Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】 作:世木維生
コンクリート‐ジャングル
≪和製英語≫『concrete』と『jungle』を繋ぎ合わせた造語。ビルの林立する都会をジャングルに見立てた言葉。
◆
────こういうことを言うのか?
伊達祐樹はそんな風にふと思った。
伯父の口ずさんだ、歌か何かのフレーズが耳に残っていて、少なくとも一昔前には、そんな言葉があったのだと少年は知っていた。
その言葉を生んだのが、伯父の歌ったいわゆる歌謡曲を作った作詞者なのか、或いはどこかの作家なのか、それともコピーライターと呼ばれる職種の人間であるのか?
そんなことを祐樹は知らないし、知りたいなどと思いもしない。
しかし、その語彙を生み出したどこかの誰かが、決して自身の直面した光景を表現するために創作した単語ではないのだということを、猛攻に晒されながらも戦う意思を崩さない少年は、連想してしまったことと反して、十二分に理解していた。
未だ目の前の事象の全てを、事実として受け入れられてはいない神経。
生命の危機に遭遇しながらも、少年にそんなくだらない言葉遊びを思考させたもの。
それが、その正体だった。
もっとも、その神経こそが“現実逃避”の感覚であるとも祐樹は冷静に認識し始めている。
確かに。思いがけずに接してしまった眼前の“魔術師の世界”こそが、祐樹にとっては空想の世界であった。
しかし、つい先刻、アーチャーに否定を突き付けた“魔術”という力の存在を、少年は徐々に“真実”として受け入れつつある。
一夜の内に再び遭遇した、少年に死というものと強制的に向き合わせる力、その力を行使する存在。
風を操り吼え猛るモノ。
炎の矢と化した羽を天から降らせるモノ。
水流を我が身の一部のように振るい荒れ狂うモノ。
金属の鋭い牙や爪を思いのままに伸長させ襲い来るモノ。
それは勘違いや思い違い、ましてや夢や幻などでもなく、実際にそこに存在しているものだったのだから。
そして、それは祐樹の知り得る限り、やはり『魔法』という概念でしか説明の付かないものだったのである。
しかし現在、先の言葉を少年が連想したのは、ある種、仕方の無いない状況だとも言えた。
蒼く細長い体をくねらせ、伝説のままに翼も持たずに夜空に浮ぶ龍。
周囲の空間を赤く染めてビル間を舞う、五色の尾を靡かせる火の鳥。
黒い甲羅を背負った、蛇の頭部をもたげ獲物を見下ろす巨大な陸亀。
道路を高速で疾走し躍動する、白い体毛に覆われた虎のような巨獣。
祐樹の身は間違いなく都心にありながら、そこにはそのような猛獣が
その四体の式神に襲撃されている図式とは、密林で野生の獣に襲われる人間そのものではないか。
天后、騰蛇。
屋上で遭遇した二体と同じように、キャスターが召喚した祐樹を狙う四体の巨大なバケモノ。
青龍。朱雀。玄武。白虎。
それが『四聖獣』と呼ばれる存在であると、少年はアーチャーの言葉で、つい先ほど知った。
その脅威が姿だけで伝わる敵を前に、しかし、アーチャーは全く引けを取ることなく互角に渡り合う。
彼女は自身をサーヴァントと言った。
サーヴァント──聖杯により選別された魔術師に与えられる使い魔。しかし、彼女らは一般に連想される“使い魔”などというものとは、完全に別次元の存在である。
彼女は英霊という精霊に近い存在であり、本来、人の手に因り召喚・使役することなど到底、叶うものではないのだ。
それは例え“魔法使い”であれども、例外ではなく同様だった。
故にその存在は、聖杯により起こされる破格の奇跡と言っても過言ではないのだ。
野球一筋でゲームやアニメなどに接する機会の少なかった祐樹は、伝承や伝説などにはかなり疎く、魔術師でさえないと自認している。
成り行きとはいえ、自身が既に参戦している『聖杯戦争』が何たるかを知らない少年には、当然、サーヴァントが如何なる存在で、アーチャーが何者であるかなど解るはずもない。
しかし、四聖獣など知らなくとも、彼女の能力が人間の常識の範疇を遥かに凌駕したものであるということは判別できていた。
アーチャーの所持する三振りの宝刀。
その内の騰蛇を穿った切っ先両刃造りの刺剣を除いた双刀。
その対になった大太刀・太刀は彼女の手を離れると、誰に振るわれるでもなく、まるで自らの意志を持つかのように自在に宙を舞い、殺陣を繰り広げる飛剣だった。
その二振りの飛剣を縦横無尽に展開させて、アーチャーは辺り一帯の空間を支配してみせる。
瞬間瞬間に於いて最善と思われる場所へとそれらを移動させ、数的不利を感じさせないほどの立ち回りを彼女は単騎にて演じているのだ。
複数体の対象全てを一瞬にして把握するばかりか、行動予測まで正確に行い大太刀・太刀の二刀を、あたかも数十本もあるかのように的確なポイントに存在させる。
その判断力や、戦闘を行うセンスとは人の領域を遥かに凌駕している。
そして彼女は、巨大な式神と肉弾戦を行っても互角に渡り合っているのだ。
ウエイトの差や、衝突する際に発生するであろう物理的な法則。それらを無効化しているような。決して当たり負けしないその姿は、常識的に、彼女の華奢な身体から想像・発揮できるものではない。
そんな超常的な能力を誇るアーチャーのフォローにより、直接的な攻撃に祐樹が晒されることは少ないとは言え、しかし、決して皆無ではなかった。
多勢に無勢の非常に不利な状況には変わりなく、ましてや、その四体とは単なる野獣ではないのである。
──京の都の四方を守護するモノ。
彼らは高い知能を有した聖獣とさえされる存在なのだった。
四聖獣たちは、巧みにマスターを護衛する弓兵のサーヴァントと、飛来する双刀の妨害をかわし標的へと急襲を行う。
「────祐樹!」
アーチャーのマスターである少年が、慌てる彼女の声を聞いたのは何度目だろうか?
大太刀を引き付けた青龍と、太刀に立ちはだかれた朱雀。そして、アーチャーと対峙した玄武。
それらの間隙を縫って白虎は強襲を仕掛けようとする。
だが、彼女の叫びは悲痛なものではない。
それは既に、警鐘となっていた。
アーチャーの声を聞いた、その時。
迫り来る白虎の動きをその目に捉えると、祐樹は令呪の刻まれた右手をきつく握り締めていた。
続け、その左足を胸元の辺りまで引き上げる────。
『──当たれ!』
──そう想いを込めた、直後。
その霊獣を迎え撃つかのように、少年はその手に在るコンクリート片を力強いフォームで投げ放った。
オーバースローで鋭く振り降ろされた右腕。その砲台から放たれた弾丸。
それは彼らのレベルで言わせれば、
標的が普通の人間であるのならば、それは恐ろしく立派な凶器と化しただろう。
しかし、それは白虎を仕留めるほど威力の秘めたものではなかった。
十二天将の一つ。
襲撃して来たモノとは、そのキャスターの宝具でもあるのだ。
投石は、その勢いを気持ちだけ削ぎ落とし、襲撃地点への到達までに僅かな猶予を作り出すことが関の山だったのである。
だが、その一瞬の間を作ることで、少年の役割は取り敢えず十分だった。
その僅かな時間を設けることで、アーチャーの飛剣は神速で移動し、祐樹の目の前へと現れると、敵を振り払ってくれるのだ。
数度目の攻撃を受けた直後である。
どうにか転がってそれを回避し、立ち上がろうとした時。戦闘によって破砕されたコンクリート片を、祐樹は自然と手にしていたのだ。
それを手にしたことは、本能だったと言える。
戦う術を持たない祐樹にとって、それは自身が、最も有効な抵抗手段を実行に移すために必要な道具だったのだ。
“投げる”ことは、唯一、祐樹に与えられた才能なのだから。
強大な戦闘能力を有したサーヴァント。
どうにか抗う術を手に入れた
止めるべき友人を眼前にし、光明が差したようで、しかし、2人の臨む事態とは、徐々に、明らかに苦境へと傾いていた。
多対一という状態を改善できない限り、状況はジリ貧に違いないのだ。
「──将仁。何も私は手を抜いているわけではありませんよ?」
「解ってるよ。アーチャーの宝具を警戒しているんだよね? キャスター」
ええ。と、魔術師の英霊は扇で口元を隠してマスターの問いに応える。
死闘を繰り広げるアーチャーたちとは、やや離れた場所。
その2人の魔術師の姿は、車道に架けられた歩道路の上に在った。
「──あの双剣の真なる能力は、未だ解放されてはいないのかも知れませんからね」
そこで行われている戦闘から決して目を離さず──こと、件の飛翔する霊刀の挙動を一部始終漏らすことなくキャスターは検分している。
キャスターの打ち放った四体の式神とは、単に敵の掃討だけを考えた布陣ではなかった。
それは、あらゆる状況を想定し、それに最も柔軟に対処できるよう考慮されたものだったのである。
そして、彼自らが戦線に参加してはいないのも、また同様だった。
「顕妙連だけがアーチャーの
「ええ。少なくとも、私はそう考えていますよ。
「まだアーチャーに余力が見える以上、優位にコトを進めているこちらが動く必要もない、って言うんだね……」
マスターである長浜将仁の言葉に頷くと、キャスターはちらりと左上方のビル屋上へと視線を遣った。
「──そうですね。君子、危うきに近寄らず。ですよ」
僅か、一瞬の目配せ。
そして、その中世の魔術師が警戒すべき点は、3つへと変更される。
一つに先の言葉通り、アーチャーの飛剣の真なる能力についてである。
彼女は未だ、その真名を告げていない。それが仮に対軍用の宝具であるというのならば、近づいたら最後、四神もろとも一網打尽にされかねないのだ。
二つに既に解放されたアーチャーの宝具『顕妙連』。
その宝具の有効射程が計りかねない現状、これ以上の接近とはキャスターの宝具の持つ防御能力を持ってしても危険性が高いのである。
そのいずれかのため。
彼女は未だ魔力を温存し、余力を十分に残しているのだろうとキャスターは予想している。
『──キャスター。誰かいたのかな?』
そして三つ目。その危惧を将仁が伝達して寄越した。
それはキャスターの心に直接響いた声。
第三者に聞かれないようにするために、念話で伝えられたものだった。
『気付いていましたか? 将仁』
『あれだけ派手な動きをすれば、当然の事態だよ』
魔術による意志伝達を行うと、2人は共に薄っすらと笑っていた。
「賢いマスターを持つと助かりますよ、将仁」
「どうだろうね……」
己がマスターを讃えた、キャスターの言葉。
しかし、自問するように将仁は呟くと、ふわりと車道へ飛び降りる。
「──!? 将仁!?」
「──キャスター。アーチャーを頼むよ。僕は自分の手で祐樹との決着をつけたいんだ」
突飛の行動に驚くキャスターを他所に、彼のマスターである魔術師は地面に到達すると迷うことなく戦場へと向けて駆け出した。
「……全く。自身を生餌にでもするつもりですか? 貴方は」
やれやれと首を振るも、それはマスターが、自身の能力を信頼するが故のアクションであるのだとキャスターは理解していた。
泰山府君の祭祀により得られた魔力は、まだまだ底が尽きる
ならば有利な状態にあるときに、邪魔者である他のマスターやサーヴァントを一人でも、一騎でも、一組でも多く潰しておくことは、キャスターとて望むところなのである。
そして、陰陽道の頂点に君臨し続ける陰陽師は、新たなる式をいつでも打つことができるように、懐から数枚の霊符を取り出していた。
「────将仁!」
そのキャスターのマスターの動きを、真っ先に捉えたのは祐樹だった。
「祐樹!」
不意に動き出したマスターを制止するようなアーチャーの声。
それを聞かず、少年は迷うことなく彼の元へと駆け出す。
「アーチャー! 将仁は俺が止める! 手を出さないと約束してくれ!」
何故か。
アーチャーが意図しない動きを起こしそうで、思わず彼女のマスターである少年は声を上げていた。
四聖獣と飛行する太刀を掻い潜るように身を低く駆け抜けると、間違いなく近づきつつある中学から──つまりは、記憶の残されている時期から付き合い続けてきた親友の姿がある。
祐樹の記憶とは、将仁との思い出といって過言ではない。
詰められていく距離。
その最も近しい友人の手には、小型の鋭利な武器が握られていた。
祐樹の知るところではないが、それは武器ではなく、実際には
だが、確かに。その
そして将仁は明らかに、それを武器として祐樹を狙っていたのである。
「将仁──! お前────!?」
ようやく手の届く場所に、誰に邪魔をされることなく話せる場所に、いつもの距離に将仁がいて。
しかし、祐樹の傍らにいたのは、いつもの優しい笑顔で在りながら全くの別人のような親友だった。
親友だった少年。彼は自分に明らかな殺意を向けていたのだ。
一切の雑念なく。将仁は鋭く。その手の凶器を再度、振るう。
続けられた攻撃も、どうにか回避した後。
「────将仁!? お前、あの男に操られているのか!?」
だから、祐樹にはそう思うことしかできなかった。
キャスターと呼ばれる、アーチャーと同じ存在であろう男に責任を求めた。
そうしないと、自分の過去が『再び』消えて無くなりそうだった────。
否。
────本当は、それも“現実逃避”の感覚だと、祐樹は理解している。
それでも。
「違うよ、祐樹。僕は僕の意志で君の命を狙っている」
友人の口から告げられた言葉とは────、
決して自ら肯定したくはなかった答えだった。
だが。それは確かに長浜将仁なのだ。
伊達祐樹が、それを見間違えるはずもない。
「伯父さんと伯母さんには、ちゃんと挨拶をしたんだよね? 祐樹────」
そして、それを証明するかのように。
将仁は、数日前の出発の時と同じ言葉を祐樹に問いかけていた。