Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 傾いた陽を背にして、母子が楽しそうに過ごしていた。安らぎを感じさせる心地よい旋律には、あどけない笑声が重なる。

 少したどたどしい調子で。きらきらと夕日を散りばめたように輝く水晶が、小さな女の子の手のひらから弧を描いて童歌に合わせて宙に舞っていた。

 庭で遊ぶその姿を肴に、精悍そうな男は顔を綻ばせている。

 

 現在ではない、それこそ機械などという言葉もない遠い遠い昔の景色。

 

 

 ────ああ。なんて幸せそうな家族なんだ。

 

 

 求めても、求めても──。

 自分には決して手に入れることのできない、そんな目が眩むまでに眩い光に包まれたような光景。

 ある一家の仲睦まじい暮らしの一幕を、俺はひたすらに唯々、心底羨ましいと思った。

 屈託のない無邪気な笑顔を向ける幼い娘。そんな幼児に優しい微笑みで応える母親。そして二人を包み込むような温かい眼差しで見守る父親。

 その表情から。その些細な仕草から。

 その一家は、傍から見ても幸福に満ち満ちていて、自分には羨望を向けるより術がなかったのだ。

 

 ────そして、それは彼女たちも同じだったようだ。

 

 そこにはなぜか2人のアーチャーが同時に存在していて、その2人ともが、揃ってそれをただ寂しげに傍観していたのだ。

 映し出されたスクリーンの中の物語に観客は決して介入できないように。彼女たちも自分同様に、その光景を見詰めるだけだ。

 遠巻きに眺める俺と違って、異質な点を挙げるとすれば──、

 彼女たちは自分よりも近くに──それこそ数歩足を踏み出し、手を伸ばせば、その母親の代わりに幼い子どもをあやせるような距離にいながら、しかし、その家族は決して彼女たちには気がつかないことだった。

 彼らにとって2人のアーチャーは、まるで幽霊のような存在しない認識のできない存在のようなのだ。

 

 ────それを何故か、とても悲しいことだと感じた。

 

 もしそこに彼女たちがいなければ、羨望などと温かみの残っている感情ではなく、嫉妬や妬みなどと暗い感情に駆られていたのかも知れないと思う。

 街角で楽しげに歩く家族を見ても。いつもは、そんな事を思いもしないけど。どうしてか、そんな風に思えてしまったのだ。

 だからこそ。せめて自分がここにいることに気がついて欲しいと、アーチャーと寂しさを分かち合いたいと、2人にここにいるんだと、そう声をかけようにも──、

 ──しかし、声はまったく出せない。

 

 いや。ここにある伊達祐樹は、そもそも身体どころか。その存在自体もありはしないのだ。

 

 だから、彼女たちは彼女たちだけで孤独に苛まれたままで、その家族を近くで見守り続けるだけなのだ────。

 

 そこで自分という存在は、ここでは誰にも感じられることのできない、この光景には例えどんなにわずかな事であっても一切の介入ができない、意識だけのものなのだと知った。

 

 

 ────夢。

 ────多分、これは、そこで見ている彼女たちの記憶。

 

 

 それを彼女たちに知られずに共有しているのだと、何故だか、現状をそう理解していた。

 

 自身が魔術師であると認識したからだったのだろうか。その判断は決して間違いではないと言い切れる。

 

 その瞬間に。俺は彼女たちがこの微笑ましく幸せに満ち満ちた、同時に絶望的なまでに無情な光景に至るまでの歴史を知った。

 

 

 それはとても不思議な記憶。

 同一の存在でありながら、善と悪と、二つの人生の起源を持ち、そのくせ、ある運命の瞬間にその二つはぴたりと重なり、同じ過程を辿り、同じ運命の結末に至るもの────。

 

 それは 天命/咎 を負いながら、

 心から愛しいと思える異性と出会い、

 その男と夫婦としての契りを結び、

 愛し、愛され、

 心から彼に尽くし、

 果てに、夫となった若武者の偉業に大きく貢献し、

 

 ────そして。

 

 掴んだ幸せをすぐに手放すこととなった、

 短い一生を駆け抜けた美しい少女の物語────。

 

 

 しかし。

 彼女の死を以って、その物語は終わらなかった。

 

 彼女の死を、それを夫婦の関係の終わりと認めず、諦めなかった男は、

 黄泉路を下り、己が一命を賭け、冥府の王から彼女の魂だけは取り返したのだ────。

 

 ならば、今。夫と娘と幸福に生きる彼女こそが、アーチャー自身ではないのだろうか?

 

 

 悲しげな二人のアーチャーの瞳が、その妻であり母である女性を映す。

 

 

 ────ああ。母親(彼女)アーチャー(かのじょ)などではない……。

 

 

 しかし、その母親は純朴な美しさを持てど、確かに一線を隔した人ならざる美貌を有した少女が母親となった姿ではなかったのだ。

 それは人間として生まれ変わった彼女であって、人間を超越した力を有した“英霊”である彼女ではないのである。

 

 

 彼女は。

 鈴鹿御前とは。

 その生命が辿り着いた先に英霊となった存在ではなく、起点こそが英霊であった存在。

 

 つまりは。

 アーチャーというその英霊の少女は、人として幸せを掴んだ生まれ変わった彼女の人生からすれば羽化する前の単なる蛹、或いは抜け殻に過ぎず、すでにその存在にとっては 戦乙女である天女/魔王の娘である鬼姫 であったという事実は無価値で無意味なものなのだ。

 

 かつてはアーチャーだった女性を愛する男からも。

 その愛の結晶である娘からも。

 二人にとっても同様に、アーチャーというサーヴァントとして召喚ばれた英霊は、すでに別の軸にある自分たちには関係も必要もない存在でしかなかったのである。

 

 それでも。彼女たちは愛しいものを恨むことも、妬むこともできない────。

 それでも。彼女たちの欲した幸せは、確かに彼女に向いているのに違いないのだから────。

 

 

「……だから、自分という英霊(存在)を消したいのか────」

 確かにそれは、唯一の解決策といえるのかも知れない。

 例えようのない彼女たちだけが感じている、彼女たちだけしか感じようのない絶対的な孤独を知って、祐樹はただぽつりとそう零した。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 暗がりにある礼拝堂に並んだチャーチルチェア。

 歴史を感じさせるようなその木製の長椅子に、しかし、腰を下ろす()()の姿は一つとして存在しない。

「やれやれ……」

 青年神父は館内に拡がった闇を見渡すと、さも不服げに呟いた。

 だが確かに、そこには息づく何かの気配がある。

 唯一の例外を除き、神父はそれらに対し唾棄すべき感情を抱きつつも取り繕い、その数を数える。

 一つ。聖杯戦争に巻き込まれた魔術回路を持つ一般人だというアーチャーのマスター。先ほど負傷した彼を担ぎ込んだセイバーのマスター。彼女が仮初めの命を吹き込んだ紙製の鳥。

 二つ。この状態を作り出した忌々しいライダーのマスターの使役する梟。

 三つ。念のために教会との繋がりをカモフラージュするべく配置されたジュリエッタの黒猫。

 四つ。そして、おそらくキャスター陣営のものと思われる何かの気配。

 この街の管理者セカンドオーナーである園埜──ランサー陣営は既に脱落している。

 アーチャーのマスターは一般人とのことであったので、使い魔ファミリアなど所有してはいまい。まして彼は意識を失い、その身は奥の医務室のベッドの上にある。今頃、夢の世界の住人だろう。

 アサシンのマスターは、監督役たる教会神父の殺害や魔術世界を明るみにするような暴挙に出るあたり、やはりアーチャーのマスター同様に一般人であろうはずだ。

 ならば、少なくとも四つの気配を感じる現状、どうやら先刻の教会からの呼びかけに、現存する魔術師たち、つまりは聖杯戦争に参戦している生き残った正統たる全陣営が応じたことになる。

 

 ──本当に解せない人種だな。やはり、どうやら魔術師どもは、まともに会合一つも出来ないらしい……

 

 怒りにも似た辟易とした心境を口にせずも吐き捨て、再度意識し直して平静を装いつつ朝比奈光一は語り出した。

「──さて、呼びかけに応じていただいた各々方に対して先ずは礼儀として挨拶の一つでも、などと考えてもいましたが……どうやらここではそう言った礼節は不要のようですね」

 そうは意識しつつも毒づいてしまう辺り、若さ故のものか。

「──ですので、早速ですが単刀直入に本題に入らせていただくこととします」

 闇からの返答はない。最も、この四つの気配の内、半数はこの先の内容を既に知っている。

 形式として、そこに使いを置いているだけに過ぎないのだ。

「貴方がたの渇望する万能機の争奪戦──聖杯戦争が、今、非常に重大な危機にさらされていることはご存知でしょう。本来ならば聖杯は、それを求める者にのみ、その力を分け与え、サーヴァントという奇跡を遣わせる。しかし、ある一組の離反者が現れ、そのサーヴァントを利用し、貴方がたの絶対的な規律を破るとともに聖杯戦争を白日のものとしようとしているのです」

 何をもったいぶってと。

 実に芝居じみた馬鹿馬鹿しい道化を演じているものだと、朝比奈光一はそう自評している。

 しかし、これで父の無念を晴らせるというのならば、喜び演じてみせよう。同時に、そう心底から思う。

「アサシンのマスター。その女が最近、夏川市のみならず国内全域を騒がせている連続猟奇殺人事件の黒幕であることが特定できました。確かに人を殺め、サーヴァントに魂を与えることは、貴方がたの教義には反するものではないのでしょう。だが、彼女が、その痕跡を平然と放置した結果が、昨今マスメディアをこれでもかと賑わせ、この夏川という目立たぬ街が、日夜、世間の注目を集める現状をもたらした要因となったわけです。この行為がもたらす弊害を、貴方がたに対して説明するまでもないでしょう」

 自然、その演説には力がこもる。

「彼女とそのサーヴァントは貴方がた一人一人の敵であるばかりでなく、聖杯の完成を脅かし妨げる危険因子と化しているのです」

 有栖川宮里子が初陣を経験した夜に街を探索していた理由。多くのマスターが、聖杯戦争を知る者が、その猟奇殺人事件にサーヴァントが絡んでいるものであろうと予測していたとして。

 しかし、その異常を行為を実行する陣営を、この監督役が断定するに至った要因とは、ロミウス・ウインストン・オーウェンという一人の魔術師の証言のみに過ぎない。

 もしやすると真犯人とは、その実、意識を失った状態で運ばれてきたアーチャーのマスターなのかも知れないし、それを保護したように偽装しているセイバーのマスターなのかも知れない。或いは。そういった能力に本来長けているであろうキャスターと、そのマスターの仕業であるのかも知れないのだ。

 そもそもから光一にとっては、とても信用に足る情報源からの報告ではない以上、その疑念が晴れることなど決して有り得はしない。

「よって私は、非常時における監督権限をここに発動し、聖杯戦争の暫定的なルール変更を設定することとします──」

 ロミウスの証言とは、彼が自身のサーヴァントと使い魔を使役し、すべての聖杯戦争参戦陣営と接触または精察を行うことで収集した情報を基に結論付けたこと。そして事実として、確かにアサシンこそが夏川を恐怖に陥れている連続殺人犯である“人食鬼”に相違ない。

 だが、それが例え大きく的外れな結論であったのだったとしても、その青年神父はアサシン陣営こそが犯人であると、監督役として迷わずここで宣言したことだろう。

 そうして光一はおもむろにスータンの左袖を捲り上げると、そこには父・国光より移植された刺青のような文様が肌を覆い隠すように刻まれていた。

 それは聖杯戦争に参戦したマスターにこそ見慣れたもの──。

「これは夏川における幾度かの聖杯戦争で回収され、昨夜、新たな監督役となった私に亡き父である先代の監督役から託されたもの……。決着を待たずしてサーヴァントを失い、脱落した過去のマスターたちの遺産──彼らが使い残した令呪です」

 それこそが朝比奈光一が現在、この聖杯戦争の正当な監督役である証でもあった。

 冬木の聖杯戦争同様に。夏川に於いても、過去から今日に至るまで、監督役を務める者にそれは託されてきたのである。

「私はこれらの予備令呪の譲渡する権限を与えられています。今現在、サーヴァントを使役する貴方がたにとって、この価値とは計り知れないものであるはずです」

 そんな煽るような言葉を発せずとも、彼らマスターの目の色は変わったことだろうことを光一は確信している。だが、これもまた必要な儀式なのだ。

「──すべてのマスターは直ちに互いの戦闘行為を中断し、アサシン殲滅に尽力してください。そして。見事アサシンとそのマスターを討ち取った者には、特例処置として追加の令呪を寄贈いたします。

 もし単独で成し遂げたのであれば達成者に一つ。また他者と共闘しての成果であったのだとしても、それに関与した全員に一つずつ、令呪を進呈しましょう。そして、アサシンが消滅された時点で、改めて従来通りの聖杯戦争を再開するものと致します──」

 これで。残る陣営の総ては、我先にとアサシンを殲滅するべく行動を開始するだろう。

 そうだ。これをもって、総てのサーヴァントは朝比奈光一の私兵として──復讐の刃として動くのである。

 

「──ハハハ」

 

 既にそこに一つ残らず使い魔の気配はない。

 無人となった闇には、新たな夏川の監督役の笑い声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 


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