Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 事実として願いを叶えたという過去を一度足りと持たず、また、そのシステム構築の根幹を成した者が何の誉れも実績も有さぬ有象無象の模倣魔術一族の出であったという経歴が、その魔術儀式成功の信憑性をさらに希薄なものへと貶める。

 故にその儀式の果てに形成されるという『理想郷に存在する万能の釜』のレプリカは、完成に至るであろうという可能性を多くの者たちに疾うに否定され、一部に於いては侮辱だとして『聖杯』という名を冠することすら叶わない。

 しかし、それでも。

 その劣悪な模造品と烙印を捺されたモノを巡る争奪戦は、精製より200年を経た三度目の開戦を迎えた此度であっても熾烈で凄惨な様相を呈していた。

 

 ────降臨の地。夏川という地方都市はその被害を斯くも被る。

 その争いに於ける死傷者数は参戦した魔術師1名、そして戦争の調停監査役であった老神父1名という2名の関係者だけに留まらず、既に三桁の数字にも達していた。

 主だった物損は市東側に存在する国有林の大部分荒地化、次いでランドマークタワーであったロイヤルクリサンセマムホテルの融解・高層部消失に続き、都市発展の一翼を担ったビジネス区画の大規模な損壊。

 特に被害が甚大であったビジネス区画の主戦場となったポイントは、召喚に応じた英霊──サーヴァントである彼ら、彼女らの戦闘に因ってオフィスビル群一区画が瓦礫と焦土へと変わり果て、その周囲を中心に崩壊を免れつつも半壊し、使用不可能となったビルが多数存在。安全な交通を可能とするために修復を必要とする公道は、述べ十数キロにも及んだ。その被害金額の合計は具に換算するまでもなく、一地方自治体の地方予算など優に超えている。

 

 

 ────僅かに1日。

 

 それらの損害は間違いなく開戦初日の段階で算出されたものである。

 それが『劣悪な模造品』に未だ残された微々たる奇跡の可能性に縋った者たちが、飛躍の時を迎えようとしていた地方都市に刻んだ惨たらしい傷跡に他ならなかった。

 

 ────そして。

 参戦した或るマスターが曰く“誓杯戦争”。

 夏川の街は、その2日目の夜を迎えるのである。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ごく僅かばかり欠けただけの朧月が夜を照らす。

 昨夜より寒さは幾分か和らいでいるとはいえ、この夜も春という季節相応の気温とは程遠い。

 夏川市北部の山間に位置する宅地の夜道は街灯も疎らで暗然としていた。

 加え行く手は薄く靄がかり、視界は不安を覚えさせるほどに不明瞭で、あたかも祐樹の心境同様に冴えないでいる。

 参拝者無き社────。有栖川宮邸を少年、少女らが出発した時点で既に夜は訪れていた。

 マスター2名と、サーヴァント1騎。一行が向かっている先は、他でもなく夏川教会である。

 目的地を知ったからと言って、無論、自らが参戦することとなった魔術師たちの戦争の仕組みでさえもを満足に理解しているわけでもない少年が、この儀式の秘匿(うんえい)に絡んでいる魔術協会や聖堂教会──その一部たる第八秘蹟会などという組織の存在を知る由もない。

 だから、この街に存在する最も大きな教会というのが、これから向かう目的の場所になるという真の理由などと祐樹には見当もつかないことだった。

 だが、少女の語った『聖杯戦争を降りたマスターの安全を保障してくれる場所』というのが、そこであるということだけは“魔術師たちの戦争に巻き込まれた一般人だと認識している”この野球少年にも把握はできている。

 このような形で舞台から降りることが、本当に自らが望むこの戦いの終わり方であるのか?

 その善し悪しは判断できずも、少年の歩む道の先には、ひとつの結末をも孕んだが大きな分岐点が控えているのだ。

 

 有栖川宮邸界隈は、本当に何の変哲もない住宅地だった。

 冬木の新都──その新興住宅地中心部に建てられた市民会館が、冬木の大きな霊脈の一つとして後発的に出現したように。セイバー召喚の地ともなった、その社の地下が夏川の霊脈──聖杯の降臨に相応しい霊格を備えたポイントの一つとして形成されたことが判明したのもまた、夏川の魔術戦争の歴史からすれば、つい近年の二十数年前そこらのことだったのだ。

 小聖杯となる要石を用意する技術と、その要石を地脈に直結させる技術を園埜が有しているのかどうかはともかく。夏川のセカンドオーナーたる園埜がその土地を押さえようとしたことを阻み、宮内庁が国有地として押さえたのは、当然、今回の聖杯戦争を見据えた意図的な働きによるものだったのである。

 勿論。園埜でもアレキサンドラでも、またはテュラムスグリモワールでもない他者──第四の魔術師が、ここに小聖杯を設置しようとする可能性もなくはないのだ。

 魔術師たちの戦争の主戦場に成り得る可能性──聖杯降臨の候補地と成り得る有栖川宮邸は、一般人を決して巻き込みたくはないと決意している主の意図とはかけ離れて、そんな背景に因って人口の密集した、隠蔽にも不向きである土地の一画に社を構えていたのである。

 そして、気が付けば一行は、その夏川の住宅密集地の一つを何の問題もなしに抜け切り、市内中心部へと電力を供給する送電線を配する巨大な鉄塔が並ぶと共に、その周囲には田園の広がるのどかな農耕地帯へと到達していた。

 舗装されて数年と経過していないであろう、かつての畦道。

 少年の前方には、そんな闇路を出立した時から変わらず黙々と先導している少女の姿が在る。

 

 

『──私を殺す覚悟はありますか?』

 

 

 彼女は、少年にそう言い放った。

 無論、祐樹にはそんな馬鹿げた覚悟はない。出来ようはずもない。

 何度も、何度も。

 結論は変わらずも。しかし、歩みながらも数え切れず少年の心の中で繰り返されるのは、反芻されるのは、彼女のその言葉に他ならなかった。

 否。その問答は今に始まったことではない。

 里子から、その言葉を受けた裕樹は以降、屋敷では簡単な返事以外の言葉を発することはなかった。感嘆、肯定、否定の意思表示程度でしかない、そんな単純な返す言葉さえ、どこか上の空だった。

 だが、こうして今に至るまで終わることなく熟考を重ねるも、彼女に突きつけられた覚悟という言葉に対する自分なりの解へと至る気配など、少年には一向に存在しないのだ。

 

 ────覚悟。

 

 だが、自分には本当にそれが足りないだけなのだろうか、と祐樹は思う。

 振り返るまでもなく、そんな少年の背後をもう1人の少女が続いていた。

 

 ────彼女にも、そういう覚悟があるのだろうか?

 

 ふと、そう祐樹は思うが、やっぱりあるのだろう、と直ぐに思い当たる。

 アーチャーは事実、出会ったばかりの、まだその人となりや善悪の判別もつかぬ状態であった里子を躊躇することなく殺害しようとしたではないか。

 どれほど歩いただろう。

 どれほど自問しただろう。

 だが、やはりどれだけ考えても、少年には今後どうすることが自身にとって正しい結論なのかが解らないのだ。

 そして、それ以上にやはり彼女の言う覚悟というものの本質が解らない。

「……いいかな?」

 歩みを止めて。

 そうして祐樹は自分のものとは思えなかったほどの重い口を開いた。

「──有栖川宮さん。君はどうして、そんな覚悟を持てるんだ? 人を殺す……なんて、そんな覚悟、普通考えたら異常でしかないはずだろ? 大体、聖杯戦争とか言うけどさ。そもそも、そんな覚悟が本当に必要なのか?」

 里子と。そう呼んで欲しいと彼女は希望した。

 だが、そう告げた明け方の彼女は、そこに居る彼女ではないと思えて。気が付けば祐樹はごく自然に“有栖川宮”と、そう彼女を呼んでいた。

 少年に向き直った直後。自身の返答を待たずに続けられた想い人の声。自身を呼んだそんな些細で大きな違いに、だが、少女は淋しげに笑顔を浮かべただけだった。

「──有栖川宮。先輩は、私のこの名字が何を意味するものなのか……解りますか?」

「……いや、ごめん。解らない。変わった名字だな、って思いはするけど」

 里子の問いに、生じた沈黙は僅か。考えるまでもなく、そういう知識は祐樹にはない。

 或いは失くした記憶の中に、そういう類の知識があったのかも知れない──などと、何故かそんな気がするも、同時に現実味の薄い都合ばかりのいい考えだと祐樹は自嘲気味に思う。

 だが例えそれが事実だったのだとしても、どの道、忘却した記憶を掘り探る術など少年にはないのだ。

「……そうですよね。覚えているわけ、ないですよね」

 そして、呟かれた少女の声が少年に届くことはなかった。

「祐樹。有栖川宮家は親王家の1つ。それも伏見宮(ふしみのみや)、桂宮(かつらのみや)、閑院宮(かんいんのみや)と並ぶ、四親王家に数えられる由緒正しい宮号(みやごう)の1つです」

「宮号……って。ごめん。分からないや。宮号って何なのさ?」

「一家を立てた親王が天皇から賜る称号のことです。ちなみに親王とは、嫡出の皇子および嫡男系嫡出の皇孫の男子のことを指します」

「……アーチャー、それってもしかして……じゃあ、有栖川宮さ──っ! 有栖川宮()は天皇家、その血筋に在るの方……皇女ってこと!?」

 目の前の里子ではなく、背後のアーチャーが遣した答えに祐樹は俄かに慌てふためく。

 普通一般、国の象徴たる皇女を前にすれば、緊張したり、強張ったり、それこそそれが普通の反応なのかも知れない。

 そんな少年を見て、有栖川宮という氏を名乗る少女は一瞬だけ、くすりと微笑んだ。

「ですが……四親王家とは過去の──江戸時代の話です。里子。確か、有栖川宮家は廃絶してしまった宮号のはずでは?」

「──え? え? どういうことだ、それって?」

 驚いたマスターを他所に、アーチャーは至って冷静なままで里子にそう訊ねて、話題を推し進める。

 セイバーのマスターは己がマスターの問いに対し、つまりは自身の名乗る姓氏に意味が、求める覚悟(こたえ)があるのだと言ったのだ。

 迷いのあるマスターは、戦場に於いて危険でしかない。

 そして、この場所とて何時ともなく戦場と化すやも知れぬのである。

 彼女から話を早々に引き出すことが、今の自分の役目であると────。

 そうすることが、祐樹の迷いを断つために、唯一今の自分にできることなのだとアーチャーは悟っていた。

「……アーチャーの言う通りです。“有栖川宮”という宮号は、現在は途絶えています。世間一般の方々が先輩同様に、私という皇族を知らぬ通りに、私には本来、当然のように皇族に籍はありません……私は偽りの皇女。だから、今は存在しない“有栖川宮”の姓を名乗っています」

 与えられたのではない。

 少女が“名乗っている”と告げたのは、自らそれを望んでいるのだという、彼女の意思に他ならなかった。

 偽りの地位。だが、それはその実、人身御供でしかないはずなのだ。

 有栖川宮里子という皇女として、聖杯戦争の魔術師(マスター)として育てられた少女。

 彼女は、そのためだけの“皇族”として存在し、セイバーという英霊の縁者として担ぎ上げられたのである。

 それは彼女本来の生を殺していることと同義でしかないはずなのだ。

「──ですが、この国を、この国の人々を想う気持ちは、皇族の方々と同じです」

 しかし、少女は凛と語った。

 

「……先輩。私は、この国を護るために聖杯戦争に参戦しています。それが私の覚悟です。この国に暮らす人々の安息を、幸せを、誰にも失って欲しくない。こんな争いなんかで壊させることなんてさせない。そのために、私自身は殺戮という不浄に穢れてしまってもいい────そう思っています」

 

 穏やかながらも、強い。揺るぎない意志。

 それを、その表情で、その言葉で、有栖川宮と名乗る少女は2人の前で示していた。

 彼女の心から国を憂う気持ちは決して嘘偽りや偽善などではなく、本心からのものとして誰の目にも映ることだろう。そんな強い想いが、確かに彼女を皇女として思わせていた。

 

「……いえ。それが私の役目。私が負うべき咎なんです」

 

 ぽつりと。

 続けて零した言葉に、目を伏せた皇女の表情が深い憂いを帯びる。

 

「……この国の破壊を望む……聖杯に滅びを望む魔術師がいます」

「──! それって、まさか? いや。そんなことはないだろ?」

「いいえ、先輩。そのまさか、なんです。聖杯に滅びを望む魔術師とは長浜将仁。だから、私は、私が必ず彼を殺すのです……」

「────!? 将仁が!? そんなはずないだろ! 将仁だよ!? あいつは!!」

 

 少女の言葉に、祐樹が唐突に声を荒げた。

 馬鹿げた話だと、その言葉だけで少女の全てを祐樹には否定できた。

 つい今の瞬間まで、その少女が神々しい存在とさえ少年には思えていたが、そんなイメージは容易く一蹴される。

 確かに、将仁に彼自身が殺されかけたのは事実だ。

 だが、それには何か深い理由があるはずなのだ。そうでなければ、あんな悲しげな顔を、懇願するような眼を、命の遣り取りの中で殺害しようとする相手に見せるはずもない────。

 だから、それを確かめようと────、

 だから、何か彼を助ける術があるはずだと────、

 だから、また、すぐにいつものように将仁と並んで笑い合えるはずだと、祐樹は強く確信するのだ。

 少女の言葉に今は揺らいでいようとも、何よりそれが自身が戦いを決意した理由に他ならないはずだった。

 そもそも彼の否定とは、少年にとって、残っている記憶の否定に他ならないのだ。

 思い起こせる範囲で、楽しいときも、苦しいときも、淋しいときも、最も多く、いつもといっても過言ではなく、祐樹の側にいてくれたのは将仁だったのだ。

 彼を元凶だと、諸悪の根源だというのならば、それら総てが、祐樹が彼から受けた人としての暖かささえも偽りだったとでもいうのだろうか?

 

 ────在り得ない! 在り得ない! 断じて、在り得ない!!

 

 他人を思い遣る心を将仁は人一倍持っている。目の前の少女なんかと比べるまでもなく、祐樹こそがそれを誰よりも知っているのだ。

 それをいつも、いつも、目の当たりにしてきたのは自分自身である。

 自分こそが彼という人間のやさしさを証明できる最たる者であると祐樹は自負しているし、客観的に見ても彼ほど善良な人間などいないだろうと確信している。

 

 

 里子の顔が苦痛に歪んでいた。

「──祐樹!」

 アーチャーが己がマスターを制止する。

 気が付けば祐樹は少女に掴み掛かり、否定を促しながら、その両肩を力の限り、強く揺さぶっていた。

「ご、ごめん────!」

 我に帰ると、飛び退くように祐樹は里子を離す。

 弱弱しく首を振り、少女はそんな少年の謝罪を素直に受け入れていた。

「……いいえ。先輩……先輩の想いも私には解りますから……」

 そして。痛みと共に悲しみを、皇女は誰に聞こえるでもなく零していた。

 

 

 

 

 

 


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