Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】 作:世木維生
その身は鉄筋コンクリート製の分厚いビルの外壁を幾つか突き破り、だが、未だに勢いを削がれることなく撥ね飛んでいた。
襤褸屑のようになって然るべき状況でありながら、そんなランサーの身体には、奇跡的にか、表面的に大きく目立った外傷はない。
折れた骨が肉を裂き、内臓を破る。
しかし、ランサーの肉体は、確かに計り知れないダメージを被っていた。
八幡神社の祭神。
弓の名手として知られる武人・
武神として武家を中心に崇め奉られていた彼故の崇高なる戦に対する精神が、その様な例え英霊と云えど死に体であろう状態にあっても、ランサー・誉田別尊に戦闘を継続する意志と能力を持続させるのだ。
確かにランサーは、セイバーやライダーと比較をすると、現代に於いては、その知名度は相対的に見劣りが生じてしまうのだろう。
だが、彼が受けている人々の認知による恩恵の力とは、決して微弱なものではない。
ヤマトタケル。かぐや姫。
伝奇物語やゲーム・アニメのシナリオ、或いは純粋にキャラクターのモチーフとして、そして単に幼い子どもに聞かせる童話としてだけでなく、時には教育の現場でも教材として扱われ、今尚、頻繁に語り継がれる存在。
その2人の名が圧倒的に広く多くに知られているだけなのであり、彼を祀る八幡神社とて全国に1万とも2万社とも言われるほどに存在しているのだ。
ランサーもまた、十分過ぎるほど強力な認知による恩恵の力を得ていると言えた。
だからこそ、槍兵のサーヴァントは腑に落ちない。
「■■■■■■■■■────!!」
迫り来る咆哮。
声の主、バーサーカーは確かに狂化することで戦闘能力に特化したクラスではある。
しかし、宝具どころか武器でもない生身の拳一つで、そんな自身に対してでさえ、これだけ決定的な損傷を与え得る破壊力を有しているという事実は、如何にバーサーカーとは言えども尋常ではないとランサーは考えるのだ。
──果たしてバーサーカーとは、どのような英霊だというのか?
そんなランサーの懐疑の対象であるサーヴァントは、巨大な六角の金棒を振るい、目標の生んだ風穴を拡張しながら追従していた。
オフィス街に瓦礫の雨を降らせながら、振るった得物がもたらした視界。
そこで白武者が仮面の切れ目の奥で、いよいよ確認したものは、マスターに命じられた排除すべき標的だった。
遮る
バーサーカーの、その紅い眼が一層妖しく輝く。
雄々しく猛ると、迷いなく狂戦士のサーヴァントはビル間の空に向けて巨躯を跳躍させた。
その両足が蹴ったコンクリートの床が、衝撃に耐えられず、下のフロアに抜け落ち、或いは新たな瓦礫の雨を地表に降らせる。
花冷えの纏わりつくような夜気を割いて、白い狂気は月空を翔けた。
縮まりつつある、両サーヴァントの距離──。
訪れようとするランサーとバーサーカーが肉薄する瞬間──。
──刹那的な時間の経過の後に訪れるであろう交差。死線。決着。
────好機!
その一瞬を前に、槍兵のサーヴァントはそう確信していた。
そして、そのチャンスをモノにするために不要なものを、彼は的確に悟っている。
今。必要な意識とは、疑問ではなく決断なのだ。
内臓から流れてきた血を吐き捨てると同時に、一切の余計な思考をかなぐり捨て、隼風を構えながらランサーは身を躍らせた。
神槍を握り締めるその手に、力が籠もる。
ただ成されるがままに槍兵は飛んでいた訳ではない。
無駄に余力を消費させず、バーサーカーを誘い、迎撃することだけに専念していたのだ。
内部に負った深刻な損傷。それでもそれは、敵を迎え討つことにハンデとなることはなかった。
ランサーの肢体は、まだ、彼の意志のままに不自由なく駆動する──。
残された力を使い切るべく、槍兵は宝具に魔力を注ぎ込んだ。
今こそ切り札を切るべく、ランサーは動作する。
その耳に響いていた風音は、狂気を孕んだ咆哮に塗り替えられていく──。
反転させた視界に、歪な割れ目の奥に爛々と殺意を抱いた狂い武者の仮面が映り込む──。
至近距離。
バーサーカーが巨大な金棒を振り払うべく、標的を撲殺すべく、動作を見せた直後。
──しかし。畏れも迷いもなく。ランサーは討つべき敵を唯、鋭く見据えていた。
「──
そして。
誉田別尊の象徴である巨大な神槍は、その真名を告げられた──。
◇
隣接したビルとの距離が近く、建物の高さも似通っていたことは園埜潤にとって非常に幸運だった。事故防止のためのフェンスを破壊すると、彼は迷うことなく逃走を試みたのである。
少年魔術師がアーチャーとキャスター、セイバーとキャスターの戦闘を覗き見ていた屋上。その唯一の出入り口が敵に封鎖されてしまった以上、ランサーと分断された現状では、単独による戦闘を行うより他はなかったはずなのだ。
しかし、特に考えることなく選択したポイントに、このような非常用の逃走経路が存在していたのである。自身の認識していない今夜のツキの良さは、その時も十二分に発揮されていたと言えた。
跳躍した先で、潤は一目散に出口へと向かう。
封鎖されていた外壁に設けられた螺旋階段。その鉄扉を蹴り開け、下のフロアを目指す。
階段を一足飛びに数フロア駆け下り、そこで追っ手を撒くためにビルの内部へと身を隠す。
だが、園埜の跡取りを見失うことなく、その後ろを襲撃者──かつては協力者であったはずのアレキサンドラの人間は追走していた。
建物内部の階段を勘を頼りに目指し、ランサーのマスターは全力で疾走する。
ブラインドに閉ざされた窓に、外光が遮断された室内。
非常灯だけが光源となっている中で、バーサーカーのマスターは追撃戦を続行していた。
オフィスを区切ったガラス壁が砕け散り、デスクの上に設置された液晶モニターは破壊される。
ジュリエッタが投擲した黒鍵が少年を襲うが、辛うじて直撃だけは免れていた。
「ふざけるな! 泥棒がッ!」
振り向き様。焦燥を伴った怒声を上げて潤は標的を指した指先から魔弾を放つ。
ガンド──“フィンの一撃”。
園埜の跡取りが、好んで行使する魔術。
誰かが潤のそれを目の当たりにした際に抱いた感想とは、事実、的を射たものだった。
猿真似一族と誰かが彼ら一族を揶揄したが、それも非常に言い得て妙だったと言える。
魔道士の家系に伝わる継承者の証。遺産。
その一族が伝えてきた魔術を凝縮した、魔道書にも例えられる刺青のようなもの──魔術刻印。
園埜の一族に伝わる魔術刻印とは、魔術解析・身体変化・魔術模写に特化したものだった。
すなわち、彼らの魔術の本質は、他の魔術師の魔術の原理を紐解き、その魔術に自らの身体を適応させ、盗用することにある。
冬木の聖杯戦争という魔術儀式を模倣した時から変わらず──いや、それ以前から。彼らは脈々と、その時代、その時代に於いて様々な魔術を収集してきたのだった。
園埜は在りとあらゆる魔術を自らの
しかし、その歩みが一つ一つ確実に混沌の渦──この世の全ての存在・現象の原因──に近づいてきたものかと言えば、必ずしもそうではない。
彼らの一族の魔術師は、それらの記録総てを自らに写し留め、或いは後世に自らの
模倣しようとした魔術を完璧に扱えるに至る。
むしろ園埜の魔術師の大多数は、そこに到達する以前に魔術師としての限界を迎えてしまうのだ。
それでは、その園埜の跡取りはどうなのか?
園埜潤が模写した対象とは五大元素使いの魔術師。そして、前記のガンドも得意とする者。
冬木の管理魔術師。
それが彼が模倣した魔術師の名前だった。
だからこそ、ロミウス・ウィンストン・オーウェンが感じた感想とは正しく正解だったと言えるのである。
写本魔術師、園埜順。
しかし、その完成度とは原本たる彼女と比較して、明らかに見劣りするものだった。
修道服に身を包んだ襲撃者は“フィンの一撃”など物ともせずに撤退を始めた潤との距離を詰め続ける。
「──くっそォォォォッ! しつこいんだよッ!」
オリジナルと比較して速射性も連射性も威力も、ありとあらゆる要素が遥かに劣化したガンドでは彼女を足止めすることも叶わず、少年の焦りは明らかに見て取れるものに変わっていた。
その証拠とばかりに急いた潤が手を遣った懐からは、掴み損ねたのであろう幾つかの小さな物体が、キラキラと僅かな光を乱反射させながら床へと散らばり落ちる。
彼の足元に転がったものとは、大小様々な宝石。
それでもどうにか落とすことなく掴むことに成功した
「────
潤の告げた起動言語に従い、宙を舞っていた赤い宝石は爆炎を撒き散らし、爆ぜる────!
宝石魔術。
それもまた遠坂凛の劣悪な
その魔術の威力とは、宝石自体に備わった格、或いは
そういう要因を考慮したのだとしても、それとてやはり『赤いあくま』と称される彼女には、遥か遠く及ばない。
おそらくは、それを発動させた魔術師が彼女であったのだとすれば、その爆発の規模は、それこそこのフロア一面を易々と破壊せしめただろう。
宝石に込められた力を如何に最大限に引き出すことが叶うのか、それをも両者の圧倒的な技量の違いを示していた。
発生した小規模な爆発の向こう──。
「賢しいですね──ソノヤ」
瞬間に超人的な反応を見せ、後方へ逃れた美貌の襲撃者の身には一切のダメージはなかった。
それでも。
宝石1つを引き換えにしたその魔術は、襲撃者──ジュリエッタ・カタリナ・アレキサンドラを足止めさせることだけには成功していたのだった。
時価数百万という高価な
それによって獲得した極僅かながらも貴重な時間を使用して潤が選択した行為とは、やはり逃亡の一手。
そして、その脳裏で縋るように思い描いたのは、自身が模倣した可憐な外見をした魔術師の少女の姿だった──。
冬木市。
一部の人種には日本屈指の霊地としても知られる土地。
そここそが、元来、魔術師たちによる聖杯戦争の舞台であり、園埜と異なり名門魔術師の家系として知られた遠坂の管理する土地である。
──そして、件の魔術師である遠坂凛の住んでいる街でもあった。
園埜潤は、その土地に数え切れず足を運んでいた。
彼が最初にその街を訪れたのは、十年程前。
ランドマークであった冬木ハイアットホテル爆破事件が発生し、街の中央を流れる未遠川にて大きな氾濫が起り、現在は新都の公園となっている場所が大火災により焼き尽くされた、冬木にとって未曾有の大厄災に見舞われた年──。
第四次聖杯戦争──それは4回目を数えた冬木の聖杯戦争の行われた年だった。
夏川の聖杯戦争に参戦することを運命付けられた少年は、その戦争を知るために、刻まれた途方も無い傷跡を視察するべく、その街を訪れたのである。
北に海岸を臨んだ冬木市の西側、
赤い服に黒のニーソックス。
その宅地で少年は同年代の少女と運命の出会いを果たすのだった。
実際には、それを『運命の出会い』と表現するには非常に難があり、その語彙で表現することは潤の主観的な感覚によるものでしかない。
正確には、それは一方的な遭遇でしかなかったのだ。
少女は少年を全く認識しておらず、少年が少女の、そのあまりの可愛らしさに見惚れてしまっただけなのだから──。
しかし、何であれ、それからの潤の行動指針の全ては、彼女に近づくことが何よりも優先されて決定が成されてきたのである。
自らが模倣する魔術に遠坂を選んだのもそう。
そして、この襲撃者の言う『誓杯戦争』への参戦意義でさえ、すでに彼にとっては同様のものだった。
自らが造り出した奇跡を、他の何者でもなく自らのものにするという一族の悲願。
そんなものは、潤にとって何の価値もなかったのだ。
彼が聖杯を欲する理由とは、唯1人の少女のためでしかない。
──僕が勝つんだよッ! 凛も
勝利を望み、その先に待つ一流として認められた魔術師としての栄光。
それにより開ける道。想いの人と遠い異国の地で再会し、結ばれるという
気概だけは逸るも、しかし、潤の行動は決してそれに伴ってはいない。
幼い頃から強く恋焦がれながらも、何の行動も起こせず、未だ遠坂凛に認識されていない現状も。
端から戦うことをせず、ジュリエッタ・カタリナ・アレキサンドラに背を向けて逃走しているだけの現状も。
それは同じだった。
宝石魔術の爆風が生み出した靄が敵の視界を遮り、投擲武器から身を守ってくれる。
そういう確認もしていない極めて甘い認識が、致命的なミスとなる。
確かに今夜の彼はツイていた。
しかし、少年がついに運に見放される瞬間が、そこで訪れる。
「──ッあ!?」
バランスを崩した潤は、
その大腿部に激痛を感じる。
朱に染まった白銀。そこには肉を貫通した刺剣の刃が伸びていた。
「畜生ッ!」
苛立ちを吐き捨て、痛みに眩暈を覚えた矢先。
潤の耳には出血に因ってだけでなく大きく鳴り響く自身の心臓の鼓動と、無慈悲に近づく靴音だけが聞かれていた。