Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】 作:世木維生
ロミウス・ウィンストン・オーウェンにとっての夏川の聖杯戦争に於ける最難関は、既に突破できたのだと言っても過言ではなかった。
聖杯に選定された
まして、彼の接触対象であった代行者──教会の異端排除者でもある彼女の陣営が、本来は中立であるはずの監督者と繋がっているであろうことは、多少なりと知恵の働く人物であったならば容易に想像できたことなのだ。
代行者も監督者も同じ聖堂教会に属する人間なのである。
彼らは膝を折って神に祈りを捧げぬ者に対し、本質的な部分に於いて表向きの教義のように決して平等ではない。そんなことは魔術などとは無縁の表の歴史でも明らかなことだ。ならばこそ、例え表面的にはならざるも同じ教義の下に集う者が、同時にそれとは異なる者──或いはそもそもから排除すべき異端でしかない魔術師──と並び競うこととなるのだとすれば、その密度や頻度は予測できずも、神の御心のままに、手を差し伸べるべき者に便宜を図るであろうことなどは至極当然の事態だと言えたのである。
そして、その上で何よりも。ロミウスのよく知っている任務に冷徹な彼女──ジュリエッタ・カタリナ・アレキサンドラという女性の思考を慮ると、そういう優位性が確立された上で、それでもわざわざ他陣営と共闘・同盟関係を結ぶ可能性などと在り得るはずのないことだったのだ。
それを対象として仮にブッキーにオッズをつけさせたとすれば、その数値は天文学的なものに肉薄するような、さぞ笑えない絶望的な数字になったであろうこと請け合いだったはずなのである。
それであるにも関わらず。限定的とは言えども、ロミウスは既に彼女の陣営と共闘体制に持ち込むことを成功させたのだ。
最悪、十全の力を発揮させることに制限を有している己がサーヴァント──ライダーを酷使してでも、自身が彼女以外の陣営を全て潰して回る。現に、そういう分の悪過ぎる賭けに出る算段さえをも実行寸前の段階に至るにまで画策していたのにも関わらず、である。
ジュリエッタの聖杯戦争を安穏に終結させる。
彼女を実兄が背負うべきだった運命から解放する。
そのためにロミウスの思い付いた最も有効な手段とは、自身との同盟関係を彼女に締結させることだった。しかし、それは斯様に不可能と同義であったはずなのである。
だからこそロミウスにとっての現状は、最も困難な問題をクリアしたのだと判断ができるのだ。
「……アサシンには感謝状の一つでも進呈しなけりゃいけないかな」
冷たい星空の中を疾走する絢爛豪華な牛車。その開かれた物見からぼんやりと夏川の夜景を見下ろしながらロミウスは独りごちた。
「──? ろみうす、何か?」
その呟きに、彼に仕える美しい少女が万人に慈しみを受けるようなあどけない表情を浮かべて首を傾げる。
「──いいや。何でもないさ」
そんな英霊などとは程遠い己がサーヴァントに目を向けて、紳士然と青年魔術師は薄く口元を緩めた。
その口を突いたアサシンへの感謝の言葉が、果たしてどれほど本心から来たものであったのかなど、基本シニカルなスタンスである彼故に明確には判別できない。
だが、アサシン陣営の想定外の行動が、ロミウスにとって願ってもない追い風となったことは疑いようもないことだった。寧ろ、順境たる彼を取り巻く現状は、その全てが彼らの恩恵であったとさえ言える。
どのような意図でアサシンと、そのマスターが今回の聖杯戦争をその様に立ち回っているのか?
そんなことは、その行動が魔術師としてのセオリーから逸脱し過ぎているためにロミウスにも到底、推測できる代物ではない。
だが、その異常な行動が、マスターとサーヴァントが互いに孤立するというイレギュラーな事態にジュリエッタを陥れ、ロミウスが彼女に付け入る最初の隙を生んでくれたということは明らかな事実だ。
無論、たかがそれだけではない。
繰り返された魔術を秘匿することを放棄したようなあからさまな殺戮活動。そして、極め付きが聖堂教会から派遣された監督役を殺害するという暴挙である。
それら彼らの手による愚行は、遂には聖堂教会が聖杯戦争の一時休戦とルールの変更を行う──アサシン陣営を残存する総ての勢力にて真っ先に排除を行うように指令を発する──という、極めて特殊な状況を作り出すに至らしめたのである。
ロミウス自身が明け方に教会で語ったように、彼の恩師が参戦していた冬木の聖杯戦争に於いてキャスターにより類似した事態は過去に発生しており、そのような前例が決してなかったわけではない。
だが、それが極めて異例な状況であることは確かなのである。
それを新たな監督者に進言し、採用させたのは自身の手柄ではあるも、兎も角、そうしてロミウスはジュリエッタと戦闘を行わずに済む戦況を、限定的とはいえ作り出すことに成功したのだった。
そして、暗殺者の英霊の恩恵はさらに続く。
加え、アサシンは新監督者曰くに、その宝具に因りジュリエッタのサーヴァント──バーサーカーに何かしら得体の知れない制限を残して去っていったのである。
サーヴァントの特性に“鬼”という属性を付加させること。
その残された制約が何を意味するのか?
果たしてどのようなペナルティに繋がるのか?
それは現状、判明してはいない。
しかし、そうであるが以上、ジュリエッタはアサシン陣営に対して極めて慎重に動かざるを得なくなる訳だが、同時に異端を狩る者、或いは一族同士を巻き込んだ監督者との関係性などという性質上、そして何よりも、そういうトラブルの存在を外部に悟らせぬよう、アサシン排除を完全に他陣営に任せて放棄してしまうという選択を行うことができないという袋小路に入る訳である。
そんな裏事情を含め、彼女を取り巻く事態を具に把握しつつ、かつ裏切りの可能性が皆無であるというかつて知ったる信頼の置ける共闘の叶う者。
つまりは一連のアサシンの動向によって、ロミウスは非常に稀有な条件を完全に満たした、現状唯一、ジュリエッタにとって必要とされるマスターとなれたのである。
しかし。ロミウスは、この状況だけに甘んじるつもりは毛頭なかった。
それは遺憾ながらも、ジュリエッタとの共同戦線が限定的なものにしか成り得ないことを冷静に理解しているからである。
まず間違いなく、アサシン陣営の排除が達成された時点で、この共闘関係は解除されることになるだろう。敵を敵だと明確に認識せんがためにも。その性格上、ロミウスとの同盟体制を継続しつつ、他陣営総てを共同で脱落させていく施策などと彼女が選択するはずがないのである。
故にアサシン討伐の任がなければ、そもそもどうあれ彼女との同盟は成り立たなかったのだ。
だからこそ、様々な意味でロミウスに残された猶予とは十分なものではなかった。
ジュリエッタの聖杯戦争を無事に終結させるために自分の為すべきこと。
思いがけずに最難関を突破できた現状だからこそ、その実行と達成は大きな意味と価値を生むのだ。
故に時間もまた、今の彼には大きな敵と言えた。
「……さて」
欠伸を噛み殺しながら、ロミウスは再び地表に目を遣る。
「ろみうす……ご自愛ください……もう3日も横になっていないではないですか……」
ライダーから顔をそむけることとなる青年のその行為とは、彼女に眠気をおしている姿を悟られぬようになされたことであったのだが、どうやら効果はまるで見受けられなかった。
そして、ライダーの言葉は事実である。ロミウスはここ3日間、僅かな仮眠すらもとってはいなかった。
「……敵わないな、ライダーには」
やれやれと、いつも通りにやや仰々しいジャスチャーを交えながらロミウスは笑う。
「だが、仕方ないさ…デッキには限りがあるからね」
「ですが────」
「大丈夫だよ、ライダー。僕は自分の限界を弁えている。今夜は流石に休むさ。聖杯戦争も一時休戦になる。アサシン次第──ではあるけど、まあ、ゆっくりできるだろう」
デッキ。名門オーウェン家の魔術行使の核となる霊装にセットされたタロットカードの山。時間だけでなく、残念ながらそれも青年の行動に制限を与えていた。
ありふれた物品、それこそ世間一般に流通している単なるタロットカードと彼の行使するタロットカードとは、その実、当然に全くの別物である。
その作製には最低でも1年以上の時間を有するのだ。
それは儀式により魔力を編み込みながらベースとなるカードを作製し、その表面に絵師によって魂が込められ、日々、自身の魔力を蓄えて行き、完成を向かえる代物なのである。使用に耐え得る最低限度の魔力をデッキに
当然、宝石魔術同様、ベースとなるカードの質──儀式の完成度や成否、イラストを描く絵師の能力──や、そのカードに蓄積された魔力の総量等によってその善し悪しは大きく変化するわけである。
彼が今回の来日に際して持ち込んだデッキ総数は8。
その内の1つは正に虎の子。ロミウスの生誕記念に当時の家長たる曽祖父が自ら作製の儀式を行うとともに著名な悪魔絵師に依頼し描かせた稀代の逸品に、物心ついた日から欠かさず彼自身が魔力を込め続けたものである。
そんな切り札を含む8セットとはいえ、当然、その数は十分過ぎるものではない。
そも、一度霊装にセットされたデッキは魔術行使者の意識が飛ぶような事態となれば、その効力を完全に失効してしまうのである。
加え、何より。そういう制限に留まらず、現在彼の手によって使用中であるデッキには、まだ強力な大アルカナのカードが多数眠っていたのだった。
聖杯戦争に於いてロミウスが最初に開封したものといえど、それはみすみすと破棄するには余りに惜しいデッキ状態なのである。だからこそ、ロミウスは睡眠をとるわけにはいかなかったのだった。
「あと少しだけだ……ライダー。悪いがもう少し僕の我が侭に付き合ってくれ」
「……はぁ。でしたら一昨日は無理にでも休んでいただくべきでした」
マスターの弁を素直に受け入れつつも、ライダーは深く後悔の溜息を零す。
「……それは顧みる理由もないことだよ、ライダー。アレは僕が僕で在る以上、必要なことだ」
対して青年は弁明の色など微塵も見せずに、ただ不敵に笑って見せた。
一昨日。つまりは3日前──聖杯戦争開戦前日であり、ロミウスが不眠となった初日。
彼はその人生において、初の日本人女性との非常に親密な関係を結ぶべくの行動を起こし、それを見事に達成させていたのである。
「……あれだけじゅりえった様に確かな想いを寄せながら、何故ろみうすはあの様な行き摺りの相手と……」
ぽつりと己がマスターを批判するライダーは、ロミウスのその部分だけが全く理解できない。
そして、おそらく恋人同士であったかつての2人の関係が変わってしまった原因とは、きっとそこにあるのだろうと彼女なりに推測していた。
「……さて。ぼちぼちタイムアップだ。せめて何か収穫が欲しいな……僕の頑張りに褒賞が欲しい──」
そんなライダーに気付いてか、気付かずか、場の雰囲気を変えるようにロミウスが軽口を叩く。
あと半時も経過すれば、夏川の教会上空には魔力パルスとともに魔力光が発せられることとなっていた。
常人には捉えられないそれらの信号こそは、聖杯戦争の一時休戦と対アサシンシフトの発令をマスターたちに知らせる場を設けるためのものである。
それは明け方の会合でロミウスとジュリエッタ、そして新監督者たる朝比奈光一との間で取り決められたことだった。
昼ではなく、夜を待ってから。
それを進言したのは、何を隠そうロミウス自身である。
聖杯戦争開戦初日から全陣営が激しく動いた状況から、日中は回復に努め、その合図に気付けぬ陣営が存在するかも知れない──などと至極尤もな意見を述べては見たものの、その実、単に彼は時間を稼ぎたかったのだ。
そして、自身は回復などに時間を費やさず、こうして直前まで索敵・探査行動を起こしていたのである。
可能であるならば、最も排したいとロミウスが考えている事案。
それは聖杯戦争に絶対に関与しているはずでありながら、唯一行動を起こしていないサーヴァントなき陣営────
サーヴァントを持った全ての陣営が大きく行動した前夜だからこそ、それを持たない彼ら一門が行動を起こす可能性が高いのではないか?
そう考え、それに縋るように行動を起こした結果が、今へと繋がるのだった。
そもそも、聖杯を願った御三家の一角たる魔術師が、真理に至る『根源の渦』への術を自ら閉ざすはずもないのだ。
サーヴァントを持たぬ聖杯戦争攻略法。
英霊である彼ら、彼女らの力が圧倒的過ぎるが以上、本来、在り得ようはずのない方法。しかし、ロミウスはそれを彼らが手にしたのかも知れないと懸念していた。
ティボルト・パオロ・アレキサンドラ。ジュリエッタの実兄であり、並外れ優れた代行者。
他御三家の一角のマスター候補最有力者を、わざわざ開戦以前に殺害するという危険さえ冒している事実があるからこそ、テュムラスグリモワール参戦は絶対だとロミウスは結論づけている。
端から静観する心積もりであるならば、何もそのような危ない橋を渡る必要はないはずなのだ。
だからこそ尚の事、彼らを危険視する。彼らを心底、不気味に思う。
もしや、単に何か彼らの陣営に思いもよらぬトラブルが発生し、既に脱落しているだけなのかも知れない。
そうとも考えることもできるが、それを楽観視して受け入れるには、テュムラスグリモワールという一族はあまりに危険すぎる相手なのである。
本当に脱落をしたというのならば。それならばそれで、その確証を得たいと思うのだ。
ジュリエッタのためにも、ロミウスは是が非でも何かしらの情報──望めるのならば、そういう朗報──を入手したかったのである。
「しかし、今日はハズレ、かな……」
軽口で零すも、だからこそ、その真意は正直なところ口惜しいものだった。
結局、時間を無駄に浪費しただけで、その言葉通りに、この日は彼らの動向を何も捉えることはできていなかったのである。
「──ろみうす、下を」
そんな青年に対し、不意にライダーが注進した。
その言葉に従い、ロミウスは下界へと目を凝らす。
「あれは──」
山際に広がる田園風景の中。
彼の目に入ったものは、見覚えのある3つの人影だった。
「──はい。セイバーのマスター、それからアーチャーとそのマスターです」
セイバー、ランサーとの交戦後、ライダー陣営は情報収集に専念することとした。
だから、ロミウスも使い魔の目を介してオフィス街での激しい戦闘を確かに目撃している。
「……同盟でも結んだか?」
ジュリエッタとの合流。
だが、その直後に自身の使い魔をオフィス街から夏川教会へと先行させたロミウスには、セイバー陣営とアーチャー陣営の邂逅を知る由もなかったのである。
「……アーチャー陣営は、まぁ捨てて置いてもそう問題でもないが……セイバー陣営は好機と考えられるのならば、早期に叩くに越したことはないな……」
そう告げた名門魔術師の青年の脳裏には、破格の威力を見せた彼の宝具“
その凶悪な破壊力は、危険極まりないものとしか捉えようがない。
「2組同時……それもセイバー陣営を含むのならば、等価交換どころか十二分にお得な取引と言えるか……」
基本的に攻勢に転じなかった昨夜と、今のライダー陣営には幾つかの変化がある。
根幹とも言える最も大きな変化とは、もちろんジュリエッタとの共闘関係締結であった。
少なくとも現行体制を維持できれば、もっとも精神的にも厳しいものとなる彼女と戦闘を行う可能性を考慮した余力を考える必要はないのである。
そして、彼女の敵を早々に一掃することは、今後、大きなメリットになるのだ。寧ろ、協力体制の内に他陣営を全滅させることができれば尚良い。
例え、それが不能だったからといって、彼女の敵を減らすに越したことはないのである。それも脅威となりえる者など、存在せぬ方が良いに決まっている。
そして、ライダーの切り札を発動させることを考慮すれば、現状が他陣営の乱入する可能性が希薄であるという点も大きなものとして挙げられた。
「──ですが、彼らともアサシン討伐で、この後、協定を結ぶのではありませんか?」
戦闘意志を固めつつあるマスターに、サーヴァントはもっともな疑問を向ける。
「……いい娘だな、ライダーは」
そのライダーの素直な感覚が、成る程、彼女が正統たる姫君であるとマスターに再認識させる。
否。だが、残存陣営による協定など、そもそもからロミウスにとっては方便でしかなかったのだ。
ジュリエッタとの関係だけが重要な部分であり、他陣営など、その実、どうでもいいことだったのである。しかし、あの嫉妬狂いの若い神父を前に、彼女と協定を結ぶに当たり、それ相応のもっともらしい体裁を整える必要があっただけなのだ。
本来、アサシン討伐などバーサーカーどころか、他のサーヴァントなど微塵も必要ではない。
その能力を完全に解放させるのならば。ライダー単騎で、例えどの様なサーヴァントであれども所詮1騎程度如き、絶対に仕留められるという揺るぎない確信をロミウスは持っている。
「だが、大丈夫だ。ライダー、君の力で安心して彼女らを聖杯戦争の舞台から排除するといい」
「──?」
「その協定の存在を彼女らは未だ知らないし、僕も“今はまだ知らない”はずなんだから」
ならばこそ、彼女のマスターはふてぶてしくもそう断言して見せた。