Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 外気ではなく、何より沈黙こそが重く冷たく感じられていた。

 祐樹は里子を直視することができず、向けられた真っ直ぐな彼女の視線から目を背ける。

「なあ、アーチャー……アーチャーにも何か聖杯なんかに望む願いがあったりするのか?」

 そんな少年が抱いた焦心を隠すかのように口を開いた。その疑問の矛先は、不意にもう1人の少女へと向けられる。

 

 感情に走って有栖川宮里子に乱暴に接してしまったことを伊達祐樹は激しく後悔していた。

 

 だから、先のような簡単な謝罪ではなく、何かしっかりとした謝意を示したい。そうとは思いながらも、しかし祐樹は現実として、それ以上に彼女と接することを恐れてしまったのだ。

 長浜将仁への完全なる否定。

 彼女の覚悟の根底に在ったのは、つまりは少年にとっては自身に対する否定と同義──むしろ、それ以上のものだったのである。

 そうでありながら、祐樹のとった自らも拒絶を選択したとも思えるようなその行動とは、その実、認めたくはない確執──有栖川宮里子という少女とは解り合えないという絶望を認識したくはなかったからこその逃避と言えた。

 出会ったばかりの少女との間に生じた軋轢に対して、何故にそれほどまで過剰な反応を起こしたのかという理由は、当の本人である祐樹にも理解はできないのだ。

 だが、2人の間に生じた沈黙の長さが彼女からの拒絶、拒否の強さ、深さと等号で結ばれているようで、黙然が続くことを嫌った少年にはそうするより道はなかったのである。

 それと同時に。

 運命を共にすると誓ってくれた彼女の返答こそが、少年の中にある“覚悟”という符号を持った、漠然とした靄だとしか表現できない何かを霧散させる鍵ではないかと少年には思えたのだった。

 或いは。彼女の心安らぐ声音が、里子との現状を打破する光明をもたらすものになるのではないかと縋ったのだ。

 

 

 彼女だけは自分を拒絶するはずはない────。

 彼女だけは自分の希望を裏切るはずはない────。

 

 

 その確信に似た想いすらも、当然何故なのかは理解できない。

 それでも。自分がどん底の挽回の叶わない様な絶対的な苦境にあろうとも。果ては人としての道を自らが踏み外すようなことがあったのだとしても。

 出会ってからこれまでがそうであったように、そんな惨憺(さんたん)たる状況を受け入れて尚、彼女は自分と共に在り、それどころか周囲のあらゆるものから身を犠牲にしてでも護ってくれるのではないかと祐樹は信じて疑わないのだ。

 

 限られた極々短い時間の中であっても。そういう絶対的な信頼を少年はアーチャーという少女に抱いていた。

 だからこそ、立ち返ればその答は自らを導く指針になるはずだと、祐樹は彼女の答を待ち望むのである。

 

 同時に。しかし、それでも。

 アーチャーという得体の知れない少女に対する明らかな恐怖と不安は祐樹の中にも存在した。

 そもそも、献身的とも言える少女に対するイメージであれ、自分の勝手な決め付けでしかない幻想に過ぎないということを、どこかで彼自身も理解しているのだ。

 

 だからといって、その相反する違和感の根源たるものの所在を祐樹は把握してはいない────。

 

 だが、冷静に考えてみれば────、

 

 ────否。冷静に考えずとも。

 

 “どんな願いをも叶える願望機であるという聖杯”が目的だからこそ、危険な状況を顧みずに彼女は祐樹に助力したのだとする方が明らかに理に適うはずなのだ。

 少年のためでなく己の欲望のために。そう考える方が遥かに自然なのである。

 無償の献身などと、おいそれと出会えたばかりの相手に行えるものでもない────。

 

 だからこそ、彼女の口からもたらされる答が自身の心と隔たりがあるものだとすれば……。

 それは致命的な言葉となるだろう。

 その一言は自らの意志で行動を選択しようとしている少年の心を容易く折る一撃になるに相違ない。 

 

「……だから、そんな馬鹿げた覚悟がアーチャーにもあるってのか? だから、いきなり有栖川宮さんを────」

 その可能性は迷走し、押し潰されようとする祐樹の心を殊更に強く圧迫する。いたたまれず、その可能性が口を衝く。

 信頼しつつ求めた彼女の声を。葛藤が押し開いた思いもよらない自身にとっても唐突だった彼自身の声が遠ざける。非難する。

 だが少年はその口を噤み、咄嗟とはいえどその言葉尻だけはどうにか呑み込んだ。

 

 続くべきはずであった言葉とは“殺す”というニュアンスのもの。

 

 それを彼女に対して口にすることは今の祐樹には酷く怖ろしいことと感じられ、その身体に身震いさえ起こさせるのだ。

 嘘であったしても、その言葉を自身のサーヴァントであるという彼女に発することだけは状況が許しはしない。

 少年の手には言うなれば名工によって鋭く鍛えられた刀剣が、最新鋭の科学の粋を結した銃器が存在しているのである。

 彼女は人間を殺害することを目的として製造された、それらの兵器そのものなのだ。

 或いは、そういう例え話でさえも非常に生温いものだろう。

 少年が問いかけた少女は、恐らくそんな生易しいレベルのモノではない────。

 少年も“本質”で理解しているはずなのだ。それのみならず、対峙したことのない猛獣を初見でも危険視できる生物の本能までもが教えていたはずなのである。

 彼女(ソレ)は彼がいけ好かないと思う宮内庁の役人様が語った通りに、歴史に名を刻み、果てに人間を超越したというナニカなのだ。

 どんな人間であれ人間という範疇に収まっている生物であるが以上、それを殺傷することなどと、彼女(ソレ)は先ほど例に挙げたどの武器などより余程容易く、かつ確実のものとして実行に移せる。

 サーヴァントという存在は、どれもが災厄だとかと同様に人の身程度がどうこうできる代物ではない。

 脅しなどではなく。彼女が祐樹の意に沿って行動を起こしてくれる限り。それが現状である、今。

 死を口にすれば、あっさりとそれは祐樹の目の前で現実の光景に変わってしまうのだ。

 言霊などという概念を現状の少年が知るはずもないが、それは禁句でしかない。

 それを祐樹が口にすれば、直後に有栖川宮里子は絶命しているやもしれないのだ。

 

 取り返しのつかない災害と同レベルの危険性を己が意志で撒き散らす可能性を自身の言動は多分に孕んでいる────。

 

 手にしていた恐怖を想い至り、少年は堪らずに嘔吐(えず)く。

 

 それだけではない。

 

 将仁とキャスターというサーヴァントは自身を含めたホテルに宿泊した人間の、関係者の生命を消失させようとしたではないか。

 里子とセイバーというサーヴァントは巨大な光の柱で、そんな彼らをビル街ごと消し去ろうとしたではないか。

 そして。アーチャーとて自分が制止するのが僅かでも遅れていたらのだとすれば、彼女の命を奪っていたはずである。

 

 そんな第三者さえをも巻き込む殺し、殺されの連関が七重にも連なっている────。

 

 少年は確かに理解した。

 その言葉が招く死を。その言葉を発さなくとも招かれる死を。

 

 自身だけならばまだしも。誰かが────少女たちもが殺される。

 

 その身は間違いなく、殺戮の繰り広げられている舞台に既に立ってしまっているのだ。

 

 “有栖川宮里子”は聖杯戦争のことは忘れるよう祐樹に告げた。

 その意味を“伊達祐樹”は強く理解する。

 血が逆流しているように感じる。心が軋み悲鳴を上げる。

 易々とその吐き気は収まるはずもない。

 

 

 覚悟を持つ、覚悟を持つであろう少女2人を前に晒した、そんな少年の姿が果たして彼女たちにはどれだけ無様に映っただろうか?

 

 しかし、マスターを見たアーチャーはどこか誇らしげに、どこか寂しげに、僅かにだけ微笑んだ。

「……アーチャー。私も聞きたいです。貴女のマスターになるかもしれない魔術師として────」

 刹那に浮かんだだけのそんな彼女の表情と、沈黙を破った少女もまた同様の念を抱いていた。

 

 人の欲望とは醜いものだ。

 聖杯などという“如何なる願いをも叶える”破格の奇跡を前に、その入手を可能とする絶対的な力である“サーヴァント”をも同時に入手することができたとき。

 果たしてどれほどの人間が他者を想い、状況に溺れることなく、自分自身を変えることなく在ることができるだろう。

 己が欲望を満たすべく唯他者を蹂躙する。そういう暴挙に打って出る人間も決して稀有ではないはずだ。

 そして、魔術師の世界は得てしてそういう類のもの。

 それを魔術師達の倫理が許すか許さないのかは別としても、己が真理を求めることだけを是とする者が跳梁跋扈しておかしくはない世界なのである。

 我が子を始め、その血縁に当たるものさえ探求の糧として比喩などではなく現実として贄にする者でさえ、決して珍しくはないのだ。

 

 それであるのに“伊達祐樹”という少年はあくまで素のままの彼でしかない。

 普通一般のままで人を傷付けることを当たり前に恐れ、当たり前のように他者を思い遣る────。

 

 ここは。この戦場は。この世界は。

 そんな人間がいるべき場所ではないのだ。 

 

 ────“伊達祐樹”は断じてマスターであるべき人間ではないのである。

 

 それが少女たちの至った結論だった。

「……いいでしょう。お答えします」

 だからこそ、里子の言葉を受け入れて、アーチャーは端的にその意を告げる。

 サーヴァントがマスターとの関係を自ら断つ行為など、普通在り得るはずもない。

 それは自らの聖杯戦争の終幕を意味することに他ならないからだ。

 何か自身が新たな依り代を確保しているのならばいざ知らず、だが、里子の言うセイバーとアーチャーを従える術の全容を知りもせずに。それでもアーチャーは本来ならば敵対関係であるはずのマスターを前に本心を告げようとしていた。

 

「私の持つ願い────私は、私という存在の消滅を……それが叶わぬのというのならば、私は私という自我の消失を聖杯に願うのです」

 

 そして、その艶やかな花唇が確かにそう彼女の望みを語る。

 

 彼女の願いを聞いた瞬間、少年の体内で逆流し口腔を目指していた嘔吐物の流れが完全に停止する。

 それはその言葉に対して湧き上がった感情が余りに強すぎて、吐き気をもたらした感情などより遥かに勝っていたからだった。

 だから、彼女の願いに対する驚きも一瞬だけのことだった。

「……何、だよ──!

 ────何だよ、それ!」

 迷いや、恐怖や、他のあらゆる感情の一切を忘れ、少年は怒りを声に変えていた。

 何故などとそんな疑問を抱く予知さえなく、怒りだけが少年を奮い立たせていた。

 

 

 

 ────────直後。

 

 祐樹はアーチャーに対する不安の正体を思い出す。

 それは不安の正体自体を目の当たりにしたからに相違ない。

 ぞくぞくと身の毛がよだつ様などす黒い恐怖の根源を垣間見たのだ。

 

 

 ────“彼女”だ。

 

 

 それはロイヤルクリサンセマムホテルの屋上から落下する最中に現れた、アーチャーと同じ姿をした、しかし、祐樹からすればアーチャーとは似ても似つかない“アーチャー”の姿を借りた別人である何者かだった。

 それでありながら、確かに“彼女”もアーチャーであると同時に祐樹は確信する。そして、彼女が祐樹の抱いていたアーチャーに対する不安を具現化させた“彼女(もの)”に他ならなかった。

 その“彼女”が、そこに現れ、こちらに向かって疾風の如く翔けてくる────。

 死が迫るような。禍々しい、嫌な気配が眼前に迫り来るのだ────。

 そんなモノが自身にとって拠り所であるはずもない────────!

 

 それはものの一瞬の出来事であったたはずである。だが、それは非常にゆっくりと経過する時間の中のでの出来事のように祐樹には感じられていた。

 

 少年の記憶は、そこで曖昧になる────────

 

 

 爆音。

 拡散する光。

 季節を狂わせるような熱。

 アスファルトの融解した異臭が嗅覚を麻痺させる。

 瞬間的に水分を失い舞い上がる土煙となった水田の泥が気管を塞ぎ視界を奪う。

 聴覚は爆破音に上手く機能せず、感覚は酷く曖昧で、ゆらゆらと、ぐらぐらと、反転して、暗転して、煌々として────。

 

 周囲の急激な変化を告げた押し寄せた膨大な情報が、処理許容を超えるあまりに状況判断を行えず少年を混乱させる。

 

「──ふん。下らぬ感情に流されるから隙を作る」

 しかし、その耳元で聞かれた吐き捨てるような声だけは祐樹にも認識できていた。

 

 

 

 

 ────降って来たのは月光の変じた雷。

 

 

 平安絵巻のそれも優雅さを捨て、天からの迎えを阻もうとした庭を中心に翁の屋敷を埋め尽くした二千にも及ぶ皇軍を蹴散らそうとしたのならば、そのように表現されたのだろうか。

 祐樹と里子とアーチャーとが立っていた田園風景にあった車道は、その光に破壊寸断されていた。

 光源が落ちた場所。

 その抉れた地表には、巨大な黒牛と絢爛豪華な唐庇車が何事もなかったかのように停まっている。

 回復した知覚から、どうにか状況を把握した少年は続けて周囲を見渡す────、

 

「アーチャー!! 伊万里は!?」

 

 しかし、そこに里子の姿を見つけられずに祐樹は声を荒げた。

 

 

 

 

 


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