Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 陰りを生み出す雲の動きは早かった。月は薄雲の向こうに消えては、またも直ぐに顔を覗かせる。

 集積すれば雲海を形成する霧雲──層雲の雲高は低く、その雲が朧月を忙しなく演出する様は一帯上空の大気の著しい乱れを明確に教えている。

 その“異変”は地表付近に至っても未だ治まっておらず、ビル間にはけたたましい風音が木霊していた。

 時候に伴わず、それは東風というよりも季節を真逆に巻き戻す北風である。

 そして今また、身を叩くような強く冷たい突風がコンクリートとアスファルトの渓谷を吹き抜けた。

 少女の黒髪がそれに靡くと、夜闇には月の光を集めて散らしたように幽光が流れる。

 追って、その周囲を包み込むように舞ったのは淡い淡い紅色。路面から巻き上げられた桜の花弁だった──。

「──まあ」

「──華を愛でる(いとま)などないぞ?」

 小さい、短い、感嘆が途端に白く染まると同時に、続けて同じ花唇からは否定が告げられる。

「……解っています」

 目を細め、その幻想的な美しい景色に見惚れたのは、彼女とて刹那──。

 今が泡沫(うたかた)(あわ)れむ時ではないことを、内なる“彼女”に言われずとも彼女も十分に理解している。

 天女を思わせる少女は自身が認識した通りに、花を愛でるために戦場(ここ)に舞い戻ったのではないのだ──。

 そもそも桜を散らし、運んだその風とて、ここが戦場である証明でしかない。

 重く圧し掛かるような冷たい大気。

 それを攪拌(かくはん)させたのは神槍に秘められた真なる力だったのだから。

 しかし、その威光は斯様(かよう)に未だ名残を留めるも、その担い手である英霊は既に此の世を去っていた。

 

 ランサーの聖杯戦争敗退。

 アーチャーはここに到着した直後、そのサーヴァントの凄惨たる最後を目撃したのだ。

 

「解っています」

 迷いの色のない瞳に、再び魔力が込められる。

「──討つべき敵が、そこに居るということを」

 そして、その金色に輝く眼で彼女は地表の戦闘へと視線を戻した。

 告げた決意は、だからこそ。

 紛いもない強敵である2騎のサーヴァントが潰し合う戦況は、この上ない好機なのだ。

 剛と剛。技と技。速さと速さ。

「……しかし。納得させられずにはいませんね」

 繰り広げられていたのは互いに一歩も譲らぬ争い。

「──確かにセイバーとは“最優”たるサーヴァントなのですね」

 それを見て思う素直な感想を先んじて察し、異論を唱えようとする“彼女”の意識を押し殺しつつ、アーチャーは呟く。

 自身をあのように扱ったセイバーに、同じく“自身”である彼女が怒るのは至極もっともな話ではあるが、客観的に、それは間違いなく正統な評価だと言えた。

 ランサーの散り様を目撃したが故に、バーサーカーが如何に規格外のサーヴァントであるのかを彼女は理解している。

 少なくとも自身がセイバーと同じようにバーサーカーを相手に白兵戦を立ち回ろうものならば、その優劣は瞬く間に決することだろう。例え十全の備えを行い、内なる“彼女”の力を制限なく行使したのであったとしても、現在の状況下で推測するのならば、多少の時差は生じようものの同様の結果が待っているはずである。

 可能性を見出すのならならば、或いは────だが、それとて現状では大層分の悪い賭けでしかないのだ。

 それが冷静に戦力差を分析した彼女なりの結論だった。

 だからこそ、アーチャーがあの狂気に囚われた白武者を相手に勝機を見出すとするのならば、遠距離からの狙撃に頼るよりはなかったのである。

 ランサーの末期を目撃した時と変わらない位置。彼女がその場に立ち続けているという現状は、その思考から導かれたものでしかない。

 しかし、アーチャーと大差ない小柄な身でありながら、セイバーはそのバーサーカーを相手に互角に渡り合っているのである。

 一合、二合。

 またも体を入れ替えて一合、二合。

 ──合計でその数は幾つにまで到達したのだろうか?

 既に数え切れず切り結びながらセイバーとバーサーカーは、その力量を真っ向競い合う。

 両雄に対する攻め手を得るべく静観していた死合。

 だが、期待したものは得られず、アーチャーが解したこととは結局、その2騎のサーヴァントが突出して高い戦闘能力を有する事実だけだったのである。

 薙いだ神剣が、振り下ろした金棒が、大気を振動させ、大地を破砕する。

 常人には目で追えぬほどの高速でありながら、捨て手でも置き手でもなく、その一閃一撃に必殺必滅の威力を宿らせながら両雄は干戈を交える。

 戦況は高次元で膠着状態に陥っていた。

 故に、こその驚嘆である。

 セイバーはアーチャーの感じた通りに、事、近接戦闘に於いて最強たる触れ込みを堂々と体現・証明していたのだ。

 或いは、あのバーサーカーならばセイバーすらも圧倒するのではないか?

 そういうアーチャーの予想を剣の英霊は覆して見せている。

「……高飛車な態度は伊達ではない、と言うことですね」

 その現実は、彼女にとって苦境でしかないはずだ。

 しかし、アーチャーが美しい微笑を浮かべたのは、彼女もまた武人としても名を残す英霊故か──。

 

 2騎のサーヴァントの駆ける焼け野の戦場。

 そこを遮蔽物なく見渡せるオフィスビルの屋上。

 そのビル屋上の貯水タンクを設置する(やぐら)に立つアーチャーは、中空へとしなやかに左腕を伸ばすと魔力を込めた。

 細く白い指が突如と虚空で絡み掴むのは、紫の鹿革で巻かれた(にぎり)──アーチャーの左手に現れたのは和弓である。

 タイムラグなく念の込められた右手を見ると、そこは弓懸(ゆみがけ)に覆われていた。

 流麗な動作で取懸(とりかけ)を開始すると同時に手の内を意識しつつ、彼女は強く、強く、魔力を集約する。

 

 

 イメージするものは地上へと舞い落ちる箒星────。

 

 

 魔力を物質へと変換させるべく、心象の固定化を図る────、

    ────そして、目標を必倒する少女の決意の具現化はそこに成った────。

 

 

 弦を引き始めた瞬間には、そこには1本の鏑矢(かぶらや)が生じていた。

 (つが)えた魔力で形成したその鏑矢こそ、彼女をアーチャーのクラスへと選別せしめた宝具に他ならない。 

 

 どちらか一方が勝利を得るような状況であるのならば、その片方が勝利をものにした瞬間、狙撃すれば良い。

 無駄な魔力は、マスターの状況を考えても少しでも余計に消費するわけのはいかないのだ。

 それがアーチャーの当初の狙いだった。

 

 だが、静観の時は終わりを迎えていた。

 

 そのどちらもが恐るべき難敵であるのならば、これは本当に再び訪れることのない好機なのかも知れないのだ。

 強敵である両雄が互い互いに大きく注意を向けている、向けざるを得ない今を逃すべきではない──。

 彼女の武人としての本能がそれを告げているのだ。

「──!?」

 そして、終にその射形が(かい)へと至ろうとした、その時──。

 アーチャーの金色の瞳は、そのサーヴァントの僅かな揺らぎを捉えていた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 頚部に黒鍵を突き立てられた眼下の少年は、疾うに絶命していた。

 苦し紛れに幾つかの魔術を行使し、僅かばかりだけ少年の逃走劇は延長されたものの、それでも程なく終局を迎えたのだ。

 ──願望を叶えようとした者の終焉。

 それは園埜という夏川の『始まりの御三家』の一角が、早々に聖杯戦争から脱落したことを無残にも示していた。

 冷たい夜気が室内さえも支配する。

 この部屋の壁面とて園埜のサーヴァントの宝具に因る神風に風化させられ、夜と繋がっているのだ。

 強く風が流れ込んで来ることと、それが運んで来た剣戟の音が、それを視覚に頼らずともまざまざと知らしめる。

 その向こう。足元の荒地では、己がサーヴァントが未だ戦闘中であるようだった。

「──拮抗している?」

 魔力経路を伝い、白き荒武者が自身の魔力を逐次消費していくことが、その戦闘の激しさをジュリエッタ・カタリナ・アレキサンドラに教える。

「……今回の誓杯戦争に呼ばれた英霊とは、強者ばかりのようですね……」

 表情を変えずも、その口調には僅かばかりの苛立ちが覗えた。

 バーサーカーを瞬殺し、さらには消滅させるに至ったランサー。

 オフィス街をさも容易く焦土に変えたセイバー。

 その規格外の破壊力を有したセイバーの宝具に耐え切ったキャスター。

 そこに在ったのは、必勝を期して召喚したバーサーカーでさえも勝利を得ることが楽観視できない戦況だった。

 ジュリエッタは薄く微笑む。

 代行者──異端を狩る者としての活動する自身。

 聖杯戦争に参加する魔術師たちにとって、その名だけでも十分に脅威というイメージを与え得ることだろう。

 しかし、彼女は己の力を全く過信してはいない。

「……夏川の贋作でこその余力か」

 どこか自嘲気味に呟いたのは、これが冬木の聖杯戦争であったならと想像したからこそだった。

 所詮は人の身。

 例えば自身が埋葬機関に籍を置くほどの実力者であったのならば防戦程度ならば可能やも知れないが、サーヴァント相手では勝敗は明らかなのだ。

 もしここが冬木の地であったのならば、彼女の立ち回りは大きく変化していたことだろう。

 

 

 バーサーカーの連続戦闘は、そのマスターに対して非常に大きな負担を強いる。

 それはバーサーカーが7つに分類されるサーヴァントの中で、とりわけ魔力の燃費が悪いクラスであるからだった。

 事実、冬木の聖杯戦争に於いても、過去、そのサーヴァントを従えたマスターの“ほぼ全て”が現界のコストである魔力を支払うことができずに、自滅に因って聖杯の争奪戦から脱落しているのである。

 バーサーカーのクラスは莫大な魔力消費と引き換えに、弱い英霊を狂化させることで能力を高めて使役するのが本来の運用の在り方。クラスを指定することが叶うため、強力な英霊を召喚するための触媒を用意できなかった際には、ある程度の戦力を確保できるという保険にはなるだろう。また、英霊個人の自我が『狂う』ことで希薄になるが故に、御し易いこともメリットとして挙げられるだろうか。

 しかし、狂戦士たちの敗戦の歴史を考慮すれば、そうであれどもそのサーヴァントを望んで選択するというのは、あまりにリスキーで賢い選択ではないと考えるのが一般的な思考と言えよう。

 

 しかし、そこには落とし穴があった。

 夏川の聖杯は出来損ないの不完全な粗悪品なのだ。

 そのために、返ってサーヴァントの現界に支払うコストが冬木のそれと比較して安価で済むのである。

 その事実をアレキサンドラは知っていたのだ。

 故にアレキサンドラは此度の戦争に臨むに当たり、その手駒にバーサーカーを採択し参戦したのだった。

 強力な英霊をそのクラスに据え、消費魔力を上積みしようとも、確かな魔力を有する魔術師が使役するのならば寧ろ有効であるはずだと判断したわけである。

 夏川の聖杯に拠る召喚であるバーサーカーは一流の英霊といえど、冬木の聖杯に拠って召喚された他クラスに配された一流の英霊と、アレキサンドラの推測では凡そ同程度の消費魔力(コスト)で運営が適うはずなのである。

 それに自意識を露わにしないサーヴァントこそが、アレキサンドラにとっては正なのだった。

 彼らの一族からすれば英霊(それ)は戦闘を行うための道具でしかなく、道具(サーヴァント)とは正にそう在るべき存在なのだと考えるのである。

 

 楽観視はできない。

 しかし、バーサーカーの能力に絶対的な信頼を寄せるマスターには、例え己がサーヴァントが視界になくとも不安は皆無だった。

 状況がどうであれ、彼の英霊は()()絶対に死することがないと彼女は知っているからだ。

 跫音(きょうおん)を暗いオフィスに響かせ、ゆっくりとジュリエッタは殺害した少年から遠ざかる。

 部屋の入り口。

 そこで一度足を止めると、振り向き様に代行者は新たな黒鍵を取り出し、園埜潤だった肉体に投げ放った。

「────異端は消え去るのが定め」

 同時に小さく言い放ったのは摂理。

 それは容易く頭蓋を穿ち、貫通すると壁面へと突き立つ。

 暗闇に閃いた凶刃は、その遺体の眉間へと吸い込まれるように突き刺さっていた。

 頭部から窺えた刀身の一部には、呪刻が刻み込まれているのが仄見える。

 それは彼女が今まで使用していたものとは趣の異なる黒鍵──。

 

 ────轟

 

 次の瞬間には、聖杯戦争の魔術師(マスター)だった躯が炎に包まれていた。

「────さようなら、ソノヤ」

 告げ、その一室を後にしようとした時──、

「──!?」

 ジュリエッタは、その振動に一瞬だけ驚きを浮かべた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 大きな木製の扉を押し開けて建造物内部に侵入した洋子を待っていたのは、深夜の暗闇と厳かな静寂に包まれた神聖なる空間だった。

 それは正直、彼女が苦手とする雰囲気である。

「げぇ……」

 隠す素振りなく、それを零すと彼女は内部を見回した。

 ──変わっていない。

 そして即座に、そう思う。そこを彼女は確かに知っていたのだ。

 感慨に浸るほどの過去でなく、具に配された物の位置や数を把握しているわけでもない。

 しかし、ここを訪れた記憶を鮮烈に彼女は覚えている。

『ぬ? ここは?』

 洋子にしか聞こえぬ言葉を発したのは、従者である暗殺者のサーヴァントだった。

 疑問を零しながらも、その実、彼にはこの建造物に関する知識は一応存在した。

 しかし、聖杯に与えられただけの知識と、実際に見るのとでは、やはり違いがあったと見える。

 そもアサシンが存命した時代は遣唐使もすでに廃止されて半世紀が経過しており、日本は鎖国状態であった。そのため海外の情報は非常に希薄であったのだ。

 遥か遥か遠い異国──欧州圏は彼らからすれば最早、異界の域に等しいだろう。

 目の青い人種、肌の黒い人種など、出会うことがあったとすれば当時の人間には当然の如く唯の怪物と映ったはずだ。

『──ぬぬぬぬ』

 周囲をきょろょろと見回しでもしているのだろうか?

 未だ霊体化しており姿なきアサシンが何をしているのかは計り知れないが、その言葉は感嘆の類のものであることは瞭然であった。

 駅前付近にあるチャペルと違い、そこには鮮やかさこそないものの、年季の入った確かな造りの様々な宗教美術が窺えていた。

 それは初めて彼が直に触れた、純粋な西洋の文化だったのだ。

『見事にござるな──!

 姫! ここは教会という異国の宗教の拠点にござるな?』

 感心に頷きながら口を開くアサシンの姿が洋子の脳裏には鮮明に浮かんでいた。

 ともすれば声音から察するに、涙ぐんでいるかも知れない。

 イメージ違い甚だしいと洋子は思う。

 達磨風情が芸術理解などと、どういう了見だと怒りさえ伴いながら思う。

 念話で語りかけるアサシンの方へとギロ目を向けると、さも不機嫌そうに洋子は口を開いた。

「どの面──」

「──ほう。これはこんな夜中に当教会を訪ねられる方がいらっしゃるとは──」

 だが、怒声罵声が飛び出す前に、それは第三者の声に妨害されてしまった。

 ──知っている。

 その声も、確かに洋子は知っていた。

 それは嫌な記憶を呼び起こす声音。

 それは嫌悪の対象たるものの一つ。

 選ばれし洋子にとって、それは排除を許可されたもの。

 現れた声の主に視線を遣ると、そこには神父というよりはプロレスラーか何かと思われるやけに体格の良い初老の男が立っていた。

「──ん?」

 それは数年前にも思ったことだ。

 そして、その邂逅を男も覚えていたようだった。 

「──これは、これは。いつぞやか不思議な事を尋ねに来られたお嬢さんでしたか。して、今回は如何様な用件で?

 ──何、ご安心を。当教会は万人に対して門戸を開いています」

 

 

 ────ナニカガ彼女ノ思考ノ中デ、起動シタ。

 

 

 それは、男を、彼であると、認識した瞬間に、他ならない。

「アサシン──」

 自然に。

 何の疑問も、何の感情も、何の思考も、何の躊躇いもなく。

「────朝比奈国光を殺害しなさい!」

 洋子はそれがそう在るべきこととして、唐突に命令を下す。

 

 夜着の下。

 令呪の一角が、その左の二の腕で輝きを放っていた。

 

 

 

 

 それは戦場にある2人の女性が、それぞれ異変に気付く前の惨事である──。

 

 

 

 

 




◇弓道用語解説◇
弓懸/ゆみがけ
 …皮製の手袋。弓を射るときに手の指を保護するために用いる防具。
取懸/とりかけ
 …右手親指を弦にかけて、矢を固定しつつ、弦を引くと同時に矢を引く用意を行う動作。
手の内
 …発射を考慮したときの弓の握り方。
会/かい
 …矢を目一杯に引き込んだ状態。

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