姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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『貴方にとって、魔法とは何?』

 

 そんな声が頭の中で響いた。落ち着いた女性の声だった。

 

「カボチャの馬車に決まっていますわ」

『即答ね……』

 

 声の主は苦笑する。

 

『本当にそう?』

 

 再度、声の主は問う。

 

『真面目に答えてね』

 

 更に念を押されてしまった。

 だから、アイリスは真剣に考えてみる事にした。

 

「わたくしにとっての魔法」

 

 だが、答えは直ぐに出た。

 

「盾……かしらね」

『盾?』

 

 怖がらせるもの、傷付けようとするもの、それら全てから護ってくれる強固な盾だ。

 

『お父さんのように?』

「ええ、お父様の代わりに」

 

 普段なら出るはずもない本音が、何故だかスッと出た。きっと、夢の中だからだろう。

 そう、これは夢。もう直ぐ目が覚める。

 声の主は何か言いたげだったが、言葉を呑み込んだようだった。代わりに、三度(みたび)問い掛ける。

 

『護りたいものは、自分だけ?』

「いいえ。悪い商人に騙されそうな少年と、お人好しの女神様――わたくしに優しさを向けてくれた、あの二人を護りたい」

 

 アイリスがそう答えると、声の主は満足そうに微笑んだような気がした。

 

     ×     ×     ×

 

 ヘスティアと眷属(ファミリア)の契りを結んだ翌朝、アイリスはファミリアのホームである廃教会の隠し部屋を訪れていた。

 昨夜、ベルにアイリスがファミリアに入団した事を報せると、ベルは満面の笑みを浮かべて喜んだ。そして、早速明日にでも二人で迷宮(ダンジョン)に潜ってみようという話になった。取り敢えずの目的は、互いの戦力や戦術の把握である。折角パーティーを組んでも、それが解らなければ連携の取りようがない。今後の為にも、互いの戦力や戦術の把握は急務だった。

 ソファーに座り、アイリスはカップに注がれたグリーンティーを啜る。ヘスティアの神友であるタケミカヅチから譲られた極東産の茶葉から抽出したものらしい。独特の渋味に、アイリスは顔を顰めた。

 

「……正直、わたくしの好みではありませんわね。ところで、先程からわたくしに熱い視線を注がれているようですけど、明るいうちからそのような行為に及ぶのは、わたくしはどうかと思いますわ。けれど、ヘスティア様がお求めになるなら、わたくしは一向に構いませんわよ?」

「ボクが構うよ! そうじゃなくてだなぁ~……。君、ホントにその恰好で迷宮に行くつもりかい?」

 

 ヘスティアが訝しむのも無理はない。アイリスが着ているのは、鎧でもなければギルド支給の軽装でもなく、赤と黒を基調にした風変りなドレスだったからだ。

 背中が大胆に開き首や胸元も露わになった上衣に、肘まである長手袋。スカートの丈は膝が隠れる程度で、ストッキングを履いている。靴はロングの編み込みブーツだ。防具になるような部分は一切見当たらない。これから行くのは迷宮ではなく舞踏会だと言われた方がまだしも納得出来る。

 しかし、アイリスも馬鹿ではない。アイリスにはアイリスの考えがあった。

 

「わたくしは射手(シューター)ですもの。間合いに入られた時点で殆ど負けみたいなものですわ」

「射手ぅ? 君の得物は弓矢なのかい? ボクには変わった形の棍棒にしか見えないけど?」

 

 ソファーの横に立てかけられた武具を見て、ヘスティアは胡乱げな目付きをする。

 

「見えているものだけが真実とは限りませんわ。実際、スカートに隠れて見えませんけど、太腿にダガーの入ったホルスターを巻き付けていたりしますのよ?」

 

 そう言って、アイリスはスカートをちらりと捲ってみせた。

 

「それと同じように、この棍棒にも種が仕掛けてありますの。何が隠れているのかは、開けてみるまでのお楽しみですわ」

「君は奇術師(マジシャン)か何かか!? ……まあ、君がそこまで言うならそれに付いては目を瞑ろう。問題はこっちだ!!」

 

 柳眉(りゅうび)を逆立てたヘスティアは、アイリスの結われた黒髪を指差して叫んだ。

 

「何でよりにもよってツインテールなんだよ!? キャラが被るじゃないか!!」

 

 昨夜は確かに下ろしていたはずのアイリスの長髪が、赤いリボンによって二房に結われていたのだ。知らない人間が二人並んでいるところを見れば姉妹と勘違いしそうである。

 

「良いではありませんの、良いではありませんの。ふふふっ」

「良くな~い!!」

 

 そんな女性二人の姦しい会話を朝食の支度をしながら聞いていたベルは、自分の頬が自然と緩むのを感じた。

 

(一時はどうなる事かと思ったけど、二人とも仲良さそうで良かった)

 

 ベルにとってファミリアは家族だ。

 オラリオへと来る前に、ベルは育ての親である祖父を亡くしている。住んでいた農村の近くで魔物(モンスター)に襲われ殺されたのだ。その場に居合わせなかったベルは、村人から祖父の死をただ呆然と聞く事しか出来なかった。

 あの時の喪失感と無力感を今でも鮮明に覚えている。独りは耳が痛くなるほど静かなのだ。自分は孤独なのだと否応にも理解させられる。だから、この騒がしさがベルには嬉しかった。

 

「神様~アリスさ~ん! ご飯出来ましたよ~!」

 

 コンロの火を止めて、フライパンからカリカリに焼いたベーコンと目玉焼きを皿へと移す。ベルが朝食に作ったのはベーコンエッグだった。アイリスほど凝ったものは作れないが、簡単なものならベルにも作れる。

 

「わたくしも運ぶのお手伝いしますわ」

 

 いつの間にか背後に立っていたアイリスがそう言って、ライ麦パンの入ったバスケットと皿を一枚ひょいと持ち上げた。

 

「……っ!?」

 

 ベルは思わず息を呑む。アイリスが前屈みの姿勢になった為に、彼女の白いうなじと【神聖文字(ヒエログリフ)】の刻まれた背中が目に留まったのだ。自分にだって同じものが刻まれているはずなのに、アイリスのそれは彼女の服装と相まって頽廃的な色香を放っているように感じられた。

 

(な、何を考えてるんだ僕は……!!)

 

 邪な考えを振り払うかのように、音が出そうな勢いでベルは首を左右に振った。けれど、頬の赤みは増すばかりだ。そんなベルをアイリスは心配そうに見詰める。

 

「べ、ベル……?」

「だ、大丈夫です。ありがとうございます。冷めないうちに食べましょう!」

 

 そう言って、ベルが残りの皿を持って慌てて振り返ると、頬を大きく膨らませたヘスティアと目が合った。

 

「ベ~ル~く~ん?」

「ご、ごめんなさい神様ぁ~!」

 

 訳も解らず反射的に謝るベル。結局、食事が始まったのはそれから三〇分後の事だった。


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