Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

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 六車線の道路同士が交わりながら、しかし現状、単なる広場でしかない場所。

 淡い月影。

 断線を免れ、タイマー通りに灯された街灯。

 昼間とは違い、赤いライトが点滅を繰り返すだけの信号。

 そんな幾つかの光源によって照らし出された交差点には、本来ならばその車線を走行、或いは停車しているべきはずの自動車の姿は、一台として見受けられなかった。

 障害物や遮蔽物のない戦場として、そこは行き交う車両を滞りなく安全に往来させるためにではなく、唯、キャスターの望んだ格好の狩場としてだけ機能していたのである。

 つまりは彼と敵対しているアーチャーからすれば、そこが非常に不利な戦場であったということだった。

 

 対多数の状況に於いて、各個撃破を狙うこと。

 それは数的に劣る少数戦力派側が採択する、ごく初歩的であり、かつ定石でもある戦術だといえよう。

 敵戦力の分断化・孤立化を図り、局地的には一対一の状況に持ち込むことで数的不利を無効化させるのである。

 無論、そこにあるのは何もメリットばかりではない。戦闘回数の増加や継戦時間の長時間化による兵力の消耗は、その最たるものといえるだろう。

 しかし、その策略による恩恵が常套手段として運用されるに十分なほど、非常に有効なものであるということは規模の大小に関わらず、悠久にも等しい争いの歴史が証明して来ている。

 

 形勢を逆転させ、敵対するサーヴァントから勝利を獲得するために。

 

 類に漏れず彼女もまた、本来ならば少しでも狭い路地へと敵を誘い込みながら、キャスターの打った式神を一鬼ずつ排除していく算段だった。

 しかし、自身のマスターである少年が、この地点で敵マスターと相対するという行動を決定した以上、彼女は選択の余地を失ってしまったのである。

 

 或いは。

 自身が戦場の最前線に躍り出ることで祐樹にそう判断をさせたことは、その少年を良く知ったキャスターのマスターによる誘導だったのかも知れない。

 

 だが、それが敵の意図的な戦略であったかどうかなど、彼女にすれば最早どうでも良いことだった。

 アーチャーは、祐樹の友人の凶行を止めようという想いと意志を尊重したのだ。

 そう意を決した以上、不利な事態を招く行為であると理解できていたのだとしても、余力を大きく削られるであろうことを予測できていたのだとしても、彼女は『彼女』の意に反し、ここでキャスターとその配下を迎撃し、マスターを守護するよりはなかったのである。

 

 そんな彼女の御する二振りの宝刀が展開された空間よりも上空。そこで弧を描いた月の上に、突として細い影が浮かび上がる。

 戦場を見下ろしながら夜空を背に低く吠えると、その巨大な影は長い身体をくねらせた。

 その存在の意向に従い、周囲の風息は急激に荒く乱れる。

 生じたのは、その聖獣の司る木行の力に因って形成された数多の風の刃。

 そして、それは命令を下すように、その大きく裂けた口を開いた。

 咆哮(ごうれい)に従い、発生されられた不可視の刃は、次々と無作為に地表へと向けて疾走を開始する。

 戦闘に晒され、既に破壊された器物──断線させられ灯を失った鉄柱でしかない街灯、折れ曲がり認識できない標識、中央分離帯のガードレールだったもの──。牙を剥いた大気が、それらほぼ残骸だったものを、或いは未だ機能を保った原型たるそれらを、容易く両断し、完全なる廃物へと変化させる。

 吹き荒ぶ風に怒りとも取れる非難めいた低い唸り声を残し、ビルの壁面を駆けていた白虎が不意に後方へと飛び退いた。

「────!?」

 それは味方さえをも考慮してはいない、無差別的な上空からの攻撃だったのだ。

 大気の異常を発生時から感知していたにも関わらず、振り下ろされた玄武の巨大な頭をか細い両手で受け止めざるを得なかったアーチャーの対応は、それ故に明らかに遅れていた。

 僅か。

 一秒にも満たない瞬間。

 それは、ほんの僅かなタイムラグだったのかも知れない。

 それでも。その一瞬の隙が、生と死を分け隔てる越えようのない境界線を引くものとなる。

 

 英霊同士の戦闘とは、そういう類のものなのだ。

 

 街路樹が容易く切り倒され、一部、車道を塞ぐ。

 数メートル先の消火栓が両断、破壊され、勢い良く水柱が噴き上がる。

 アスファルトの大地に、刃物で裂いたような痕が次々と刻まれていく。

 

 止まったような時の流れの中で、彼女の周囲の世界には迫り来る“終わり”が確実に印されていた。

 

 重く圧し掛かる玄武の頭部に囚われ、身動きの取れぬ状態。

 絶対的な危機を察した、刹那。

「────!」

 アーチャーは『彼女』へと、主となる意識を移行(シフト)した。

 生を繋ぐため。

 身体能力を増大させるために繋げていた回路を完全に解放し、それと同時に、その優れた強靭な肉体の持ち主たる『彼女』に行動の全権を委ねる。

 

 

「──ふむ。やはり、ですか」

 その一部始終を視ていたキャスターは、確信の笑みを扇で隠しながら零した。

 彼女の纏っていた神々しいまでに澄んだ魔力が、どす黒い重い威圧的で異質なモノに変化したのをキャスターは見逃しはしなかったのである。

 

 ──魔術師の英霊である陰陽師は、弓兵の英霊である彼女が、その伝承を受け『二重配役』されていることを看破していたのだ。

 

 

「────獣畜の分際で生意気!」

 アーチャーである彼女が、己を拘束する強大な聖獣を蔑み猛る。

 その怒りと共に両の細腕が発揮した腕力とは、想像を絶するものだった。

 監視するキャスターの前へと確かに現れた『彼女』は、自身の優に数倍はある玄武を見事に投げ上げる。

 その背に存在する超硬質の甲羅に鋭利な風が当たると、辺りには金属同士のぶつかり合うような甲高い衝突音が幾重にも重なり響いていた。

 彼女の思惑通りに、中空に舞ったその巨躯は、凶刃からその身を護る防風壁として立派に作用して見せる。

「────ちっ!」

 難を逃れた直後、舌打ちをして()()アーチャーは悪態をつく。

 それは外敵に向けられたものではなく、強制的に再度入れ替わろうとした内なる主格に零したものだった。

 

 華奢な女性の身でありながら、異常といえる身体能力を発揮する『彼女』。

 確かに戦闘に於いて『彼女』を常時解放させる利点は大きい。

 常識的に考えれば、戦いは『彼女』に任せて然るべき行為である。

 だが、その状態を維持できない理由が彼女たちには在ったのだ。

 

 そうするだけの余力がない。

 

 それがその理由の全てだったのである。

 『彼女』は、その異常なまでの能力を維持するための対価として、活動に際して非情に多くの魔力を必要するのだ。

 召喚時からアーチャーに蓄積されていた魔力とは、戦闘中に常時『彼女』の活動を許容するほど、大容量のものではなかったのである。

 

 接する者に恐怖や死を直感させる存在感。

 それが瞬く間に鳴りを潜めると、穏やかさを感じさせる彼女が表舞台に再臨する。

 

 アーチャーの頭上。夜の戦場を自在に駆ける、対となった宝剣。

 安堵を一つ吐くと、直後には気を引き締め直し、彼女はその宝刀へと強く意識を遣った。

 状況判断の後れが、敵に絶好の攻撃の機会を与えたのだと。

 先の危機とは明らかに己の至らなさが、疲労に鈍った判断力がもたらしたものであると、アーチャーは自覚していた。

 今回は乗り切ったとはいえ、同じ轍を踏むわけにはいかないのである。 

 疲労が見え始めた状態であれ、それでもマスターを守護するために。

 

 ────『聖杯』を獲得せんがために。

 

 彼女たちは、この不利な状況にある戦闘を継続せねばならないのだから────。

 

 

 

 

「どうしてだよ!?」

 有無を言わさず、一方的に攻撃を仕掛ける親友へ祐樹は声を荒げた。

「君のためだよ、祐樹────」

「俺のため!? 何だよ、それ!? どういうことだよ!」

「────祐樹には解らないよ。きっと……」

 阿吽の仲。気心の知れた無二の存在。そこにいるのは、そんないつもと変わらぬ親友の姿。

 しかし、至近に存在するその少年は、確かに姿形こそ将仁と同じでありながら、いつもと異なり、その真意が祐樹にはまるで理解できなかった。

「解るかどうかなんて、話してみないと解らないだろ!? 将仁!」

「────解るよ、祐樹。君には絶対に解らない……」

 

 僕だから解るんだ────

 

 唇が微かに動いたことに祐樹は気付いたが、その内容を聞き取ることはできなかった。

「────だから。君は受け入れるだけでいいんだ」

 何を目の前の親友が零したのか。そんなことを憶測する間もなく、柔らかい、優しげな声が代わりにとばかりに少年に届く。

 言葉と共に窺えたのは、寂しげな笑顔。

 しかし、ただ冷酷に。恐ろしいほど的確に。将仁の手に握られていた凶刃は、人体の急所へと向けて迷いなく突き出されていた。

 

 親友の意志──明らかに一層高まったのは、殺意。

 

 左胸に直前まで迫った、鋭利な鈷の先端。その殺意で組成されたような凶器(もの)を、祐樹は寸での処で飛び退き回避する。

 生命の危機に、その少年に因り幾度も晒されていても。

 それでもどこかで未だ祐樹は、その事実を懐疑的な感覚で捉えていた。

 そして、その結果、そんな状況を打開することなどできるはずもなく、完全に後手へと、防戦一方へと少年は陥ってしまうのだ。

「────祐樹。君はここで、僕に殺される運命なんだよ」

「そんなこと────」

 親友を止める。

「────俺がさせない!」

 それでも、それは揺るぎない行動理念として、祐樹の真ん中に存在していた。

 だから、危険な状況に在りながらも逃走という選択は祐樹にはなく、こんな局面に留まり続けているのだ。

 

 互いが互いを想うからこその攻防。

 彼らの言葉を借りれば、そうであろうはずのもの。

 その親友同士によって繰り広げられる争いとは、唐突に結末が訪れるであろうほどに切迫していた。

 高校球児として全国に名を知られた少年と、何の部活にも属してはいなかった世間的には無名でしかない少年。

 その両名の身体能力・運動能力の差。

 そこには明らかな開きが見受けられるようでありながら、その実、二人の動きに根本的なスペックによる違いなど、全く存在してはいない。

 その攻撃側の隠し持っていたギャップとは、本来ならば決定的な油断を防御側に生じさせていたはずだった。防戦一方の相手に対し、攻め手は一撃で絶命させるに十分な武器を有しているのだ。守り手の動きの読み違いは、即、争いの幕引きを意味していたはずである。

 

 だが、当初から祐樹の表情に驚きはなかった。

 将仁の身体を取り押さえるという行動が全く持って容易ではないであろうということを、少年は端から理解していたからだ。

 

 長浜将仁という親友が、その身体能力の殆どを日常生活に於いて隠蔽していた事実を、彼は知っていたのである。

 

 例えば、あの春。交通事故に巻き込まれそうだった幼児を、迷うことなく車道へと飛び出して助けた時。

 例えば、あの冬。重い荷物を代わりに長時間運びながら、老人の目的地まで付き添って案内した時。

 

 特定の場面で露わになった反射能力や敏捷性、そして、筋力や持久力。

 それが日々、運動によって高めてきた自分に匹敵するもの、あるいは上回っているであろうということを、長い付き合いの中で祐樹は垣間見て来たのである。

 

 だから、その意外性による危機的事態に、少年が陥ることはなかったのだった。

 しかし、それを知っていたからと言って、祐樹にとっての状況とは不利なものであることに変わりはない。

 一撃で雌雄が決する現状は、当初から一切変化してはいないのである。

 だが、祐樹は一人ではなかった。

 彼女が──祐樹を見守ってくれる人物が、そこにはいた。

 アーチャーは祐樹を思ってくれたからこそ、危険な戦場に自ら留まり、祐樹の望んだ親友を止める場面を作ってくれているのだ。

 彼女に応えるためにも。

 例え、その行為がどれほど困難であろうとも、泣き言を言うつもりも、背を向けるつもりも祐樹には毛頭なかった。

 例え、親友を傷付ける結果をもたらそうとも、その負い目を背負う覚悟はできていた。

 

 頭部を狙い、振るわれた刃。

「──っ!」

 距離を作る回避運動を、恐怖に怯もうとする心を、祐樹は強い意志で拒否し、否定した。

 近接距離(クロスレンジ)で踏み止まるべく、両足をその場で固定させる。同時に、姿勢低く腰を落とすと、祐樹は独鈷杵の刃を頭上にやり過ごしていた。

「────将仁!」

 その好機は想いを行動へと移した結果、得られたものだった。

 強い決意を込めた拳。その拳を、祐樹は相対した親友の顎先めがけて突き出す。

 そうしたことに、確かな意図や裏付けはなかった。

 少なくとも、今の少年にはボクシングなどの格闘技術や、実技を習得できるだけのケンカ経験があるわけでも、当然のように医学的な知識があるわけでもないのだ。

 顎を攻撃すれば脳を揺さぶることができ、意識の有無に関係なく、身体の自由を奪うことができる。

 そういう胡乱な情報をどこかで聞いたことが在ったから、唯、それに縋っただけだった。

 

 目標を撃ち抜くように勢いよく伸びる、固く握られた右手。

 

 インパクトの瞬間。

 祐樹は無意識に目を瞑っていた。

 

 ────凶器となったその手には、確かな痛みが走る。

 

 それはダメージを受けたものではなく、ダメージを与えたために受けたもの──親友の身体を殴打したために感じられたものだった。

 

 刹那の暗転の後。

 ぐらりと揺らいだ将仁の上半身が、祐樹の目には飛び込んだ。

 

 終わりを感じた安堵と、それを注意深く否定するような疑心。

 覚悟しながらも親友を殴りつけたという事実に対する深謝と、後悔に似た想い────。

 

 崩れようとする将仁を前に。

 瞬間的とは言え、少年の頭の中ではぐるぐると様々な感情が巡っていた。

「────ここで斃れることは幸運なんだよ、祐樹……」

「────え?」

 何を思えばいいのか?

 そんな不安定な意識に投じられた声は、少年に明らかな混乱を招いていた。

 

 それは二人の大きな、決定的な差が作った状況。

 そして、その違いが、形勢を大きく、決定的に片側へと傾向けることとなる。

 

「────この先、生き残ることこそが不幸なんだよ、祐樹。だから、君は、ここで逝くべきなんだ……」

 将仁の身体が、彼の意思に連動して動く。

 断たれることなく、その神経と脳は、未だ繋ぎとめられていたのだ。

 紙一重で祐樹の拳を急所を外して回避することに成功したのか、変わりにその頬は赤く染まり、キャスターのマスターの口端からは血が流れ出ていた。

 

「僕が、ここで、祐樹を解放してあげるんだ────」

 

 果たして。

 激痛が訪れた前だったのか、後だったのか────。

 

 その言葉が、いつの自分に向けられたものなのか。

 

 それが祐樹には解らなかった。

 しかし、その言葉が確かに、将仁の本心であると祐樹には伝わっていた。

 

 深憂。

 真実として、心からの言葉。

 

 将仁の表情が、それを祐樹に教えてくれていたのである。

 

 

 身体能力で伯仲していた二人を差別化したもの。

 それは長浜将仁が、伊達祐樹と比較して、遥かに命の遣り取りに慣れ、長けていたという“魔術師”としての現段階での経験の差だった。

 

 将仁は、その手に在る独鈷杵を、迷い無く閃かせる────。

 

 

 

 

「────祐樹!!」

 

 アーチャーの絶叫が、夜闇に包まれた灰色の景色に響いた。

 その声を発した瞬間。彼女は太刀を操作する意志を放棄したのと同時に、腰から刺剣を引き抜いていた。

 マスターの危機は、自身の危機と同義なのだ。

 サーヴァントはマスターと運命を共にする者。

 それは比喩などでは断じてない。

 マスターを依り代に現界するサーヴァントは、彼ら無くして存在を維持することができないためである。

 だから、今の状況を前に、後のことなど考えることはナンセンスでしかなかった。

 貯蔵量・残量を考慮せずに、アーチャーは魔力を使用する。

 その眼に魔力を込めると、黒い瞳は金色へと変色していた。

 

 天眼通──視覚で捉えられないものを、直感的に視覚イメージで捉える能力。

 

 それはアーチャーの持つ魔術の1つだった。

 補足したのは、目の前の障害四体の核となった霊符。顕妙連で穿つべき対象。

 

 そして『彼女』へと、彼女は迷うことなく身を委ねていた。

 

 

 

 


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