Fate/無明長夜【日本の英霊限定・オリジナル聖杯戦争】 作:世木維生
「────
切っ先両刃造りの細身の刺剣。アーチャーによる真名の宣告に、その真なる能力を開放された宝具────
それは蛇腹剣に変化して伸長すると、刀身から発された禍々しい魔力と融合して、黒蛇を成す。
その宝具は、水神として崇め奉られる蛇神──
大地を穿ち、破砕し、濁流に総てを呑み込み、喰い散らかす蛇神。
──その破壊の力を象徴化させた魔剣だった。
魔剣は標的を狙い空間を駆ける。その軌跡を形容するのならば”一筋の黒い稲妻”。
歪に蛇行し、しかし、長距離を無いものにし閃く間に致命の一撃を与えるものとして一点へと達する。
たかが細身の刺剣程度の細さでありながら。そこに集約された魔力は、そして、その一撃に宿っていた力量とは絶対的と呼べるに等しいものだった。
迫り来る巨大な炎蛇と、その矮小ながら凶悪な力を宿した黒蛇とが、真正面から激突する────。
極、小面積でありながら、強大な魔力と強大な魔力の衝突は大気を激しく振動させた。
一斉に。ビル間に響き渡る破砕音。
それに因り生じた衝撃波は周囲のビルの壁面を強烈に叩き付けると、月影を反射して輝く硝子の豪雨を地表へと降らせる。
宝具同士の激突は外界に甚大な傷跡を残す。
しかし、その影響の大きさとは裏腹に、次の瞬間には迎え撃った黒蛇が迫り来る炎蛇に易々と呑み込まれていた。
圧倒的なサイズの違いは、無慈悲にも、斯くも単純に予想されるであろう明快な結末の1つを導き出すに至る。
────だが、それは表向きの、未だ終えてはいない闘争の局面にしか過ぎなかった。
総てを灰燼に帰す宝具として解放された騰蛇を前にして、顕妙連は確かに蛇腹剣に変じたままでアーチャーの手元から今だ伸びていて、魔力を帯びてどす黒く発光する刀身を維持し続けているではないか────。
それは易々と”呑まれた”わけではない。
それは易々と”貫通”して見せたのだ。
騰蛇というキャスターの宝具を──業火を纏った有翼の大蛇を内部から喰らい穿ちながら、魔剣はアーチャーがその眼で捉えた一点へと突き進んでいた────。
弓兵のサーヴァントの手に握られた柄から伸びた禍々しい蛇の宝具は、終に炎蛇を喰い破る。
標的を突き破った黒蛇の、その先端部にさも噛まれたものよう在るのは一枚の紙切れ──人の形をした紙片。
それは騰蛇という存在を魔術師の英霊が現界させるに当たり『
魔力を肢体に循環させる中心機関を奪われ、喰らい潰され、失い────。
夜の街を自由落下するアーチャーと祐樹を眼前にして、それを呑み込まんと大口を開けていたキャスターの宝具は、瞬く間に膨大な量の火の粉となり散乱した────。
らんらんとしたアーチャーの瞳に映っていた景色とは。
彼女の確信していたという無様なものとは程遠い、幻想的に夜を美しく飾った騰蛇の末路だった。
◇
「──大丈夫ですか? マスター」
「……アーチャー?」
耳に聞こえた、やさしく澄んだ声。
祐樹の見た、すぐ横にいた『彼女』の顔は、間違いなく出会った時の穏やかな『彼女』のものだった。
拡散して無に消えて逝く、赤い光の雨の中。
気がつけば祐樹はアーチャーに寄り添われ、ふわりと浮遊しながら夜を舞い降りていた。
「……これ? どうなって──!」
しかし、その眼下には何の仕掛けも無く。そして確かに、その頭上にも2人を吊り支えるものは存在しなかったのである。
不可解な現象を目の当たりにして、少年は唖然とした。
「飛行の魔術です──もっとも、アーチャーとして現界した私では、魔術行使能力の大半が制限されています。ですから、御覧のように二人では浮遊する程度の能力しかありませんが……」
それを何事でもないようにアーチャーは応えた。だが、それで祐樹が納得できるはずもない。
「飛行? 浮遊? ──って魔術だって?」
「……? マスター? どうかなさいましたか?」
何が少年を驚かせたのか。しかし、それが実際に魔術を行使しているアーチャーには理解しようもなかった。
彼女にとっての魔術とは、存在して然るべきものなのである。
「魔術? ……それって、魔法ってことだよな? 何だよ、それ? そんなものが現実に存在するワケがないじゃないか!?」
だがそれは少年の言うように、一般社会に生きる人間にとっては否定された迷信の力に過ぎない。
事実として存在するものであれど、協会に秘匿されている知識と技術を彼らが知る得るはずもないのだ。
魔術。そして、魔法。
魔術に携わる者に言わせれば、その二つの力には非常に大きな、絶対的な歴たる違いがあり、全くの別物である。
だが、少年にとっては同じものでしかない。そのどちらもが『架空のもの』でしかなかったのだ。
「お言葉ですが、マスター。貴方は今、確かに私の行使した魔術の影響下にあります」
しかし、その言葉を聞いたアーチャーは子供を諭す母親のように穏やかに告げた。
彼女の言うように、二人が浮遊しているという現実は、確かに魔術に因ってもたらされた事象なのである。
「それに貴方は、その魔術の行使者“魔術師”に他なりません」
マスターを現界の為の依り代としているサーヴァント。そして、そのサーヴァントである彼女には、それが当然、解っていた。
彼と自身の間には、確実に
一流の魔術師と比較すれば、それは脆弱なものだと言えるだろう。だが現在。その経路を解して祐樹の魔力が自身には流れ込み、宝具の使用により消費された魔力がアーチャーの体内で補填され始めているのである。
故に、その少年が魔術回路を持つ者──魔術師であるということを、彼女は間違いようもないのだ。
「俺が魔術師だって? 何の冗談だよ!?」
それでも、本人がそれを自覚できない以上、その事実を祐樹が理解できるはずもない。
移管された魔力は疲労として自覚もできようが、実際のところ、彼はそれをこれまでの騒動とそれに対処した行動によるものとしてしか捉えてはいないのである。
地面に足が着くと彼女の言葉も、それまでの出来事も、その全部が虚構であったかのように少年には思えた。
外灯に照らされた灰色の街が眼前には広がる。
全くの無人の街と化していたその場所は、人の溢れかえる昼間とは大きなギャップが存在している。
それもまた、祐樹に非日常感を強く印象付けるのだ。
じゃりっとした異音と、ソールを解して感じることの出来た凹凸。
足元。少年に愛用されている有名メーカーのトレーニングシューズが踏み砕いた、辺り一面に散り敷き詰められたガラス片。
だがそれが、今夜起こった全ての出来事が、やはり現実だったのだということを祐樹に知らしめていた。
「ですが──」
「────ごめん。今はいいよ。その話題は別にどうでもいいことでしかないから」
反論しようとしたアーチャーの言葉を遮ると、祐樹は先ほどまで居たはずの場所を見上げる。
オフィス街。その区画のみならず、夏川という都市のランドマークタワーであっただろう最高層ビル。しかし、祐樹の視界に存在したその建造物には、そのような誇らしい、つい数十分前までの面影など一切存在してはいない。
壁面には融解させられて生じた一本の巨大な溝が中層部分辺りまで深々と刻み込まれ、溝の途切れた周辺階層では、一面に張られていたであろう窓ガラスが唯の一枚も残されることなく破損され尽くされている。
特に屋上・最上階付近の状態は、悲惨なものだった。
まるでそこだけが絨毯爆撃でも受けたかのように完膚なきまでに溶解、崩落し、全くと言っていいほど原型を留めてはいないのだ。
「……どうでもいいこと、でしょうか?」
「──ああ。そんなあるかないかの水掛け論を始めるよりも、今はアイツを──将仁と、あのキャスターとか言う、いけ好かない男を止めることの方が先だ」
遠くからパトカーだか、救急車だか、消防車だか──おそらくは、それら全ての緊急車両のサイレンの音が聞こえていた。
アーチャーという出会ったばかりの少女が、自身の意見を塞いだ、その否定的な発言をどういう意味で捉えようとも──。
言い放った言葉通りに、今はそのような話題に裂く時間が自分にはないということを少年は認識していた。
親友がこれ以上、罪を重ねないように。
そのためにできること全てを行う責任を、義務を、祐樹は感じているのだ────。
「……確かに。キャスターが彼の大陰陽師であろう以上、彼らに魔力の備蓄を許す
しかし、そんな少年の杞憂を他所にアーチャーは彼女なりの解釈を行うと、自らの意見を遮った言葉に深く頷いて見せた。
「了承いたしました。急ぎましょう、マスター」
そして、祐樹の意を汲み早速行動へと移そうとする。
「……ありがとう。でも、本当にありがたいけど、これ以上、将仁のことでアーチャーを危険にさらすワケにはいかないよ。あんなワケの解らない物騒な連中に、アーチャーみたいな綺麗な女の子が関わるべきじゃないしね……」
親身になって心配をしてくれた彼女の厚意であると、少年には判断された申し出。だが、それに対して祐樹は迷うことなく謝絶してみせる。
状況を考えれば、それが如何に厳しい選択であるのかを少年は十分に理解していた。
その美しい少女は、比べるどころか圧倒的なまでに自身などより遥かに戦力としては優秀であることも十二分に認識している。
しかし、だからと言って、アーチャーの気持ちに甘えることは少年にとって許されることではなかった。例え、自分の死に直結する事態であったのだとしても。これは祐樹にとって、自身と親友の問題であり、他の誰かを危険に巻き込むことなど考えられもしないのだ。
「もう一度、改めてお礼を言わせて欲しい。ありがとう、アーチャー。助けてくれて本当に助かったよ。でも、後は何とか独りでやってみるからさ、心配しないで」
祐樹は屈託のない笑顔で礼を告げる。
そして、少年は彼女に背を向けて歩き出すと、宣言した決意を新たにするように未だその手に在った白球を強く握り締めた。
その迷いのない、やさしい想いを。
その逆境に在りながら、揺るぎない強い意志を。
アーチャーは確かに受け止めていた。
それは自らに流れ来る、少年の魔力もが教えているようだった。
温かく、力強く響い鼓動を少女は覚えた。
それは単なる錯覚だったのかも知れない。しかし、その体内に流れ来る少年の魔力から、アーチャーは確かにそう感じていた。
「……何を言うのですか? マスター。
言ったはずです。私は貴方と共にあると。これは貴方だけの問題ではありません。すでに私の問題でもあるのです」
本心のままに告げられた少年の言葉。それに返された彼女の言葉は、柔らかな物腰とは裏腹の少年と等しく強い意志を感じさせるものだった。
「──え!? いや、ありがたいけど、でも────」
背中から掛けられた声に、少年は慌てて振り返る。
「そのために私は貴方の傍らに在るのです」
放置すればそれこそ問答無用で追行されるようで、それだけは避けたかった祐樹の背後には、真っ直ぐと祐樹の目を捉えるアーチャーの曇りない宝珠のような黒い瞳があった。
「──それに私は、貴方のような魔術師に仕えることができることを誇りに思います。マスター」
それは偽りのない彼女の本心。
その少年の人を想う心に、彼女は面影を見たのだから──。
「……あ、あのさ、アーチャー。俺は魔術師じゃないし、単なる野球少年だし……それに、その、マスター、って言うの、止めてくれないかな?」
僅かな沈黙を破り、そう口にすると、祐樹はアーチャーから顔を逸らした。
そして、如何にもばつが悪るそうな、照れくさそうな表情をそこに浮かべた。
「……では、私は貴方を何とお呼びすれば良いのですか?」
「──祐樹。祐樹でいいよ。俺、伊達祐樹って言うんだ」
「祐樹、ですね。かしこまりました──」
再び祐樹は視線をアーチャーへと向けた。
ビル間を抜ける月の光の下。
そこにはそう言って微笑んだ、今までで一番に綺麗だと感じられたアーチャーの姿が在った。
◇
「旗色が悪い? キャスター」
「そうでもありませんよ……確かに騰蛇を無効化されたことは予想外でしたが……。まあ、想定外ということではありませんし──」
泰山府君を奉った祭祀をキャスターが行った場所。
伊達祐樹という少年にアーチャーが召喚された場所。
その舞台の残骸から、二人の魔術師は下界を見下ろしていた。
「水気、火気を克する。即ちは
問われた言葉に、思うがままに答える。
「まあ、尤も。それを計算した上で、彼女は先に天后を排除したのでしょうが──」
そのキャスターを中心とした、直径5メートルほどの円。
そこだけが変わりなく、今も屋上だった場所の名残を残していた。
「──賢い敵だね。アーチャーは」
「──そうかも知れませんね」
淡々と冷静に。少年も、青年も、それを何処か他人事のように達観したような口振りで語る。
「キャスター。アーチャーが何者か解る?」
「ええ、おそらくは。琵琶湖の蛇神より生まれ出でた宝剣『顕妙連』。その担い手といえば、鈴鹿山の鬼女としか考えられませんね」
アーチャーと、そのマスター。
その敵が降りた場所を二人の魔術師は把握していた。
「鬼女? ……天女かもしれないよ?」
「或いは、その両方でしょうね──」
その地点へと視線を向けて。意味深に微笑んだ少年に、扇で顔を半分覆いながらも、薄っすらと笑ったことを隠さずにキャスターは返す。
「……時に将仁。貴方はあの少年に、泰山府君の祭祀が中断させられることを確信していたのではありませんか?」
そして、続いた言葉に将仁は口元を緩めた。
そういう佇まいは長浜将仁の抱いていた、彼のイメージそのものだったのである。
全てを見透かした様な。ある意味、人を自然体で蔑む様な。
その様な在り方とは、如何にも彼らしい姿だと将仁は思うのだ。
否。或いは本当に。彼はこの世の全てを、現世に在っても見透かしているのかも知れない。
例えば、この聖杯戦争に参戦している自身を除いた六騎の英霊の真名。
ともすれば、その争いの展開から結末に至るまで────。
しかし、流石に
もしも。
本当にそうだとするのならば、彼が自身の命に従うことはないはずなのだから────。
────あと一本。
それを手に入れることが当面の本当の目的────。
精神的な意味でアーチャーのマスターを消す必要が将仁にあるのだとすれば、その目的の為に消すべきは────。
「────どうだろうね」
「貴方も人が悪い」
「キャスターほどじゃないよ」
「どうでしょうね」
視線を交じ合わせて、二人の魔術師は薄く笑む。
「さて……如何致しましょう? 将仁」
「ここでアーチャーの聖杯戦争を終わらせよう。キャスター」
訊ねたサーヴァントに応えると共に、ポケットに手を入れたまま、散歩にでも出るように気軽に将仁は闇へと足を踏み出した。
不意に少年の身体には強烈な重力が課せられる。
それは暗闇の最中に、将仁を引き摺り込む力のようにも思われた。
しかし、その力に身を委ねるだけで、少年の表情は変わらない。将仁は唯、冷たく眼下を見据えているだけだ。
遥か上空から獲物を狙う猛禽かのように。将仁に続き、彼のサーヴァントも夜闇へと身を躍らせる。
中世の偉大なる魔術師を従えた現代の魔術師は、自身の日常を断ち切るべく追撃を開始していた。