「土門、風子!」
立迫夫妻と別れた土門は、自分の名を呼ばれてくるりと振り返る。隣にいる風子も同じように、首を回して後ろを向いていた。
入り口の自動ドア前に立っていたのは、かつて同じ志を持って共に戦った戦友とも言うべき男。
「ジョン!!」
ジョンはガクリとズッこけるのだった。
「……その名で呼ぶなと言ったはずだ」
「ちょっ、タンマタンマ!!じょーく、じょーく!!」
「落ち着けみーちゃん!どうどう!!」
自分に向けてボールペンの先を振り下ろそうとするジョン、もとい水鏡の手を必死に抑えつけながら土門は許しを乞おうとする。
風子も必死に宥めようとしているが、我が身可愛さからか近づこうとはしない。
薄情な女神様に見捨てられ、怒りのパワーでグイグイと眼球に近づいてくるボールペンを前に、土門が死を覚悟したその時。
「こらっ!こんなとこで暴れるんじゃない!」
不意に飛んできた怒鳴り声に、土門たちの体が硬直する。ずんずんと巨大な影が近づいてきたかと思うと、太くて固い手が土門と水鏡の首根っこを掴んで立ち上がらせた。
「まったく、お主らは幾つになっても変わらんな」
厳ついガタイにつるりと光るスキンヘッド。かつて火影の前に立ちはだかった男がニヤリと笑った。
土門は思わず声を上げる。
「空海のオッサンじゃねーか!!」
「よう、久しいな!」
空海は土門たちの首から手を離して、二人の頭を軽く小突いた。
「久々に会ったと思ったら、また昔のように漫才ゲンカとはなぁ。初めて会ったときから少しも成長しておらん。水鏡などむしろ幼稚化してはいないか?」
空海の小言に、三人はバツが悪そうに俯いた。水鏡に至っては今にも舌を噛み切ってしまいそうな程に苦々しい表情である。同類扱いされたのが相当悔しいらしい。
「まあ、それがお前たちの長所でもあるがな」
凹んでしまった元火影たちの肩をポンポンと叩く空海。“仏”と呼ばれる程に柔和な笑みは、それこそ昔と変わらないと土門は思った。
多少歳を重ねても、あの頃の豪放磊落ぶりは健在のようだ。
「さて、小言はここまでにして、お前たちが今何をしているのか教えてもらおうか」
空海はそう言って、それぞれの近況を尋ねてきた。今日すでに何度も繰り返している自身等の近況を三人は順番に述べていく。
空海はどれも興味深そうに、時折相槌を打ちながら聞いていた。
「そうか……お前たちも立派になったもんだ」
「なーに先生みたいなことお言いよ空海。あんたらの方こそ最近どうなの?」
しみじみと教師ぶったような感想を述べる空海に、風子は背中を叩いてそう尋ねた。それはつまり、“空”のその後について聞いているのであろうことは土門にも理解できた。
空海も同じように受け止めたようで、後頭部を太い指で掻きながら答える。
「“空”の者達もみな元気にしているよ。今日も道場は娘夫婦に任せてきてある。最澄たちの分も招待状は貰っていたが、あまりに大人数でも迷惑になるのでな。代表として俺だけ来ることにしたんだ」
空が殺人から手を引いたことは聞いていた。それが最澄の強い希望によるものだということも。
暗殺集団と化していた空は、今は単なる武術道場となっている。子供を中心に、多くの人々に空の武術と精神性を伝えることが、今の空の生業である。
もっとも、悪さを働く輩にお灸を据えてやる程度のことは今でもしているらしいが。
「ずっと気になっていたんだが……」
「ん?どうした?」
「……暗殺業から手を引くことに、反対の声はなかったのか?」
「なかったわけではないさ」
水鏡の問いに、空海はそう答える。
「もともと、空の名を残すために選んだ道だ。それを止めてしまえば、空の先人たちが築き上げてきた物も、みな捨ててしまうことになる。それを危惧する声は少なからずあった。道場などを細々続けたところで近い将来に衰退し、やがて滅ぶのは目に見えているしな」
たとえ人の道を外れようとも、その名を汚すことになろうとも、空の存続のために空海が選んだ暗殺業という道。
そこから退くことに否定的な意見がでるのは当然のことだろう。
「最澄が言ったんだ。『汚し続けることでしか残せぬ名なら、いっそ滅んでしまえばいい』とな。奴自身にも苦しい決断だっただろうに……」
最澄がどれだけ空を想い、空のために命を懸けたか。病をおしてまで裏武闘殺陣に出場していたことからも想像はできる。
その最澄が自ら空の歴史に終止符を打つと決めた。そこに、いったいどれほどの覚悟が必要だったのか。
「無論、最澄の意見に賛同してくれる者もいた。大黒に、あの藤丸までもな」
「はあー、あの性根腐った変態がねえ」
「おまえたちにあてられたのかもしれんなあ」
風子に返した空海の言葉には、きっと自分自身も含まれているのだろう。
かつて烈火と闘い、人を殺す覚悟を説いた自分自身も。
「今思えば、あの試合が空の転換点だった。火影の力、信念を見せつけられたことで、己らに何が足りていなかったのか見つめ直すことができたのだ。改めて礼を言わせてもらうよ」
土門は空海の胸を拳で叩いてやった。
「水くせえことは言いっこなしだぜ、オッサン。俺たちだって、あんたらにゃでっけえ恩があるんだからよ」
囚われた柳を取り戻すための、裏麗の本拠地SODOMでの戦いに空は力を貸してくれた。そしてその戦いで、南尾をはじめ多くの空の者達が命を落とすこととなった。
全てが終わった後、救い出された柳は泣きながら空海たちに謝った。
『ごめんなさい、私のために……こんな、こんなこと……』
少女が酷く傷ついていることは、みなわかっていた。いや、柳だけではない。火影の者達全てが、死を悲しみ、こんなことに巻き込んでしまった自責にかられていた。
しかし、空海は彼らを責めはしなかった。ただ笑って、柳の頭を優しく撫でた。
『俺は死人ではないし、死んだ者たちが今何を思っているのかはわからん。だが、きっと奴らは満足していると思うぞ』
『まん……ぞく?』
『ああ、奴らは戦いの中で死ぬことができた。それも暗殺のような汚い仕事ではない。ただ一人の少女を守るという“大義”のために戦って、散っていたのだ。お主が無事帰ってくることができて、奴らの死は無駄ではなくなった。きっと今頃、あの世で喜んでいることだろうよ。言っただろう?“空”は世界最強の男達だとな』
「あの言葉のお陰で、柳も私らもずいぶん救われた気がしたよ。まさに、仏様のお導きってやつ?」
「はは、随分と買い被ってくれたものだな。ならこちらも言わせてもらおう、『水くさいことは言うな』」
空海は笑い、土門たち三人も同じように笑った。
かつての敵が仲間として共に戦ってくれる。これもまた、人の縁というものなのだろう。
「おっと、そうだそうだ。お前らに見せてやりたいものがあったんだ」
空海はそう言うと、ポケットからスマートフォンを取り出して、その画面を三人に見せつける。
「ほらっ、ほらほら!」
そこに写っていたのは、空海と、掲げられるようにして顔を並べている小さな赤ん坊だった。ピンクの服を着せられているということは、女の子だろうか。
「これってひょっとして、最澄と魅空さんの子供?」
「そう、つまり俺の孫!」
風子の問いに頷く空海の顔は、まさに喜色満面といった様子だ。よっぽど孫自慢がしたくてたまらなかったんだろう。
「いやー、参っちゃうよなぁ♡俺のことじーじなんてよんじゃってさあ、すーぐ俺に引っ付いて来るもんで動きづらいったらありゃしない!」
さっきまでの真面目な空気はどこへやら、おのろけモードに入って鼻の下を伸ばす空海を、三人は少し冷ややかに見つめる。
「ジジバカ全開だな」
「だって愛くるしくって仕方ないんだもんよー」
水鏡がトゲを刺しても、意に介する様子もない。相当重症のようだ。
「ほらほら、もっとよく見ろって。俺に似て玉のようにかわいいからさぁ」
「パチンコ玉みてーな頭しちゃって、なーに言ってんだよ」
土門は笑いながら、ペチンと孫自慢するお爺様の頭をはたいた。
その瞬間、辺りの空気が凍ったように冷たくなるのを感じた。
「へ?何コレ」
鈍感な土門でさえ感じてしまうほどの、ヤバいオーラ。それはどうにも、空海から発されているようだ。
ふと、水鏡が目を見開いた。それはまるで、何か重大で深刻なことを思い出したかのように。
「……おい土門。今のは“何発目”だ?」
「何発目って一体……」
そこまで言って、土門も思い出す。顔を真っ青にしている辺り、風子も思い出したようだ。
自分たちがついうっかりと地雷を踏んでしまったことを。
まず風子が背中に一発。土門が胸と頭で計二発。合わせると、三発。
そう、三発。
「……さっきから、ベシベシと叩きおって」
空海はいつもより低く、ドスの利いた声を発した。肌は浅黒く変色し、こちらを見る双眸は鋭さを増している。
三人共目にしたことのある、まさしく鬼のようなその風貌。
「仏の顔も三度までよ」
「ぎゃああああああああ!!」
「でっ、でたあああ!!」
脱兎のごとく逃げ出す三人と、それを追いかける空海。鬼ごっこは、式が始まる直前まで続いたという。
この話は本来入れる予定はなかったのですが、ちょっとした方向転換に伴い作りました。
火影だけの話にしようかとも思いましたが、空海のオッサンは是非とも出しておきたかったのでここにねじ込む形に。
行き当たりばったりはよくないということですね。