Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 (やまと)は (くに)のまほろば たたなづく 青垣(あをかき) 山隠(やまこも)れる (やまと)しうるはし

 

 命の (また)けむ人は 疊薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の 熊白檮(くまかし)が葉を うずに挿せ その子

 

 愛しけやし 我家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も

 

 

 嬢子(をとめ)の 床の辺に 我が置きし (つるぎ)の大刀 その大刀はや────

 

 

 

 

 青年は(おもむろ)に天を仰ぎ見る。

 霞み往く先までも碧く碧く──。

 果てを識ることも叶わず高く高く──。

 ──そこに広がっているのは無限さえを思わせる蒼穹。

 その青を映した瞳には、色濃く憧憬が宿る。

 それは青年が忘れることなく絶えず想いを馳せ、安住を夢見続けながらも終に叶わず、もはや一目見ることさえも絶望的な故郷の地にまで何も遮るものなく続いているのだ。

 ──そして、何よりも。

 大樹を背にもたれながら望んだ先には、果たして青年の一生を慈悲無く縛り続けた畏怖も疑念も嫉妬も、悲しみも、どこにも存在しなかったのだ──。

 何度。掠れ逝く眼を凝らそうとも、そこに広がっているのは唯の一面の碧空(へきくう)

 隔てるものは何も無く。

 静かに。静かに。何も言わず、何も顧みず、只管(ただひたすら)に、この身を包み込むような暖かで穏やかな、愛しい人々の与えてくれた安らぎを色彩化し、塗り拡げたような澄み渡った空が地を覆うばかりである。

 今まさに彼の生命を奪い消失させようとしている瘴気。

 その猛毒は青年の総身を完全に侵し尽くし、両足などは三重に曲げた餅のように腫れ爛れて曲がり、既に歩行を、直立することまでもを可能とするものではなかった。

 青年を黄泉に突き落とそうとする、そんな毒素にも似た強い呪詛。

 彼の一生を拘束して決して解放することのなかった呪いとも等しいそんな(しがらみ)の一切が、確かにそこには存在しないのだ。

 

 

 戦いに明け暮れた──、戦いに明け暮れることを天皇(ちちおや)に強要させられた人生の、その旅路の果てで出会った美しい空を、それ故、青年は強く心に焼き付けた。

 同時に。遠い遠い、果てしなく遠い故郷を、愛しい人々を────怨望すべくも幾多の苦難を共にした愛剣を想った。

 

 

 

 ────それが彼の持つ最期の記憶。

 ────それが彼を記す最後の記録。

 

 

 疎まれつつも、虐げられつつも。

 それでも自身の父親である大王(おおきみ)を、それ以上に其の国の未来(さき)にその身を捧げた──

 ──故にこそ数多の人々を、そして、遂には己までもを偽り続けた彼の生涯は、そうして終わりを迎える。

 

 ならば。

 ならばせめて、その魂だけは自由に。

 彼の思うが(まま)、彼本来の心の在るがの儘に────。

 

 それは青年自身のものとも、或いは青年の本質を知る極々僅かな近しい者たちのものとも思われる想い。

 青年が今際(いまわ)(きわ)に仰ぎ見た、唯、在りのままに広がる蒼空へと抱いた願望。

 

 そして、その貴い想いは成就し────。

 青年の、そのまっさらな純白の魂は遂に白鳥へと姿を変え、あらゆるものから解放されるかのように(やまと)の空へと自由に舞い上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──八雲立つ 出雲八重垣 妻蘢(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を──

 

 

 

 不意に。

 飛び立ち去りゆく白鳥(しらとり)を追うように。

 (きか)れたのは異音(ことのは)────、

 

 それとも。重なったのは魔術論理(ロジック)であったのか────?

 

 ──それは、未だ、それでも、彼を縛り付けるというのだろうか……?

 

 

 ────それが、呪。

 

 

 

「────それが……、本質だとでもいうの……?」

 

 

 

 

 

 ◇

 

「────。」

 里子は、泣いていた。

 自身の声によって目覚めることとなった彼女は、あの夢に登場した青年が誰であるのか────自らに問いかけるまでもなく理解している。

 そんなことを思考する必要もなく、はっきりと彼の人物を特定できている。

 あの凛々しい青年は里子が幼い頃から抱き続けた、共に聖杯戦争に挑むべき英雄『日本武尊』のイメージそのものの姿だったのだから……。

 

 そして、夢で再現されたあの光景とは、日本武尊の死に際──その伝説に相違なかった。

 

 声として聞いたのようで、決して聴覚で捉えられたものではなく。

 文字として読んだようで、決して視覚で認識できたものでもなく。

 

 だが、脳裏に聴かれたその和歌こそが、記紀歌謡(ききかよう)でも特に有名な言葉(ことのは)である『望郷の歌』──つまりは日本武尊の辞世の詠であり、それを裏付けていたのだ。

 

 

 ──サーヴァントとそのマスターは霊的な繋がりを持つがために、睡眠時に夢というかたちをとって互いの記憶を垣間見ることがある。

 

 

 聖杯戦争に於ける様々な情報の中で、そういう報告を高圧的な声音を持つ宮内庁参事官から聞いたことがあったと里子は思い出した。

 目覚めの際に、つい今し方に見た夢。

 果たして、しかし、それがセイバーが“そうであって欲しい”と、あまりにかけ離れた現実から彼女が強く願ったが故に見てしまった単なる『妄想の産物』でしかないものなのか、それとも本当に『セイバー自身が体験した死の記憶』であったのかを確かめる術はないのだが──。

 

 その可能性云々の話はさて置き、だが、里子は疑問に思う。

 最後の最後に。覚醒する寸前で脳裏を過ぎった和歌は、彼の遺した言葉(ことのは)ではないはずだ。

 

 

 ──八雲立つ 出雲八重垣 妻蘢みに 八重垣作る その八重垣を──

 

 

 それも確かに記紀に残された有名な和歌ではあった。それもそのはずである。その詩は日本最古の和歌なのだから。

 つまりは和歌の起こりとされる詠であったはずなのだ────。

「──八雲立つ 出雲八重垣 妻蘢みに 八重垣作る その八重垣を……」

 濡れた頬を気にする素振りなく、上半身を起こすと里子はその歌を反芻する。

 そして、直後。不意にきょとんと少女は動きを止めた。

「むー……」

 そして、小さく唸る。

 その思考が、どうにもまとまらないのである。

 巫女装束に身を包んだ少女の身体は、つい先ほどまで魔法陣の中央に横たわっていた。

 数日前。それはセイバーの召喚という奇跡を成し遂げた門に他ならず、つまりそこはあの時の家具1つない部屋に他ならない。

 あの運命の夜と、その内部の様子になんら変化は存在しなかった。 

 がらんどうのままであった室内に在るのは、セイバーとして召喚された英霊を祀った神棚と、幼い頃から彼女自身の血を使用して作図された、今まさに彼女を取り囲む魔術文様だけ。

 しかし、そこがそれ以外には何もない空間であるとはいえ、少女は季節を問わず、その魔法陣を作成せんがために、幼少の頃から数え切れぬ時間をこの空間内部で過ごしてきたのである。

 だからこそ、肌で感じる様々な感覚から、ある程度の情報を里子は把握できていた。

 時候を考慮しての体感気温や湿度から判断するに、現在時刻は疾うに昼を終えて、日の入りを目前にした頃だろうか。

 つまりは伊達祐樹とアーチャーを連れ立ってこの社に到着してから、ほぼ8時間程度が経過していることになる。

 そう推測すると共に──小さく、彼女のお腹の音が鳴り、誰もその音を聞かぬ空間にありながら、しかし、少女は頬を真っ赤に染めていた。

「むー……」

 と、そして、またも小さく唸る。

 感じている空腹感も、時間経過に対する彼女の推測の正答率を後押ししていた。

 そもそもあれこれ考えようにも、それがままならないのは、苦手な寝起きという状況もあるが、その要因以上に空腹故である。

 加えて、同時に眩暈を覚えるほどの脱力感が身を支配しているのだ。

 常識的に考えても生命を持つものであるが以上、それでまともに思考が働くはずもない。

 だが、そんな状態に反比例して、少女の気分はさほど悪いものではなかった。

 

 それだけサーヴァントが身に宿っていた魔力を消費したということ。

 それはその証明でもあったからである。

 

 そして、確かに里子はセイバーの気配を身近に感じていたのだった。

 霊体化したままで深い睡眠状態に陥っているようではあるが、その英霊の身体状況(ステータス)は正常に近づいていることがマスターである彼女にははっきりと解る。

 全快しているのかと問われれば、確かにまだまだ万全には程遠い状態ではある。絶賛回復継続中といった(てい)だった。まだ自我を回復させずにいるのも、そのためなのだろう。

 だが、現状でも宝具の解放をさせるまでとはいかずも、ある程度の戦闘をこなせるレベルには戻っているようであった。

 

「──里子様?」

 

 不意に、この工房へと近づきつつある師であり、母であり、姉である女性の声が少女の耳には聞こえた。

 里子は左右の頬の涙を両手でそれぞれ拭うと、続けて、その両掌で顔を挟むように弱く叩く。

「──よし」

 小さく気合を入れて少女は『有栖川宮里子』という人物を改めて意識する。

 とりあえず、空腹を満たさないことには兄として、そして、何よりも異性としても慕い続けた少年の前には立てるわけがない。

 お腹の音を聞かれることなど、考えるだけで酷い鬱になれる。

 そう思い、里子は大きく息を吸い込む。

「──陰陽頭。こちらです。今、そちらに参ります」

 その息をゆっくりと吐き出すと、凛とした言葉で自らを呼ぶ声に応じて、少女は重い体を無理矢理に立たせることにした。 

 

 

 

 

 ◇

 

 朝も遅い時間。結局、裕樹たちがようやく里子の居を構える場所へ──つまりはセイバー陣営の拠点たる社へと到着したときには、街は完全に活動を開始していた。

 

「──!? ゆ──、──さ、だ、伊達裕樹──君!?」

 

 そして、それが玄関で一行を出迎えた女性──土御門(つちみかど)晴歌(はるか)の第一声だったのである。

 確かに初見の人物に驚かれる経験は少ないわけではなかった。

 だが祐樹は、その“驚き”がいつものものと違った類のニュアンスを含んだものであったように感じられて仕方なかったのである。

 

 否。覚えた違和感はそれだけではないはずなのだ。

 目覚めた先にあったこの天井とて────、

 その驚きを浮かべた女性などは────、

 そもそも、冷静に考えてみれば────、

 

「……アーチャー?」

「目が覚めましたか、祐樹。大丈夫ですか? どこか身体に異常などありませんか?」

「大丈夫だよ。だいぶスッキリしてる。それよりアーチャーこそ大丈夫なのか? 何か……変な感じとかしないか?」

「……違和感、ですか?」

「ああ。その、なんて言うのかな……なんか落ち着かないっていうか、いや、不思議と落ち着くというか」

「祐樹、それはどういう意味でしょうか?」

「──いや。自分でもよく判らないんだけどさ……アーチャーはそんな感じの何かを感じたりしないかな?」

「……私には特に変異や異常の類は感じられません。加えてお伝えするならば、祐樹自身や祐樹の休んでいた部屋自体に対して、何かしらの精神に影響を与える魔術が行使されている様子もありません」

「……そう、か。そうだよな……」

「祐樹?」

「──いや。いいんだ。ごめん。何か紛らわしいコト言っちゃって。アーチャーに異常がないなら、何の問題もないよ。本当に俺は大丈夫だから」

 半ば自分に言い聞かせるように祐樹は呟くと、布団から抜け出す。

 肌触りだけで一級品であると解る羽毛布団は、暖かさに似合わず重さを全くもって感じさせない。

 だから、身を暖めるもののない状態で感じた予想外の室温の低さに、一瞬、少年は身震いしてしまった。

「……アーチャー」

「──何でしょうか? 祐樹」

 マスターの呼びかけに、襖一枚向こうの部屋から再び姿同様の美声が返ってくる。

 そこには祐樹のサーヴァントが控えていた。

 実体を伴ったままでマスターと同じ部屋で就寝することを提案したアーチャーに、祐樹ばかりでなく、むしろ里子が強く難色を示したのだが、結局、そのような形で部屋割りを行うことで2人は彼女を納得させたのである。

 しかし、実際は、兎に角、早々に休みたかったということもあり、彼女の話をほぼ聞かず、無理矢理一方的にそうさせたのだ。であるからに、もしかすると、次に就寝するときにはもう一悶着あるのかも知れないのだが……少年はそれを敢えて考えないことにした。

「……俺、ちょっとトイレに行ってくるよ」

「……了解しました」

 そう言って少年が手を伸ばした縁側に面した障子はオレンジ色に染まっていた。

 成る程、気温も落ちるはずだと当たり前ながら妙に祐樹は納得する。

 障子をひくと、迷わぬ足取りで少年はトイレを目指した。

 居間には予想通りに誰も居らず、台所にも晴歌の姿はない。

 この時間帯ならば、いつもなら家人は────、

 

「────ほう。この“時期”に“この社”へ客人が現れるとは、実に珍しいこともあったものだ」

 

 ──と、不意に高圧的な声を背後に聞いて、祐樹は驚き振り返った。

 そこには誰もいなかったはずなのだ。

 少なくとも、祐樹は室内に人の気配を全く感じてはいなかった。

 だが、確かに、そこには──居間の入り口である開かれた襖の前には──黒いスーツに身を包んだ男が立っていたのである。

「──祐樹!?」

 マスターの感じた緊張を至近距離故に強く感じたか、アーチャーの姿が即座に祐樹の視界に、男の向こう側に現れていた。

 しかし、自分の背後に現れた少女を気にも留めず、男は僅かに誇張したように考える素振りを見せて独りごちるように呟く。

「……成る程。もし仮に“一般人”がマスターに選定されてしまった場合は、その安全確保を最優先行動とする……イ号案件への対応策。そういうことか」

「……アンタ、誰なんですか? 晴歌さんには、ここには里子さんと2人で暮らしていると聞いていますが……?」

 どうにか声を絞り出し、少年はそんな男に訊ねる。

 何故だか解らない。

 だが、その男に気を許してはならないと、直感的に祐樹は感じていたのだ。

 そんな少年の緊迫感を知ってか、知らずか、男は薄く笑う。

「ああ。これは失礼した……私は塚本(つかもと)博昭(ひろあき)という。里子様の補佐をする人間の1人だ」

 そういうと警戒する背後のサーヴァントをやはり無視し続けながら、内ポケットから男は手馴れた手つきで名刺を取り出し、祐樹へと差し出した。

 それには宮内庁の文字と、確かに名乗った通りの名前が印刷されている。

「……さて。私の自己紹介が終わったところで“一般人”、“伊達祐樹”君。おそらく君はまだ聖杯戦争が何たるかを知らぬのだろう? コーヒーでも飲みながら、よろしければ私がお教えするが、どうだね? それとも食事の方がいいだろうか?」

「……アンタ。どうして僕の名前を?」

「──はは。甲子園のヒーローの名前を、私のような人間が知っていては可笑しいかね? しかし、私は立派な一社会人だよ? 世間の出来事を知るために、日々、新聞やニュースを欠かさずチェックしているさ。そして君は昨年の夏に、あれだけマスコミに騒がれた人物だ。だから寧ろ、君についての知識が私に在って然るべきだと思うがね。どうかな?」

 口早に語ると「さあ」と、穏やかな表情で博昭は祐樹を改めて居間へと招こうとする。

 しかし、そんな表向き友好的に接してきた男に、変わらず、どうにも祐樹は警戒を解けないでいた。

 

 

 

 

 


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