Wedding of Recca   作:ぎんぎらぎん

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第八話:成男の場合with麗しき婦人

火のついた煙草を思い切り吸い込むと、ニコチンが肺を満たす感覚が非常に心地いい。息を吐くと同時に白煙がぷかりぷかりと宙に浮かんでいく。

しかし白煙が自由でいられた時間もごくわずか。すぐに空調機へと吸い込まれてしまい、また密室の空気を白く汚す作業が繰り返される。

ここ何年かの間で、喫煙者への風当たりは随分強くなってしまった。以前友人の結婚式に招待されたときは、ロビーでもどこでも吸い放題だったのに、今はこんな小さな箱のような空間をあてがわれるだけだ。

 

「俺もぼちぼち禁煙しねーとなぁ」

 

赤く輝く煙草の先端を見つめながら、花菱成男は呟いた。

妻が薫を身ごもってからは、屋外のみという条件つきで喫煙を許可してもらっていた。しかし、今度から花菱家に嫁いでくるのは良いとこのお嬢さんだ。煙草の香りを嗅がせてしまうのは忍びないし、もし妊娠中に煙を吸い込んでしまい子供や母体に何かあっては申し訳が立たない。

それに、成男自身も生まれてくるであろう初孫には、健康でいてもらいたい。

昔はもう少し大雑把に子供を扱っていたはずなのだが、歳をとって過保護になってしまったのだろうか。

 

「昔は、か……」

 

思えば、烈火を拾ったあの雨の日からもう24年も経っている。あの頃はまだまだ若かった自分も、気づけば祖父になろうかという年齢だ。全く持って、時間が経つのは早いものだ。

 

「っと、もうこんな時間か。そろそろ出ねえとな」

 

腕時計を見ると、時刻は式が始まるちょうど30分前だ。

成男は煙草の火をもみ消すと、灰皿に投げ捨てて、喫煙スペースを後にした。ドアを開いた瞬間目に入ったのは、着物姿の女性だった。

歳はおそらく自分とほぼ変わらない。美しく整ったご尊顔に落ち着いた佇まいは、まさしく大和撫子と呼ぶほかない。

女性は成男を見ると、すぐさまペコリと頭を下げた。

 

「どうも、はじめまして。花菱烈火さんのお父様でいらっしゃいますね?」

 

「えっ?あ、ああいや、はい。お父様でいらっしゃられます」

 

普段聞き慣れていないお上品な敬語に動揺し、ついおかしな返事をしてしまう。

婦人はクスリと笑って、懐から名刺を取り出し成男に渡した。

 

「お初にお目にかかります。森月乃と申します。本日は、お招きいただいてありがとうございます」

 

「あっ、ああこりゃどうもご丁寧に……あっ、花菱成男です。名刺なんてもっておらんので失礼ですが、花火屋やらしてもらっとります」

 

慌てて名乗り返しながら、受け取った名刺に視線を落とす。そこには誰でも一度は聞いたことのあるような大企業の名前と、代表取締役の文字。成男の体が硬直した。

 

「しゃ、しゃ、社長さんですか!?」

 

てっきり学生時代の担任か何かだと思っていたら、まさか大企業の社長とは。しがない花火師の倅が、一体どこで知り合ったというのか。

 

「社長だなんて名ばかりですわ。主人が立ち上げた会社をそのまま引き継いだだけですし、実質的にはほとんど部下が取り仕切っております」

 

「はぁ……。いやしかし、お偉い立場なのは変わらんでしょう。ウチのバカ息子とは一体どういうご縁で?」

 

その質問に、月乃は一瞬考え込むような仕草を見せたが、すぐに成男の目を見つめて口を開いた。

 

「……お父様に隠す必要はありませんものね。花菱さん、烈火さんに兄がいたことはご存知でしょうか?」

 

「……ええ、まあ」

 

成男は、烈火たちが“何”をしていたのか、敢えて聞かないようにしていた。彼らが抱える問題に、軽く踏み込むべきではないとして。それは謎の男に拉致されて、命を狙われてからも変わっていない。

それでも、多少の事情は陽炎から聞き及んでいた。烈火が実は400年前に生まれた人間だということ、腹違いの兄がいること、烈火たちがしていたことにはその兄も少なからず関わっていること。

 

「兄の名は、紅麗といいます。私はその紅麗の義理の母親でした」

 

「義理の……」

 

「ええ。ちょうど、貴方と同じです」

 

父と母の違いはあれど、成男と月乃の立場は同じだ。共に400年の時を越えてやってきた烈火と紅麗を、共に我が子として育て上げた。

 

「その紅麗さんは、今どうしておいでで?」

 

「あの子は……旅立ちました。遠い、遠いところへ」

 

成男に尋ねられてそう答える月乃の表情は、とても悲しげであった。息子がいなくなってしまったことではなく、もっと別の、もっと深いところから来るものであるように、成男には感じられた。

 

「実は私、部下に頼んで烈火さんをお招きしたことがあるんです。紅麗の弟君がどんな方なのか、一度お会いしてお話したいと思いまして」

 

「ええっ!?……うちのバカ、何かご無礼を働いたりはしませんでしたか?」

 

「とんでもない。とっても礼儀正しくて紳士的でしたよ」

 

「紳士的、ですか……」

 

『てめっ、糞オヤジ!!人のプリン勝手に喰いやがってぇ!!』

 

『ぬははははは!!ぶぁーかめぇ!息子のモノはお父上様のモノ!喰われたくなきゃ名前書いてハンコでもおしとれぃ!!』

 

『上等だコラァ!てめーの顔面に焼き印入れたらぁ!!』

 

こんなやり取りをして陽炎にフライパンで殴り倒されたのがつい一週間前のことだ。どの辺が礼儀正しくて紳士的なのだろうか、と自分のことは棚に上げて首を傾げる成男。

成男の考えてることに気づくことなく、月乃は続けた。

 

「二人の兄弟仲、良いものとはとても言えませんでしたから。義理とはいえ紅麗の母である私と会って、不快になられないか心配だったんです……。でも、烈火さんはそんな私にも笑顔で接してくれました」

 

『あんたが、紅麗のお袋さん……』

 

『ごめんなさいね。急にこんなとこに呼び出して、一度会いたいなんて私のワガママに付き合わせてしまって。……あなたにとって、私はあまり会いたくない相手かも知れないけど、紅麗の弟さんを一目見たいと思ったの』

 

『なーんだ。そんなことなら、別に気にしなくていっすよ!俺、紅麗のことは大ッキライだけど、紅麗と仲良かったからって誰でも彼でも嫌ったりしないんで!月乃さん優しそうだし!』

 

「あいつがそんなことを……」

 

初めて聞いた話だが、納得はできた。息子がレッテルや先入観で人を判断する人間でないことは、成男も自信を持って肯定できたからだ。

 

「本当に、ご子息はご立派に育たれました。きっと、良きご両親がおられたからですね」

 

「はは、私など、なーんもしとりませんよ。良い部分も、悪い部分も、頭の悪いなりにあいつが自分で考えてやってきた結果です」

 

「確かに、それも一理ありますね。でもね、それができる環境で烈火さんをお育てになった貴方がいたからこそ、彼は自分という人間をしっかりと築き上げることができたんじゃないでしょうか」

 

月乃の目が、じわりと潤んでいくのが見えた。

 

「……私たちは、それができませんでした。主人は紅麗を道具のように扱って、私はそれを止められないばかりか、あの子の足枷になってしまった。あの日、私があの子に声をかけなければ……あの子を拾ったのが私でなければ……、あの子があんなにつらい思いをすることはなかったかもしれない……」

 

ホロホロと、月乃の目から涙の粒がこぼれていく。

さっきの悲しげな顔にも合点がいった。きっと彼女は、このことを引きずっていたのだろう。

紅麗が自分の元にいたときから、自分の元を離れていった今に至るまで。ずっと、ずっと……。

 

「あの子は、こんな私を愛してくれました。私などに勿体ないくらいの愛を捧げてくれました。なのに、私はあの子に何もしてやれないままで……」

 

涙の粒は徐々に多く、大きくなっていく。貴婦人は、その美しい顔をくしゃくしゃに歪ませていく。

成男は、月乃にハンカチをそっと差し出した。

 

「月乃さん……私は、その紅麗さんとやらに会ったことはありません。だから、今から言うのはバカな息子を持つバカな親父の、ほんの戯れ言だと思ってください」

 

成男は息を大きく吸い込み、

 

「あんたの息子は、世界中の誰より幸せだった。親がそう信じてやらんでどうするバカタレがっ!!!」

 

静寂を保っていた空間を、怒声が震わした。

 

「してやれねぇことなんて、俺だってたくさんありましたよ。あいつにゃ母親がいなかった。16の時に生みの親と再会するまで、母親の温もりなんてもんも知らず、寂しい思いをさせ続けちまった。家だって小さい。俺の稼ぎがもっと良けりゃ、あいつにもっと美味いもん食わしてやれた。俺の頭がもっと良けりゃ、あいつの勉強も見てやれた。ひょっとしたら医者か弁護士にでもなれたかも知れねぇ」

 

成男は言葉を紡ぐ。自分の思いの丈をぶつけるために。

 

「でもね、俺はアイツを世界一の幸せモンだと思ってる。良いツレに恵まれて、弟もできて、仕舞いにゃあんなに別嬪で気だての良い嫁さんもらうと来たもんだ。馬鹿だろうと、貧乏だろうと、あいつは誰より恵まれて、誰より幸せに生きてる!俺はそう信じとる!」

 

それだけ言って、成男は月乃の肩に手をおいた。優しく、包み込むように。

 

「知ったようなクチ聞いちまってすんません。でもね、これだけは言える。アンタを愛し、アンタに愛された紅麗さんも、世界一の幸せモンですよ。だからもう、泣き止んでくださいよ」

 

「なぜ、ですか?何故貴方は初対面の私にここまで優しくしてくださるのですか?」

 

成男のハンカチを握りしめ、月乃はそう尋ねた。

成男は照れ臭そうに笑ってみせた。

 

「女の涙ほど苦手なモンはない。それだけですよ」

 

月乃は一瞬呆けたように口を開くと、クスクスと笑い声をもらし始めた。

 

「へへっ、我ながら臭ぇこと言っちまいましたね」

 

「ふふっ。いえ、違うんです……やはり、烈火さんは良いお父様に育てて頂いたのだなぁ、と思いまして」

 

「買い被りですよ」

 

育てた、というほど大層なことをしたわけではない。

烈火の今の幸せは、彼自身が過去に培ったものから生まれてきているのだ。

 

「私はただ、ほんの少しだけ手伝ってやっただけの話です」

 

『親父、いや師匠!たのむ、俺を弟子にしてくれ!!』

 

烈火が土下座つきでそんなことを言ったのは、彼が高3の秋頃の話だ。

急な志願に、成男はきっと柳と何かあったのだろうと察しを立てた。しかし、そこはつつかないのが男のマナーというやつだ。

それに、烈火が花火師という道を選んでくれたことに比べれば、そんなのは些細なことだった。

それから烈火はメキメキと腕を上げていった。元々、勝手に自分で花火や火薬玉を作っていたこともあり造詣は深く、興味のあることへの知識欲が豊富なことも手伝っていたのだろう。一流の花火師と呼ばれるまでに、そう長い時間を必要とはしなかった。

そして今日、烈火は結婚する。結婚して、家庭を持って、一人の男として立派に育ちきろうとしている。

 

ふと、頬を温かい何かが伝った感触を覚えた。

それが涙だと気づくのに、少しばかりの時間を要した。

 

「あれ?」

 

慌てて袖で涙を拭う。しかし、また新しい雫が流れ落ちてきてしまう。

 

「ははは。いやー、お見苦しいとこお見せして申し訳ない。エラそうに説教垂れて、テメーが泣いてりゃ世話ねーですわ」

 

なんとか断ち切ろうとして、何度も何度も袖を頬に擦り付ける。しかし、涙腺は閉じることなく、いつまでも生温い液体を流し続けていた。

 

「だいたい娘ならともかく、息子の結婚式で父親が泣いちまうなんて情けねー話でさぁ。チキショー、なんで止まらねーんだチキショー」

 

もう一度、持ち上げられた成男の腕を月乃は掴んだ。涙で袖がぐしゃぐしゃに濡れてしまっている成男の腕を、月乃はそっと下ろさせた。

 

「確かに、息子の結婚式に男親が泣いてしまわれるのは情けないかもしれません。でも、でしたら今、泣いてしまいなさい」

 

まるで息子に対してのように、厳しい口調で月乃言った。

 

「情けないと思うなら、今ここで存分に泣いておゆきなさい。ここで泣いて、涙を枯らしておきなさい。そして、ご子息の門出を笑顔で見送って差し上げるのです」

 

そう言って、月乃は笑った。まるで母親のような暖かさで。

 

「なんて、失礼なことを言ってしまって申し訳ありません。でも、今ここにいるのは私と貴方だけ。貴方がどれだけ泣いたって、それは私以外に知られることはありません。だから……思う存分泣いてくださればよいのですよ?」

 

「へ、へへへへへっ。なるほど、確かにこりゃ、笑っちまいますね。月乃さん、あんたこそ良いお袋さんですよ」

 

まるで決壊したダムのように、涙は止まることなく。

 

「ああ、チキショー。あの鼻タレ小僧、ちょっと前まではこんなにチビだったくせにデッカくなりやがってよ、チキショー。立派になりやがったな。美人の嫁さんもらって、こんないいとこで式挙げやがるなんてよ。くそっ、幸せに、幸せになりやがれってんだコンチキショー」

 

嗚咽を漏らし、悪態をついて、涙と鼻水で顔を汚しながらも、成男は笑っていた。

自慢の息子の結婚を祝い、自慢の息子の幸せを祈り、花菱成男の涙は、しばらく止まることはなかった。

 

 

『父ちゃん』

 

『ん?』

 

『オレには母ちゃんなんでいないの?』

 

『……おやつでも食うか!』

 

『さいこんってしないの?さびしくないの?』

 

『さびしかねーぞ。おまえがいらあ!!』

 

『……花火作ってるときタバコ吸うなよ』

 

『おまえ今照れただろ!照れてるな!?ぎゃははははは!!』

 

 

 




一応、次回が最終話となる予定です。
今思うと、だいたいみんな烈火のことばっかで柳のことを語ってくれてる人がほとんどいないですね(笑)
今までの分も合わせて、最終話では烈火に柳のことをたくさん語ってもらえればなーと思ってます。

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