小高い丘の上に、目的地である結婚式場は建っていた。童話のお城を思わせるようなその純白の建物に、見たもの全てを虜にしてしまいそうな魅力があった。男勝りな風子ですら思わず「キレー……」と声を漏らしてしまう。
「お姫様にはピッタリの場所だな!」
土門もまた目を奪われてしまいそうになった純白の教会は、辺りを森林に囲まれており、都会の喧噪とは無縁の場所にあった。まさに、白雪姫の舞台にでもなってそうなロマンチックな場所だ。
聞けば、この式場を探し出したのは烈火だという。ガサツに見えて女性への気配りに長けているところは相わらずだ。
「私もこんなところで式挙げたいなぁー」
風子のらしくない呟きに、惚れてる身ながら吹き出してしまう。愛しのハニーはなんだよ、と照れ臭そうにこちらを睨んできた。
「いや、てっきり雀荘やら競馬場にしか興味ねーと思ってたからよ」
「バーカ。結婚式ってのはな、全ての女の子の憧れなんだよ」
「あれ、風子様はもう女の“子”ってトシじゃ……」
痛烈なボディーブローが土門の言葉を遮った。どうにも、烈火と違って女性に素で失礼をかましてしまうタチらしい。
タクシーは教会を通り過ぎて、隣接するホテルの前に停まった。遅刻と失言の罰としてお前が払え、と風子の命令が下る。異を唱えようとするも、結果どうなるかは火を見るより明らかだったので土門は泣く泣く諭吉との別れを選ぶことにした。
「うひゃー!こりゃまたでっけぇなぁー!」
感嘆する風子に吊られて顔を上げると、そこには巨大かつゴージャスな建造物がそびえ立っていた。天を仰ごうと思っても、首を90°曲げないと叶わないほどに大きなそのホテルは、今日土門と風子が泊まる予定の宿でもあった。
式場の側にあるという理由でこのホテルを選んだ過去の自分を呪いながらも、そういえばこれも半ば風子に押し切られる形での選択だったなと思い出す。尻に敷かれる立場の者の悲しい運命だ。
土門の頬を涙が伝う。
「およ?どしたの土門?」
「なんでもありませんよコンチキショー」
惚れた弱味というよりも、恐怖政治だ。土門の涙の理由などつゆ知らず、自動ドアをくぐった風子は無邪気に声を上げた。
「すっげー」
なるほど風子が驚くのも無理はない。広々とした空間に、豪華なソファー。極めつけに貧乏人が誰しも一度は憧れる巨大なシャンデリア。一流のホテルなだけあって、ロビーも大したものだった。
そこに集ったたくさんの人の中には、見知った顔もちらほら伺うことができた。
「おーおーいるいる!とりあえず挨拶しに行くべ!」
「だな!でもその前に……」
そそくさと駆け出す風子。その意味が汲み取れず、土門は風子を呼び止めた。
「おーい、どこ行くんだよ?」
風子は立ち止まりムッとした顔を向けてきた。
「おバカ!レディが黙って立ち去るってどういう時かわかんだろ!?」
土門はしばし考えて、やがてポンと手を打った。
「ションベンか!!」
風子のアッパーで宙を舞いながら土門は思う。
『ああ、そういや俺、花菱だけじゃなくてこいつにも勝ったことなかったな』
ズキズキ痛む顎を押さえながら、土門はドカッとソファーに腰を下ろした。
「おーいてぇ。パンチのキレは昔と変わんねーな」
似たようなセリフを毎日吐いてる気がする。自分にデリカシーがなさすぎるのか、風子の手が早すぎるのか。大好きな風子様だが、毎度のように殴り飛ばされることだけは憂鬱である。
コーヒーでも買いに行こうかと自販機を探して辺りを見回すと、視界の端に三人組の美女が映った。
風子一筋を誓った身のため、他の女にうつつを抜かすなど以ての外だと考え直すが……
(眺めるだけなら浮気ぢゃねえ!)
心の中で叫んで、じっくり見ようと顔を向ける。すると、土門の視線を感じたのか、三人の中の一人である金髪ショートカットの女もこちらを向いた。
そして、二人の目があって、
「げっ」
声が重なった。その声に反応し、癖のあるロングへアーの女もこちらを見てくると、あんぐり開いた口の前に手をやった。
「おめーら!」
土門は立ち上がってズカズカと女たちに近づいていく。女たちは引きつった表情で土門を迎え入れた。
「麗(音)の亜希に魅希じゃねーか!!」
「……よりによって石島土門。ついてないね」
土門に向かって憎まれ口を叩くショートカットは亜希、何も言わないが目で拒否を訴えてくるロングヘアーは魅希。かつて土門たちと戦い、共闘したこともある女戦士だ。
「ってことは、も一人いる女は……」
この二人がいるということは、あの女もいるはずだ。かつて火影と敵対した麗という暗殺組織で十神衆の一人に数えられていた音使い。
「音遠!?」
「……久しぶりだね」
亜希や魅希のように嫌な顔をすることはなく、音遠はひらひらと手を振ってみせた。
「おめーら、なんでこんなとこにいんだよ?」
「なんでも何も、式に招待されたからに決まってんでしょ」
土門の問いに対する魅希の答えは、至極当然のものだ。確かに、よく見れば三人共ドレスを身に纏っている。
「花菱のやろー、こんなのまで呼んでやがったのか」
「こんなのとはなんだ、こんなのとは!」
「よしなさい亜希」
怒って詰め寄ろうとする亜希を、音遠が諫めた。
「せっかくのお祝い事なんだから、揉めたりするんじゃないの」
「……はい、お姉さま」
うなだれる亜希に、土門は尻を向けてぺしぺし叩きながら追い討ちをかける。
「やーい、怒られてやんのー♪」
「あんたも」
射殺すような音遠の視線が、尻を叩く土門の動きを封殺した。
「あんまし、ウチの妹分いじめてると……すり潰すわよ?」
「はっ、はいぃ!!」
背筋をピンと伸ばして、両手で股間を押さえる土門。流石に元十神衆だけあって、風子にも引けをとらない迫力である。
「……全く、少しは大人になってるかと思ったのに、昔とちっとも変わってないね」
「そーそー。それに何よそのモヒカンと鼻ピアスは。社会人のくせして」
呆れたようにため息をつく音遠に同調して、亜希も土門に人差し指を向けながら指摘する。土門は顎をしゃくってヘンッ、と鼻を鳴らした。
「土門ちゃんのトレードマークをそう簡単に変えれるかってんだ。それにこちとら自営業じゃ!服装も髪型も自由なんだよ!」
言いながら亜希の頭に手を置いて、髪の毛をグリグリとかき回す。
「オメーだってこんな明るい髪してんぢゃねーか!」
「ばっ、やめろ。セットが崩れちゃうだろ!それにこれは地毛よ!」
「自営業は私たちも一緒だしね」
土門の手を払いのける亜希の言葉を、魅希が引き継いだ。
「へぇ。なにやってんだよ?」
「カフェよ。三人でね」
「オシャレなカフェなのよ?お前なんかとは全然違うカッコいいお客さんばっかなんだから!」
誇らしげに語る魅希と亜希に土門は首を傾げながら尋ねた。
「でもお前ら独身だろ?」
土門の両足に姉妹から息のあったローキックが入れられた。土門は悶絶してうずくまる。足をさすりながら前を見ると、ちょうど同じくらいの目線をした可愛らしい少女の顔が見えた。土門と目があった少女は、怯えたように音遠の陰に隠れてしまう。
土門は指を差しながら恐る恐る音遠に聞いた。
「お、おい。まさかそのちびっこいのは……」
「そ、私の娘」
こともなげに答える音遠だが、土門は開いた口が塞がらない。
「おっでれーたー。まさか子ども作るたぁ思ってなかったぜ」
「どういう意味よ?」
「いやだっておめー、紅麗一筋だとばっかり……」
そこまで口にして、土門の頭の中にある可能性が浮上する。
もしかして、もしかすると……
「な、なぁ、ひょっとしてその子、紅麗との子だったり……」
「あら、よくわかったわね。私と紅麗様の子どもよ」
頭に石臼を落とされたような衝撃が走った。
紅麗の子ども、紅麗の子ども、紅麗の子ども!!とんでもない事実が脳みそを駆け巡る。
口をパクパクさせながら、土門はなんとか声を絞り出した。
「……やることやってたんだな」
脳天にたたき落とされた音遠のチョップが土門を完全に覚醒させる。ここまでくると殴られ慣れもするものだ。
「ほら、ちゃんとご挨拶なさい」
音遠に促され、少女はおずおずと前に出てくる。
そして、小さく口を開いた。
「あ、あの……はじめまして……あの、その……」
そこまで言うと、あとは口をパクパク開閉させているだけで声が聞こえない。どうやら緊張で言葉が出てこないらしい。
紅麗の娘ということは、烈火の姪でもあることになる。なるほど、言われてみればどことなく面影があるような気もする。
土門は少女の頭を撫でながらニカッと笑って見せる。
「おう、はじめまして!よろしくな!」
少女は土門の手から逃れるようにして、また音遠の後ろに隠れてしまった。
音遠は小さくため息をついた。
「……まったく気の小さいことで。誰に似たんだか」
「可愛いもんじゃねーか!今いくつなんだ?」
「8歳よ。来月で9歳になるわね」
音遠に告げられ、ほほーと土門は頷いた。
今8歳でもうすぐ9歳ってことは、つまり仕込まれた日は……
「どうしたの?」
「あっ!いやいやなんでもねぇ!」
亜希に顔をのぞき込まれた土門は、首と手を大きく振りながら慌てて誤魔化した。
今考えてたことを知られたらまた殴られてしまう羽目になっただろう。
「そっかー来月誕生日か。だったらよ」
土門はソファーの前のテーブルに近づくと、そこに備え付けてあるナプキンに自前のペンを走らせる。再び音遠たちのところに戻ってそのナプキンを手渡した。
「ほれ」
「なに?この番号」
「何って、俺んちの番号だよ」
受け取ったナプキンに書かれた文字を見て訝しげに尋ねてくる魅希に、土門はそう答えた。
「もうすぐ誕生日だっつーなら、プレゼントが必要じゃねえか。女の子へのプレゼントっつったら、お花に決まってんだろ?」
「花ねえ。ああ、そういえばあんたンチ花屋だっけ?」
「花屋!?」
納得した音遠とは対照的に、魅希と亜希が揃って驚く。
「んだよ?俺が花屋じゃわりーかよ?」
「いや、だって、ねえ?」
魅希は言葉を濁しているが、亜希はきっぱり吐き捨てた。
「花が哀れだ」
「にゃにおう!?」
亜希に対し、両手を振り上げ怒る土門。音遠がその間に割って入り、二人を手で制する。
「はいはい喧嘩しないの。……ありがとね、土門。注文させてもらうことにするよ」
「毎度あり!サービスしとくぜ!」
少女を見ると、おっかなびっくりといった風に土門を見つめている。土門はしゃがみ込んで、再び少女の頭に手をおいた。
「お嬢ちゃん、お花は好きか?」
「あ、あの、えっと……」
少女はキョロキョロと目を泳がせながらも、小さな声で呟いた。
「好き、です」
「そっか!」
土門は優しく笑って、立ち上がり、音遠に言った。
「式の後にでもよ、花菱にこの子会わせてやってくれや。自分に姪っ子がいたなんて、あいつが知ったら驚くぜ」
「……ええ、そうさせてもらうわ」
音遠もまた、微笑んだ。土門が初めて見るような、柔らかい笑顔で。
「おいどもーん!!」
風子の声が聞こえた。見ると、中年の男女と一緒にいるようだ。その二人には、土門も見覚えがあった。
「お!?ありゃー立迫センセと博子さんじゃねーか!わりーな、俺挨拶いかねーと!」
「じゃ、また後で式でね」
「お前ちゃんと行儀よくしてろよー」
魅希と亜希に手を振って、走り出そうとした土門だが、一度足を止め、音遠の方を振り返った。
「そういや、結局聞いてなかった!その子の名前、なんていうんだ?」
何事かと目をパチクリさせていた音遠は、それを聞いて、少し笑いながら
「ああ。“紅”っていうのよ。良い、名前でしょ?」
土門は僅かに驚きの表情を見せたが、すぐに笑って、紅という名の少女に親指を立てた。
「じゃな、紅ちゃん!」
駆け出した土門に、紅は小さく手を振っていた。
しんみりする話が多いと言った直後の話が明るくおバカな雰囲気に。
忘れていました我らがヒーロー、石島土門さん!
土門はほんと、書いてて楽しいキャラです。ギャグをやらせても良し、シリアスをやらせても良しのこのキャラクターを生み出した安西先生は本当にすごいと思います。