Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 雄々しく。大空を一羽の烏が飛んでいた──。

 それは通常の烏よりも優に大きく、遥かに力強く、大空の覇者としての風格さえも纏い、見上げた空を舞っている。

 幼い自分は──の横に立ち、高く澄んだ紺碧の宙を羽ばたく、その漆黒の王者を誇らしげに眺めていた。

「……いいか、祐樹。そは──

 

 

 落ち着いた壮年の男の声を聞きながら、薄れ飛び行く意識。

 

 

 ──ました……長 ──!」

 

 

 もはや完全に途絶えそうな思考。

 

 

 ……そろそろ逢えると思っていたよ。君にも」

 

 

 男の声に変わって聞こえた見知らぬ少女の声と、聞き馴染んだ親友の声に、それが繋ぎ留められる。

 

 

 しかし、その代価として、祐樹が垣間見た在りし日の情景は、脳裏に再生された懐かしい声は、儚く掻き消されてしまっていた────。

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……そろそろ逢えると思っていたよ。君にも……久しぶりだね、伊万里(いまり)。972日ぶり……かな?」

「──長浜将仁。私は、そのような名前ではありません。里子──私は有栖川宮里子です」

「……有栖川宮? ……そう。残念だな。やっぱり、なんだね……でも、それが伊万里の出した“答え”だって言うのなら仕方ないね──」

 少年に呼ばれた名前を否定した少女。

 

 ──それは明らかな、彼女の拒絶の意志に他ならない。

 

 伊万里と呼んだ少女の返答に、優しく微笑みかけていた将仁の顔には、僅かに淋しさが窺えたように見えた。

「──ちゃんと持っているよね? 伊万里」

 その一抹の感情をも刹那に捨て去り、言葉と共に将仁は冷たく緊迫した空気を周囲に張り巡らせる。

 臨戦態勢を取らずとも、未だ微笑みを湛えたままでありながら。その魔術師の放つ威圧感は圧倒的なものだった。

 

 少年魔術師と対峙することを強制的に辞めさせられた祐樹は、故にか、その事実をようやく知るに至る。

 

 ──親友を、長浜将仁という存在を、初めて“恐ろしい存在”であると認識する。

 

 その時、祐樹の身体は動かなかった。

 完全に。指の一つさえも、動作させることは叶わなかった。

 それが、その恐怖に縛られた精神に因ってもたらされたものなのか、それとも先に受けた肉体的なダメージに因るものか。少年自身にも、その判断はつきはしなかった。

 

 そんな身動きを取れずに横たわるだけの祐樹のすぐ傍で、少女は身構える。

 凍て付くような殺気に晒されながら、しかし、里子の心が折れることはない。

「……貴方こそ持っているのですよね? 長浜将仁」

 

 端から少女は、死を享受する覚悟を持っていた──。

 否。少女だけではない。それは彼女と対峙した少年とて同じだった。

 

 ──彼女らは魔術師。

 

 魔術師にとっての己が死とは常に傍らに存在している日常に過ぎず、その上、この月夜に彼ら自身の手によって始められたモノとは、紛いもない“戦争”なのである。

 サーヴァントと魔術師の戦闘により倒壊したオフィス街。

 今、少女と少年の相対する舞台。

 その虚無感と絶望感を抱かせるような無慈悲で惨憺(さんたん)たる風景とは、正にその大規模な殺し合いという愚行のもたらした結果を思わせるものでしかないではないか──。

 

 

「──どうだろうね? でも、伊万里の言葉は肯定と取れるよね」

 向けられた微笑みと聞こえた声は、己をせせら笑う笑声だと里子には感じられた。

「長浜将仁!」

 その不快感で撃鉄を起こし、里子は心の引き金を引く。

 素早く開いた掌を敵視する魔術師へと向けると、少女の体内で構築された神氣──魔術的に表現するのならば小源(オド)──は純粋な破壊をもたらす不可視の気弾として放出された。

 神道でいう“遠当て”の秘術。それは北欧のルーン魔術に含まれる呪い“ガンド”が物理的な破壊力を伴ったものである“フィンの一撃”と結果的には等しい効果を生み出すものであるが、決して同質のものではない。

 それは厳密に言えば、魔術ではなく技術でしかないものなのだ。

 遠坂凛や園埜潤が行ったガンドとは、魔術であるが故、それを行使するのに当たり詠唱──魔術を起動させる為の動作──を必要とした。

 ならば、彼女らがそうであったように、その詠唱は条件によれば不要なものかと言えば決してそうではない。彼女らとて、確かに詠唱を行っていたのである。彼女らは、それをその身体に有する魔術刻印で代行させ発動させていたのだ。

 だが、里子の行使した“遠当て”とは、元よりそれを必要とはしていない。“遠当て”とは、単に魔力を放出するという戦技でしかないのである。

 確かにそれは、魔術の素養がなければできる技術(もの)ではない。

 それでも。あくまで有栖川宮という宮号を持つ『セイバーのマスターとして作られた』少女は、自己防衛・策敵・治癒といった『セイバーのため』の魔術しか持ち得てはいないのである。

 

 月の光の中。“遠当て”の標的であった少年魔術師の身体は、しなやかに舞っていた。

 

 身を躍らせ不可視の凶弾を回避した将仁の後方で、奇跡的にも原型を留めていた電話ボックスが、その一撃に因って脆くも破壊させられる。

 砕けたガラス片がアスファルトに散りゆく音を残し、それは無残にも通信設備としての役割を終える。

 

「……その程度じゃ、僕は殺せないよ? “有栖川宮”」

 後方で見られた彼女の“遠当て”の威力を目の当たりにしながら、何事もなかったかのように着地して見せると、口元の血を指で拭き取りキャスターのマスターは嗤った。

「……私が貴方を直接倒せなくとも、セイバーがそれを為してくれます──」

 相対した魔術師の言動。

 それを受け止め、里子は告げる。

 

「──私たちが貴方を討ちます」

 

 それが彼女が聖杯戦争に参加した理由に他ならない。

 

 彼を殺すために。

 彼女はセイバーのマスターとなるためだけの人生を最終的にも選んだのだから。

 

 だから、その魔術師に対して気後れするような気概は少女にはなかった。

 

 そして、その人間性がどうあれ、セイバーという英霊には、それだけの絶対的な優位性があるのだと里子は信じて疑わない。

 ランサー、ライダーと単騎で渡り合ったどころか、彼女のサーヴァントは余裕を持ちながら二騎を圧倒して見せたのだ。

 その事実こそ、彼の戦闘能力が絶対的なものであるという証明である。

 

 加えて、討ち滅ぼすべき魔術師のサーヴァントはキャスターなのだ。

 

 

 セイバーが最優であるとされる理由の一つが、そのクラスに選択されたことによって聖杯から与えられる能力にあった。

 『対魔力』。

 セイバーも与えられていたその能力とは、その身に降りかかる魔術を無効化するもの。

 その効力とは、事実上、現代の魔術師では、そのサーヴァントにダメージを与えることが不可能であるというレベルの代物である。

 

 つまり、セイバーというクラスに割り振られた英霊は、キャスターというクラスに割り振られた英霊に対して、その攻撃能力の大部分を無効化・軽減させるという、非常に大きなアドバンテージを有しているのだ。

 

 

「──僕のキャスターが、君のセイバーに後れを取ると?」

「はい」

 

 十二神将などという破格の存在である式神を、それも1体だけでなく、複数体同時に行使できる英霊(もの)など他に考えようもない。

 

 確かに。敵対するサーヴァントの正体を里子は早々に看破していた。

 自分が習得した魔術体系に於いて、彼以上の術者など存在するはずもなく、自身とて彼の記した魔術書を懸命に学び、彼を目標としてきたのだ。

 その偉大さ、強大さ、能力など、彼のマスターである将仁よりもつぶさに理解できていて当然だった。

 自分など、その大陰陽師と比べれば実に矮小な陰陽師でしかなく、否、陰陽道に於ける魔術の大部分を行使できぬ以上、彼の前で陰陽師と名乗ることさえも恥ずかしい半端者に過ぎないのだろう。

 それでも。だからこそ、里子は力強く即答してみせる。

「そう。でも可笑しいよ。そんな強がりは──」

「可笑しい? 強がり?」

 しかし、その魔術師の見せ続ける余裕は全く揺らいではいなかった。

 そして、その少年を知るからこそ、里子の疑念は強くなる。確かに彼女の自信に、その言葉が翳りを産み落とす。

 長浜将仁とは、冷静さを欠き、状況を見誤るような人間ではない。

 彼がセイバーとキャスターの当たり合わせの悪さを知らぬはずがなく、それを考慮せずに行動するはずがないのだ。

 

「……だってそうでしょ? 君はセイバーが駆け付けるまで、僕を相手に持ちこたえることができるはずがないんだから」

「だったら試してみますか?」

 

 だからこそ、その少年の言葉は、彼の感じている明確な優位性の表れだった。

 だが、少女は己を奮い立たすように応える。

 

 少女の答えに、少年の両腕がゆらりと動いた。

 少年の動作に呼応し、少女もまた、赤いコートの内ポケットから紙片を取り出し、身構えた。

 

「どうだろうと……君が偽りの名を語り続ける以上、僕は君を殺さなきゃいけないから──

 

 

 ──ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 

 

 その胸元で、両手を組した印が結ばれる。

 同時に囁やかれた真言に、魔術師の周囲には幾つかの火球が生まれ、冷たく張り詰めた空気を瞬時に焼き焦がしていた。

 

「試させてもらうよ、“有栖川宮里子”。君の決意を……!」

 

 

 

 

 

 

「目障りな(ごみ)だな──」

 中央分離用の鈍い鼠色のボックスビームの向こう。対向車線側で発生した幾度かの爆発。

 マスター同士の戦場──そこから流れてきた爆風を涼しげに受けながら、周囲の存在全てを小馬鹿にしてセイバーは零した。

 それは臨戦態勢のままで微動だにせず、ただ自身を取り囲むように位置取る式神たちに言い放ったようで、実は対象はそれだけではない。

 少女のようなあどけない顔をした英霊は、足元の影を乱暴に蹴り転がすと、それに向け、おもむろに空いていた左手を伸ばす。

 そこには腹部を天后に穿たれ、身体に自由が効かず、倒れ伏したアーチャーの姿があった。

 

 それが、彼の云った“塵”の一つに他ならない。

 

 片腕で横たわるアーチャーの首を絞め掴むと、セイバーは彼女を自身の目線まで無理やりに立ち上がらせる。

 

 両者の間。

 その時、そこに存在したのは、条件や相性などの存在すら許されはしない、覆すことなど叶いようもない絶対的な優劣の差だった。

 アーチャーの体内に残されていた僅かな余力は、命を繋ぎ止めるためだけしか使用できず、その上で、至近に神剣の担い手である敵が屹立(きつりつ)しているのだ。

 

 だが、抵抗さえできない状況に置かれ、苦痛に囚われながらも、アーチャーの表情に諦めの色はなかった。

 その瞳には強い意志を湛え、強く己の首を締め付けるサーヴァントを彼女は見据える。

 徐々に力が込められる手。何時、潰えるとも知れぬ己の命運。

 その恐怖に怯むことなく向けられる、敵意と誇りを帯びた視線。

 それを受けたセイバーの口端が、どことなく心地よさげに歪んでいた。

 

「……使い捨ての駒如きにこうも後れを取るとは──無様だな、女」

 不意に口を開くと、眼前で苦しそうに呼吸をするアーチャーを、さも愉快そうにセイバーは虚仮にする。

 そして、掴んでいた弓兵(それ)を剣士は無作為に、躊躇することなく放り投げた。

 

 人を扱ったのではない。

 彼は確かに塵を塵として扱っただけなのだ。

 

 長い黒髪が中空を疾走し、アーチャーの身はセイバーの思惑通りにその場から勢い良く遠退く。

 その華奢な、か細い身体は、通りに面したビルの強化ガラス壁に強烈に叩きつけられ、鈍い音の混ざったような破砕音と共に壁面を突き破り、ようやく彼の視界から消え失せた。

 

「さて……足元の塵は片付いたが──」

 その一部始終を静観し、感想とばかりに小気味良さげに鼻で嗤って見せると、剣士の英霊は尊大な態度から“らしい”言葉を言い放つ。

「──それで? どうした? そこの塵共。何を畏れる? そんなにオレ様が怖いか?」

 

 セイバーの嘲笑に式神たちが殺気立つ。低く唸り、直後にでも跳び掛からんと身構える。

 

 張り詰めた静寂が、再び訪れていた。

 しかし、足元の塵が消えた今、そこには先ほどまでと明らかに違った緊迫が窺える。

 それは次の瞬間にも、激しい乱戦が繰り広げらるであろうことを予感させていた──。

 

 だが、沈黙を破ったのは剣戟の響きではない。

 それは酷く落ち着き払った、魔術師の英霊の声、だった。

 

「──ええ。怖いですね。元より貴方を畏れぬ者などいないでしょう? まさか突如、貴方のような人物と相対することになるなどと、私とて夢にも思いませんでしたから……」

 

 冷静に紡がれた言葉。

 だが、静かなその声が、殺意に駆られ、先走ろうとした式神たちを圧倒的な強制力で抑えつける。

 

「──お初にお目にかかります。日本武尊」

 

 相手を敬うようで、しかし、その言葉の内容とは裏腹に、後方に控えたキャスターは声音と同じくただ悠然と佇んでいた。

 

「──ほう。下衆。貴様はオレ様を知るか?」

「……この国に貴方を知らぬ者などいないでしょう」

 中世の魔術師は変わらず独り、高みから見下ろし声を返す。

 言葉であからさまに蔑む者と、態度で暗に見下す者。

 互いが互いを逆撫でし、明らかに誘っていた。

 間違いなく緊迫していたはずの空間に、さらに幾重にも緊張が上塗りされる。

 

 キャスターは決して戦闘を避けようとした訳ではない。

 彼が言葉を発した理由とは、敵のペースで式神たちが交戦することを嫌っただけに過ぎないのだ──。

 

「──ふん。オレ様は貴様を知らぬし、どの道、ここで潰える下衆の名なぞ知ろうとも思わぬが……」

 

 ゆらりと。英霊の手にした菖蒲葉が揺らめいた。

 

「──だが、褒美をくれてやる」

「褒美、ですか?」

 

 ヒヒイロカネが反応したのは、その英霊が内に抑えることを放棄した、抜き身になった強大な殺意──。

 それは、冷静になったはずの十二神将たちをも、瞬間的に限界まで切迫させていた。

 

「ああ。オレ様を前に道化を貫く貴様に、この大八洲にて最優たる宝具を拝ませてやろう──」

 

 セイバーはゆっくりと宝具を構える。

 宣言に反応し、キャスターにも明らかな警戒の色が浮かぶ。

 

 

「下衆。貴様が望んだのだ。本望であろう? オレ様に消されるのならば──」

 

 

 そして、にたりと嗤い、古の英雄は、その神剣に魔力を込めた。

 

 

 

 

 

 


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