Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

4 / 51
Re:3

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。

 降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 ──キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。

 時の翁、或いは万華鏡(カレイドスコープ)の異名で伝え知られる死徒二十七祖第四位にして、現存する4人の魔法使いの内の1人。

 

 果たして、その名を少年が告げることに魔術としての意味合いは存在するのだろうか?

 一般論で考えてみたとしても、魔術師の常識に照らし合わせてみたとしても、それは極めて無意味なことであり、却ってマイナス因子を孕ませることになる甚だしいまでの愚行と言えた。

 夏川の聖杯戦争の起源。つまりは、この呪文より始まる奇跡の連続の総てという総てが借り物であることを誰よりも知る当事者一族──その盗人の血族に直系の者として名を連ねる少年にとっては、それこそ“冬木の聖杯(オリジナル)”の作製にも関与したとされる“第二魔法”の使い手が崇め奉るべき芳名であろうはずもないのである。

 だが、その家系に在する魔術師としてではなく、こと少年個人に限って判ずるのならば、しかし、それは確かに意味のある詠唱と言えた。

 

 ────それは、彼女が告げた名前。

 ────それは、彼女と同じプロセス。

 ────それは、彼女に紡がれた詠唱。

 

 擬似的ながらも『彼女』と体験を共有するということは、少年にとってはこの上なく貴い価値を持つのだ。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 詠唱と共に続けられるのは儀式。その経過に比例し、溶解させられた宝石で描かれていた魔法陣は真の意味での完成へと向かう。

 それもまた始まりの御三家の1つである遠坂(とおさか)の魔術師が、サーヴァントを召喚するに当たり行うであろう手順を律儀に踏まえて実践されていたものだった。

 無論。比較検証をしてみれば、徹底的に分析するまでもなく、細部と言わず幾つもの相違点は容易に窺えた。

 むしろ、それらは違いというよりも(あら)と表現した方がより相応しい類のものである。

 魔法陣を描くのに使用されていた宝石などは、それこそ好例の1つであり、その価値には雲泥の差があった。

 それは何も宝石の資産的な側面の差異ではない。そこに込められた魔力の質も量も、遠坂がサーヴァント召喚に際して用意するであろう宝石(もの)と少年の宝石(もの)とでは絶対的な隔たりがあったのだ。

 他にも例えを挙げるのならば、それにより魔法陣を作製する技術とて然り、である。

 

「────告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ──」

 

 そもそも、この召喚の儀式も立派な魔術の行使に他ならない。

 儀式の──魔術の失敗は少年の命を奪い去ることにさえ、十分に繋がり得るのだ。

 だが、そんな危険を熟知した上で、彼は借り物の本家には遠く及ばぬ魔術(ちから)を使用し続けていた。

 

「──誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者──」

 

 否。それこそが少年の、少年の血筋の“本質”なのだ。

 それこそが、彼らにとっての“魔術”の在り方に他ならないのである。

 

「──汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ────!」

 

 そうして果てに、彼の工房に奇蹟は成る。

 彼の借り物の魔術は、しかし、確かに彼の身体を神秘を顕現させるための装置とせしめて、世界と此の世ならざる場所を繋ぐに至った────。

 

 

 

 

 宝石により描かれた魔法陣の産み出した、直視を許さぬまでの眩耀(げんよう)

 その凝塊したかのような光源の中心から現れ出でたのは、衣褌姿(きぬはかますがた)の上にごく簡素な軽鎧──古代日本の戦装束に身を包んだ立ち姿も勇ましい凛々しい青年兵だった。

 聖杯からの呼び掛けに応じ、現界した目の前の英霊が一体何者なのか──。

 その真名を少年は初見で見抜けるわけもないが、しかし、自身の喚び出したそのサーヴァントがどのクラスに配された英霊であるのかだけは明確に理解できていた。

 決して小柄な部類ではない召喚の儀式を行った少年よりも、それでも頭一つは長身の英雄は、その背に自身よりも優に長大な鉾を備えていたのである。その得物は目視でも軽く2mを超えていることが窺い知れる。

 だが、もしかすれば、それは自身の配されたクラスを欺こうとした非常に解り易い偽装なのかも知れない。

 しかし、果たして──

 

「──聖杯の寄る辺に従い、ランサーの座を依り代に我、此処に参じた。

 ──問おう。汝が我がマスターか?」

 

 マスターである少年の予想に反することなく、彼の英霊は自身が槍兵のサーヴァントとして現界した者であると語ったのだ。

「あ、ああ、そうだ。ランサー。

 ──僕は園埜(そのや)(じゅん)。おまえが忠誠を誓い、勝利を捧げるべき魔術師(マスター)だ」

 

 どこか後ずさりしたような素振りを見せて、それでも少年は眼前の自身が使役するべき存在に気圧されぬよう努めて尊大を取り繕い告げた。

 

 

 それが少年──園埜潤により口火の切られた此度の聖杯戦争の嚆矢(こうし)

 夏川の第3次聖杯戦争と呼ばれることになる酷く物騒な魔術儀式に於いて、最も早くに契約の成立したマスターとサーヴァントの邂逅の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 夜風はまだ、凍てつくような冷たさを保っていた。

 人々は急な季節の逆行に外出を差し控えているようで、緑を湛え始めながらも凍える木々の姿だけがリビングの大きなガラス窓の向こうにはあった。

 夜半から今朝方にかけて大陸から張り出してきた強い寒気が、間近に迫っていた春の足音を再び遠ざけているのだ。

 人影の見受けられない外灯が照らす道路を屋敷から満足げににやけた顔で見遣りながら、もしかするとそういう異常気象とて聖杯のもたらした現象なのではないかなどと、荒唐無稽なことを潤は考えていた。

 もし、暖かい日々が続いて桜が満開にまで開花してしまえば──

 もし、夜桜見物にでも適した夜が続こうものならば──

 その存在を秘匿することを何よりも優先せねばまらない魔術による戦闘行為など、安心して行えるものではないのだ。

 潤は田舎は嫌いだった。洗練されたセンスを持つと自負する少年にとって、華やかな活気ある都市こそがお似合いだと思うし、刺激のない退屈な田舎暮らしなどと想像するだけで辟易としてしまう。だが、こと聖杯戦争の舞台として考えると人気(ひとけ)のない時間帯、人気のない場所が多いに越したことはないのである。

 もし魔術の神秘が明るみになるような事態が発生しようものならば、園埜の人間は夏川の土地を管理する魔術師の責務として、何をおいてもその隠蔽に奔走せねばならないのだから。

 聖杯は、誰に邪魔されることなくそれを獲得すべき者──即ちは夏川の管理者が管理者としての職務に手を煩わせることなく聖杯戦争に望み、聖杯獲得にだけ専念ができるように、万全に物事を運べるようにしているのではないのだろうか?

 夏川という都市の夜を田舎のような人気の少ない夜に変え、その舞台を整えようとしているのではないのだろうか?

 そんな風に思えるのだ。

 潤が聖杯戦争の正式な参戦者となった夜から既に数日が経過していた。

 当初は英霊などという大それた存在であるサーヴァントに対して気後れしていた部分もあったものの、今の少年からはそういった類の感情は消滅していた。

 それどころか先のような非常に馬鹿げた自分本位の思案や、聖杯獲得後の将来は婚姻関係を結ぶなどと勝手に思い込んでいる『彼女』とのバラ色というよりは淫猥な妄想の類を巡らし鼻の下を伸ばすような始末である。

 それというのも潤が三騎士の一角たるランサーという優れたサーヴァントを引き当てたが故だった。

 確かに最優とされるセイバーを配下に置けなかったことを残念と言えば残念ではあると潤は考えもしたのだが、過去2回の聖杯戦争に於いて園埜の一族に配されたサーヴァントはキャスターとアサシンであったのだから、それからするとランサー召喚という結果は十二分に僥倖だったと言えるだろう。

「おい、ランサー! もうとっくに帰還して、側に控えているんだろ?」

「────何かございましたか? マスター」

 霊体となって潤の背後に従者のように控えていたランサーが、その姿を露わにする。

「どうだった? 付近に他のサーヴァントやマスターの姿はなかった?」

「──はい。念のために市街地の方まで足を伸ばしてみましたが、影も形も──」

「はァ? おい、おまえっ! 何、勝手やってんのさ!? 僕は付近を見て来いって命令したよね?」

 報告を受けていた少年が突如激高する。

「お言葉ですが、マスター。聖杯戦争は穴熊を決め込むだけで勝てる戦ではありません。市街戦も想定し──」

「御託はいらないんだよ! あー、もう五月蝿いよ、おまえ! 誰だよ? 誰がさ、市街地まで偵察行けって言ったんだよ? 僕はね、何で絶対であるはずの僕の言いつけを守れないのかを責めてるんだよ!」

「……過ぎた判断でした。申し訳ありません、マスター……」

「全く……おまえさ、もしこの付近にアサシンあたりが潜伏してて、それを見逃しててでもいたら、それを倒すべきおまえが、そんな遠方にいて、いざって事態にどう対処するっていうんだよ? おまえ、瞬間移動できる能力でも持ってるの? だったら、教えてろよ、そんな能力持ってますってさ。それとも虎の子の令呪をさ、おまえの判断ミスのために消費して、僕に強制帰還命令でも出せとでも!? おまえ、本当に馬鹿なんじゃないの!?」

「……申し訳ありません、マスター。これからは尊命を遵守するよう心がけます」

「分かればいいよ。全く。僕みたいな寛大なマスターに付き従えることが出来て、本当に感謝するんだね、ランサー」

 土下座とまでも行かずも、リビングのフロアに直接座して深く頭を垂れて謝意を示したサーヴァントを見下しながら、潤は吐き付けた。

「……ランサーはさ、確かに空気読めないって言うか、融通利かないとこあるけど。まあ、そういう素直な姿勢は評価するよ」

 潤のサーヴァントに対する付け上がったような態度は、実に馴染んだものだった。元々が私生活でも、そういう唯我独尊な人物なのである。

 そんな少年にとって、マスターを主として立てようとするランサーは、実に御しやすい英霊と言えただろう。この青年の性格を考えるに、人道に外れるような卑劣な選択を選ばぬ限りは、いつでもマスターである潤の意のままにその強大な力を行使することが明白である。

 

 そんな彼以外にも、他にサーヴァントと呼ばれるものが既に存在しているのかも知れない。

 むしろ、その可能性が高いからこそ、潤はランサーに付近を偵察するように命じたのだ。

 

 ここにランサーが存在している以上、聖杯戦争の開戦は間もなくであるはずなのだ。

 

 サーヴァントや、そのマスターの活動に因るものだと思われるような、不可解な事件や事故が発生したなどという話は、未だ管理者たる潤の元には届いてはいない。だが、とうに夏川の闇で暗躍している殺し合うべき敵が存在していて当然の状況であるのだ。或いは彼の言葉通りに、既にそういう輩が付近に潜伏していて、マスターであることが確定的である園埜の魔術師の寝首を掻く隙を窺っているやも知れないのである。

 しかし、今はまだ園埜が屋敷を構える、この山の手の閑静な住宅街は確かに安寧の中に在った。

 ランサーの報告を鵜呑みにするのなら、そういうことになる。

 もっとも。現状の事実がどうであれ、そんな静かで安全な夜も僅かな日を数えるだけで容易く打ち砕かれることだろう。

 気温だとか天候だとか、外的な条件がどうであれ、結局のところ一度聖杯戦争が始まってしまえば、夜間は一般人にとって危険この上ない時間帯に変わることは間違いないのだ。

 この界隈は尚のこと。

 園埜の屋敷といえば、明確にマスターとサーヴァントの拠点であると敵に認知されている数少ないポイントなのである。

 園埜という一族以外の聖杯を欲する厚顔無恥な烏合の衆は、過去がそうであったように、この一帯こそを聖杯戦争の主戦場の1つとして数えていることだろう。

「……ランサーはさ、この国を守りたくて召喚に応じたんだろ? どこぞの馬鹿の変な望みで、この国が狂うのを阻止したいってんだろ?」

「はい。その通りです」

「もう一回聞くけどさ。その言葉に本当に嘘偽りはないんだよね?」

「一片の曇りなく。それが我が本懐です」

 ランサーを試すように少年は語りかけ、ランサーは迷いなく真っ直ぐに少年と視線を交わす。

「……だったらさ、僕を勝たせなきゃ。僕の願いは教えたよね? 僕はさ、この国をどうのこうのしようなんて思ってないんだから。僕は僕の優れた力を知らしめたいだけ。それこそが僕の願い。魔術師としての誇りのために、僕は聖杯戦争に参戦してる」

「存じ上げております」

「……僕が嘘をついてるように見える?」

「いいえ、微塵にも」

 その終戦の後に描いた邪な未来図は別として、その参戦理由とは少年の本心だった。

 そして、地の利と三騎士の一角たるランサーという強力な手駒を以ってすれば、ここに攻め入ってくるであろう敵を迎え撃って一蹴し、一族の悲願としてきた聖杯獲得も十分に実現できることなのだと。少なくとも園埜潤は、それを信じて疑っていない。

「だったらさ、本当に頼むよ? ランサー」

 その思い込みは『彼女』を自らの妻へと娶るとなどという淫楽な将来を確実に手繰り寄せるものであり、少年の聖杯戦争に対する算段を益々と楽観視させるのだった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 “何故(なにゆえ)に聖杯を欲するのか──?”

 

 

 ありとあらゆる望みを叶えるという願望機である聖杯。

 それを求めるが為に、凄惨を極める争奪戦へと魔術師(マスター)たちは赴く。

 しかし、それはマスターと共に参戦するサーヴァントたちにとってもまた然り、であった。

 そもそも、生前に英雄として崇め奉られ“英霊の座”に迎え入れられた彼らは、人間如きに使役できる存在ではないのだ。

 彼らは彼らなりに聖杯を求める理由があり、それ故にマスターに付き従うのである。

 聖杯が結んだマスターとサーヴァントの縁とは、決して絶対的な主従関係ではない。両者は聖杯を獲得するために利害の一致した協力関係にあるだけなのである。

 サーヴァントが聖杯戦争へ参戦する意図と、マスターが聖杯によって成就させんとする望みと。

 その両者が相容れぬ願望(もの)であるとするならば、元よりサーヴァントとマスターの共闘体制は構築されるはずもないのである。

 

 だからこそ。その文言は聖杯戦争に赴く魔術師と英霊の両者にとって、非常に大きな意味を持つ。

 

 園埜潤は召喚した直後に、その問いを己がサーヴァントに投げかけていた。

 では、彼はその疑問に対し、自らのマスターにどのような(こたえ)を返したのか?

 

「唯、護国のため──」

 

 僅かばかりの澱みもなく。一切の迷いも見せず。

 それが自らの望みであると、槍兵のサーヴァントは即座に明澄と語ったのである。

 彼は聖杯という計り知れないモノが、悪意ある何者かによって行使されることを防ぐためだけに潤の呼び掛けに応じたのだというのだ。

 対する園埜潤という少年の望みとは酷く自己的なものに過ぎないが、だが、傾国を図る類のものではなかった。

 自らの力を広く魔術師たちに認めさせるため。

 それは矮小な人間なりの、極めて矮小な願いでしかなかったのである。

 そういう意味では、崇高な意志のもとに馳せ参じたランサーと、そのマスターに不釣り合いなものはあったやも知れぬものの、彼らが根本的な部分で不和を生じさせることはなかったのだった。

 

 ランサーとは、かつてこの国の平定と平安を願いながら戦いに赴いた英雄。護国の英霊だった。

 マスターである潤が信じるか、信じないかは別として。

 それはその功績により英雄となったランサーが、遠い過去から色褪せることなく現代まで抱き続けた純粋で高貴な祈りだったのである。

 

 

 もしかすると、彼女は選択を間違えたのかも知れない────。

 

 

 その望みはまた、マスターである彼女の望みと同じ類の祈りだったのだから……。

 

 勿論。彼女自身のサーヴァントではないランサーが、そのような崇高な願いを胸に聖杯戦争に赴くために現界しているなどという事実を、彼女が知り得るはずもない。

 或いは、『園埜』という間違いなく聖杯戦争で生死を賭した争いを繰り広げることになるであろう敵である魔術師が召喚したランサーという英霊が、自分と互いの願望を尊重し合える理想的な共闘体制を築き上げることのできる人物なのだと知ったところで、彼女が彼をパートナーとして選別することなどとうに叶うはずもないことだったのである。

 園埜潤は有栖川宮(ありすがわのみや)里子(りこ)よりも一週も先駆けてサーヴァントの召喚儀式を行い、契約を終えていたのだから。

 

 最優と謳われるセイバーとして現界した、生前、国の平定のために尽力し、貢献したはずの英雄。

 セイバーもまたランサーと同様の功を成した英霊であった。

 否。彼こそが国土平定の英雄としては最も誰からも伝え知られる人物であり、その貢献度も他を大きく圧倒しているのだ。それこそ里子にとっては一番に協力的で、互いに信頼し合える関係を即座に結ぶことのできる人物であったはずなのである。

「セイバー!」

 しかし、実際のところ彼女とセイバーの関係はお世辞にも良好とは言い難いものだった。

 それを示すかのように、少女の呼びかけた声にサーヴァントが即座に応える気配はない。

 自宅である御所の前は里子の言葉の余韻が消えた後、ただいつもの静けさの中にあるだけだ。

 霊的な防衛力を強化させるべく、どこぞより鎮守の森を丸ごと移植させてまで作られた宮社。

 一応は表参道ということにもなる道路から一の鳥居をくぐると、杜の中を石畳が神所へと伸びていた。

「セイバー!」

 外部からの参拝者無き社に続く小道を歩みながら少女は再度、自身のサーヴァントを呼んでみる。

 数基の鳥居が並ぶ境内を、少女は一見、自分自身と見紛うばかりの英霊の姿を視界に探す。

 近くにいるであろうことは、マスターである彼女には解っている。現状は単に彼が呼びかけに応えないだけなのだ。

「セイバー!」

「──煩いぞ。女」

 幾度目かの叫びに、漸く聞こえたセイバーの声。その声音は、しかし、散々彼を探していた少女のものよりも気だるげで、苛立ちを含んだものだった。

 そんな反応はいつものことである。

 彼は常時、そういう不遜な態度を己がマスターに対して取っているのだ。

 いや。それは決して彼女に対してだけのものではない。

 そういうセイバーの不埒な言動も、彼女と彼の関係に溝を作る一因なのだった。

 しかし、もしかするとセイバーには何か、セイバーなりの思惑があるのかも知れないと里子は思いたかった。

 例えば、彼が夢に見た平定後の理想とする国土と、多種に渡る様々な問題を抱えた現代社会とのギャップであったり────。

 

 ……もしくは。もしくは皇女として彼と共に戦おうとする、自分自身に対する不信感であったり────。

 

 だから、今、この時までは、そんなセイバーに気を使い、大いなる功績を誇る偉大なる英霊として物怖じし、彼女は彼の否定的な反応より先、それ以上のコミュニケーションを取ることができないでいたのである。

 或いは、幼い頃より想い描いていた理想の英雄たる彼ならば、程なく態度を軟化させるものだと、ぎりぎりまで信じていたかったからなのかも知れない。

「……セイバー。貴方はどうして、私に追行してはくれなかったのですか?」

 しかし、最早そうも言ってはいられない状況だった。聖杯戦争の開戦は目前だろう。それを彼女は確かに肌に感じ取っていた。

 その凄惨を極める魔術師たちによる戦争とは、マスターとサーヴァントの意思の疎通が出来ずして勝ち残れるほど浅はかな戦いであるはずもないのだ。

 よしんば、そのような異常を継続しながら聖杯戦争を戦ったマスターとサーヴァントが過去に実在していたのだとしても、少なくともそれは里子とセイバーには実行できるはずもない無理な戦略(はなし)でしかないのである。

 だから、意を決して少女は問う。

「……貴方は私を守護する責務を負うはずです」

「──ほう? オレ様に対して物申すと云うか、女」

「女ではありません。私は有栖川宮里子。貴方のマスターです。何度名乗れば解ると言うのですか?」

 そんな里子の初めての反応を、さも楽しげにセイバーは嗤った。

 サーヴァントに対するマスターの初の反抗に、サーヴァントもまたマスターに対して初の表情を見せる。

「学校に向かうと告げたはずです。どうして途中で私の側を離れたのですか?」

「──ふん。決まっておろう? 下らぬからよ」

「下らない? 私にだって聖杯戦争以外の“普段”はあります! それにだからといって私の側を離れて、もしものことがあったら貴方はどうするつもりだったのです!?」

 里子はセイバーを召喚した夜に纏っていた巫女装束姿ではなく、ダッフルコートにセーラー服という服装だった。

 高校に通う里子にとって春休み期間中ではあるものの、彼女は来年からの授業で使用する教科書を購入するために登校する必要があったのである。

「──もしも、とな?」

「他のマスターやサーヴァントからの襲撃を受けるようなことがあったら、ということです! 同じ学校に“園埜”も在籍していると伝えたはずです!」

 そして、学校に登校するということは、他のマスターに遭遇する可能性が高いことを同時に意味していた。

 そのマスターとは、今年最高学年に進級する園埜という姓の男子生徒である。園埜潤と有栖川宮里子の間には、同じ学園に通う先輩後輩という関係が存在していたのである。

 園埜の跡取りと同じ高校に里子が通学するということ。

 当然、それは諜報活動の一環という側面も持っていた。

 彼女は幼い頃からこの街で、この御所で暮らしながら聖杯戦争に備えてきたのである。

 確実に件の戦争に参戦することが解っている魔術師に対する様々な情報を収集しておくということは、非常に重要な彼女に課せられた任務でもあったのだ。 

「ふん。その様な些細なことを有事だと騒ぎ立てるのならば、その“令呪”とやらを使えばよかろう?」

「セイバー!? 貴方は!」

 令呪はマスターに3回だけ与えられた絶対命令権であり、その行使は、時に不可能を可能とする。言わば“切り札”である。

 それをただ単に行動を共にさせるだけに使うなどと──その発言は聖杯戦争を恐ろしくも軽視するセイバーの意識の現われとしか里子には取れなかった。

 

 ──それは彼女の存在を全否定する行為と同義なのだ。

 

「──女。勘違いするなよ?」

 しかし、柳眉を逆立てて感情を露わにした里子に、セイバーはそれ以上の怒りを──殺気さえも孕んだ怒気を向けていた。

「オレは聖杯など、どうでも良いのだと言ったはずだが──?」

 完全に気圧されて言葉を失ってしまった少女に、威圧の塊たる存在は続ける。

 

 共闘体制などと、そもそも前提として成り立つはずもない。

 如何に互いがわだかまりを吐き出したところで、そもそもセイバーには聖杯に賭するものがないのだ──。

 

「──っ! セイバー、貴方はそれを本気で……!?」

 その言葉を確かに、里子は数日前に聞いていた。

 

 どうして聖杯を求めるのか──?

 どうしてこの召喚に応じたというのか──?

 

 他の誰でもない。

 彼こそを召喚するべく少女は儀式を行い、そして、彼はその呼びかけに応じてくれたのだ。

 だからこそ、問いかける声に返ってくる彼の英霊の応えとは、きっとそれだけで彼女が彼に対して強い信頼を抱くに十分なものになるはずだったのだ。

 だが、どうしても信じられなかった。

 信じたくはなかった。

 

「復唱させるか、女?

 ──オレ様は只、我が庭たるこの大八洲(おおやしま)にて、オレ様に断りもなく下らぬ戯れに興じようとする、下種で愚かなる雑魚共を嘲り虚仮にしてやりたいだけのこと────

 ──確かに、そう告げたはずだが? その足りぬ脳は、それさえを忘れたか?」

 

 しかし、何度聞いたところで、何度疑ったところで、セイバーの答えが変わることは無い。

 彼は、本当に、幼い頃から憧れた、共に戦うことになるはずの英霊なのか────?

 

「そういえば、そう言う意味では女。オマエは最初に拝むには打って付けの大白痴だったな──」

 

 呆然とするマスターを、セイバーはさも愉快そうに見下す。

 

「護国とな? 

 ──身の程を知れ、女。雑兵如きの器に過ぎた願望など、滑稽を通り越して余りに腹立たしいだけだ」

 

 そうして、同じ志を持つ者であると少女が信じていた英霊は、唯、彼女の抱いた尊き想いを侮蔑した。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。