深淵の異端者   作:Jastice

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第28話 天狗の鼻? 折るより潰した方(物理)が相手にとっても良いだろう

「そうか、やっぱり行くのか…」

「悪いな、お前の提案に応えるにはまだ準備が足りないんでな」

 

 自宅もねぇ、金もねぇ、職もねぇ、食い物もねぇ――。

 どこぞやの青年が東京へ上京する憧景を秘めた俺の故郷で昔流行った初なラップ曲みたいな状況を説明した所、ピオニーの屋敷で医師見習いとして雇ってもらう事が決まった。

 見習い――とは言っても、レイシス先生の望みであれこれと俺の外科知識を教授したり、俺からはレイシス先生に音素学から基づいたオールドラント独特の医学を教わったりと対等な立場で互いを切磋琢磨していった。

 俺みたいな二十歳にも満たない男がどこでこんな高度な医学を学んだのか終始疑問を抱かれ続けたが、そこはフェレス島での事情や何とかで誤魔化して俺の正体を明かすヘマはせずに済んだよ。

 

 あと、ピオニーの脱出における抑止力として駆り出される事もあったな。

 息抜きは人間にとって必要な物だが、大事な物事までもほっぽり出されてはこっちもたまったもんじゃない。

 故にとっ捕まえた後はスプタ・クルマアサナ――ヨガでいう眠る亀のポーズで全身を拘束してから引き摺って屋敷に連れ戻すという日が何度かあったな。

 

「進化する! このままだと人類の先に俺は進化しちまうッ!」

「馬鹿言ってねぇでとっとと戻るぞ、この馬鹿皇子が」

 

 敬意? んなの知るか。

 預言で皇帝になるとされていても、飽くまで今は立場の低い落ち目な皇族だ。

 それに、屋敷では気軽に接してくれって本人たってのお願いをされているし。

 

 ――お願いとあっちゃしかたないなー心苦しいけどこういう扱いもしょうがないなー。

 

 元々、使用人達もこいつの屋敷におけるふるまいには手を焼いていたくらいだったし。

 本当に脱走だけは得意なんだよな…現に何度か俺も本気で見失う事もあった。

 抜け穴は本人の強い意志で完全には閉じず、簡単には通れないようにと鍵付き扉をかけたんだが、いつの間にか解除出来るようになっている。

 故に罠を追加したりもしたんだが、初めは効果的でも次第にピオニーは引っかかった試しがなくなったな。

 そん時は最終手段としてネフリーを縄で吊るして焚火の上に設置するという人質作戦を決行しようとしたが、決行寸前で泣きながら茂みから出て来たんで未遂に済んだんだっけ。

 

 あ、しばらくして知ったんだが、ネフリーという名前はあいつの飼うブウサギ固有の名前じゃないそうだ。

 何と、ピオニーが内緒で付き合っている少女の名前もネフリー。

 あの野郎、自分の気に入った人間と同じ名前をブウサギに付けてるんだぜ?

 ちょっと引くわーありえないわー。

 よく認めてくれたもんだよ、人間の方のネフリーさん。

 まぁ、そのお蔭で仲慎ましいらしいし、俺がどうこう言うもんでもないか。

 

 しばらく屋敷での仕事が続いたある日、レイシス先生から首都近くに存在する国立医学院への入学を勧められた。

 実はオールドラントにおける医師開業資格の認定は医学院の卒業が条件だ。

 それで晴れて医者として名乗り上げられるのだが、大抵が高い入学金と授業料を払う事が出来る貴族や豪商といった子息・子女のみが通う事の出来る場所。

 例外で入学出来るのは名のある医師からの推薦状を持つ者、成績優秀者における特待生制度による者。

 俺の場合は前者で国立医学院の席を手に入れる事となったんだ。

 

 だからこそ、こうして俺とピオニーとレイシス先生はケテルブルク港で集った。

 出港の船は潮の香りが漂う潮風で帆をたなびかせていた。

 

「ありがとうございますレイシス先生。態々俺の為に推薦状なんか書いていただいて…」

「お礼はいいですよ。君には必ず医者になるべき人間であると私自身も実感したくらいですからね。あと、これから君が仮屋として使うであろう場所には私の同期でもある医師がいる。同伴した手紙を読ませれば彼も良く分かってくれる筈だ」

 

 俺の手には一通の封がされた手紙が握られていた。

 

「医学院に行っても手紙は送ってこいよ! 楽しみに待ってるからな!」

「じゃあ暇な時には書いておくよ」

「おいおい、そんな面倒くさそうに言うなよ!?」

 

 そこへ定期船の船員がやってくる。出港の合図だ。

 

「そろそろ出港の時間です。準備はお早めにお願いします」

「じゃあピオニー、レイシス先生、お元気で…」

 

 船に乗り込むべく振り返って足を進める。

 乗り終えるや船の斜路が上がり出した。

 

「頑張れよハイル! 俺も適当にやれる所だけは精一杯やっていくからな!」

「全体的に頑張らんか! せめてそうしろよアホ! あーもう逆に心配になってきちゃうじゃねぇか!」

 

 斜路が完全に閉まり、甲板の所にいる船員が出発の合図を下す。

 船に内蔵された譜業が唸りを上げて動き出して行く。

 港が次第に離れて行った。

 

「――またな、ピオニー」

 

 聞こえないだろうが、俺は遠くに映る手を未だに振るピオニーへと向けてそう言った。

 俺には確信がある。あいつは間違いなく王になる。

 預言とは関係ない。普段は大雑把でしょうもない奴だったが、人の上に立つ者として大事な物を持っている。

 人の痛みを人一倍知っているあいつならきっと名君として大成出来る存在だ。

 

 

「お前の行く末、楽しみにしているからな」

 

 

「あぁ、俺もお前を顎で使えるくらい凄い奴になってやるぜ。それまで覚悟してろよ」

 

 

 離れていく船を見つめながらピオニーがそんな事を呟いていたなどとは俺は露知らず。

 どちらの耳に入らぬ誓いの言葉。

 彼らは明確な目標に向かって今まさに走り始めたのであった。

 

 

 

 

 …てな感じで美談で全部終わる程人生って甘くないんだけどな!

 

 まず国立医学院に入ってからの印象はハッキリ言って一言――腐ってやがりました。

 貴族主義で凝り固まっていて、地位の大きさに沿って派閥が形成されていたりと余分なコミュニティが医学院での本分をおろそかにしている部分もあったからな。

 優秀な奴もいるにはいるが、俺から評価すればはっきし言って『頭でっかち』が多かった。

 オールドラントでの医術は薬学が主流だ。東洋医学に準ずる部分が占めているな。

 だから薬・病気の種類を多く覚えるのが基本で臨床的な知識が不足しがちだ。

 一応死体の腑分け――解剖を実施する講習もあったが、講師からの身体の構造における説明はまだまだ及第点といった所だ。

 だから親切心で全てを否定しない感じで明確な説明となるよう助言と指摘をしてみたんだが…講師の奴なんて言った思う?

 

「平民生徒が余計な口出しはするな。黙って私の講習を聞けるだけでもありがたいと思え」

 

 要約――平民風情が貴族に意見するなど百年早いわ!

 

 おい、てめえこそ医学嘗めてんじゃねえぞ。

 オールドラントにおける医学の歴史が俺の知る物にまだ至ってない事には目を瞑ろう。

 だが身分差で余計な壁を作るんじゃねえ! 有用な知識ならばどんな奴からも耳を傾ける気概さを見せるくらいしてみろ!

 俺間違った事言ってないんだぞ! むしろ医学の歴史が数十年進むような事言った筈だぞ!

 なのにここの講師連中は大抵がプライド高い奴等ばっかし。

 平民である俺が言う事は総じてゴミレベルの価値って感じで真面目に聞こうとするのがほとんどいない。

 俺我慢したよ? たとえ前世で医師として名を馳せたとしても、今は医学生の身として慎ましく活動していた。

 

 だけど一度ブチ切れ欠けた事が一つ。

 講習っていうのは基本予約制なんだけどさ、ある日、音素検査学で前から取っていた講習をいきなりキャンセルされるという事があった。

 原因がなんでかとこれまたふざけた事でな、どこぞやの伯爵子息が「受けさせろ」と後から割り込んで医学院側にとって問題のない人間をはじき出すという暴挙。

 そんな事が何度かあった結果、講師にいきなり呼び出された時の言葉がこちら。

 

「シュヴェール。お前は講習に率先して参加する気があるのか? 真面目にやる気がないならここから出ていきたまえ。我々はお前のような人間に教える時間を省く程暇ではないんでな」

 

 ――て め え ら の せ い だ ろ !!

 

 話が終わって部屋から出た後、帰ってきた仮屋で上級譜術をその講師の文句と一緒に海へ向かってぶっ放したっけ。

 あの時は本気でやばかった。仮屋で一緒に住むシュウ先生が慌てて駆け寄った時は誤魔化すのが大変だったっけ。

 

 

 けど、医学院との決別はようやく卒業間近の三年目に起こった。

 そこで講師のまとめ役である大講師――俺の言葉でいうなら教授が難病とされた患者の治療をしていたんだが、俺の見立てでは彼の治療では現状維持が精いっぱいで完治には至らない物だった。

 患者の病名は甲状腺機能亢進症――通称、バセドー病だった。

 こいつは名の通り甲状腺ホルモンが過剰に作られる病気だ。

 ちなみに甲状腺ホルモンは身体のエネルギー代謝を調節する重要なホルモンを言う。

 発症すると発汗が増加し、眼球の突出といった特有眼症状、全身倦怠感といった症例が出てくる。

 軽めならば大講師が行うような治療で済んでいたんだが、患者が患っていたのは重度のバセドー病だった。

 ここまでとなると、甲状腺を外科的に切除する方法が必要だった。

 だから大講師に治療法の進言をしたんだ。この場合で有効な手術となれば適正な量の甲状腺を残し、残りの甲状腺を切除するという亜全摘術。

 だが、大講師は認めなかった。俺の治療法に不安を感じるから…とかじゃない。

 あの男は医者の風上にも置けない事をよりにもよって俺の前で言い放った。

 

「今は学院長の椅子を狙う大事な時期なのだ。学院生の手を借りたとも話が広まれば役員共の印象が悪くなるというのが分からんのか。お前は余計な手出しをするんでないぞ!」

 

 こいつは患者の事など元からどうでも良いと考えていたんだ。

 ただ己の出世に必要な道筋として、治る見込みも持たずに治療を受け持ったんだと俺は知った。

 

 だから俺は強引に患者を説得して病室から連れ出し、信頼出来る場所で手術を行う事にしたんだ。

 亜全摘術の成功確率は30%と少ない。だが、元から治る見込みのない治療を悪戯に続けるよりかはマシだった。

 手術は何とか成功。今では元患者は元気な姿で生活を営んでいると聞いている。

 んでもって、大講師からは大目玉。

 もはやこのような場所にいる事自体、意味がないと悟った俺は退学覚悟で鼻を鳴らす大講師に向かって強烈な掌底を鼻っ面の高い顔面へとお見舞いした。

 こうして、退学通知が下される前に勝手に俺は医学院を出ていく事を決めた。

 

 こんな奴等に認められて医者を名乗れるようになるのが冗談じゃないと考えたからだった。

 

 医学院を出てってからは勝手に放浪医師として来る患者に治療を施していくようになった。

 早い話が闇医者だな。資格を持っていないのを内緒で治療をするもんだから、兵士にビクつきながら旅を続けたっけ。

 でも資格に関しては意外と解決した。実はな、掌底をお見舞いしたあの大講師が内密に俺の事を連れ戻そうと躍起になっていたんだ。

 その理由が、診断してから分かったんだが…どうやらあいつ、肝臓癌を患ったんでどうにもならないから俺に泣きついて来たんだ。

 だから手術する代わりに医師資格の発行を提示した。元より、医学院では卒業に必要な事は全て終えていた身だ。あとは卒業式を区切りに渡されている筈だったからな。

 いやはや、癌の摘出手術は治癒譜術というアドバンテージがあるお蔭で飛躍的に進歩していったと言っていい。

 摘出した後で治癒譜術で止血できるもんだから、再発防止にも一躍買ってるんだ。

 後は予後薬の服用と適度な生活習慣で生存率は上がるって事だな。

 

 それから色々な場所を旅しながら訪れ、やって来る患者を治療していった。

 2年次にて遍歴医として訪れた場所もあったが、自分の足で探す方が結構都合がいい。

 気づけばマルクトからキムラスカへと活動拠点を移すようになっていった。

 パスポートの発行とか色々やっかいだったが、カイツールで医療活動をしていた際、偶然にも医学院時代に仮屋でお世話になったシュウ先生と再会し、そのまま彼と一緒に仕事をするようになった。

 シュウ先生は俺より早く医学院を出てベルケンドにて診療所を立ち上げた人だ。

 そんな彼の勧めから俺は今、ベルケンドにて腰を下ろしている。

 

 

 ピオニーとの別れから5年後となる俺の大雑把な説明としてはこんなもんかな?

 

 

「…あいつも相変わらずだな」

 

 今や23歳となった俺の手には一通の手紙が握られていた。

 その内容はこんな物だ。

 

 

《よぉ!元気にしてるかハイル、俺も元気バリバリだぜ! 

 相変わらず屋敷の軟禁状態は続いているがな。

 この頃、家庭教師達が帝王学やら皇族の作法やらと嫌でも覚えさせようとしてくるのが嫌で仕方ねぇんだこれがまた!

 あ、そうそう…実は今回手紙書いたのはな、俺もとうとう正式にネフリーと恋人になったって話だ!

 どうだ羨ましいだろー♪。

 だけど俺の可愛くない陰険ジェイドがネチネチと嫌味言ってくるようになって関係がギクシャクしているけどな! 泣けるぜ…。

 まぁ、あいつも兄なりに妹を心配してるんだろうが、事もあろうに俺に対して「貴方がネフリーと付き合うなんてアホが移るだけです」なんて言いやがったんだぜ!?

 そこから揉めたんだが…ジェイドの野郎、サンダ―ブレード(手加減した)を俺にぶっ放しやがったんだぞ!?

 さすがの俺もこれには怒った。けどな…あいつの無言の笑顔でこれ以上喋れなくなったよ。

 恐えぇぇぇ! あいつ見ると昔のお前を思い出してくるぜ。

 ひょっとしてお前、もしかするとジェイドの親戚なんじゃないのか?

 近頃そう思えるようになって来て不安なんだが…。

 ――ってな感じだな、俺んところは。

 また何かあれば手紙寄こしてくれよな、じゃあな!

 

 ――フランツより》

     

           

 

「やれやれ、こいつを見る限り、今でも屋敷抜け出してるだろうな…」

 

 手紙は一応名を変えて送ってる様だ。そこらへんはしっかりしてるのにどうしてああ何だか…。

 

「ハイル君、ちょっと来てくれないか?」

「はい、何でしょうか?」

 

 突然の呼び出しに俺はすぐさま返事を返し、俺は椅子に掛けておいた白衣を纏う。

 先ほどの声の主は言わずもがな、俺が腰を下ろしたという診療所の院長を務めているシュウ先生だ。

 元音素研究員という異例の経歴を持つ人として医学院の中でも有名だったらしいが、今ではベルケンドにて慎ましく診療所の院長を務めている。

 俺は机に先ほどの手紙を置き、扉に向かって歩いていった。

 

 

 さて、ベルケンド診療所――開診といきますか。


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