Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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夜陰混迷
閑話:1


「祐樹──」

「ん、何?」

 声をかけられた伊達祐樹は、明らかに上の空ですという感じの言葉を返していた。

 

 特選牛霜降り肉弁当

 特上黒豚カツサンド

 極上海鮮わっぱ飯

 

 そんな生返事をした少年の目の前に並んでいたのは駅弁であり、特にその3種が彼の心をがっしりと掴んで離さなかったのである。

 例えば松阪、神戸。

 例えば鹿児島、東京。

 例えば福島、新潟。

 その3種とは、どれもが他地方で名物弁当として名の知れた一品であり、しかし、そのどれもが、それら地産ブランドの商品ではなかった。

 ラベルに印字されていた地名とは、この地方都市の名前。

 特産品と銘を打たれ、ラベルには町の地名をでかでかと印字しながら、だが、そのお弁当に使用されている特産品“らしき”食材の全国レベルで見る産地知名度とは、底辺にあると言って過言ではなかった。

 それはこの町が、相も変わらず何の特色もない、極めて変哲もない土地だということを、そんな場所でも少年に知らしめているのだ。

 

 不意に構内に流れたアナウンスは、上りの特急電車の到着を知らせるものだった。

「ほら。もうすぐ到着するよ。祐樹、急がないと乗り遅れてしまうよ──」

 再度聞こえた、少年を急かす言葉。

 祐樹の背後から聞こえたのは、その到着した電車に一緒に乗る予定の友人──長浜将仁の声だった。

 しかし、それはその内容とは裏腹に、彼を急き立てるような強い口調ではなく、静かで落ち着いたものだ。

 だが、だからと言って、将仁が本当は急いでないかと言えば、やはり決してそうではない。

 事実として祐樹を急かすために将仁は声をかけているのだ。その少年にとっては、既に気を揉むに十分な時間帯なのである。

 単に、それが表面に出てこない性格であるというだけなのだ。

「ああ、悪い。もう決めるから──」

 それを理解しながらも、祐樹の返した声はどこか呑気なものだった。

 それももっともなことで、2人が搭乗する電車の発車時刻までは、まだ10分近くの猶予があるのだ。

 改札を抜けた直ぐそこが上り線のホームであり、数歩足を運べば電車の乗車口である。

 何事にも十分なゆとりを持つ将仁にすれば、そういう発言も出る頃合いなのだろうが、祐樹にしてみれば、まだまだ全然余裕がある──むしろ、あり過ぎるくらいなのだ。

「おばさん──」

 一般的な3LDKのマンション。その程度の広さしかない駅構内に少年の声が響く。

 そんな小さな駅施設内部に、人影は疎らだった。

 祐樹と将仁以外に姿が窺えるのは、駅長という一応の肩書きを持った当駅に常駐している中年の駅員1人と、祐樹が声をかけた売店の店員が1人。あとは乗客らしき年配の人間が2、3人いるだけである。

 市制施行された都市だと言っても、所詮ここは地方の田舎都市。

 活気があるとはお世辞にも言えない町は、現に人口の流出に歯止めをかけることもできず、過疎化を辿る一方なのだ。

 そんな町の昼下がりである。

 そこが、いくら町の中心地に設けられ“中央”などという仰々しい言葉を頭に頂いた駅だと言っても、所詮は1時間にほんの数本しか電車の止まらない、上り下り、それぞれ単線しか持たない小さな駅である事実は変わりようがないのだ。

 だから、その寂しげな情景は決してイレギュラーなものではない。

 その寂れた姿こそが、この場所の日常風景なのだった。

 

 しかし、そんな町や駅の廃れ具合や、特産品の知名度は、祐樹の目の前に陳列された駅弁の味と関連性はまるでないのである。

 また、その野球少年のお腹の減り具合とも、当然、全くの無関係だった。

 

「──これとこれと、これ。1コずつお願いします」

 散々悩んだ挙句に。将仁をこれ以上待たせるわけにもいかないと考えた祐樹は、あれこれ迷うことを放棄した。

 それで結局3種全てを1コずつ購入することを決めると、ジーンズの後ポケットからサイフを取り出しながら売店の販売員にその意を告げる。

「はぁいよ。霜降り肉弁当にカツサンド、それから、わっぱ飯が各1個ですねぇ?」

 駅売店の中年女性は注文を復唱すると同時に、手際よくビニール袋にそれらの商品を詰め始めた。

 年齢的に不得手そうなレジ登録も思いのほか手馴れた手つきでこなし、もたついた祐樹が紙幣をトレーに置く頃には、彼女は一連のレジ作業を早々に済ませていた。

「ありがとうございます。はぁい。5000円からですねぇ──」

 そして、気持ちの良いお礼を告げる。その言動に、祐樹に向けられた笑顔に、いかにも営業的な影は見受けられなかった。

 人と接することが好きで、販売の仕事とは、そのおばさんにとっての天職なのだろう。

 水を得た魚というやつだ。

 ……果たしてどんな魚を彼女から連想したのかは定かではないが、そんな風に祐樹は思った。

 しかし、そんな流れるように進んでいた彼女の作業が不意に止まる。それは今まさに、お客様である祐樹に商品を手渡そうとした時だった。

 笑顔で細められていた目を大きく見開き、何かを確認するようにおばさんの視線は祐樹の身体を上から下へ、下から上へと数度往復する。

「……って、あら? あらあら、まあまぁ! ……あんた、ゆーくんかい? 甲子園の?」

 ゆーくん。

 それは某民放テレビ局が祐樹につけたニックネームだった。

 それがあれよあれよ他局へも波及し、自身が望む望まずに関することなく、ついには世間一般にまで定着してしまったのである。

「え? あ。ま、まあ……そうですね」

 そんな彼女の問いに、祐樹はばつが悪そうに答えた。

 

 甲子園とは、あの球児たちの聖地・甲子園球場のことである。

 その所有権を持つのは、件の球場の目の前に駅を持つ私鉄会社(正確には系列会社なのだが)であり、断じて伊達祐樹という少年個人ではない。

 それに祐樹は、たかだか1回の出場を果たしただけの選手であり、たまたまその一度で多少の脚光を浴びてしまっただけに過ぎないなのだ。

 開会式直後の開幕試合で完全試合を達成した。確かに、そのインパクトは強烈だっただろう。

 2回戦でもノーヒットノーランを惜しくも逃したものの、2安打完封と出来過ぎた素晴しい記録を残した。

 だからと言って、所詮は次の3回戦で敗退した投手でしかないのだ。自分よりもの評価されるべき選手は、優勝校の中心選手を始め、他にいくらでもいるはずなのである。

 そのように祐樹は思うから、そんな風に甲子園の象徴のように言われることは、正直、かなりの抵抗があった。

 が。そんなことを否定し、自らの考えを伝えたところで、彼女らは聞く耳を持たない人種であると昨年の夏からの経験でゲンナリとするほど少年は知っている。

 だから言葉を濁すも、そう聞かれた時に祐樹は取り合えず肯定して応えているのだった。

 

「あら~! やだわぁ! やっぱりねぇ! あんた、テレビで見るより男前だねぇ! そうそう! センバツは残念だったわねぇ~」

「え? あ? は、はい。そ、そうですね……」

 覗いた彼女の素の表情は、どこにでも居そうな所謂『噂好きのおばちゃん』そのものだ。

 矢継ぎ早に続いた言葉に祐樹は呆気に取られてしまう。そして、愛想笑いを引き攣らせながら、この年代を相手に騒がれるのが、やっぱり一番苦手なんだと再認識していた。

 生活行動圏内に於いては、こういう事態はとっくに鳴りを潜めていたため、それが尚のこと痛感されるのだ。

 

 センバツとは、選抜高校野球大会のこと。

 つまりは今、この時期に甲子園で開催されている春の高校野球大会のことだ。

 47都道府県、それぞれに1校(一部都道府県は2校)の代表が参加する全国高等学校野球選手権大会──夏の大会とは異なり、春の大会は各地方ごとに代表校が選抜されるのである。

 

 祐樹の学校は彼女の言うように地区代表(一般枠)としても、特殊選考枠(21世紀枠・神宮大会枠・希望枠)としても選抜から漏れ、この春の大会には参加できなかったのだった。

「大荷物を抱えてまぁ~ それで今日は今から、どこ行くんだい? 夏に向けて、甲子園かい?」

「夏に向けて甲子園? え? それ、どういう意味ですか?」

 おばさんは祐樹の左肩から下げられた、やや大きめのボストンバックが気になるようで、興味津々だと顔で訴えながら聞いてくる。

 しかし、その言葉に登場した突拍子のない地名が理解の範疇を超えていたがために、野球少年は重ねて面食らってしまっていた。

「あらあら! 違ったのかい? やだねぇ! わたしゃてっきりライバル校の偵察にでも行くモンかと思っちゃったわ!」

「ち、違いますよ! 確かに夏こそは、また甲子園に出たいですけど、まずは県大会に優勝しなくちゃいけないですから!」

 ケタケタと笑うおばさんの言葉を全力で否定しながら、それも自分の名前が変に1人歩きすることの弊害であると祐樹は思う。

 自分が甲子園に出場することを然も当然のように言う人間が多いが、それは非常に大きな間違いなのである。

 本気で甲子園を目指している高校球児たちは、日々、懸命に練習をしているのだ。

 確かに負けるつもりは毛頭ないが、自分たちと同様であろう対戦校の選手たちの努力を知るが故に、祐樹は例え過去に大勝したチームとの対戦であれ楽勝などと思ったこともない。

 甲子園出場校となった昨年夏の県予選大会(トーナメント)でも、そしてパーフェクトゲームを達成した本戦一回戦であっても。

 祐樹にすれば、そのどれもが辛勝に過ぎないのだ。

 一投一投、全力を尽くす。その姿勢は勝利を目指す上で変わりようがなく、それらの試合は偶然に結果がそうなっただけであり、楽に投げ勝つことなどあろうはずもないのである。

 大体、勝負は水物であるし、それに県下の強豪校と言われる学校と比べれば、総合的な戦力で祐樹たちの高校は数段劣っていると言わざるを得ないのだ。

 現に春のセンバツに参加できていない現状だって、そういう学校に秋大会で敗戦した結果なのだから──。

「そうなのかい? それじゃ、どこにいくんだい?」

「合宿に参加しないか、って関東にある大学の野球部の監督に誘われているんです。それに参加させてもらいに──」

 祐樹を誘ったのは、東京都内にある大学野球で名の知れた名門私大の監督だった。

 全国から選りすぐりの人材の集まった野球部である。それがハードルの高いことだと、祐樹は覚悟していた。

 それでも自身のレベルアップを図るために、甲子園に再びチームメイトたちと出場するために。

 より高いレベルに身を置きたいと願った少年は、その言葉に二つ返事で甘えることにしたのである。

「あらー。高校生なのに大学生と? やっぱり、ゆーくんはスゴイのねぇ──!」

「違いますよ! そんなんじゃないですよ! 胸を借りるだけです!」

 だが、痛く感心しているおばさんは、恐らく『高校生では練習の相手にならないから』とでも思っているに違いない。

 返された口調と態度で、それを感じ取ると祐樹は慌てて否定すべく言葉を告げる。

 黙認すれば、あっという間に変な噂として広がりかねない。

「──祐樹、ごめん。ちょっと行ってくる」

 不意に。

 身振りでも全力で否定を示していた祐樹の背後で、そう将仁の声がした。

「──え?」

「──! あら? やだわ! 電車に乗らないといけないのよね?」

 目の前の客の連れであろう少年が、急に駆け出したのだ。

 その行動に慌てふためき、職務を思い出すと、おばさんはトレーに置かれていた5000円札をレジのお札置きへと移動させ、ドロアーから2000円札1枚を取り出した。

「はい、2000円のお返しね。気をつけていってらっしゃい!」

「あ、はい。ありがとうございます」

 お釣りを受け取ると、祐樹はそれを適当に財布に押し込む。

 しかし、それは電車がどうこうではなく、将仁の行動に違和感を覚えたからだった。

 サイフをジーンズに仕舞いながら、物体の存在の感じられた自身の踵の辺りに視線を遣る。

 履き馴染んだ普段履きにしているトレーニングシューズに隣接して、そこにはやはり将仁の荷物が置かれていた。

 それで。何となしに。祐樹には友人の行動の正体に検討がついた。

 いつものことだろうと。

 おそらくは、その辺りにいるのだろうと当たりをつけると、祐樹は駅の正面玄関の方へと視界を動かす。

 ガラス扉の向こう。数段しかない階段の下。

 そして、その歩道の上に荷物を置き去りにした友人の姿は予想通りに在ったのだった。

 そこで将仁はしゃがみ込み、泣いている子どもと必死で話そうと四苦八苦している。

「……まったく。人がイイというか、なんというか……」

 的中した予想に愚痴を零すも、祐樹は確かに笑っていた。

「おばさん、ありがとう──」

 笑顔でお礼を述べると両手で2人分の荷物を抱え、少年は駅長という肩書きを持つ改札員の元にそれを運ぶ。

「──すみません。僕たちが乗るの、次の電車に変えてもらえませんか? それと申し訳ないんですが、少しの間、荷物を預かってていただきたいんですが……」

 そして祐樹は親友のフォローをすべく、申し訳なさげに、その中年の駅員に願い出た。

 

 

 

 

 

 ◇

 

「伯父さんと叔母さんには、ちゃんと挨拶をしたんだよね? 祐樹──」

 

 そう将仁が聞いたのは、迷子の子どもを親元へ無事に送り届けた後。

 ただ交番に送るだけでは飽き足らず、いつものように将仁は子どもの付き添い係を、祐樹は親御さんの捜索係としての任務を全うし終えた直後のことだった。

「え? いや。特にしてない」

「──駄目だよ、祐樹。学校に行くだけの日と違って、こういう時にはしっかりと挨拶して出掛けなくちゃ……」

 満面の笑顔で拙いお礼を告げた後、手を繋いで遠ざかる元迷子とその両親。その背中を追いながら、珍しく、少し険のある声で将仁は祐樹を諭す。

 誰にでも優しい少年は、特に子どもには優しかった。

 だから、迷子の子どもなんかを見かけると、物静かで基本的には外交的でもないこの少年は懸命に話しかけて少しでも安心させようとするし、関わった以上、今回のように親元に帰れるまで、それこそ何時間でも付き添うのだ。

 そんなことで将仁と出掛けると、予定が狂うことが多かった。

 特に人手が多い場所に行く時は予定通りに行った例がない。そういう場所へ将仁と出掛けるということは、迷子保護のボランティアを実施しに行くのと同義だと、祐樹に割り切らせるほどである。

 だが、祐樹はそんな将仁が好きだった。そして、そんな行為に決して気分を害されることはなかった。

 

 それは恐らく、将仁のみならず、自分の身の上とも重なることだからだと祐樹は思う。

 

 

 祐樹にも、将仁にも、親がいないのだ。

 

 

 祐樹は小学校最後の年、事故に遭った際に記憶と共に両親を亡くしていた。

 親を亡くした後、祐樹は母方の叔父夫婦に引き取られ、この町に越して来たのである。

 子どものいなかった叔父夫婦は、祐樹を実の子以上に可愛がってくれた。祐樹が野球を好きになったのも、実はそんな愛情を注いでくれた叔父の影響によるものなのである。

 

 将仁は自身の過去を多くは語らないが、幼い頃に両親と死に別れたのだと祐樹は聞いていた。

 幼い将仁もまた、親戚に引き取られ、この町にやって来たのである。

 しかし、将仁を引き取った親戚の伯父とは、よく自宅を空ける人物で将仁は家ではいつも1人だったそうだ。

 そして、その親戚の伯父も数年前──祐樹と出会った頃に亡くなり、将仁はまたも天涯孤独の身の上となったのである。

 

 だから誰よりも子どもの孤独が、親を見失った不安が、将仁には痛いほど解るのだろうと祐樹は思う。

 そして、親というものが、かけがえのない大事な存在なのだと理解しているのだと思う。

 

 

「……わかったよ。電車に乗る前に電話しとく」

「──うん。それがいいよ。何かあったら、大変だからね」

 素直に頷いた祐樹の言葉に、将仁は優しく微笑む。

 

「──本当は、在っちゃいけないんだろうけど。でも()()()は誰にだって在るでしょ?

 ……そんなときに後悔を残さないようにしなくちゃ、駄目なんだよ……」

 

 続けて、そう語った将仁は、どこか寂しげだった。

 

 

 不慮のできごと。

 突然の別れ。

 

 お互いに、そういう不幸を目の当たりにした身の上なのだから、その言葉の意味が祐樹には解った気がしていた。

 実際は、それと同義の後悔を、悲しさを、祐樹は感じたわけではない。

 記憶と共に、後悔も何もかもが消えて、家族で1人、生き残った祐樹は真っ白だったのだから。

 じわじわと覚えた悲しさは、寂しさは、孤独からの幻痛だったといえよう。

 

 

 それでも。

 やはり、解った気がしていた。

 

 それが将仁の感じていた孤独のようにも思えたから。

 それが将仁の優しさの原点だとも思えたから。

 それが無二の親友のことだから。

 

 だから。

 

 祐樹は将仁の指摘した出掛けの挨拶というのが、本当に永別の可能性を――しかも、彼自身の手による凶行を示唆していた言葉だったとは、その時には予想だにしなかった。

 

 次の上り電車の発車には──夏川市に向かう電車の発車には、まだ暫くの時間が在った。

 

 

 

 

 


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