姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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「店員さんのお勧めがあったら教えてほしいのですけど」

「……昨日の今日でよく顔を出せたものニャ」

「実はわたくし猫が大好きですの。この後お茶でもどうかしら?」

「……見ての通り仕事中ニャ。と言うか人の話聞けニャ」

「では、お仕事が終わった後に」

「その頃には喫茶店なんて何処も閉まっているニャ……!」

「ええ、ですからわたくしの家で。美味しいスコーンがありますの。苺のジャムをたっぷりと載せて食べると絶品ですのよ。紅茶にも合いますし」

「……ごくり」

「それでお茶を飲み終ったら、食後の運動がてら謎解きでもしましょうか。貴方の身体には一体どんな秘密が隠されているのでしょうねぇ? 全身隈なく調べて差し上げますわ」

「この女怖いニャぁぁぁぁ!!」

 

 涙目になった猫人(キャットピープル)の店員は注文も聞かず、俊敏さを遺憾なく発揮して厨房へと逃げ込んでしまった。

 

「あら、振られてしまいましたわ」

「何やってるんですか……」

 

 テーブル席へと戻って来たベルは、彼にしては珍しく呆れたような表情をしている。アイリスの言動に慣れてきた証拠かもしれない。

 

「店員さんとお喋りしていただけですわ。でも、店員さんに素気無くされて……わたくし、傷物にされてしまいましわ。ぐすん」

「ホントに傷物にしてやろうかい、不良娘? うちの上客にいきなり喧嘩吹っかけやがって」

 

 冗談なのか本気なのか。怒気を含んだ声がアイリスに降りかかる。

 椅子に座ったアイリスを見下ろすのは、ドワーフにしては非常に大柄な女性だった。

 

「ですから、昨夜のうちにお詫びは済ませたはずですけど。それとも、女将(おかみ)さんは山吹色のお菓子はお嫌いでして?」

「嫌らしい言い方するんじゃないよ。勿論、アタシだって嫌いじゃないけどね」

 

 そう言って、『豊穣の女主人』の女将(じょしょう)――ミアは丸太のような腕を伸ばし、テーブルの上にワインボトルを置いた。ラベルには葡萄畑が描かれている。

 

「だから、コイツで水に流してやろうじゃないか」

「あ、あの……わたくし、まだ何も注文していないのですけ――」

「坊主にさっき聞いたよ。詫びとして今日は沢山注文してくれるんだろう?」

 

 確かに、そのような事をベルに言った覚えがある。アイリスは豪傑――豪快ではない――に笑うミアとボトルの間で視線を行ったり来たりさせ、やがて引き攣った笑みを浮かべて尋ねた。

 

「こ、このワイン……お幾らでして?」

「一〇万ヴァリス」

「一〇……!?」

 

 ベルが驚愕の声を上げる。

 

「嘘だよ。一本一〇〇〇〇ヴァリスだ」

「どちらにせよ高いですよ!?」

 

 ベルの言葉は尤もである。五〇ヴァリスもあれば充分腹が満たされるだけの食事が出来るからだ。

 しかし、考えてみれば『豊穣の女主人』が提供する料理はどれも割高だった。パスタだけで三〇〇ヴァリスしたりする。

 一方、アイリスは内心ホッとしていた。ワインというのは銘柄や酒造された年代によって価格がかなり異なる。もう一桁上の物もざらにあるくらいだ。そういう意味ではまだ良心的な価格と言える。

 

「致し方ありませんわね。では、白ワインに合う料理を二、三品お願いしますわ」

「ふっ、そう来なくっちゃねぇ。坊主はどうする?」

「え!? あー……じゃあ、ミートパイを」

「了解だ。まあ、ゆっくりしていきな」

 

 二人の注文を受け、ミアが厨房へと消えていく。それを見届けたベルは、アイリスに小声で話し掛けた。

 

「アリスさん大丈夫なんですか……?」

「ええ。数日節制すれば大丈夫だと思いますわ」

「それって大丈夫じゃないんじゃ……」

「それより乾杯しません? ベルだって、少しは飲めるでしょう?」

 

 そう言って、アイリスはベルの返事を待たずにボトルの栓を抜き、黄金(こがね)色の液体をグラスに注ぎ始める。

 

「じゃあ……一杯だけ」

「では、乾杯」

 

 半分ほど注いだグラスをベルへと渡して、互いのグラスを軽く当てた。

 桜色の唇をグラスに付け、傾ける。一口含んで舌の上で転がすと、口の中で葡萄の香りが一杯に広がった。充分に味を楽しんでから飲み込み、最後の余韻まで味わい尽くす。

 

「美味しいですね」

「ええ。どうやら安物というわけではないようですわね」

 

 憎まれ口を叩きつつも、アイリスの顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 

『中々いい雰囲気ではないですか?』

『何処がニャ!?』

『でも、アレを見る限り少年は押しに弱いようニャ』

『それはもう知って――じゃなくって! もう放っておいてください!』

『流石にいじり過ぎたニャ~!!』

 

「何だか騒がしいですわね」

「そ、そうですね」

 

 アイリスは首を傾げ、グラスを数度回してもう一口飲み下す。

 

「ところでベル、貴方は迷宮(ダンジョン)をどう思いまして?」

「ど、どうって……?」

 

 突然の問い掛けにベルは咳き込みそうになるが、どうにか押さえてそれだけ尋ねた。

 

「そうですわねぇ……。例えば、迷宮はいつ、誰が創ったのか?」

 

 ベルは大きく目を見開いた。その疑問は、実は彼自身も抱いていたものだったからだ。

 

「元からそこにあったのか、或いは地殻変動か何かによって突然出現したのか?」

 

 アイリスはテーブルにグラスを置いて、ウエストポーチの中からガラス製の小瓶を取り出し、その中から換金せずに取っておいた『魔石の欠片』を摘み上げる。

 

「有り得ませんわよねぇ。そもそも、魔物(モンスター)とは何なのでしょう? 毒物が有効なのは今日確認出来ましたわ。血液は確かに循環している。つまり、ポンプである心臓は必ず存在するという事ですわ。同じく、命令を下す為の脳味噌も。そこまでは、他の生物と同じ。けれど、決定的に異なる器官がある。それが『魔石』ですわ」

 

 ペシッと音を立てて『魔石の欠片』をテーブルの上に置くと、アイリスは口を湿らせる為に再びグラスを煽った。

 

「『魔石』は彼らにとっての燃料。『魔石』を砕かれた魔物が絶命するのは、『魔石』を動力源としているから。けれど、おかしな事に地上にいる魔物には『魔石』がない。それを退化と言う人もいるでしょうけど、わたくしは逆だと思っていますわ。何故なら、彼らは『魔石』と引き換えに生殖能力を得たと推測出来るから」

 

 アイリスはベルの瞳を見詰めた。ルベウスとルべライト。異なる赤が交錯する。

 

「ここで着目すべきは地上の魔物ではなく、あくまで迷宮内の魔物の方ですわ。彼らには、生殖能力がない。生物にとっては致命的な欠陥ですわよね? 種を存続出来ないだなんて、バクテリアにだって劣りますわ。けれど、実際は彼らにその必要がないだけ。何故なら、彼らは迷宮の壁の中から生まれ落ちるのだから。全く、お笑いですわよねぇ。まるで魔物の生産工場(プラント)ですわ。恐らく、迷宮は――生きている」

 

 ベルには、バクテリアやプラントが何であるのか解らない。だが、話の内容は概ね理解していた。

 

「魔物は何故生み出されるのか? 可能性は二つありますわ。一つは、植物が光合成を行う過程で酸素を発生させるように、何らかの運動の副産物である可能性。もう一つは意図的に生み出されている可能性。もし後者だとすれば、一体誰の意思で行われているのでしょうねぇ?」

 

 アイリスが口角を吊り上げ、遂に核心へと触れる。

 

「わたくしは疑念を抱いていますわ。これは、神々のマッチポンプなのではないかと、ね」

 

     ×     ×     ×

 

「本当に丸くなったわ、ロキ……」

 

 フレイヤがぽつりと呟く。

 結局、会場が血に染まる事はなく、それどころかロキの方が涙を撒き散らして退散するという結果に終わった。

 

「ロキは子供たちが大好きみたいね。彼らの成長が彼女にとって一種の娯楽になっている。だから、あんな風に変わったのかもしれないわ」

「……娯楽かどうかは兎も角、子供たちが好ましいっていうのは概ね同意するよ。大変遺憾だけどね」

 

 そう言いつつ、ヘスティアは床の上からよたよたと立ち上がる。

 

「へぇ……。前まで『ボクのファミリアに入ってくれないなんて見る目がなーい』なんて言ってた癖に。急な心変わりはベルって子のお蔭?」

 

 立ち上がるヘスティアを後ろから支えてやりながら、ヘファイストスが可笑しそうに尋ねた。

 

「ふふん、まぁね。ボクには勿体ないくらい凄くいい子だよ」

「確か白髪に赤目のヒューマンだっけ? ファミリアが出来たってあんたが報告しに来たときは驚いたなぁ……。それがここ数日で更に一人に増えるとはね」

 

 ヘファイストスがうんうんと頷いていると、その隣でフレイヤが動いた。コトン、と持っていたグラスをテーブルの上に置いて、銀の長髪を翻す。

 

「じゃあ、私もそろそろ失礼させてもらうわ」

「え、もう? フレイヤ、貴方用事があったんじゃないの?」

「もういいの。確認したい事は聞けたから」

「……貴方、ここに来てから誰にも聞くような真似してなかったじゃない」

 

 パーティーの最初から彼女と行動を共にしていたヘファイストスは怪訝な顔を隠さない。

 そんなヘファイストスを無視する形で、フレイヤはヘスティアを見下ろし、これまでとは少し違った笑みを浮かべた。

 

「それと出来ればヘスティア、貴方のドレスの贈り主と会わせてもらえると嬉しいわ」

「……機会があればね」

「ええ、今はその答えを聞ければ充分よ。それじゃあ、また」

 

 そう言い残して、フレイヤは犇めく神たちの中へと消えていった。

 

「フレイヤも行っちゃったけど、あんたはどうするの? もし残るんだったら、久し振りに飲みにでも行かない? ……ヘスティア?」

 

 遂にこの時が来たか、とヘスティアは思う。ここまで言い出す機会を逸していたが、これを逃せば後はないような気がした。

 もしかしたら絶縁されるかもしれないな、と内心怯えつつ、ヘスティアは温めていた言葉を吐き出す。

 

「実は、ヘファイストスにお願いがあるんだ。――ベル君にっ……ボクのファミリアの子に、武器を作ってほしいんだ!」


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