Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

37 / 51
Re:34

「どうしたのかね? “伊達祐樹”君。そこに立っているだけでは、君の意志は決して私には伝わらないのだがね──」

 沈黙に耐えきれずか、男が再び口を開く。

「何。安心したまえ。私は君の振る舞いに対して嫌悪など抱いてはいない。寧ろ、当然の状態であると理解さえしているよ。猜疑心に囚われることなど、聖杯戦争に参戦したマスターとしては当然の事態なのだからな」

 そして、何のリアクションも取れずにいた少年に、スーツ姿の男は続けた。

「──だが、そうだな。或いは、もし仮に。もし仮に、君が私を本当に不審人物ではないかと疑っているというのならば、しかし、何を恐れることがあるというのだね? 君にはサーヴァントという最高の護衛が存在しているだろう?」

 

 

 男の表情を直接見ることのできないアーチャーが、その一連の言葉を果たしてどのように感じたのか?

 その心持を今の少年は如何に彼女のマスターではあるとは言えども、当人ではない以上、具に理解できるはずもない。

 

 それは沈黙に耐え切れずなどと殊勝なものであるはずもなく、明らかな挑発行為に過ぎなかったのだ──。

 

 だが裕樹自身は眼前の男があからさまに自分を敵視しているであろうことを、その上でそういう神経を逆なでにするような言動を敢えて採っているのだと、そう認識するに至っていた。

「──裕樹」

 しかし、少年が警戒を解けずにいる相手の背後に変わらずに陣取った少女が小さく頷き、予想外に男の発言を肯定する。

 彼女の眼差しが、私が側にいる限り貴方は絶対に大丈夫ですと、力強く、そう告げていた。

 そして、その瞳は同時に、その男の話を聞いて下さい、とも訴えていたのだった。

 

 アーチャーは裕樹に聖杯戦争が何たるかを改めて理解して欲しいと思ったのである。

 確かに彼女からすると、現状の少年の立ち位置とは極めて危ういものに思えて仕方がないはずなのだ。

 魔術師である他のマスターたちは地力で少年を優に上回りながらも、その上で、聖杯という願望機を入手せんがために、善悪を問わず、ありとあらゆる手段に訴えてくることは想像に容易いのである。

 例え、親友を救出するためという確たる目的が己のマスターには在るのだと言えど、その戦いとは、半信半疑の状態のままで臨むには余りに無謀で危険であると断言できるのだ。

 願望機の争奪戦は参戦する全ての者に、掛け値なしに終戦の時を迎えるその瞬間に至るまで、絶え間ない生命の危険に身を晒すことを強要させるものなのである。

 奇襲、闇討ち、暗殺、謀殺。それどころかマスター個人を葬るために、一般人までを巻き込んだテロレベルに至る大量虐殺行為まで発生し得る危険な場所へと夏川という街は化している────そこは間違いなく戦場であり、紛うことなく文字通りにこれは戦争なのだ。

 それも最悪の泥沼にある底辺レベルの最悪な戦争といって差し支えは無い。

 願望機を巡る戦とは、人の欲望とエゴとが剥き出しにされる争いなのだ。

 恐らく彼女はマスターに、自身と何の関わりもないような──寧ろ敵意とさえ言って良い感情を抱いている──第三者からの説明を受けることで、その現実を強く認識して欲しいのだろう。

 そうすることで、祐樹の生存率は飛躍的に向上するはずなのである。

 そして当然、それは眼前の機会が彼女にとって──即ち、裕樹にとっても、リスクが極めて低いであろうからこその選択だった。

 そも、ここはセイバー陣営の拠点である。幾重にも重ねられた強力な結界で確かな防衛力が確保されているのだ。それはこの社に到着した時点でアーチャー自身が確認した事実である。そして、現状の戦力差としては男の語る通りであり、サーヴァントでもない相手を前にアーチャー自身が側に控える以上、祐樹の身の安全に問題はないはずなのだ。

 もしも。しかし、その男が語る聖杯戦争の情報に祐樹が不利に陥るような虚偽があったのだというのならば、それについても、その時点でこの会合を彼女自身の手で強制的に打ち切ってしまえば問題はないのである。

 

 少女は変わらず真っ直ぐに少年を見詰めていた。

 

「……解ったよ、アーチャー」

 話だけは聞くべきか……と、半ば辟易としながらも、そういうアーチャーの意図を極々一部ながらに感じとった祐樹は、観念したように大きく息を吐く。

 

「……それで? アンタは一体、何を話してくれるって言うんですか? 聖杯戦争ってやつの。一応、これでもアーチャーから一通り要点だけは聞いていますよ?」

 

 その上でさらに一呼吸間を置くと、敵意を全面に出さぬように気を配りながら──だが、明らかに友好的な要素を感じさせぬ口調で、裕樹も会話を切り出した。

 祐樹を知る友人やチームメイト達からすれば、これほどの悪態をつく彼を見たことはないと口を揃えることだろう。そもそも礼儀正しい少年が、初見の相手を“アンタ”などと呼びつけることなど、前代未聞の事態だったのだから。

 だが、そんな少年の応対には殊更に何も反応を見せず、男は淡々と少年との対話を開始していた。

「ほう。君のサーヴァントはアーチャーか。相変わらず実に運がいいな、君は。三騎士の一角を手繰り寄せるとは──」

「三騎士?」

「これは失敬した。君はサーヴァントと呼ばれる存在に、どれだけの種類が存在するのかを知っているかね?」

「確か、7騎、だったか?」

「その通り。そして三騎士とは、その七騎の英霊の内で特に優れているとされるセイバー、ランサー、アーチャーの3つのクラスを指すのだが……しかし、はてさて。騎士社会ではなく武家社会を形成した我が国『日本』の英霊しか召喚することの適わない夏川の聖杯をして、その召喚に応じたサーヴァントを“騎士”などと評するとは、非常に滑稽な話だと思わないかね? “伊達裕樹”君──」

「……貴方の聖杯戦争に対するくだらない見解を聞かされるだけというならば、僕は失礼させてもらいますけど」

 少年の挑発的な返答を、だが、男は冷ややかに受け流すと口端を歪め言葉を続ける。

「成る程……話が逸れてしまったようだ。失礼をした“伊達裕樹”君。では、君は聖杯戦争と言う魔術師達の争いが何故行われるのかを、君のサーヴァント──アーチャーから既に伝え聞いていることだろうが……さて。どの様に君は聞いているのかね?」

「……正直、僕個人は本気で信じているわけじゃありませんけど……最後まで勝ち残ったら、どんな望みでも叶えてくれる“聖杯”っていうものを手に入れることができるんですよね?」

「はて? その事実に対して、どこに疑う余地があると君は言うのかね?」

 祐樹の否定的な意見を受け、博昭は遂に隠す素振りなく不敵に嗤った。

「え? だってそんな話、常識的に考えて在り得るはずもないでしょ? アンタはもっと現実主義者かと思いましたよ、それもガチガチの。お堅い感じしかしませんから。勝手なイメージですけど。いい大人が“何でも願いを叶える”って……マンガじゃないんだから──」

「──そう表層的には思いながらも、君の深層は、君の“本質”は、それを決して否定してはいない。違うかね? ──“伊達祐樹”?」

「──っ!? アンタ、何を────、」

 

 ────本質。

 

 本質だと、男は確かに言った。

 明らかな少年の嫌みを完全に無視して男が告げた言葉。

 少年がこの上ない嫌悪を抱いた男が突き付けたその言葉は、少年の親友である長浜将仁が異変の始まりに突き付けたものと同じ言葉だったのだ。

 祐樹は、声を失い────そして、戸惑う。

 

 少年は自身の心臓が脈打つ音を嫌に鮮明に、煩いまでに認識していた。

 その鼓動だけが支配する世界で、少年は自我を消失しそうになる。

 迷子になった幼い子どものように、裕樹は不安だけの世界に置き去りにされていた。

 

 だが。

 

 何かを、少年は、確かに、知っていて────、

 ────何かを、少年は、確かに、肯定していた。

 

 

 ────“それ”を指して“彼ら”は“本質”だと言ったのか?

 

 

「──君に従えるアーチャーという少女(サーヴァント)が何者であるのかを、この私が知る由もないが、彼女は君の知る、君の学んだ、或いは君の認識していない、果ては未来世界に於いて、だが、この日本という国の歴史に確かに名を刻んだ何者かであることに間違いはない」

 未だ少年の動悸は激しくなる一方だった。

 男の声が、伊達祐樹を加速度的に惑わせていく。

「────聖杯の持つ力は現実として、そのサーヴァントという英雄たちを召喚させたことで既に証明されているではないのかね? それは君が此度、垣間見たであろう魔術の世界に於いても既に奇跡の領域にある事象だ。聖杯はそんな奇跡を、完成を見ずも“7度”も引き起こしている。では、その完成型の満たすことの適う欲望など、大凡、人の身で考え得る事象など、容易く現実のものとするはずだろう」

「……」

 祐樹はただ、息を呑むよりなかった。

「常識だと言ったが、“伊達祐樹”。そもそも、君の言う常識とは何だね? 君の常識には数時間前まで“魔術”という概念が存在していたのかね? 君の知っている、君の理解できることだけが現実か? 違うな。彼女は現に君の前に突如と現れ、そして君の傍らに存在し続けているだろう? 目の前の現実を直視したまえ、“伊達祐樹”」

 男の声が、少年の中の何かを壊して逝く。

 そうでありながら、そのようなことなど言われずとも知っていると、確かに認めている本質(祐樹)が裕樹の中には存在していた。

 茫然自失に近い状態の少年を前に、男は嘲笑う。

「……まだ理解も肯定もできないと言うのかね? ならば、君が自らの置かれている順境を幸運であると認識し、それを有りの儘の事実として、掴むべき希望として受け入れ易い様、私が言い換えてみせよう────」

 

 

 

 

 

 

 

「────喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」

 

 

 

 

 

 

 

「────な、何を、いきなり」

「失った総てを再び手にする可能性を、君は今、手に入れたのだ」

 男は雄弁に聖杯戦争を斯く語る。

 その声は先の宣言通りに、祐樹という自我(エゴ)を呼び覚ましていた。

「己が欲望に素直に縋り給え、少年」

 そして、同時に。その声は、少年の心に埋葬されていた想いを掘り返し始めていた。

「──だが。改めて問おう。君は、己がサーヴァントに何を聞いていたのかね? 聖杯を手にせんがために勝ち残れと? 果たして、その意味を本当に君は理解しているのかね?」

「……理解?」

「そうだ。これは文字通りに“戦争”なのだよ、“伊達裕樹”。即ち、敵の総てを殺し尽くす必要がある。君にはその覚悟があるというのかね?」

 僅か数分前まで睨むように見ていた男の眼。

 しかし、流麗に語る男の表情さえも裕樹は最早、確認することができなかった。

 

 その声が福音のようにも聞こえ、同時に、悪意に満ち満ちた欺瞞(ぎまん)のようにも聞こえる。

 

 まともに取り合っては駄目だと、そう強く思いながらも、果たしてそれは叶わない。

 

 

 ────裕樹の知らない“伊達裕樹”が、過去の記憶を、本当の家族を、偽りのない愛情を強く強く欲する。

 ────裕樹の知っている“伊達裕樹”が、今という現実に、伯父と伯母に、今受けている愛情にどんな虚像が、どんな不満があるのかと厳しく問い正す。

 

 

 少年を壊すかのように最後の現実を突きつけるべく、男が死刑宣告を言い渡す裁判官ように口を開く。

「“伊達祐樹”。果たして君に──」

 

 

「────私を殺す覚悟はありますか?」

 

 

 そして、その言葉を接いだのは、少年の背後に現れた少女だった。

「──里子」

 音源を振り返った少年に言葉はなく、それを呟いたのは沈黙を守っていたアーチャーである。

「……塚本さん。もう結構です」

「しかし、里子様──」

「私が話し辛いだろうと気を使っていただいたのでしょうが……越権行為です。下がりなさい」

 里子もまた博昭とは目を合わそうとはせずに、しかし、威厳を持って言い放った。

「……かしこまりました」

 

 それ以上は引き下がろうとせず、博昭は深く里子に一礼をすると玄関の方へと足を向けた。

 瞬く間に男は祐樹の横を過ぎり、里子に軽くではあるが再び会釈をし、そして、終に3人の視界から消え失せる。

 首だけで振り返って見送っていた里子はそれを確認すると、合図としたかのように改めて口を開いた。

「──申し訳ありません。あの人はあの人なりに、私の役に立とうとしたのでしょう……貴方が困惑すれば、私の利となります。先輩がマスターであることは確かなのですから……ですが、塚本さんが話したことは事実でもあります」

「……俺が君を?」

 殺す。

 ──とは決して言えず、祐樹は言葉尻を濁す。

「はい」

 そんな少年に、少女は少しだけ淋しそうに微笑んだ。

 だが、それはその残酷な事実を少女もが認識しているということに他ならなかったのである。

「でも──、」

「──確かに、私と先輩は聖杯戦争という舞台で出会いながらも、敵対せずに済みました」

 少年の否定を少女は受け止める。

「ですが──」

 だが、一呼吸置いて、里子は射抜くように祐樹の目を見詰め直した。

「────私は長浜将仁を殺します。その時、彼の親友である先輩は、どうされるのですか?」

 そこに居たのは、既に一緒に夜道を歩いた少女ではなかった。

 聖杯戦争に参戦する1人のマスターそのものだったのだ。

「里子!」

 セイバーのマスターに対し、アーチャーが語彙を荒げる。

 それは祐樹の根底にあるもの──聖杯戦争の参戦目的を潰すという意思表示に他ならず、つまりは確かな敵対意識と同義なのだ。

 祐樹のサーヴァントである彼女の反応は、至極当然のものだった。

「──安心してください、アーチャー。決して貴女に悪いようには致しません」

 しかし、少女は本心から敵意の無い言葉を相対した少女へと向ける。

「それはどういう──!?」

 疑問を投げかけようとしたサーヴァントをそっと胸元に上げた右手と決意を宿した瞳で抑制し、里子は先ずマスターである少年に提案する。

「……伊達祐樹さん。貴方は一般人なのですから魔術世界(今回)のことは忘れて、この聖杯戦争から身を引いてください。それが貴方のためなんです。そして、また来年、甲子園で頑張ってください。こんな血塗られた舞台などではなく、そここそが貴方の立つべき舞台でしょう? 私が教会へ……聖杯戦争を降りたマスターの安全を保障してくれる場所へと案内いたしますから──」

 そして、セイバーのマスターは、改めてアーチャーへと向き直った。

「──アーチャー。貴女は私のサーヴァントとして、共に聖杯戦争に望みませんか?」

 少女に迷いは無い。

 過去、2騎のサーヴァントを従えたマスターが実在し、彼女の有する魔力容量からすれば、それは絶対的に不可能な状況ではなく、十分に現実可能な戦略といえた。『単独行動』などというスキルを有している魔力効率の良いアーチャーがその一角となるのなら、尚のこと。さらに『夏川の聖杯』は、サーヴァントの現界に於けるマスターの負担が冬木のそれより軽減されるのだから戦略的な連動運用をも可能とさせるだろう。

 事実、彼女がマスターとして参戦する陰陽寮と宮内庁が描いた聖杯戦争のシナリオは、当初、そうなる手筈だったのだ。

 返す言葉を失ったマスター。思いもよらぬ勧誘に戸惑うアーチャー。

 セイバーのマスターは聖杯戦争に挑む2人に、新たな道を示したのだった。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。