どうぞ、楽しんでいってください。
その日は、いつもと何も変わらない日常を過ごしていた。
いつも通り腐乱犬を軽くいなして、いつも通りお父上様にありがたいお説教を頂戴し、いつも通り軽く近所を散歩して。
ただ、いつもと一つだけ違ったのは……
「とにかくこっち来いよっ!」
「は、離してくださいっ……痛いです……!」
公園で一人の美少女が不良に絡まれてるのを発見したことだった。
烈火の体は即座に動き、2秒後には不良の顎に見事なサマーソルトが炸裂していた。
「うおおっ、今のはいてーぞ!」
「なんだてめぇっ!」
少女の目の前に軽やかに着地した烈火は、事態を飲み込めていない少女に笑ってみせる。
「助太刀すんぜ!」
風子のような男女ならいざ知らず、こんな大人しそうな女の子が暴漢共に襲われている現場に出くわしてしまっては、男として見過ごす訳にはいかない。
「か弱い女の子になんちゅーことしてんだ馬鹿共!花菱烈火が相手だ!!」
自らを差し、盛大に啖呵を切る。
相手は三人。ついさっき晩飯抜きの原因となってしまったため、十八番の火薬玉を使うわけにはいかないが、それでも十分勝てる数だ。
しかし……
「花菱ィ?」
「なんだおめー、ここらでは有名なあの忍者バカか!」
ゾロゾロと、暴漢共と同じ制服を着たガラの悪い男たちが集まってくる。
その数はざっと十人ほど。仲間のピンチを虫の知らせで感じ取って駆けつけたのであればなんとも麗しい友情であるが、おそらく烈火が気づかなかっただけでその辺にたむろっていたのだろう。
烈火は引きつった笑みを浮かべるほかなかった。
ふと、目を開くと、周りの景色が90°横倒しになっていた。右の頬に、何か柔らかい感触がある。
自分が膝枕されてるのだと気づくのに、少々ばかり時間がかかった。
「わわわわわわっ!!」
「きゃあっ」
慌てて飛び起きると、ベンチに座った少女が顔を赤くして驚く姿が見えた。膝枕の主は、この少女だったようだ。
激しく胸を鳴らす烈火に向かって、少女は立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「さっきは助けてくれてありがとうございました、花菱烈火さん。私は佐古下、佐古下柳といいます」
柳と名乗る少女は、そう言って烈火に微笑んだ。
烈火は思わず柳の顔に見とれてしまう。
「……?私の顔に何かついてます?」
「あっ、イヤイヤちょっと夢の中に出てきたお姫様に似てたもんでよ!デシャブーってやつだな!」
汗を飛ばしながら笑って誤魔化す烈火。半分本当だが、もう半分は嘘だ。
柳の美しい顔に見とれていたなんて、口が裂けても言えない。
誤魔化しついでに、さっきの喧嘩を振り返ることにした。
「ちっくしょ、みっともねーな!いつもならあんな奴ら火薬で吹っ飛ばしてやんのに!四人くらいまでは意識あったのにこのザマ……」
そこまで言って、気づいた。
「あれ?痛くねぇ……」
意識がある時も何発かもらった記憶はあるし、ダウンしてからも殴られていそうなものなのに、全くと言っていいほど体に痛みが残っていない。
不思議がる烈火の手を取る柳。またしても胸が高鳴るが、気づく様子もない。
見ると、烈火の手には切り傷があった。
柳がそっと手をかざすと、見る見るうちに傷が塞がっていく。
驚いて柳の顔を見ると、少女は笑っていた。
「コレ、私の特技なんです」
「トクギ?」
「そう。生き物のケガや病気を癒やしてあげることができるんです」
少女はベンチに座り直すと、烈火にもそうするよう促した。お言葉に甘え、烈火もベンチに腰を下ろす。
「ヘンですよね、私」
少女は小さく呟いた。
「初めて知ったのは……昔飼ってたインコが死にそうになっちゃって。悲しくて泣きながら抱きしめたんです。『お願い元気になって』って」
「そしたらインコは元気になったと」
「はい。でもこれナイショですよ?変な人だって思われちゃうから」
そういう柳の顔は、どこか嬉しそうに見えた。
「今日の私、変だなぁ。初対面の人にこんなに話せるのはじめてです」
「その制服、同じガッコだね。佐古下のこと、俺初めて知ったよ」
「私、あまり目立たない方だから……。でも、私花菱くんのこと……」
「やだぁ、何よコレ!」
柳の言葉が遮られる。声の主は、二人組の女子高生。彼女らの前に、赤く汚れた茶色い物体が転がっていた。
それが血塗れの子犬だと烈火が気づいた頃には、柳は駆けだしていた。
「ありゃ!?佐古下!!」
烈火の呼びかけに振り返ることもせず、女子高生を突き飛ばしながら、柳は子犬の側に膝をつくと、小さな体をそっと抱きしめた。
「佐古下……」
追いついた烈火は再び彼女の名を呼んだ。
柳は振り向くと、目に涙を潤ませながら、優しく笑った。
「大丈夫です」
少女に抱かれる子犬は、まるでお礼を言うかのように顔を一舐めすると、柳の手を離れてどこかに走って行くのだった。
柳の服も、手も、血で汚れている。しかし柳は、それを少しも気にすることなく、子犬の後ろ姿を追いかけていた。
本当に、優しい女の子なんだろう。烈火の心に、一つの決心が生まれる。
「よしゃっ!決めた!」
「ひゃっ!?」
この人なら良い。この人であれば、自分も喜んで仕えることができる。この人の、この人だけの忍になるのなら。
「尊敬する君主に一命を懸け、仕えるのが忍者!!花菱烈火は今よりあんたの“忍”となる!!」
◇
「花菱さん?起きてください、花菱さーん!」
「んがっ……」
名前を呼ばれながら体を揺さぶられて、花菱烈火は目を覚ました。見知らぬ女性と自分の顔をのぞき込んでいる。
「あ、あれ?ここどこ?俺は一体……」
「もう、何寝ぼけてるんですか。メイク、終わりましたよ」
そう言われてようやく、目の前の女性がメイクの担当者だということを思い出した。
メイクと言っても左頬の傷を隠すだけの簡単なもので、時計の針も10分程度しか進んでいない。しかし、ただでさえ寝坊癖のある上に慣れない早起きまでした烈火が眠りに落ちるには十分なくらい、退屈な時間だったようだ。
「それじゃ、私はこれで失礼しますね。頑張ってくださいね!」
「うす!ありがとうっす!」
小さくガッツポーズを作って退室する女性に礼を述べる。新郎控え室のドアが閉じられると同時に、烈火は小さく息を吐いた。
「ふぃー、まさかあんな懐かしい夢みるなんてな」
あれは、自分と柳が初めて出会った時だ。二人の運命が大きく動き始めた日、とも言える。
あの日以来、影法師と名乗る女と出会い、魔導具の存在を知り、自分の出自を知って、殺し合いの世界に身を投じることになったのだ。
『あんたが気に入ったんだ──姫!』
『姫』という呼び名も、今になって振り返れば懐かしい。あの呼び名を捨ててから、もう十年が経過した。
『姫はもうおしまい!……柳だよ、烈火』
それは、二人の関係が一度終わった日だった。
そして、新しい関係が生まれた日でもある。
忍と姫君から、烈火と柳という、一組の恋人ととして。
柳はそう、宣言したのだ。
思えば、初めてキスを交わした時も柳からだった。
『えへへ、やっちゃった』
あの時のイタズラな笑顔を忘れることはできない。
内気だと思っていた彼女が、臆病だと思っていた彼女が、勇気を出して、そうしてくれた。
──俺、いっつも柳に引っ張られてたんだな。
端から見れば、烈火が柳を先導しているように見えただろう。
烈火自身でさえ、そう思っていた。
だけど、ちがった。いつでも柳は勇敢で、彼女がいたから烈火も前に進めた。
本当に臆病なのは自分であると、“烈火”と呼ばれた時に、初めて気づくことができた。
だから、プロポーズは絶対自分からしようと思っていた。
臆病者の自分でも、そのケジメだけは絶対つけてやろうと。
だが、
『ごめんなさい』
その言葉を聞いた瞬間、世界が壊れてしまうかのように思えた。
返事は、それで終わりではなかった。
『すっごく嬉しい!でも、今の私がそれを受け入れたら、きっとあなたに甘えちゃうから……』
少女は勇敢であった。そして、とても強かった。
プロポーズしてくれたことはとても嬉しい。本当なら今すぐOKしたい。
柳は烈火にそう言った。
『だけど、私には夢があるの。その夢は、私一人で叶えなきゃいけない。歩いていかなきゃいけない。烈火が側にいたら、多分私どこかで歩くのをやめちゃう。やめちゃって、あなたに頼っちゃう。だから、今はまだ、その言葉を受け取る訳にはいかない』
悔しかった。
勇敢さで負けていると知った彼女にようやく追いついたと思ったら、今度は強さで負けていると気づかされた。
甘えたい心は自分にだってある。頼りたい気持ちは自分だって持っている。しかし柳は、それではいけないと言い切った。
負けず嫌いな烈火の心に火が灯った。
『上等だ!だったら俺は一流の花火師になってやる!そんでもういっぺんプロポーズしてやる!だから、そん時まで待ってろよ!!』
柳は笑って、頷いた。
元々、父の仕事を継ごうとは考えていた。
だが、ああいったからには半端な腕じゃいられない。
即日父に土下座で弟子入りを申し込み、それからしばらく、高校を卒業してからもずっと修行の日々が続いた。
「やっぱ俺、単純だなあ」
烈火がここまで頑張れたのも、柳の為だ。
柳の為に戦い、柳の為に傷つき、そして今は柳の為に生きている。
自分には柳が必要なのだ心底思っていた。
柳が“死んだ”時に、何もできなかったのもそのためだ。
左頬の古傷が、わずかに痛んだような気がした。同時に、それをつけた者の姿が頭を過ぎる。
『貴様はそこで止まってしまうのだな』
烈火を動かしたのは、“兄”の言葉だった。
反吐が出るほどムカつくし、顔を合わす度に殴り合うほどに大嫌いだったクソ兄貴。
だけど、彼もまた強く、勇敢な人間だと知っていた。
恋人を喪った。信頼できる部下も喪った。愛する父母も、故郷さえも喪った。
それでも彼は戦い続けた。非道に走り、他者を傷つけ、己の心までも傷つけながらも、彼は決して立ち止まりはしなかった。
大嫌いでも、その強さは尊敬していた。
『貴様も答えを出せ!烈火!!!』
大嫌いな尊敬する兄の声は、烈火に大きな勇気を与えた。
呪われた炎。魂を呪い、炎に変える忌むべき能力。
たとえ、禁忌を犯したとて構わない。
悪鬼と化すことよりも、己や仲間と共にいることを少女は喜んでくれるだろう。そう思える勇気があったから。
全てが終わり、柳が蘇っても、しかし、兄の手元には何も残らなかった。
共に戦ってきた恋人も、部下も、炎を生み出す能力すら消え去った。烈火と柳のようなハッピーエンドは用意されていなかった。それでも、兄は戦いの道を選んだ。
過去に帰り、為さねばならぬことを為すために。
「……ありがとよ、紅麗」
多分もう、二度と口にすることはないだろう兄への感謝。今この時だけは、言わねばならないと思った。
今の烈火と柳があるのは、きっと彼のおかげだから。
『バイバイ、みんな。俺、紅麗について行くよ。一人じゃ寂しいだろうから!』
弟分との別れもあった。
烈火にとって、大事な仲間であり、家族でもある小さな少年。
一人ぼっちになってしまう紅麗を案じて、仲間との別れを選んだ優しい少年。
弟に彼の名前をつけたのは、そんな彼のようになってほしいと思う気持ちからだ。
天真爛漫で、いつでも前向きで、とても心優しい彼のように。
両親も、同じことを考えていたのだろう。
「小金井、おめーの“弟”、元気にしてるぜ」
それもまた、聞こえるはずのない呟き。だが、それでも良かった。
彼もまた、今の烈火と柳がいられる恩人にちがいない。
いや、彼らだけではない。今まで烈火と柳が関わった人間はみな、二人にとっては恩人であり感謝の対象だ。
様々な出会いがあったからこそ、彼らは歩き続けることができた。たくさんの出会いが、彼らに勇気と希望を与えてくれた。
だから、今日この結婚式にはたくさんの人を呼んだ。感謝の言葉を伝えるため、幸せな自分たちを見てもらって支えてきてくれたお礼をするため。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
「花菱さん、そろそろお時間です」
促され、時計を見ると式が始まる10分前だとわかった。
烈火は立ち上がり、鏡に映った自分の姿を眺めた。純白のタキシードが、忍装束に変わる彼の晴れ着だ。
烈火は大きく深呼吸すると、扉を開けて控え室を後にする。
一歩、また一歩と通路を歩く度に心臓の鼓動が速くなるのがわかった。
柳はどんな顔で自分を迎えてくれるのか。自分はどんな顔で柳を迎えに行けばいいのか。
教会の扉の前で、柳と会った瞬間、そんな緊張は全て吹き飛んでしまった。
純白のウェディングドレスは纏い微笑む柳はまるで、天使のように美しかった。
かつて、烈火が柳を炎に変えたとき。あのときも柳は笑っていた。
翼を生やして、優しく烈火の手を引いて、天使のように笑っていた。
柳を喪ってしまった辛さも、悲しみも、全て忘れてしまうような笑顔で烈火の心を暖めてくれた。
今の柳の笑顔もまた、烈火の心を暖め、癒してくれる。
柳は烈火に左手を差し出した。あのときと、同じように。
「いこうよ、烈火」
烈火は右手を伸ばして、柳の手を優しく握った。
「おう!」
教会の扉が開かれる。
それは、二人が新たな人生の扉を開いた瞬間でもあった。
二人の関係は、これで終わる。しかし、また新しい関係が始まるのだ。
忍と姫君から、恋人同士になったあの時のように。
恋人同士から、家族へと。
これから、二人の前には様々な困難が立ちはだかることになるかも知れない。
それでも、烈火はちっとも怖くなかった。
たとえどんな壁に阻まれようと、きっと乗り越えていける。ずっと、歩き続けていけると確信していたから。
──この、愛しの姫君と一緒なら。
Wedding of Recca ~完~
お疲れさまでした。
いかがだったでしょうか?
宣言通り、ヤマナシオチナシで作者の妄想を詰め込んだだけのような作品でしたが、なんとか完結させることが出来てホッとしております。
話数としては全九話と短い上に中途半端な数字になりましたが、連載を無事やり遂げたのは初めてですのでそういった意味でも感無量です。
出したかったキャラ、出し忘れてたキャラ、もっと語らせたかったキャラ、色々あって不満な部分もあるにはありますが、それでも烈火の炎という素晴らしい作品のキャラクターたちを勝手にお借りして動かすというのはとても楽しかったと思います。
今後については、どうしようか考えている途中です。
久々の執筆活動で、本当はこの作品だけで終わるつもりでしたが、ありがたいことに読者の方からリクエストを頂き、また連載を始めようかと思っている作品があります。
もしかしたら、それの前に一つ短編を書くかも知れませんが。
いずれにしても、しばらく時間が空くとは思いますので、思い出したときにでも、烈火の炎で検索をかけていただければ幸いです。
長々と失礼しました。
では、どうもありがとうございました!