご満悦な様子で頭に手をやって、にやけ笑いを浮かべた。

 姪として複雑な心境で伯母の照れ笑いを見ていたヘファイストスだったが、やがて思い出したように柏手を打つ。

 

「そうよ! あんたがそのベルって子を執拗に可愛がってるのは解ったけど、新しく入ったっていうもう一人の子の事はどう思ってるのよ? 私が言うような事でもないけど、対応に差があり過ぎるのはどうかと思うわよ」

 

 そう、ヘファイストスはずっと引っ掛かっていたのだ。

 分け隔てなく、何者にも平等に接するというのは神でさえ不可能だ。そんな事が出来るのは、感情を持たない絡繰りくらいのものだろう。

 だが、ヘスティアはベルの武器を作ってほしいと頼みはしたが、もう一人の眷属の事には触れさえしなかった。それは幾らなんでも極端だろう、とヘファイストスには思えた。

 

「あー……うん。いや、君を侮辱するわけじゃないけど、あの子には君の作る武器は必要ないよ。ボクがあの子にしてやれるのは、きっと、もっと別の何かだ」

 

 そう言ったヘスティアの顔は先ほどとは異なり、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。それは正しく、女神の微笑みだった。

 

(全く、オンとオフの差が激しいのよ、この女神サマは)

 

 無用な勘繰りだったか、とヘファイストスは肩を竦める。

 

「それに、二振りも注文したら、一体幾らになると思ってるんだ!? ボクに何百年ローン組ませるつもりだ!!」

「あーもう! 私の感心返しなさいよ!」

 

 へファイストスが頭を抱える傍らで、ヘスティアはいそいそとこの場を出て行く準備を始めた。

 

「もう行くの?」

「ああ、悪いけど!」

 

 ベルに早く渡したいのだろう。居ても立っても居られないといった様子で、アップに纏めていた髪を解きながら扉に向かう。

 

「ヘスティア、あんたも少しは休みなさいよ! あと、借金はちゃんと返済する事!」

「解ってるよ! 色々ありがとう、ヘファイストス!」

 

 本当に解っているのだろうか、と溜め息を吐きながら、ヘファイストスは白い小さな背中を見送った。

 

 その後、ヘスティアはベルが怪物祭(モンスターフィリア)に向かったと推測し、彼の後を追うべく馬車に乗った。目指すのは、東のメインストリート。

 しかし、大通りはどの道も混んでいる。東のメインストリートを目前に、とうとう馬車は止まってしまった。

 運転手の青年にここまででいいと告げ料金を支払い、ナイフの入った小箱を大事に抱え、裏通りに徒歩で向かった。

 

 こうして、時計の針は現在を指し示す。

 

「あれ? もしかして、フレイヤかい?」

「……ヘスティア?」

 

 細く薄暗い裏通りを少し歩いたところだった。ティー字路になっている部分で偶然にもヘスティアが出くわしたのは、数日前にも顔を合わせた女神フレイヤだった。

 何故か紺色のローブで全身を隠しているので確信は持てなかったが、フードから覗く綺麗な銀髪には見覚えがあった。どうやら人違いではないらしい。

 

「君も怪物祭を観に来たのかい? こんな道を通るなんて、随分と急いでいるようじゃないか」

「……ええ。人通りが激しい処は堂々と出歩けないから、こうして人目を忍んで先を急いでいるの」

「あー……美の女神も大変だねぇ」

 

 成る程、とヘスティアは思う。確かに、美の女神であるフレイヤが表通りに現れれば、只でさえ混雑している道がパニックに陥るのは否めない。つまりこのローブ姿も、自身の美しさを隠す為の手段なのだろう。

 フードの下で微笑するフレイヤに、ヘスティアは数度頷く。

 

「あっ、そうだ。フレイヤ、ボクのファミリアの子を見なかったかい? 今捜しているところなんだ」

「…………」

「白い髪に赤色の目をしたヒューマンの男の子で……そうそう、こう、兎っぽい!」

 

 身振り手振りで説明するヘスティアは心ここに有らずだった。だから、フレイヤの表情の変化に気が付かなかった。

 

「そういえば、さっき見掛けたような気がするわ。黒髪の女の子と一緒にいるのを」

「本当かい!? やっぱりアリス君も一緒か!」

 

(二人で、って事はもしかしてデート……!? ボクがいない間になんて羨ましい真似を~!)

 

「真っ直ぐ闘技場を目指していたようだから、この道を左に曲がれば上手く先回り出来るんじゃないかしら」

「ありがとうフレイヤ! ベル君、早まっちゃ駄目だ~!!」

 

 フレイヤのアドバイスを受け、全速力で駆けていくヘスティア。その後ろ姿を眺めながら、フレイヤはフードの下で笑みを浮かべる。深い、深い笑みを。

 

「そう、あの子が……」

 

 一時だけのガラス越しの交錯。けれど、それは偶然か、或いは必然か。

 

「困ったわね。彼女も欲しくなってしまったわ」

 

 もしかしたら、彼女なら――。

 誰にも気取られる事なく、フレイヤは期待に胸を膨らませ、独り細く薄暗い路地を歩いて行った。


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