Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 人間誰しもが──とは言わない。

 だが軽度から重度まで、その程度の差はあれども大多数の人間は、ある特定の時期に──大概は多感な思春期に──過剰な自意識やコンプレックスなどから、一種独特な言動傾向を見せることが往々にしてあるものだ。

 例えば、根は真面目で臆病な小市民気質の人間であるはずなのに、あえて反社会的な言動に出てみたり、突如、いわゆる不良と呼ばれる生徒を演じてみたりする。

 例えば、他人と違い自分が特別な存在であることを誇示したいがために、あえて流行に流されず、それとは一線画した文化や志向を好むふりをしてみたりする。

 極々些細なことで親を始めとした肉親に対して激昂し難癖をつけてみたり、やったことのない喧嘩の武勇伝や犯罪行為の蛮勇を友人たちに嘯く。これまで全く興味を示さなかったジャズや洋楽、或いはクラシックを突如と聴き漁ったり、味の違いも解らずに本当は苦いだけとしか思えない珈琲を知った顔で美味いと飲み比べ、付け焼刃の知識をこれ見よがしと周囲に語ってみせる。

 しかし、彼ら彼女らのほぼ全ては、僅かな歳月を重ねただけで自分たちの言動を顧み、大いに赤面し、そういう行為から早々に卒業していくのだ。

 だが、ごく少数、そういう“病気”から快気することができずに、より深みに傾倒した結果、社交性を完膚なきまでに消失させ、社会から落後する者がいることも確かだった。

 その点、その女性──中木(なかき)洋子(ようこ)は、あらゆる意味で稀有な存在だったと言える。

 この春に成人式を迎えたばかりの彼女は、しかし、この期に及んでも“病気”から回復してはいなかった。だが彼女にはまだ、サブカルチャー界限定とはいえ確たる居場所が外界にあったのである。

 むしろ彼女は、そんな狭義の世界の中では脚光を一身に浴びる存在だったのだ。

 “ヨウコタン”といえば、その世界で知らぬ者はもぐりの烙印を押されて然るべきビックネームなのである。

 

 曰く『コスプレプリンセス』。

 曰く『コミケの女王』。

 

 その異名は伊達ではない。

 容姿もスタイルも、十人並み以上ではあったが故、初めてコスプレをしてコミケに参加したときから、彼女の姿をファインダーに収めようとしたカメコを始めとした取り巻きはできた。

 そも、それが全ての過ちの起因だったのだ──。

 そうして多くの視線を集め、ちやほやと持て囃される快感を覚えてしまった彼女は、コスプレイヤーとなったその中学2年生当時から『夏コミ』『冬コミ』は当然の如く皆勤を通し、地方開催のものであれ中規模以上のコミケには精力的に参加してきたのだった。

 自分の気に入ったキャラクターに扮するためには全裸に近い衣装であれども堂々と着てみせる度胸も手伝って、徐々にと言わず加速度的にディープなシンパを、コアなファンを洋子は全国的に増やしてきたのである。

 しかして遂に、彼女は芸能界入りも目前であろうと東京ビックサイト界隈では噂されるだけの存在にまで成り上がったのだった。

 本来ならば、この大学の春休みにも『春コミ』と呼ばれるイベントに参加し、その取り巻きを中心に彼女は大きな話題を攫う予定であったのだが────。

 しかし、彼女の現状とは、マイブームの真っ只中である某ロボットアニメのヒロインの1人である“銀河の精霊”の異名を持つ歌姫が、劇場版で披露したSM嬢かと見紛うばかりの新コスチューム作製に勤しんでいるものではない。彼女は現在、“ヨウコタン”としての顔を誰1人として知らない一般学生複数人と一緒に講堂で講義を受けていたのである。

 今年度の『夏コミ』『冬コミ』に入れ込み過ぎたツケが回ってきたのだ。

 彼女の身柄を拘束していたのは、所謂、補講というもの。この1年の大半の時間を趣味に費やしたがための、それは自業自得の結末だった。もはや1コマさえ授業を落とす訳にはいかないのだ。

 しかし、彼女自身はそう思ってはいない。正確には自身の責任を多少は認識しているものの、この無駄だと思われる下らない教授の話に、春コミまでの限られた大事な期間、あと数時間も貴重な時間を浪費しなければならない苦痛に酷く苛立っていたのである。

 それは熱意を持って教壇に立つ、館坂(かんざか)(はじめ)准教授に対して誠に失礼千万な話だった。

 

 ────永久と無限をたゆたいし、全ての心の太源よ、尽きること無く燃え盛る蒼き炎よ、我が魂の内に潜みし力、無限より来たりて断罪を今ここに。崩霊撃(ラ・ディルノ)

 

 洋子は小さく呟く。そう呪文を詠唱する。

 それは彼女が今尚、繰り返し繰り返し愛読する、中学に入学して間もない頃に生まれて初めて読んだファンタジー小説に登場する魔術を発動させるための呪文だった。

 その魔術の名を『崩霊撃(ラ・ディルノ)』という。

 

崩霊撃(ラ・ディルノ)

 下位魔族ならば一撃を以って容易く討ち滅ぼし、中位魔族にも致命傷を与えることができる人間が行使し得る精霊魔術の中で最強の威力を誇る大魔術。その使い手は魔術に対して稀有な才能を有する必要がある。

 外典引用(アニメ版)であれば人間に対する効果は弱体化しており衝撃を与える程度と威力はたかが知れているが、彼女が行使したのは正典引用(原作小説版)なのだ。魔族と比較して脆弱な精神力しか持ち合わせない人間に対して行使したとなれば、精神の崩壊による自我の消滅を与えるに十二分過ぎる破壊力を持っていた。

 

 

 

 教壇で熱心に解説を行う人間、館坂肇准教授は、これで本日、都合5回、彼女に殺されたことになる。

 

 

 コスプレであったり、アニメ・漫画が好きなことなど単なる嗜好でしかなく、当然、病気と呼べるものではない。

 彼女の疾患とは、先の二つの例とはまた違う症例であり、それは殊更に特殊で、更に彼女のそれは常識の域を遥かに超えて重度の症状だった。

 彼女の病を形成する根幹。それは即ち──

 

 

 

 ────中木洋子は選ばれた人間なのだ。

 

 

 多くの人間の認識は誤りで、世界とは単一のものではない。我々の暮らすこの世界は『混沌の海原』に突き立てられた剣の上に、皿の様に並べられた数多存在する世界の内の1つに過ぎないのだ。

 その数多の内の他の1つ。“アノアデル”という世界──彼女が出生し、本来であれば、そのまま消光すべきだったその世界は、魔術が実在し、発達してきた中世ヨーロッパ風の世界だった。

 そんなアノアデルには“セイノーン”という名の王国がある。

 ガルアニア大陸の南に位置する小さな王国である。

 人々はそこを『聖なる王国』と呼んだ。

 セイノーンは賢王に治められた平和な国だった。その国は活気に溢れ、風光明媚な景観も多く、アノアデルで最も美しい国と謳われていた。

 そして、全ての臣民に長く望まれていた賢王の世継ぎも、ようやく産まれることとなる。

 セイノーンに留まらずアノアデル中の聖者たちからの祝福を受け、満天の星空と淡く輝く月の夜に産まれたのは、それはそれは可愛らしい王女であった。

 王族のみならず、国民たちにさえも希望と幸福をもたらした王女の生誕。

 ところが王女は人間として破格の魔術の才能を持って産まれてしまったが故に、その成長を恐れた魔族によって幼い命を狙われてしまうのだった。

 古今無双と讃えられる武勇も誉れ高き賢王と、その美しき容姿と同様に王国随一の魔道師であった女王。2人は愛しい我が子を護るがために、懸命に強大な魔の軍勢と戦った。王たちだけではない。彼らを慕う臣民も、王国の誇る各々が一騎当千の(つわもの)である円卓の騎士たちも、命ぜられるまでもなく自らの意思でその手に武器を取り、奮戦したのである。

 しかし、軍を率いていた元帥(マーシャル)クラスの魔族を相手に、人間如きが勝てる道理は無かった。それは巨象と蟻の戦いに等しい行為だったのだ。

 多くの兵が、そして、円卓の騎士たちもが1人、また1人と倒れ逝き、終には力及ばず、賢王と王女までもが散華することとなる。だが、己が命と引き換えに──その身を挺することで幼子だけはどうにか守ることに成功した賢王と女王は、殺される間際、残された全ての力を使って魔術の発達していない科学の世界に王女を転移させたのだった。

 

 魔術の発達していない世界ならば、その才能に幼い我が子が目覚めることはないだろう、と。

 そして、愛娘が魔族に見つかることなく、そこで幸せな一生を歩むことを心の底から切に願って────。

 

 

 その生まれたばかりであった幼子こそが、科学の世界での両親──育ての親に“洋子”と名付けられた女の子に他ならないのだ。

 中木洋子は異世界(アノアデル)の王女だったのである。

 

 しかし、本当の両親の願いは、残念ながら儚い望みだったのだと洋子は悟ってしまった。

 

 人類に眠る可能性──第二、第三の王女が現れることを恐れた魔族は、今尚、遠き故郷に対して侵攻を継続していたのだった。その矛先は既にセイノーンばかりではない。今やアノアデル中の国々が攻撃の対象となっていたのである。魔族の脅威に晒され続け、恐怖に怯えながら絶望と共に生き長らえる人々は、最後の希望として王女(ようこ)の目覚めと帰還を信じ、世界の壁を超えて様々な手段を用いて彼女に助けを求め続けてきたのだった。

 不特定多数に向け、その本当の意味を理解できないものには単なる娯楽としか映らないよう、精巧に情報を加工して……。

 果たして彼らの願望は叶えられ、王女はその救援の想いを受け取り、己の運命と向き合うこととなる。

 ──つまりは洋子が何となしに興味を持った漫画や小説、ゲームやアニメこそが彼らから送られた様々なメッセージだったのだ。

 『何となく気に入った』と彼女自身も最初はそう思っていたが、その違和感こそが望郷の念であると、眠っている類稀な魔術の才能のもたらした直感だったのだと、今は信じて疑わない。

 事、彼女が最も愛して止まない、件のファンタジー小説こそ──否。この世界では小説(フィクション)としての体裁を一応は保ってみてはいるが、本来はアノアデル最古の魔道書であり、歴史書であり、聖典が──洋子を本来の場所へと導く標に他ならなかったのだ。

 現在も連載中という体裁ではあるが、本当は遥か遠くの故郷に於いて騎士や戦士、僧兵や魔術師たち──多くの勇者たちの犠牲と引き換えに、執拗な魔族の目を盗み、異世界の壁をすらを越えて送り届けられる、その尊き書物が全て彼女のもとに揃ったとき。その内容の全貌を理解し、魔道の真理を紐解いた洋子(おうじょ)は彼の世界に自ずと至ることになるのだろう。

 

 

 その運命が訪れる日まで、洋子は短い自由と平和を謳歌しながら、魔道の修練に勤しまねばならないのである。

 こんな『将来』に微塵にも役に立ちはしない、この『世界』限定の物理法則の講義になど割く時間は1秒としてないのだ。

 

 それこそが彼女の苛立ちの本質だった。

 

 ────中木洋子は選ばれた人間なのだ。

 だから、彼女の使命の障害となるモノは、排除されて然るべきモノなのである。

 

 先の4発は小声で行った詠唱に因り完全なる発動を成せずに終わったのか、或いは微妙に雑念が入ってしまったために狙いがそれたのか──?

 だが、洋子は此度の崩霊撃(ラ・ディルノ)を放った直後、今度こそ、確かな手応えを感じていた。

 

 ──直撃させた!

 

 そんな洋子の会心の感覚を余所に、標的たる館坂は不意に彼女へと視線を向ける。

 本来ならば、精神側(アストラルサイド)からの不可視の青い極大の光線に撃たれた館坂は、熱の無い、しかし、魂を消滅させる青白い炎にその身を焼かれて然るべきはずだ。

「──()()()()()()()()? 中木さん?」

 だが、そのように平然と館坂は洋子に訊ねたのである。

「──!」

 その発言で状況を理解した洋子は、驚きを露わにすまいと咄嗟に息を呑んだ。

 

 先の4発も外れたわけではなかったのね──!

 

 慎重になるべきだった、と彼女は後悔の念に駆られるが既に後の祭りである。

 どうかしましたか? それは挑発か、あるいは疑惑の言葉──。

 恐らく館坂肇とは、人の姿を偽った魔族──異世界に隠れた王女を探し出し、抹殺する任務を受けた追跡者だったのだ。

 不意打ちで魔術による攻撃を受け、今回、その方角をいよいよ識別し、そこからとりあえず洋子に当りをつけ、鎌を掛けてきたに違いないのだ。

 しかし、驚嘆するべきは、その強力な対魔力防御力だった。

 その身に洋子の強力な魔力で発動させられた崩霊撃(ラ・ディルノ)を複数回も受けながら、何の変化も起こさないほどの防御力を誇るのである。その実力から、階位は最低でも将軍(ジェネラル)クラス以上であるはずだ。

「──い、いえ……」

 油断は一瞬たりとできない。

 勝算がないわけではない。

 例えば、魔力増幅(ブースト)を行えば、洋子の魔術攻撃力は数倍まで高めることができる。その上での崩霊撃(ラ・ディルノ)ならば、如何に将軍相手とて必殺の一撃となるはずだ。

 だが、今、この場では魔力増幅(ブースト)は行使できない。魔力増幅(ブースト)は魔術師としての正装をした上で、詠唱とともに正確に発動のための所作を行う必要があるからだ。

 ならば、今は自分が彼の標的であることを悟られぬように振舞うより他ないのだ。

 幸い全ての魔術は、館坂が後ろを向いていたときに発動させていた。

 上手く遣り過ごせれば、正体は看破されないはずなのだ。

 洋子は自分にそう言い聞かせ、落ち着き払ったように──、

「──な、な、なンでもアリマセむが、な、何か?」

 ──引き攣った顔と、ひっくり返った声でそう答えた。

「……そ、そうですか? では──」

 不信げな表情をあからさまに浮かべるも、そう告げるや館坂は洋子に再び背を向け、黒板にいそいそと数式を書き出す。

 カツカツと静かな講義室に響いたチョークの走る音を聞きながら、それ以上の詮議詮索がないことを確認すると、洋子は安堵の息を大きく吐いた。

 そして、その准教授の沈黙や態度こそが罠だと彼女は見抜く。

 館坂は誘っているのだ。例え平静を装おうとも、その魔族が今、知覚力を鋭敏にし、隙無く構え、次の攻撃に備えていることは洋子には一目瞭然だった。再び崩霊撃(ラ・ディルノ)を放ったとすれば、自分が王女であることを看破されてしまうことだろう。

「……そんな見え透いた手にかかるもんですか」

 呟き、館坂に舌を出す。

 そんな単純な罠に掛かるほど洋子は愚かではないのだ。

 全てを虚無に還す『魔王の中の魔王』──最強にして最凶。虚無そのものであり魔族にさえ等しく滅びを与える存在──その力の一端を現界させる禁呪を用いれば、今ここで館坂を葬り去ることは魔力増幅を行わずとも可能だろう。

 だが、その禁呪の暴走は世界の消滅を意味し、その禁呪の制御は洋子をもってしても極めて難度が高いものだった。

 それは最後の切り札であり、そう易々と詠唱できる代物ではない。

 しばらくは一般の学生として館坂の前では振舞うよりはないと洋子は心に留め置き、ルーズリーフにメモを取るふりを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 もちろん。

 館坂肇准教授は熱心な教職者、学徒というだけであり、決して平行世界の魔族などではない。

 洋子に声をかけたのは、単にぶつぶつと煩かった生徒の私語をやんわりと止めさせたかっただけでしかなかった。

 もちろん。

 中木洋子は王女でも、まして異世界から訪れた人間などでもない。

 崩霊撃(ラ・ディルノ)なんて魔術は存在せず、当然、発動もしておらず、彼女が感じた手ごたえとは思い違い甚だしい。

 

 

 彼女が発症しているのは、第三の症例だった。 

 例えば、自分に特別な力が宿っていると思い込み、意味深そうでありながらな全く意味不明の言葉を発し、架空の敵組織を設け、そもマンガやアニメの主人公のような特殊な環境にあるふりをする。左手に包帯を適当に巻きつけて何かしらの封印を装ってみたり、突如、もがき苦しみ、パントマイムを演じながら何かを必死に抑制しようとする。

 

 そういう症状を持つ“病気”だった。

 

 しかし、大多数の、ほぼ全てのその症例の“患者”は、それが本来は現実などではないことをしっかりと理解している。

 だが、洋子のそれは“真性”だった。

 彼女は、いつかそういう設定を自ら設けて空想したことを忘却し、それら全てを事実として認識しているのだ。

 極めて異例の症例を発しているという点で考察すれば、本当に中木洋子は選ばれた人間だったのかも知れない。

 否。彼女は本当に選ばれることとなるのだ。

 そんな全ての妄想すら、真実とすることが叶うやも知れぬ願望器、夏川の聖杯に──。

 

 

 

 

 


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