Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 月が落ちてきた────

 

 彼女は一瞬、そう思い、しかし、感じたその膨大な魔力量を前にそれがサーヴァントによる攻撃なのだと瞬時に理解し直した。

 

 だが同時に。

 ────そして、ただ冷静に。

 

 自身の反応速度、身体能力ごときではその攻撃に対する対処行動へと移行することは、すでに到底不可能であるという事実をも無常にも判別できてしまった。

 

 降り来るものは麗容な月にあらず。

 それは雷光を四方へと放ち迫る永逝を齎す凶星。

 

 

 ……抱いた願いは、成就しそうにない────。

 

 

 そして、その攻撃がもたらすであろう自身の死という結末は、例えどの様に生命に執着してみせたところで、絶望的なまでに彼女自身の力では覆しようもなかったのである。

 覚悟を決めた瞳に映るものは、果たして。

 

 ────だから、せめて。最後は理想と共に在りたいと、

 

 ────光の最中。

 ────そして、少女は、確かにそこに存在し得ないはずの、自らが幼い頃から想い描いた幻想のサーヴァントの勇士を、その気配を、傍らに感じていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 未だ一部不明瞭なその視界の中で、祐樹は確かに跫音(きょうおん)を聞いた。

 規則正しく乱れのないリズムを刻むような靴音。それは荒れた状況に酷く不似合いな落ちつきはらった足音だと少年には感じられた。

 爆心地中央に立ち込めた土埃で作られた緞帳めいていた靄は夜風に流され、徐々に霧散していく。

 その濛々とした靄が晴れるにつれて、唐庇車の内部から降り立った足音の主の姿は少年の目にも明らかになっていた。

 それは一目で高級品だと判別できる上質のスーツに身を包んだ長身の青年である。

 金髪、碧眼の整った顔立ちのその青年は「やれやれ……」と、あからさまな不満を吐きながらも、白いハンカチでスーツの埃を手早く払うと、手馴れた感じで、さも自然に、自らに続いて(はしたて)を降りようとしていた純和装の姫君へと手を差し出す。

 そして、青年にエスコートされて一段、一段、ゆっくりと地表に降り立とうとする、その姫君とは、

 

 ────それは。それは此の世のものとは思えないほど、僅かばかりの色気を漂わせ始めたばかりの、可憐でありながら、ただただ美しい少女だった。

 

 現代では普段見かけることなどない十二単などという酷く古典的なその出で立ちなど、微塵にも違和感を抱かせないほどの完璧な佳麗を誇る少女がそこには在る。

 里子を見失い狼狽していたはずの祐樹も、その美しい姫君を目に止めるや否や、唯々見惚れてしまうよりはなかった。

 

 夢心地────。

 

 その姫君を見ているだけで異性であるならば深い深い幸福に侵されてしまう。

 

 ────それは持続性の強い猛毒でもあった。

 

 恐らく。彼女を目にしてしまった男達の心に、彼女は留まり続け、あらゆる思考が、あらゆる動作が、

 ────その巡りあえた奇跡への感謝に、

 ────彼女を想うが故の底知れぬ不安に、

 ────彼女と今、時を共にしている自分以外の誰かに対する嫉妬に駆られ、

 ことあるごとに容易く確実に中断されることになるのだろう。

 

 例に漏れず、その姫君は自身を既に視界に入れてしまった少年に何もかもを忘却させて、只管に己が虜へと陥れている。

 その少年は決して惚れやすい質ではない。むしろ色恋沙汰には疎く、同じ高校に通う女生徒を始めとして多くの女性に想いを寄せられてきたが、それ故に自らそれに気付いたためしはなく、一部には朴念仁だなどと不名誉な陰口まで叩かれている。

 これが恋なのだと。

 だが、強く少年はそれを確信している。これまで知らなかった感情を強く意識し始めている。

 寝ても覚めても彼女のことが頭から離れることはありえない。

 素直にそれを受け入れる。今なら友人たちの言っていたそんな一言を、冗談や惚気などではなく、本当の気持ちとして理解できてしまう。

 だからこそ、自分はその姫君に運命にも似た感覚を、心苦しいまでの思慕を、ただいたずらに欲深いまでの独占欲を募ら────

 

「──ッてぇ!」

 

 不意に首筋に鋭い痛みを感じ、祐樹は我に返った。

 痛覚を刺激された場所へ手をやり、擦りながら祐樹は自身を攻撃により覚醒させたであろう人物を見る。

「うつけが──」

 その少年から向けられた視線を真っ向冷ややかな流し目で受け止めると、そして、“彼女”は相対したサーヴァントへと視線を替えた。

「……下郎。貴様も一介の魔術師だというのならば、あの程度の“魅了の呪詛”に容易くかどわかされるでない」

 続けて告げるも刺すように標的を捉えた瞳を、最早“彼女”が動かすことはない。“彼女”は奇襲をしかけてきた敵意在るサーヴァントと、そのマスターを当たり前に警戒していたのである。

「──あ」

 爆発が発生したのと同時に。

 そこに控えた“恐怖”が自らに押し迫ったことを、祐樹は思い出した。

 自身を瞬時に虜にした襲撃者──恐らくは敵対サーヴァント──によるものであろう攻撃による死。それが擬人化したような存在。

 ────そこまでに感じられた“彼女”。

 だが、その言動に“彼女”に感じた──“彼女”に感じていた不安が、一部、氷解したのを祐樹は知った。

 少なくとも、“彼女”は即座に見境なく害悪を振り撒く者ではないようだった。

 だが、だからと言って、“彼女”は決して容認されるものではないのだと直感する。

 身の毛がよだつ。

 文字通りに少年の肌がひしひしと、それを教えているのだ。

 多少認識が改善されようとも、変わらずに確実な“恐怖”というおぞましい感覚が、そこには在ったのである。

 

 ────“彼女”は危険だと。

 この瞬間も少年の六感は警鐘を鳴らし続けている。

 

 それは恐らく、人間が人間であるが以上、絶対に感じる類の感情なのだと、祐樹には感覚的に悟れていた。

 “彼女(それ)”はやはり間違いなく、死という穢れを固めて人型にしたナニカなのだ。

 それは人間の捕食者に相違なく。

 その在り様は間違いなく、どす黒い、陰の気配を撒き散らす人の生命を刈り取る死神である。

 

「────五月蝿い、鬼女。つまらない非難を寄越す時間があるなら、一瞬でもライダーとそのマスターから目を切るな」

 

 そんな直感に震えながら、しかし、その口を衝いたのは堂に入ったマスター然とした指示だった。

「下郎……貴様?」

 返されたのは、怒りを隠そうともしない声。

「──って、俺は何を!?」

 しかし、それに気付かずに少年は自らの声にこそ反応してみせる。

 極めて冷静に的確な、自らのサーヴァントに対して物怖じしない物言いを発した本人こそが一番に驚きを浮かべていた。

「……ふん。

 ──下郎。貴様、元々足りぬ頭をどこぞ妙な箇所にでもぶつけて、終に壊れたか?」

 怒りを通り越したか、それとも単に興が殺がれたか。そんな少年を“彼女”は嘲笑する。

「……いらない心配だ。それに大丈夫に決まってる。お前が助けてくれたんだろ?」

「……ほう。これは、これは。見直したぞ、下郎。戦いを前にそれだけの減らず口を叩けるとはな。そなたの身を案じるなどと、要らぬ世話だったかえ?」

「そうだな──って、そもそも、お前は誰なんだよ?」

 どこか不貞腐れた感じで会話しながらも、不思議にその遣り取りに不快感は感じない。

 少なくとも昼間に遭遇した宮内庁の役人だとかいう男と比較すると、人間としての感覚が否定しているはずの相手に、どこか親近感さえ少年は感じているのだ。

「何を今更……知っているのであろう、伊達祐樹? 訊ねずとも妾が何者なのか、などと疾うに──」

 祐樹の問いに、“彼女”は薄っすらと冷笑を浮かべた。

「……お前もアーチャーなのか?」

「甚だ心外極まりないが、如何にも。伊達祐樹。妾は確かに貴様のサーヴァントに他ならんよ」

「……そうか。やっぱり」

 その答えに違和感はなかった。

 どれだけその身を包む雰囲気が異なろうとも、その姿形は完全に一致している。そもそもからそれを他人だと否定することの方が難しいだろう。

 

 だが、それだけではない──。

 

 もう一つ。重要な感覚が、それを祐樹に教えている。

 それはマスターだからこそ感じる、魔術師と己が英霊とを繋ぎ結ぶ運命にも似た魔力の潮流。

 

 しかし、それは、何故か、双方向性を持っているようにも────。

 

 

「じゃあ──」

「否定も受け付けようが──

 さて、マスターとやら。これ以上、貴様の戯言に興じる暇などないようだぞ?」

 言葉を交わしながらも注意を向けていたライダーの動きに呼応して、祐樹の声を遮ると彼女は動く。

 アーチャーは無拍子で腰から鋒両刃造の宝剣を引き抜くと空間を鋭く薙いだ。2人の直上。そこに展開されたのは発動された魔術により、今にも雨のように降り注ごうとするのは緑色の鮮やかな数多の飛槍だった。

 黒い残像が中空を這うように閃くと、鎌首をもたげたような“何か”を感じさせた斬跡が敵対するサーヴァントからの竹製の槍雨を裂く。

「得物が竹槍とは──はて? あれは本当にライダーか? ランサーではないのか、無能なる魔術師殿?」

「間違いなくライダーだ。アーチャー」

 さも自然に交わされた遣り取りの直後、「──っ、ぐぅ」と少年が小さく呻く。

「うつけ。あの呪詛は常時働いておる。気を張り続けねば、再びライダーの術中に堕ちるぞ」

 そのステータスを確認するべくライダーを再び直視した祐樹が、彼女という存在の放つ魅了の呪いに抗う。

「って……ど、どう対応すりゃ、いいんだよ!?」

「知らぬわ。貴様も一介の魔術師だというのならば、自身の魔術回路の巡りや有り様など容易く自認いたせ!」

「──っんなこと言ったって、俺は魔術師なんかじゃ」

「アレをライダーだと識別できて、何を今更。だが何ならば、その手足を捥いで余計な所為を出来ぬようにしてやっても良いぞ?」

「──あ」

 続けて生じる数多の凶刃を、その刀で斬り伏せ無効化させながら、その窮地を愉しむようにアーチャーは舞う。

 その攻防を前に祐樹はアーチャーから受けた指摘を咀嚼する。

「──俺はあのサーヴァントをライダーだと認識したのか……?」

「即座に投擲出来るよう心構えよ! 下郎!」

「──!」

 ホテルでの出来事を。自身がこの争いに巻き込まれた発端を祐樹は思い出す。あの時も白球を手に。そして、その後で市街地で獣の群れに襲われたときも──。

「──憎きセイバーも控えておるのじゃ、妾は貴様如きにこれ以上、気を遣ぬぞ!」

「──セイバー!? って、そうだよ!? 里子は!?」

 気が付けばごく自然に、少年はその身に魔力を巡らせ魅了の魔術をレジストする。

「さてな? もしや、先ほどあちらに見えた黒こげがそうやも知れぬぞ?」

「──っ! お前、まさか!? わざと見捨てたとか言うんじゃないだろうな!?」

「うつけ! セイバーが健在である以上、あの小娘が存命しておるのも自明の理。あの小娘は忌々しいセイバーめが拾うたわ」

 続け三射、四射。

 ──そして、五射と、魔力を帯びた鋭い槍の雨は止む気配はない。

 これまで同様に基本2振りの飛剣を主軸として応戦すれば、まだ対応に容易いように思われる。

 だが、アーチャーはそれをしない。魔槍の群れを魔剣一刀にて迎え撃つ。降り注ぐ緑を乱伐する。

 しかし、その禁を破る瞬間が訪れていた。

 アーチャーは反攻の隙を見つけると、即座に愛刀を左手に持ち帰え、その右手で残された2振りの内の大太刀を引き抜く。空中で刃を持ち変えるや、その腕に魔力を込める。

「──死に晒せ! ライダー!」

 直後、その細腕からは想像もできない勢いで、その大太刀は『射出』された。

 

 聖刀は一条の光となって閃く──!

 

 

 海の向こう。メジャーリーグには、日本人史上最高の野手と謳われる野球選手が祐樹が幼い頃から所属し、活躍し続けていた。

 所属当初、その当時の記憶は祐樹の中から失われているが、彼が打ち立ててきた偉大なる記録の数々はその評価に対する否定を許さず、ひたすらに裏付けるだけのものであり、同じ球技に打ち込む少年にとって、彼の野手はベースボールプレイヤーとしての究極点の一つとして認識されている。

 そして、彼の代名詞の一つ。

 外野からの鋭い返送。

 ノーバウンドでキャッチャーミットに突き刺さるソレを、人々は歓声と共に“レーザービーム”と絶賛した。

 

 しかし、アレは単なる例えに過ぎず──、

 だが、それは事実として目の前で────。

 

 アーチャーのその一連の挙動の総ては、強く強く、少年の脳裏に焼き付いた鮮烈な光景だった。

 

 

 迫り来る聖刀を迎えるのは群生する竹の群れ。

 瞬間的に土壌を裂いて密生し、魔力によって強化された緑の壁。

 一重、二重、三重、四重と──。

 それは僅かでも宙を翔ける大太刀の威力を減殺するべく、ライダーの意志で芽吹いては、瞬時に生育し、空間を埋め尽くす。

 そして、それは同時に、体のいいブラインドとしても働いていた。

 

「──ろみうす」

「……気をつけろよ、ライダー」

 

 交わされた視線。直後、マスターの言葉に姫君はこくんと小さく頷く。

 アーチャーからの反抗を合図としたように、そのマスターとサーヴァントは、それぞれが狩るべき対象へと行動を移していた。

 

 

 

 

 


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