Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】   作:世木維生

14 / 51
Re:13

 群生するオフィスビルの中に在って、ぽつりと孤立している雑居ビル。

 その前へと差しかかると、園埜潤はブレーキを掛けることなく運転した濃緑の車体から飛び降りた。

 ドライバーを失った原付き二輪車はただ慣性に従って、ガリガリという耳に障る嫌な音と共に、そのカウルに幾筋もの擦り傷を刻んでいきながらアスファルトの路面をくるくると転がり滑る。

 そうして、内部テナント用に隣接して設置されていたゴミ保管場へと派手な音を立てて流れ込むと、どこかの誰かの愛車なのであろうそれは、山積みになったゴミ袋の中に埋もれて隠れてしまった。

 ポリエチレン製の袋など、その耐久性はたかが知れている。保管場に据え付けられた鳥避けネットをあっさりと抜ける程の車体の勢いに、破かれ裂かれたものも当然のように在っただろう。

 自分の蒔いた種ながらも辺りには生ゴミ特有の鼻を突く異臭が立ち込め、それが少年の気分をますます害するのだった。

「あー、クソっ! 何なんだよ!」

 そんな哀れな扱いを受けたスクーターを運転していた少年は、緩めのウェーブのかかった茶髪を掻き上げて、これ以上の行き先を失った怒気を吐く。

 盗んだ原付きバイクに八つ当たりをしたところで、潤の感情が完全に晴れるわけもなかったのだ。

 耳に聞こえたサイレン。

 慌て、咄嗟に路地裏に身を潜めるも、どうやらそれは彼を追跡していたパトカーとは違う車両のようだった。

 その行き先とは都心部方面──繁華街の方だろうか?

 あっという間に遠退いて行った音源の向かう先。それをそう認識すると、少年は再びその身を月の下へと晒すのだった。

「紛らわしいんだよ!」

 ふてぶてしく喚くと、潤は舌打ちして改めて周りを見渡す。

 並んだ街灯に照らされた灰色の街並み。

 どこにでもある風景のようで、違和感のある景色──無音の街。

 今夜も。そこはこの街の管理魔術師の跡取り息子が良く知る通り、無人といって過言ではない静けさの中にあった。

 

 

 

 機動性に優れる騎兵のサーヴァントから少しでも有利に逃走するために、潤が選んだ移動手段とはスポーツタイプのスクーターだった。

 それは緊急時に配慮して計画的に彼が準備していたものであったとか、決してそういう類のものではない。

 偶然に、雑木林最寄のコンビニに無用心にもキーが挿されたままで駐車されていたもの。それを潤が無断で拝借させてもらったただけなのである。

 そして、本来。彼はそれに跨ると、人手の多い繁華街方面へと移動するつもりでいたのだった。

 

 魔術師たちが独占せんがために。

 魔術とは隠匿されるべきもの。

 

 交戦していたライダーのマスターであるオーウェン家の魔術師。

 名門と謳われるその一族の人間ならば、そういう人目に付く場所での戦闘を絶対に避けるであろうと園埜は睨んだのである。

 安全地帯を求めた結果。だが、今の彼が居る場所とは、それとは真反対の危険地区。人気(ひとけ)が皆無というほどに存在しないオフィスビルの並んだ区画だった。

 ヘルメット非着用での公道走行。その一目でそれと判る違法状態で、かつ誰の目にも明らかなほどの法定最高速度超過違反を犯していたのだ。

 少年の逃走劇は、巡回している警察車輌に道路交通法違反で取り締まってくれと言わんばかりのものだったのである。

 時計塔の魔術師。その魔術師に従う騎兵のサーヴァント。それだけではなく、警察からも逃げる破目に陥った潤は、対処方法──追跡して来る警官を最悪、口封じのために()してしまうことをも視野に入れて、やむなくこの場所へと進路を変えたのだった。

 

 

 夏川の陸の玄関である、夏川駅。それは唯一と言っていい、他都市と夏川を結ぶ”陸”の公用窓口である。

 その夏川駅から、このオフィス街へと移動するには市営バスに乗り換える必要があった。

 このオフィス区画の外れ、繁華街に面する地点にそびえ建つランドマークタワー──ロイヤルクリサンセマムホテル。その界隈であれ、徒歩では駅から三十分近くも歩かなくてはならないのだ。

 

 ────故に夏川市のオフィス街は”陸の孤島”とさえ揶揄される。

 

 この界隈は元々、利用価値の極めて薄い土地だったのだ。

 交通の便も悪く、土壌も細く農地には適さなかった一帯は先住者も少なく、他区画と比較して住宅地等としての開発も圧倒的に遅れていたのだった。

 

 市が発展を遂げるために大々的に行った、二つの誘致活動の内の一つ。

 

 それがそんな土地を有効的に利用するべく、この場所にて実施された企業誘致だった。

 市は同区画に於いての法人税を数年間大幅な減税あるいは免除する条例を可決し、大小様々な企業・団体の誘引を行ったのである。 

 そこに通勤する人口が増加すれば、赤字ながらも同区画を公共性の為だけに行路に組み込まざるを得なかった市バスも増収が見込める。

 打ち出された政策は、一石二鳥の施策。そして、そのような夏川市の思惑に乗った法人とは、某大手企業数十社を中心に同市の想定した数字を大きく上回るまでに存在したのだった。

 

 ここが不毛な土地だった頃に幼稚園へ通っていた潤が、高校卒業を迎える年に至り。

 この場所は立派なオフィス街として開発・発展されていたのである。

 

 かつては採算の全くとれなかった駅とビジネス街を結ぶ運行路も、単純に黒字路線というレベルを超え、近年では市営バスの運営基盤にまで成長していた。

 それは利用客の増加に合わせ、通勤退勤時間帯の運行本数の増便を繰り返し行い、そして、そのニーズに応え、早朝帯や深夜帯での運行時間延長も含めたダイヤ改正を実施してきた成果でもある。

 しかし、所詮は公営での運営である。

 それでも民間のバス会社の運営する路線と比較すると、その始発便の出は遅く、そして最終便が発車する時間も早かったのだった。

 

 また、昨今の不景気も手伝って、終夜残業を行う者などオフィスには皆無である。

 

 故に。

 この時間ともなると、この区画一帯はほぼ無人と化しているのだ。

 

 

「──僕を追う以外にもっとヤルべきことがあるだろうが、公僕!

 ──クソっ! ツイてない!」

 己の薄幸を潤は嘆くも、実際、断じてそうではない。

 むしろ今夜の彼は、幸運の女神を味方に付けていたとさえ言える。

 

 契約したサーヴァントであるランサーを置いて、撤退を選択したという潤の行動。

 それは彼と敵対したロミウス・ウィンストン・オーウェンが小馬鹿にしたように、浅はかな行動だと侮蔑されても仕方のないことだったと言えた。

 

 例えば。その近隣に状況を静観していた、または異変に気付いて接近しつつあった他のマスターやサーヴァントがいたのだとしたら。

 或いは。物理的であれ、魔術的であれ、遠距離から標的を狙撃することのできるマスターやサーヴァントが隙を窺っていたのだとしたら。

 

 全ての敵対勢力の能力・状況を把握できてはいない戦況にあるのならば、勝利するためではなく、単に生き残ることだけを目的とするにしても、あらゆる可能性を示唆して、その魔術師は行動を起こすべきだったのである。

 ランサーが視覚的にも外界に大きな変化を生み出す対軍宝具を解放したがために、その場所へと注意が向けられる可能性は高まったはずであり、その点も考慮すると、そうすべき意味合いは数段増していたと考えられるのだ。

 

 だが、それら一切を考慮することなく、潤は無策にも関わらず逃走を実行に移した。

 そして、実際にその2つの可能性に直面しながら──戦闘の場へと向かって来ていた最優のサーヴァントであるセイバーと、そのマスターと遭遇することなく雑木林を抜け、遠方にて監視していたキャスターの目からも偶然に逃げ遂せることができたのである。

 

 それらは知らぬこととは言えど、それでもおめおめと戦闘からの撤退に成功し、自身は全くの無傷で令呪の一画さえも失っていないのだ。

「大体、何だよ! ランサーの役立たずッぷりはさ! さも武神だとか、最強クラスの戦闘能力だとか、ずい分な自信を持ってたわりに! あんな幼女サーヴァントと互角って! 無能にもほどがあるだろ! 全部アイツのせいだ!」

 現状を不運と嘆くのならば、潤にとっての幸運とは一体如何ほどのものなのだろうか?

「こんなことなら、やっぱり屋敷に籠っ──!?」

 不意に。

 一区画先に異変を感じ、潤は息を呑んだ。

「……何だってんだよ?」

 マズルフラッシュに似た閃光。そして、微かに聞こえる刃音。

 続く破砕音。響く爆音。

 それが何であるのか。

 その答えを聖杯戦争の参加者である魔術師は、容易に導き出していた。

「──サーヴァント同士の戦闘!?」

 そしてランサーのマスターは、薄っすらとほくそ笑む。

 

 

 漁夫の利を狙う好機。

 それをそう判断した園埜の跡取りは、今日初めて、自分が幸運にめぐり合えたのだと実感していた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

「ふん──逃げ足だけは一流だな」

 消え失せた天翔ける牛車の方へと向けて、セイバーは然もつまらなそうに零した。

 或るべき静けさ。

 それを取り戻したはずの辺りは、しかし、英霊たちの熾烈な戦いの傷痕が深く刻み込まれている。

 雑木林に取り残された廃墟。そうであったはずの一帯は、見る影も亡く変わり果てているのだ。

 木々の枝葉の失せた上空は、既に月の光を遮ることもない。

 ぽっかりと生まれていた土壌のむき出しになった大地が、柔らかい天から射した光に照らされていた。

 その場に残されていたのは、顔の酷似した少年少女だけである。

「さて、女。随分と無様に敵の後手に回っていたようだが──」

「────!? ランサーは!?」

 宝剣を納めつつ発しようとしたセイバーの蔑みを遮るかのように、少女は慌てて辺りを見渡した。

 月空へと飛翔した絢爛豪華な唐車を駆ったサーヴァント。

 そして、暴風を生み出したであろう巨大な鉾を操ったサーヴァント。

 彼女たちは、その二騎と覇を争ったのだ。

 そこに未だ残っているであろう敵──ランサーに対して有栖川宮里子は身構え、警戒を強める。

「何を喚くかと思えば……」

 そんなマスターにサーヴァントは呆れを呟いた。

「────それ。彼奴(きゃつ)なら疾うに尻尾を撒いて遁走したわ。オレ様に恐れをなしてな」

 ライダーの消えた方向とは真逆に当たる方角。そして、そちらを顎と視線で指し示し、セイバーは侮蔑の笑みを浮かべる。

 

 林を越えた先。

 夜にそびえる巨大な建造物。

 そこには歪に上部を変えた、超高層ビルの姿が在る。

 

「────! あれは!?」

 自らのサーヴァントの視線を追った里子は、そのビルの変わり果てたシルエットに絶句した。

 この街に暮らす者が、それを見間違えるはずもない。

 そのビルは街の発展の象徴として、良くも悪くも見慣れた建造物なのだ。

「──あれがクリサンセマム!?」

 ロイヤルクリサンセマムホテル。

 高さ200m余り。地下五階・地上三十五階の超高層ビル。

 その変形した摩天楼を目撃し、里子は先に感じた感覚を思い出していた。

 ライダーが去る間際、あの時の禍々しい魔力の流れとは。

 それは恐らく、その高層建造物の変化と関与していたのだ。

 

「セイバー! 私を連れて、あの場所へ急行して下さい!」

 

 その被害を予測するのもおぞましい行為が、誰の手に因って為されたものなのか?

 里子には、その答えが直感で理解できていた。

 一家惨殺。それとて十分に残虐な行為に違いない。

 しかし、それは別の誰かが行った行為であると容易に識別できる。

 彼女にとっての本当の敵は、そんな小さい行動を継続して起こすような人物ではないのだ。

 そう。

 行動を起こすのならば、彼の抱く愚かな理想を達するためにも、大きく、大胆に動くはずなのである。

 

 ────その人物と対峙し、打倒することが、彼女と彼女がセイバーを召喚することを願った者たちの一番の目的と言っても過言ではないのだ。

 

 そこに、彼はいる。

 

 そう思わせたものは少女の直感に過ぎない。しかし、絶対的な確信も少女は抱いていた。

 

 

「ふん────」

 

 己がマスターから真剣な眼差しを向けられ、セイバーは腕を組み、驕りを隠そうともせずに踏ん反り返った。

 

「────断る」

 

 そして、間髪入れることなく、そう言い放つ。

 尊大な態度を崩す素振りなく、古代の英雄は少女を只、見下す。

「──なっ!? 何故です!? あそこには間違いなく朝敵がいるのです!」

 一見、臍を曲げた少年のようにしか見えない自身のサーヴァント。

 セイバーの予想外の反応に、その姿に。里子は一瞬、言葉を失うも、すぐに声を荒らげた。

「ほう。アレに見える楼閣には朝敵が居ると?」

「そうです! あそこにいるのは、この国を乱そうとする排すべき相手です!」

「成る程────」

 クリサンセマムホテルへと再度視線を送ったセイバーに、里子は安堵の表情を浮かべた。

 朝敵。この国の平安を乱す敵。

 その言葉に、この英雄は確かな反応を見せたのだ。

 感じていた不安────それが杞憂に過ぎなかったのだと、この英雄は少し天邪鬼なところがあるだけなのだと、信頼の置ける望みを共有できるサーヴァントなのだと、少女は重い荷が一つ下りたことを感じていた。

「急ぎましょう、セイバー!」

 緊迫した中にも晴れやかな感情を見せて里子が急く。

「女。オマエが可及的速やかに件の楼閣に移動したいという旨、確かに理解した。朝敵とは、これはまた一大事だな────」

 そんな自身のマスターを前にセイバーは対照的に至って平静で、悠々と尊大な口調を崩さずに告げる。

 

「────だが、断る」

 

「──な!? 何故です!? 貴方は朝敵を討つ英雄でしょう!?」

 静寂に響く少女の悲鳴にも似た声。

 冷徹に。

 殺気さえを込め。

「……英雄、だと?

 ────女。貴様にオレ様の何が理解(わか)る?」

 その言葉にセイバーは応える。

 少女の怒りには微塵にも動じずも、衣褌(きぬはかま)姿の英霊は、その言葉が癪に障ったようだった。

「──なっ……何故です!? セイバー?」

 そのセイバーの放った威烈に、少女は慄いた。それを悟られまいと、瞬間、サーヴァントのマスターとしての自覚で取り繕う。絞り出した言葉に、しかし、先程までの勢いはない。

「……下らんからだ」

 やや間を置き、怒気を緩め、セイバーはつまらなさげに口を開いた。

「くだらないですって!?」

 素っ気なく吐き棄てられた、セイバーの答え。

 

 表向きがそうであっても、その内面は違うと信じていたもの────。

 つい先ほど消し去ったはずの杞憂が、より重い事実として圧し掛かる────。

 

 その答えに、里子の中の、彼の英雄像が音を立てて完全に完膚なきまでに崩れ去った。

 

 ────日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

 その名は、その武勇を嘆賞し名付けられたもの。

 複数の英雄を具現化した存在ともされる英雄の中の英雄。

 日本という国に於いて、英雄という言葉が最も相応しい存在。

 生涯を賭して国の平定に身を捧げ、志半ばに倒れるも、国家の安泰の基礎を築いた誉れ高き皇子。

 

 

 木枯らしのような冷たい季節外れの風が、戦地だった場所を抜けた。

 枝葉を揺らす音が、虚しく響く。

 

「興醒めだ。あのような小物共との戯事に、一夜にこれ以上付き合えぬ。

 それにオレ様はオレ様の好きに振舞わせてもらう。例え何人のものであれど、最早、誰の指図も受けはせん」

 

 しかし、目の前の英霊は、そのような崇高な想いを抱いた英雄ではなかった。

 それ在り様は”反英雄”のようでさえもある──。

 彼女の目の前にある者は、我の強い無法者のようでしかないのだ。

「──だったら、何故……何故、先ほどはライダーとランサーと戦ったのですか!?」

 いつか。自分が運命を共にすることになる英霊。

 幼い頃から想像していた、理想の英雄。 

 まだ。

 そういう想いに少女は縋り、望みを託すように問いかけてみる。

 

「────戯事。単に余興であると言ったはずだが? 単に持て余した暇を潰したに過ぎん」

 

 しかし、返されたのは絶望にも似た不遜な返答。

 聖杯戦争を終結させるため──街に、民に、早期に平安をもたらすための戦闘介入などという、里子の理想とは明らかに異なる回答。

「よ、余興!? ──貴方はそれを本心で!?」

「ふん。だとしたらどうした?」

 セイバーは少女の想いを完全に砕き尽くすかのように鼻で笑い、告げた。

「──! 貴方を見損ないました、セイバー!」

 感情を包み隠さず露わにすると、少女はその左手をサーヴァントへと突き出す。

「……女。何をするつもりだ?」

 己がマスターをきつく睨み付け、セイバーは低く呟く。

「だったら、強制的に貴方を従わせるまでです──」

 暗い、底の見えない闇。

「────女。オレ様に殺されたくなくば、行動をわきまえよ」

 そこから響いてきたかのような呪言とさえ感じられる声を前に、だが、里子は気丈に意志を貫く。

 

 畏れも恐れもそこにはない。

 

 抱いた理想のために。

 そんなものを感じる余裕など、もはや少女にはない。

 

「────有栖川宮里子の名の許に、令呪を以って命じます!」

 

 月の下。

 英霊の制止を聞かず、彼女は告げる。

 聖杯からの援護を受け、強大なる存在であるサーヴァントを己が意志に従わせるために──。

 

「────セイバー! 私と共に、急ぎ彼の場所へと赴きなさい!」 

 

 令呪の一つと引き換えに。

 里子は英霊に、その戦場へと急行させることを強制させた。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。