Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 中木洋子が何故、自分の作り出した妄想を現実として認識するにまで至ってしまったのか?

 それは殊の外、極々単純な出来事に根差していた。

 即ち、彼女はアノアデルという世界とアノアデルの魔術の存在を裏付ける、幾つかの出来事を目の当たりにしていたのである。

 確かに彼女に言わせれば彼女自身が所持している漫画やアニメ関連グッズも立派にその一端ではあるのだが、無論それが虚を真に変えるだけの証拠(もの)足り得るはずもない。

 虚構でしかなかったモノは数度、実際に彼女の眼前で現実と化して見せ、虚ろではなく(うつつ)であるとして終に彼女の思考に焼き付いたのである。

 つまりは。事実として洋子はアノアデルの魔術の行使に成功したことがあるし、事実として洋子はアノアデルからの使者に出会っているのだった。

 それらの出来事は確かに彼女の妄想や幻覚ではなかった。

 その痕跡は、彼女が毎日愛用している肩掛け鞄の中に今も大事に仕舞われているのだ。

 何よりも明確に彼女の事実を教える物証。それは洋子が、件のアノアデルから訪れたと語った人物から受け取ったものだったのである。

 

 

 ────が仕舞われた肩掛けの鞄が揺れる。

 女性が常日頃持ち歩くには、それはやや重い物体だったのだろうが、これまで洋子がそのことを一度として愚痴ったことはなかった。

 コミケや学校などで持ち物検査を受ける際、隠匿するのに難儀したことも多いが、それすらも『選ばれた者』が抱え込む苦役として彼女は半ば楽しんでいた部分さえある。

 もしかすると、それがいよいよ日の目を見ることになるかも知れないのだ。

 それこそこういう事態がいつ何時か訪れるだろうことを妄想(よそく)して、洋子は自ら苦労の源を携帯し続けてきたのである。

 不安などではなく。早まる足は、逸る気持ちは──。

 もしかするとそういう興奮や期待こそが本質的な原因なのかも知れなかった。

 兎に角。洋子は帰路を急いでいた。

 もちろん早々に帰宅し、自室に篭り、歌姫“銀河の精霊”のコスチュームを早々に完成させねばならないことも一因ではある。

 しかし、それ以上に遭遇していた事態こそが、彼女を足早にさせていたのだった。

 

 ──まだ、()けられている。

<その思考に焦りの色なく。或いはただ興じているだけの様に──>

 

 感じるものは気配。背後に在る異常。

 洋子は、その尾行を看破していたのである。彼女の持つ超感覚が、その異変を知らしめていたのだった。

 魔族は行動することで魔力の波を辺りに生じさせてしまい、大気中の魔力を乱す。魔族という生命体の本質が精神体である以上、その事象は避けようのないことだった。それは物体が移動をする際に気流を発生させてしまうのと同じようなことである。

 原作小説(ぶんけん)に幾度となく書いてある基本的な常識だ。そんな知識など当たり前のように織り込み済みだった。

 だから、彼女は追跡者の存在に気が付き、自身を付け狙う者が魔族であることを見破ることができたのである。

 そして追跡者が魔族であるという事態から当然の如く、洋子はその正体についても目処が立っていた。

 講義終了直後のトラブルなのだ。恐らくその穏やかな日常を破壊しようとする者とは、十中八九、館坂肇という人間を喰らい殺し、彼の皮を被って何食わぬ顔で教壇に立っていた魔族であろうはずだ。

 

 ──しかし、やるわね……

 

 一度は遣り過すことの出来た相手であれ、しかし、その魔族に対する彼女の警戒は講義中のものより、より強固なものへと変わっていた。

 将軍(ジェネラル)クラスの魔族という認識は軽率な判断のもたらした誤認で、そいつは元帥(マーシャル)クラスの強力な魔族なのかも知れないと洋子は考察するのだ。

 

 ──もう! こんな日に限って手持ちのマジックアイテムが少ないなんて……!

<迫るのは手に余ることの容易に予想できる強大な敵。

 そう思考するも、やはり焦ることはない。或いは、やはり余裕すら感じさせる──>

 

 もしかして、その“館坂肇”という魔族こそが憎き本当の父母の仇なのでは?

 王女(わたし)を逃してしまった罪を魔王に咎められ、追跡者如きに身をやつしているのでは?

 彼女の思考は突飛にも、そこまで飛躍して見せる。

 そう洋子に思わせるだけの要因が追跡劇にはあった。館坂という魔族が発揮している己が痕跡を消し去る──魔力の波動を掻き消す能力。その隠蔽技術が、凡そ考えられるレベルを凌駕して非常に巧妙だったのだ。

 上級魔族であれば確かに身につけていて然るべき能力でありながら、その技術水準は原作小説(ぶんけん)でも見受けられないほど超高々度なレベルに在ったのである。

 洋子であれども一瞬でも気を抜けば、彼をたちまちに見失うことだろう。

 

 

 ──感知妨害(ジャミング)まで巧妙に隠してる!? なんて厄介なのッ!?

<──無論。それらは結局のところ、彼女がそういう設定をしていっているに過ぎないのだが──>

 

 

 大学正門付近から開始された文字通りの追跡劇は、大学の存在する湾岸区画だけでは留まりはしなかった。

 モノレールに乗車し、都心部で降りた今現在に至っても追跡者は彼女を執拗に追っているのだ。

 それに感づいていることを悟られないように平静を装いながら、洋子はまだ完成して数年と経過していない駅ビルを抜けた。

 冷たい外気に映える夕日が彼女を迎える。

 駅北口には中央に噴水を配した立派なバスターミナルが設けられていた。

 “陸の孤島”とまでの揶揄されるオフィス街から到着した複数のバスが多くのビジネスパーソンを吐き出すことで、往来は何時にも増してごった返しており、そこは隙間のないようなほどの人間で溢れている。

 既に陽は半ば山の端に掛かっており、程なく街は夜を迎えるだろう。

 果たして、敵を迎え討つべきか? それとも撒くべきか?

 闇討ちには相応しい条件の揃う時間帯は僅か先。自宅付近まで敵を引き込んだとすれば、あまり気に留めることではないのかも知れないが、育ての親と義理とはいえ妹を巻き込む可能性もある。

 しかも、魔族に対して敵対行動を起こすにはまだ時期尚早とも思える──。

 だが、相手は本当の両親の仇なのだ……!

 不意に。駅入り口付近で立ち止まった洋子を、人々はさも邪魔そうな表情を浮かべ過ぎっていた。

 

 ──どうするの、私!?

  いくら夕日に感動してる風を装っても、ここでじっとしてるのにも限界があるわ────!

<──だが果たして、どれだけ考えを巡らせようが、それが本当に意味を持つはずもない。

 アノアデルから魔族による追跡など端から存在しないのである。館坂肇准教授とて、今は学内で論文作成の真っ只中だった。彼女を追っているという魔族とは何処まで突き詰めようが、所詮はフィクションの産物でしかないのだ──>

 

 無意味な思案は、そのだけで迷惑を被る人々を増やしていく。

 もしかせずとも、履き違えを始めた頃から、そのような被害を彼女は周囲に撒き散らしてきたのだろう。

 そうして、ぶつぶつと思考が口を吐き出す。

 自らの世界に入った彼女には、周りが見えるはずもない。

「──ヨコリーナ姫」

 不意に、小声で耳元に声がした。

 それは彼女のハンドルネームであり、そして本当の──アノアデルでの──彼女の名前だった。

「──!? その声!

 ──まさか、墓守?」

 外界と隔離された彼女の内なる世界にまで届いた呼びかけ。

 だが、その声は彼女の思考の殻を破ったわけではない。その声は彼女の殻と同質の世界のモノであっただけに過ぎないのだ。

 背後に突如と現れた気配に、洋子は驚いた。

 しかし、それが聞き覚えのある声であったことが彼女を安心させる。

 そうそう聞いたことのある声ではない。だが、それは洋子にとって忘れようのない声なのだ。

「左様です」

 小声でありながら澱みなく肯定を告げた男こそ、このような状況下で彼女にとって最も──否。唯一──頼りになる人物に他ならなかった。

 低く迫力のある声音は、成る程、それだけでかつては王国の精鋭部隊である近衛騎士団に所属し、一部隊を率いていた十人隊長だったという経歴に信憑性を持たせる。

 

 墓守。

 彼は自身の名を告げることなく、最後に王に課せられたという役割だけを洋子に告げていた。

 王亡き後に、王家の墓を護る任に一命を賭して就く者──。

 アノアデルと、この世界を結ぶ門でもあることを秘匿された王墓を守護する者──。

 

 彼こそが洋子の出会った“アノアデルからの使者”に他ならなかったのである。

 

 一瞬、男の声に喜びを浮かべた洋子だったが、すぐに気を引き締めると緊張した面持ちで警告した。

「……魔族が近くに。気をつけて」

「……成る程。そういうことでしたか。了解いたしました。では、そちらは私にお任せ下さい。姫はその隙に移動を」

 一般の人間には虚言と判断されて然るべき言葉に、眉一つ動かさず真顔で真摯に応じた男は、洋子に確かな安堵をもたらす。

 だが果たして、その安堵とは敵対する者を前に味方が現れたことに因るものだったのか?

 或いは、自分の現実が幻想というメッキで包まれたものではないことを証明する存在が漸く三度、目の前に現れたからだったのではないか──?

「しかし、相手は元帥クラスの魔族だと思われるわ。あなたではとても──」

 誰に表立って言うこともない台詞が、今だけはさらさらと自分以外の人物に向けて口から溢れ出る。

 それが洋子には堪らなく快感だった。

 敵うはずもない強大な敵を受け持つという男の決死の覚悟に、彼女は悲壮な顔を見せて言葉を呑む。

 そして、その気遣いの言葉も形だけのものでしかない。

 墓守という洋子の騎士は、彼女の幻想から抜け出した理想の体現でなくてはならないのである。

「どうぞ、ご安心を。何も迎撃しようというわけではありません。単に魔族の注意を一時的に私に引き付け、姫を安全に逃すべく撹乱を行うだけです──」

 戦闘能力を有するヒロインを物語の中央に頂く上で、ヒーローは時に颯爽と危機に駆けつける必要はあるものの、最終的にはあくまでヒロインのサポート役でなければならないのだ。

「ありがとう、墓守。気をつけて……」

 彼は、それを過去2回の邂逅に於いても完璧に弁えていた。

「──姫。此度は大事なお話が御座います故、御許に参上いたしました」

「了解したわ。では後ほど。そうね、例の場所で」

「御意」

 ならばこそ、彼こそは真実の使者なのだと洋子は思う。

 告げると男は颯爽と洋子とは別の方向へと足を進め出す。

 視線だけでその頼れる背中を追って、そして、彼こそは正に自身の物語に色を添える騎士様なのだと彼女は思う。

 実年齢を知りはしないが、一回りは洋子と墓守の年齢は離れているだろう。が、それは全く支障には成り得ない。

 歳の差などよりもドラマティックで、障害も厳しく多くもあろう身分を越えたロマンス。その究極とも言うべき姫と騎士の恋物語は、それこそ幾多の物語の主軸の一つではないか。

 少なくとも、洋子はそう感じていた。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 陽は疾うに暮れてしまっていた。だが、待ち人は未だ現れず。

 彼女1人だけを世界に残したかのように雑木林の中は静かに、ただ不気味なほどに静まり返っていた。

 さして広大な面積を持っているわけではない故に、そこは森ではなく林だと人々に認識されている。

 しかし、そもそも、ここが何故に林と呼称されているのかが洋子には不思議で仕方がなかった。

 噂などではなく、そこには、彼女の目の前には、朽ちた洋館が確かに存在しているのだ。

 ともすれば、ここは林なのではなく、誰かの所有地──広大な庭なのかも知れないである。

 だが現実は街の人々に、ここは単に雑木林だと認知されているだけで、どうしてか、この屋敷の存在も噂の域を出てはいなかった。

 

 林の中には、迷い込んだ者だけが辿り着く、死霊の住まう洋館が存在する────。

 

 この林にまつわる、そんな噂話を初めて聞いたのは、まだ洋子が小学校低学年の頃だったろうか。

 不思議と街の喧騒は聞かれなかった。ただ風が木々を揺らす音だけが、ぽつりと佇む彼女を取り囲む。

 この雑木林に、夜間訪れる者は皆無と言えた。

 そもそも不穏な噂を持つ場所である。夜にここへ訪れようという物好きはそうはいないだろう。

 それでもここに進んで足を運ぶ人間がいるとすれば、それは噂の真偽を確かめようとする怖いもの知らずの人間か、或いは人に知られずに何かを行いたい人間くらいのものだ。

 洋子もそうだった。人知れず修行を行うために。彼女はここを魔術の訓練場として選んだのである。

 それが初めて、洋子がこの場所に足を運んだ動機だった。

 その選択さえも魔族すら恐れる類稀な魔術の才がさせたものだと、今は思える。

 ここが墓守と落ち合う“例の場所”だった。

 そして、この場所こそ、この洋館の庭園こそが、洋子と墓守が初めて出会った場所だったのである。

 かつてその洋館には、さぞ裕福な人物が暮らしていたであろうことは疑う余地もない。

 既に剪定されることがなく、野生のものとして自生をして久しい植物に覆われた庭園。しかし、それでもそこには気品のようなものを洋子に感じさせるのだ。

 誰に知られることなく、その本質を隠す。理解できる者だけに、確かに理解される。だが、それはいつか、必然として明るみになっていくのだろう。

 このような場所こそが自分の居場所なのだと、彼女は思う。

「──怖くはないのですか?」

 あの日と同じ第一声がどこともなく洋子の耳に届いた。

「──。ふふ、怖くなんてないわ。例え噂の幽霊なんてものが出たところで、私の魔術で消し去るだけだもの」

 一瞬の沈黙は驚きでも、まして恐怖でもない。

 口元に笑みを浮かべると、問いかけに対してあの日と同じ答えを洋子は寄越す。

「フフフ──実に()()()応えです、姫」

 そして、あの日と同じように、洋子の前に気が付けば黒衣の男が現れていた。

 この世界の人間として偽装するために黒い背広に身を包んだ男は、決して幻などではなく、彼女が手を伸ばせば届く場所に確かに立っている。

「……ずいぶんと時間がかかったようだけど? 大丈夫なの? 墓守……」

「ご安心を。魔族は間違いなく撒きました」

 片膝をついて洋子の前に墓守は控え、そう報告した。

「……女心に鈍いのね……意図する意味とは若干違う答えなんだけど…まあ、いいわ。

 ──で? “大事な話”って何なの?」

「──では、申し訳御座いませんが早速。以前、私のお渡しした護身刀は未だお持ちでございますか?」

「もちろんじゃない。ここにあるわよ」

 肩から袈裟に下げられていた鞄を片手でポンポンと叩きながら、墓守の質問にさも当たり前のように洋子は応える。

 護身刀。

 彼女の鞄には長さ30cmほどの短刀が常時納められていたのだった。

 その造りは日本刀のそれに極めて近いのだが、そういう武器の存在に違和感や不合理な点はなかった。アノアデルにも日本刀に近い形状の武器が存在するからである。それらは独自の文化を持った東方の君主制国家ヒンガーシの誇る、切れ味抜群の武器として有名なのだった。

 むしろ、重量の重いバスタードソードやグレートソードといったアノアデルで一般的に使用される騎士剣よりも、ヒンガーシの刀は剣聖の異名で知られる美貌の女性剣士の武器として小説(ぶんけん)に登場していることもあり、その護身刀こそが自分には似合っていると洋子は感じている。

 

 アノアデルが存在すると言う物証。

 選ばれし者の証。

 ──つまらない日常を斬り捨て、本当の自分の人生を斬り開くモノ。自分の特異性を立証するモノ。

 

 そもそも、彼女がそれを手放すはずは、置き去りにするはずがないのだ。

 墓守という空想であった理想とようやく遭遇し、その日に受け取った短刀を、洋子は後生大事にして、常に携帯し続けて今日という日を迎えたのだった。

「──覚悟は既に御座いますか?」

 墓守は満足げに頷くと、続けて問いかける。

「え? 何の覚悟よ?」

「姫の命を亡きものにしようと画策する魔術師共との戦いに挑む覚悟で御座います──」

「──! 当然じゃない! 遂にその時がきたのね!?」

 嬉々として年齢不相応の決意を女は即座に表明する。

 ついに訪れた、想い描いていた本当の彼女の人生が幕を開ける刻。

 それを前に洋子が躊躇するはずもないのだ。

「……魔族ではなく、敵が魔術師──人間であることに疑念はないのですか?」

「大方、そいつらは命欲しさに大儀を見失った痴れ者や、魔族に媚を売って相応の地位を得たいなんて保身に走っている愚か者たちなんでしょ?」

「……姫は賢いのですね、やはり」

 まだ見ぬ敵を心底から侮蔑して洋子が間髪入れずに回答し、墓守はその声に薄っすらと口元を歪める。

「では、姫様の力の一端を解放する儀式をこれより執り行います。どうかこちらへ──」

 そして、墓守は洋子を洋館へと誘った。

 彼女を彼女自身が望んでいる非日常へと、いよいよ本当に引きずり込まんとするために────。

 

 

 

 

 


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