Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】 作:世木維生
アーチャーが捕捉した僅かな揺らぎ。
しかし、金色に輝く“千里眼”の魔眼で捉えたモノの全容を彼女が紐解く前に、バーサーカーの姿は幻の如く薄れ、掠れ行く。
刹那。狂気に捕らわれた益荒男は、その現し身を白く輝く光へと変じさせながらエーテル体へと霧散していた。
「尻尾を巻いて逃げるか! 狂犬!」
風に掻き消されることなく、相対していた敵を嘲笑うセイバーの罵声が“天耳通”によって強化されたアーチャーの耳には届く。
バーサーカーの姿が消えたのが、戦闘を有利に進めるための透明化の特殊能力──例えば、武術を極めた“二の打ち要らず”の異名を誇る英霊の持つ技能『
言葉は悪いがセイバーの言うように、確かにバーサーカーは戦線から離脱したのだ。
それはバーサーカーというクラスに据えられた英霊の理性が狂化に因り希薄であるが以上、ほぼ間違いなくマスターの意志による強制撤収であると推測された。
事実、その消失が狂武者のマスターであるジュリエッタ・カタリナ・アレキサンドラの決断によるものであったことに誤りはない。しかし、それが単なる撤退などではなく、今回の聖杯戦争そのものに多大な影響を及ぼす可能性を有する次なる戦地への転送だったという真相を、彼ら彼女らが知る由はなかった。
そして、勝敗がどうであれ、その幕切れは誰もが予想していたものではなかっただろう。
それは直接的に雌雄を決するべく干戈を交えていたセイバーとバーサーカーは無論のこと、その漁夫の利に与ろうとしていたアーチャーとて同様だったのである。
しかし、そんな突発的な状況を前にしても、その隙をアーチャーが見逃すことはなかった。
視力のみならず、聴力までもを魔力によって強化し、強敵難敵に対する情報収集と攻撃機会を窺っていたのだ。
標的が1騎になろうとも、──否。標的が1騎になったからこそ、彼女は今という好機を逃すべきではないと判断していたのである。
我も知らず、弓も知らず、機、熟せば自然に弦を離れる──。
或る弓道の流派には、このような考え方がある。
優れた、冴えた“離れ”の瞬間とは、射手のみならず、事の一部始終を静観していた第三者にも突如と起こったこととして、その状態を感じさせるものだという。
残心を迎えたアーチャーのそれは、正にその
その一瞬は無心。
思考が標的を射る決断を下した瞬間の空白を以って、既に彼女の宝具である鏑矢は弓より離れていたのである──。
だが、アーチャーの艶やかな唇から、同時にその宝具の真名が告げられることはなかった。
標的が1つである以上、それは必要ではないと判断されたのである。
例え真名を開示せずも、その1矢の有する殺傷能力とは鬼の王すらを討ち滅ぼすに足るのだ。
暗がりを流れる矢は星に──。
果たして、夜の帳の下りたアスファルトとコンクリートの谷を光の尾を引く流星が駆け抜ける──。
「──!? 何!」
それはバーサーカーの巨躯が消え去った直後のこと。
ともするとその変異を、セイバーは再度上空にて現界したバーサーカーによる強襲であると錯覚したはずだ。
大きく眼を見開き、古の剣士の英霊は迫る星を見上げる。
自らに向かい美しく舞い降りる煌きは、しかし凶星──。
「────!」
精巧な美術品であるガラス細工の砕け散るような、繊細な破砕音が戦場に響く。
──瞬刻。それが災いの星であったことをセイバーが悟った時には、その腹部に風穴を穿ち焼いた光の矢は地表で破裂して既に光輝を放つ残滓へと変わっていた。
「────セイバー?」
細い細い光線が、夜空から一条閃き射したとしか感じられなかった有栖川宮里子の顔には不安が浮かぶ。
突如と乱れ、濁流の如く大量に発生したその体内の魔力の流動は、魔力経路を通じてセイバーへと供給されるもの。
それが自らのサーヴァントを襲った異変と、それに因る好ましからぬ状況を警鐘のように少女に伝えているのだ。
そんな彼女の目に映り込んだ
「──がふッ!」
「──ぁっ! セイバー!?」
吐血とも喀血とも知れぬ大量の血が、いつもは高慢で不遜な言葉をもたらすだけのセイバーの口から吐き出された。彼のその反応がなければ、その星の繊細で見事なまでに美麗な散り様はここが戦場であることを彼女から完全に忘却させ、その心を魅了し奪い、余りに幻想的で美しい光景として暫し見惚れさせたことだろう。
「──! ──セイバー、戻って!」
彼女の強い想いに令呪が反応する。里子の左手甲。聖杯により宿らされたその魔術刻印は発光するや、セイバーの身体を瞬く間もなく消失させた。
我に返り、自身のサーヴァントの被ったダメージが非常に深刻なレベルのものだと瞬時に判断した里子は、無意識ながらに令呪の奇跡を解放させていたのである。
先のバーサーカー同様に強制的にサーヴァントを霊体に還すという彼女の英断は、現界し続けることによる肉体への負担を消滅させ、生命の維持と回復に全魔力を宛がうようセイバーに強要させていた。
──これで残る令呪は、唯の1画。
故に切り札は彼女の元には最早、存在しない。
里子とセイバーの相性を考えるに、その1画はとても消費できるものではないのである。
令呪の消失はマスターがサーヴァントに対しての優位性を完全に失うことを意味していた。そして、その状況とは彼女の拘束からセイバーが解放されることと同義なのである。その事態を迎えた際に彼女のセイバーがマスターに対して、どのような行動を選択するのかなど想像に難くはない。
──だが、それでもその令呪の行使は致し方のないこと。
まだ“有栖川宮里子”は聖杯戦争から脱落するわけにはいかないのだ──。
「……よかった」
後悔でも、割り切りでも、負け惜しみでもなく。だからこそ、それを確かに認識しながらも、少女は事実として安堵の息を漏らす。
回復に時間が必要ではあろうが、セイバーの死が回避できたことを里子はマスターとして確信できていた。
「──私の弓が逸れたのは、貴女がセイバーを護ったからなのでしょうか? それとも単なる“
「──えっ!?」
胸をなで下ろしたのも束の間。不意に背後から聞こえたのは、優しく包み込むような声。しかし、その柔らかな口調が孕んでいた殺気を覚え、里子は咄嗟に身構えながら振り返った。
──セイバーを救えたことに安堵するが余り、安易に警戒を怠ってしまった。
「……貴女がセイバーのマスターですね?」
その見返りに少女の眼前に突きつけられていたのは、月影を冷たく映す宝刀。そして、何よりも恐れていた聖杯戦争の終戦だった。
里子に絶望を感じさせたのは、自身とそう背丈の変わらぬ黒髪を靡かせた少女。同性の目にも艶やかで、彼女よりも遥かに女性らしい曲線を見せる1騎の
「…………貴女はアーチャーですね?」
「ええ、如何にも。私はアーチャーのクラスに喚ばれたサーヴァントです」
「……貴女が先ほどの攻撃を?」
「はい」
「──あの星は、貴女の宝具だったんですね?」
「その問いには明確にお答えはできません」
精一杯、在るだけの勇気と精神力を以て恐怖を隠そうと、冷静であろうと里子は試みる。だが、それを容易く看破しているようにアーチャーは薄く微笑みを浮かべていた。
セイバーのそれとは違い、そんなアーチャーの微笑みはこのような状況下であっても嫌味を感じさせる類のものではない。
それが彼女の持つ慈愛の心の顕れなのだと里子は感じていた。
それは敵対する者であれ、せめて苦しませることなく速やかに葬ろうとする彼女の手向けの心なのだろう。
しかし、同時にアーチャーの笑みが、時間を稼ぎつつ窮地から脱する術を探ろうとしていた少女にその可能性が断たれていることを虚しくも悟らせる。
「……“私”は無益な殺生は好みませんが──」
予想に反することなく、その雰囲気から凡そ似つかわしくない物騒で残酷な言葉を呟いた英霊(それ)が、里子にとっては聖杯に拠って現界させられた6騎の死神の内の1騎であったことを知らしめる。
だから、その先には唯の1つしか少女の辿り着く運命は用意されてはいない……。
「──私は!」
「──解っています。貴女の瞳がそう告げていますから……」
自身は聖杯戦争のためだけに生きてきた。
そう少女はセイバーを召喚するときに師であり、姉であり、母である人物に語った。
「──貴女は自身の死を以ってしか、貴女の聖杯戦争の終焉を認めないつもりなのですよね?」
アーチャーの問いに、セイバーのマスターからの肯定はない。
ただ死神と交えた視線を逸らさず、その沈黙を通すことが彼女の意志表明だった──。
終わりを迎えることに悔いはあろうとも、選んできた道に後悔はない。
──だから、少女は死を迎えること自体に動揺はなかった。
「……覚悟はよろしいですか?」
「──!」
その手にある太刀を里子の喉元に突き付けていたアーチャーが冷たく言い放つ。
里子の声にならぬ悲鳴は、彼女なりの最期の抵抗。
そんな小さな身体に自身同様に決意を秘めたセイバーのマスターを真っ直ぐに見詰めながら、アーチャーは宝刀をゆっくりと横へ流すと刃を寝かせる。
里子は自らの死を覚悟した。
少女の細い首を、その命を刈り取るべく、アーチャーが白刃を閃かせる────。
「やめろ! アーチャー!」
──焼け野に声が響いた。
「な……っ──!」
「──え、っ……?」
今まさに1人の少女の人生が終わろうとしていた、瞬間────。
その声にアーチャーの体は強制的に停止させられる。
その声に里子の顔には驚きの色が色濃く浮かぶ。
直後、2人の少女が視線を送った先。そのオフィスビル上階の窓には、そこから身を乗り出した顔面蒼白の少年の姿が在った。
「──祐樹!?」
他のマスターを排除しようとしたところを、己がマスターに“令呪を以って”止められたのだ。
その状況を信じられず、アーチャーは少年の名を呟いた。
「──やめるんだ……アーチャー……────。」
再び少年の発した言葉は命令でなく願い。
その意識同様に消え入りそうなその小さな声は、本来、彼女に到底聞こえるようなものではなかった。
しかし、セイバーのみならず周囲に注意を払うべく、未だ継続発動させていた“天耳通”によって確かにその声はアーチャーに届いていた。
そして、その言葉を零した直後、少年は意識を失い、乗り出した窓から転落する。
動くこともままならないほどに少年──伊達祐樹は疲弊していたはずなのだ。それは当然の事態だと言えた。
「──! 祐樹!」
踵を返し落下する少年を助けるべく疾走する眼前のサーヴァント。そんな状況を前に、里子は今更ながらにその事実を知る。
「……そ、んな……あの人──伊達、祐樹──さん?」
「祐樹?」
少年が重い瞼を開くと、そこには安堵を浮かべたアーチャーの姿があった。
「──大丈夫ですか?」
「ああ、アーチャー、……」
地面に横たわった自分の上半身を抱きかかえてくれる少女。
その状況に、何がどうしてこうなったのかを祐樹は全く把握できてはいなかった。
しかし出会ったばかりのこの少女に、何故ここまで心安らぎ、身を委ねられるのか?
確かにそんな疑問がその心の中には存在していたが、それでも今は彼女の厚意にただ甘えていたいと祐樹は思っていた。
「……悪い。ありがとう」
「──いいえ。お気になさらずに」
何か腑に落ちないような表情を一瞬、ほんの一瞬だけ見せ、だが、小さく首を振るとアーチャーはただ少年にとって何よりの安らぎをその美しい顔に湛える。
「……あ、あの」
突如、そんなアーチャーの背後からおずおずとした声が聞こえた。
「──え?」
忘れるはずもない。その声に祐樹は心当たりがあった。それは親友に命を奪われようとしたその時に聞こえた声。自分の命を救った少女の声なのである。単に結果として──例え少女にとってはそうだったのだとしても、裕樹がそれを忘れるはずもなかった。
その少女の姿が、看護をしてくれている少女の影から露わになる。
左右に揺れる特徴的なツインテール。それが親友である少年と対峙していた少女が、やはり彼女で間違いなかったのだと、少年に明確に教えていた。
「やっぱり──あの、さっきは、ありがとう……それから、ごめん。アーチャーが──」
「──いえ! そ、それは状況的に当たり前というか……あ、あの、それに、セイバーが! その、こちらこそ、っいうか、あの……」
サーヴァントに支えられながらも頭を下げた少年は、少女のみならず世間一般の持つイメージ同様に爽やかな好青年だった。
「──あ、あの……貴方、伊達祐樹さんですよね? 甲子園の……」
そして、頬を染めながらも、だからこそアーチャーが腑に落ちていない現状を、里子は理解できていた。
“聖杯戦争が何かを知らない”一般人だからこそ、彼は敵マスターの排除を自ら阻止したのだ──と。
「──え?」
「──え? え? え、えっと。その。貴方は甲子園の伊達裕樹さんで間違いないですよね?」
里子は少年が聞き取れなかったのかと復唱したが、裕樹はまさかそんな言葉をこんな状況下で彼女の口から聞かされることになるとは思いもしなかっただけである。
「……あ、のさ。甲子園は、別に僕のものじゃないよ?」
いつか返したかった答え。
それがこのタイミングで、殊の外あっさりと口をついたことに、直後、祐樹は何故だか笑っていた。
一瞬の沈黙。
アーチャーの側に立ったツインテールの少女はそんな少年に、そして、口元に手を遣ると同じく笑っていた。
「……セイバーのマスター。貴女は祐樹を知っているのですか?」
事の成り行きを静観していたアーチャーが微笑む少女に対して口を開く。
それは昨年夏の高校野球の全国大会などを知るはずもない彼女ら英霊たちにとっては、確かにもっともな疑問だと言えた。
「──はい。ですから、伊達さんに、ぜひお話したいことがあるんです」
果たしてその対話が、アーチャーにどう働くのかは予想もつかないこと。
しかし、有栖川宮里子として、少女は伊達祐樹という“一応は”一般人でしかない高校球界のアイドルを聖杯戦争に巻き込むわけにはいかなかったのである。
そして、だから──。
「──良かったら私についてきてくれませんか?」
気が付けば里子は、裕樹とアーチャーにそう提案していた。
◇弓道用語解説◇
離れ
…発射の瞬間のこと。
残心/ざんしん
…矢が離れて後の姿勢。その心の在り方。単に身体だけの状態を表現する場合は残身といい、この残身には矢を射る際の力の方向や大きさが現れる。ここの表現は、その両方の意味を組んだ“剣術の残心”に意味合いは近いです