会談室は殺伐とした雰囲気に満ちていた。
鋭く睨みつける敵意が四方八方と感じられるのだ。
俺は今、会談室に設置されている円卓の一つに座っている。
隣にはヴァンとファルミリアリカ様、向かい側にはライラックを含めたユリアシティの行政並びに管理補佐を任せられた人間が座り、頂点にテオドーロがどっしりと構えている構造だ。
議論の内容は『あれ』についてだ。
「…よろしい、ではこの件はシュヴェールが全て独断で行った物とし、よって処罰は――」
「…………」
「ここユリアシティでの市民権利を剥奪する物とす」
「どうして!? ハイルさんはリートを助けたのにッ!」
「やめなさいヴァンデスデルカ。これでも、軽く済んだ方なのですよ。それに、ハイルが全て責任を負うと自ら申告した以上、私にも…」
「責任って…預言に死を詠まれた人の命を助けた事? それのどこが悪いんだ! むしろすごい事だよ、ハイルさんは――ッ!」
「よせヴァン、これ以上はいい。俺が決めた事だ。庇ってくれるのは嬉しいが、こればかりはいけない」
「でも――ッ!?」
「ずっと前に言っただろう。世の中は正論だけを振りかざしているだけでまかり通る程そう簡単には出来てないって事を…これがその例って訳さ。良く見て覚えておけ」
「…………ッ!!」
ここに至るまでを説明するには時間を数時間遡るだろう。
手術が無事成功し、終わった所でテオドーロ市長がやって来た時の事だ。
「探したぞハイル、お前はなんと恐ろしい事をしでかしたのだ!」
「…こんな時に何の用ですか、テオドーロ市長」
何人かを引き連れてテオドーロ市長はこちらに真っ直ぐ向かって来ていた。
俺と顔が合うや、すぐさま普段は静かな顔立ちが怒りを露わにし、こちらを咎め始めた。
「ライラック、お前も解っていた筈だ。この男のした事の重大さを!」
「いえ…その……」
ライラックはテオドーロ市長の言葉を返す事が出来なかった。
正確に言うと、何と言えばいいが分からないんだろう。
「…とにかく、詳しい事は会談室にて話す。お前達も共に来るのだ」
その様子を読み取ったのか、テオドーロ市長はそれ以上の追及は止めていた。
すぐさま踵を返し、向こうへ戻って行った。
「何なんだ一体、いきなり怒鳴りこんで来て」
「…シュヴェール、この街に関しての根本を良く思い出してみてくれ」
「ユリアシティは監視者の街、預言の遵守を義務とした…あー……」
「気付いたようだな」
「早い話、俺は預言に反した破戒者という事か?」
その通り、本来リートは預言に死を詠まれていた人間。
日時は分からなかったが、事故によって命を落とす事はここ――ユリアシティ中に居る殆どの人間に知らされていた。
だがそれは覆され、現にリートは生きている。
しかし、それはここにとっては禁忌。
「拙いんだ、元々あってはならない事とされているのだから…」
「――くだらねぇな」
「えッ…?」
「言わばあれだろ? 郷に入っては郷に従えってな…でも郷そのものが危機を推奨するような状況を態々作る理論からして間違ってるだろうが。だったらそんなもん、俺からお断りだ」
「…………」
「さてと、行くか。あの脳味噌皺くちゃなお頭の固い老人共に何か一発言ってやんなきゃこっちも気が済まんしな」
「い、いや…ちょっと……」
俺はそのまま会談室へと向かっていく。
ライラックに対して強気に出ていたが、実を言うと内心焦っている事項が何件かある。
ユリアシティの人間は預言に反する者、または反した者には一切容赦しない傾向があるって事は数ヶ月見てきた中で特筆すべき点として認識していた。
となると、ライラックやリートはどうなる?
自分が治療した患者だ、上手く話で立ち回る必要もあるか。
会談室へ入った途端、眉を顰める程に重苦しい空気が流出してくる。
「…来たか、そこに座りたまえ」
「大勢揃って御苦労様、だな…」
まさに査問委員会だな。俺の汚点となるあの医療ミスを否応にも思い出させる。
一瞬、ズキリと傷んだ胸を奥にして、座るべき席に視線を移すと思わぬ人物が。
「ファルミリアリカ様ッ!?」
「待ってましたよ、ハイル。私も微力ながら助力を申し出ました」
「何故あなたが…この問題は俺に関する事です。何もあなたがこの査問会に参加する必要は――」
「ハイル、『あなた』の事だからこそ、私達もこの会に参加すべきと判断したのです」
「私達?」
「はい、僕もハイルさんのした事が間違ってるとは思ってないから」
「ヴァン、お前も…」
――すまない。
別に恩義に対しての見返りが欲しかった訳じゃないんだ。
むしろ、後ろめたさしかなかった。
秘預言を知っていた身でありながら、何も出来なかった弱さに後悔していただけだ。
俺は、そんな懺悔を聞いてもらおうともしない卑怯者なんだ。
二人はやる気を奮っていた。
一先ず、礼儀として一度お辞儀をしてから俺は席に座った。
議会の始まりの合図と成る。
「今回、皆に集まってもらったのはその男がした事についての処分を決める事だ」
「ライラック氏の子息――リートに詠まれていた預言については皆も承知のはずであろう」
「なんでも今日その預言が成就されたとの事だが?」
「いや違う、そこにいるシュヴェールに預言成就を阻止させられたのだ」
「なんと、それは真かッ!?」
「恐ろしい事をッ!!」
ユリアシティの行政・管理補佐達は荒んだ様子で討論し合う。
内容関わらず、預言を覆した事を『悪』と最初から決めつけてだ。
これに異議を申し立てるのはファルミリアリカ様。
「お言葉ですが皆様、預言は絶対でなくてはならないと先ほどから申しておりますが、それは果たして、どなたが定めらなさった事なのでしょうか?」
「…愚問ですな、ファルミリアリカ様。貴方様の祖先にして偉大なる祖先ユリアに違いありませんか、何をおかしな事を…」
「では、再度お聞き致しますが、仮に預言を成就出来なくては人は如何なる結末を迎えると仰るのですか?」
「個人としてのを仰るならば、その者の人生は破滅の道へと導かれると申しておきましょう」
「それは肯定しかねますわ。そもそも、預言とは確かに繁栄を導く物として伝えられてまいりました。ですが逆の事をなされば、その結末もまた破滅となる。我がフェンデ家でさえ、そのような文献は残されておりませんわ」
「ぬぅ…」
「歴史もまた預言の通りに進まねばならないのならば、何故始祖ユリアは態々人の一生では詠み切れぬ程の膨大な預言を先に残したのでしょうか? 人とは疑う生き物、それは自然の摂理に反する事ではありません。中には抗おうとする者が登場しても、おかしくはありませんわ」
「それは…秘預言の事でございますかな? これに関しては恐らく人々の基準とするべく教えを説いたのでしょうな。如何なる事であれ、預言によって物事は確実に進んでいるのは事実ですから…預言は人如きの身で抗える代物では御座いませんからな」
テオドーロは飽くまで預言を肯定する立場として言葉を紡ぐ。
「基準――ですか…」
「左様、しかしそれもまた、預言の範疇にあるので御座いましょうな」
預言は全てお見通し、とも言いたいのか?
俺達の行動は惑星(ほし)が元から決めていたという事なのか?
たとえそうでも、惑星は惑星。
俺達には選択の権利という物を常に握っている。
どうして人は預言に行動を委ねるようになったのか?
便利だから、必要だから――?
発端となった時代の人間にこの質問を一度投げかけてみたい気もする。
「なるほど、良く分かりました。ですが、私は外殻大地の地――ホドにて長らく人々の営みを眺めてきた身です。その輝きを目の当たりにしてきたからこそ、預言に疑念を抱かざるを得ないのです」
「…何ですとな?」
「多くの者が秘預言を知らぬ身。今回のホドにおける秘預言は島の崩壊は詠まれていたとしても、人々の死をも詠んだ訳ではありませんでした。なのに島の崩壊を人々を巻き込んでまで起こした事に、大勢の命を奪ってまで成就させた意味が本当にあったのでしょうか? この事を考えると、預言は真に人のために存在する物なのか…何度も考えてしまいますわ」
ん、何か雲行きが怪しくなってきたような…。
何を仰るつもりなんですか、ファルミリアリカ様。
「現世で成就すべきとされる秘預言の扱いを様々な観点で調べておりますと、全てが『国』という一個体の組織によって良いように利用される『道具』と化している気がしてならないのです。そこに預言に対する遵守の意は果たしてあるのでしょうか?」
「それは、人々を纏める存在という必要性を通して預言を授かるために…」
「国を動かすのも結局は人の意思そのものですわ。預言が明示するのは一事実であり、その過程に至る方法を決めるのは国家に益となる欲が絡んだ人の選択そのものです。私にはとても預言を遵守しているとは…」
つまり、預言を守るよりも、どう上手く扱おうか考える人間の方が多いって訳か。
「はっきり申し上げます。フェンデの一族としてではなく、私――ファルミリアリカとして。私は預言を外殻大地の住人と同じく繁栄を信じて遵守してまいりましたが、害を通じて成しえる未曾有の繁栄など欲しくはありません!」
「なッ――!?」
「そんな物のために主人は…使用人達は…彼らが命を賭して守ろうとした意思を…全て必然だったと片づけられるなど…そんな事は決して――ッ!!」
いけない、そんな事をここで言ってはいけない!
あなたの悔しさは分かる!
だけど、自分達の立場はどう足掻いても庇護されなくては生き延びられない身なんだ。
そんな事をすれば立場が悪くなるだけです!
「未曾有の繁栄など存在する訳がありません…限界と言う物がある以上、『永遠』など存在しません。私はただ皆が笑って暮らせる世界――そんな僅かな幸せを願っているのですから」
「貴方様は預言を違えるおつもりなのですか!?」
「何時来るやも知れぬ幸せを望むため今を犠牲にするよりも、今を大事にして生きる――それこそが人にとって正しい生き方ですと私は信じておりますわ」
ファルミリアリカ様はそう言うと、俺の方を少し見て笑った。
あぁ、前にそんな風に話したっけな…。
覚えていてくださったのか。
「ですから、私はハイルの行動に下された判断に異議を求めます」
「…僕も、異議を求めます!」
二人は始祖ユリアの末裔という優位性を捨ててまで俺を助けようとしている。
けど、それでいいのか?
このまま甘えて俺は二人の立場を台無しにしてしまっていいのか。
いや、駄目だ…ここはやはり……。
――悪役のご登場だ。
「馬鹿じゃねえの?」
「…何?」
「預言を守るのが正しい? 預言は絶対だ? 大体、預言なんか俺みたいな庶民の間ではほぼ無関係に等しいもんだ。良くて誕生日くらいにしか詠まない高等な占いって感じだからな。頻繁に関わる事なんてないんだよ」
そう、預言は詠んでもらうのに金がかかる。
フェレス島ではわざわざ本島から預言士(スコアラー)を呼んでようやく出来るくらいだから、その分金額も高かった。
「根本的に生まれが違うんだ。簡単に預言と携われるような立場にいらっしゃるあんた達には分かんねえだろうがな。所詮、俺みたいな人間にとっちゃ預言なんざ、ローレライ教団に許された産業に取って代わる最高の『金づる』としか思えんがな」
「か、金づる…だとッ!?」
「貴様、ローレライ教団を侮辱する気か!」
「実際そうだろう。預言で動く金がいくらだか分かってるのか? 一国の献金だけで国家予算約数十分の一だぞ? たかが口に出して詠む十秒にも満たない言葉だけでそこまで懐が潤うだなんて…ユリア様もとんだ『商売』を思いついたもんだよなぁ」
あーあ、言っちゃった。
オールドラントにとって一番言っちゃいけない事を口にしちゃったよ。
「黙れ小僧!」
「何という不届き者めがッ!」
「静まれ、静まらんか!」
俺の侮蔑に怒りを露わにした幹部達が一斉に暴言を以て騒ぎ立てる。
テオドーロが制止を促しているが、焼け石に水だ。
その間、俺の言葉はまだまだ続く。
「だからさ、一回破ってみたくなったのさ。死の預言っていう本来だったら覆しようのない物を覆す事が出来たらさ、預言が如何に嘘っぱちなもんか証明出来ちゃうだろ? すると、ユリア様が預言に定めた繁栄の道って事も疑わしくなってくるもんさ」
「言葉を慎め、シュヴェール! お前の発言は許可せぬ!」
「んで、現にリートは死なないって事実が出来上がった訳さ。でも預言の通りならND2002以内に死ぬってされてるけど、じゃあさ…改めて詠んでもらったらどうなんだ?」
――リートは事故に遭って死亡するか否かってな。
「これでもしも違う内容が出たらとんだお笑い草だ。預言ってのは変えようのない事象だって散々教わってきたのに、こうも簡単に変わるくらいならそんな物を後生大事に守り通す連中ってのは果たして何なんだろうな?」
おや、どうして黙る?
ようやく矛盾に薄々気が付いてきたって所か?
繁栄に繋がるから預言は遵守されるべき――。
預言を遵守するからこそ繁栄に導かれる――。
「結局のところ、あんた等は単に預言を信じる自分に酔っているだけなんだよ。基本的概念である『小を切り捨て、大を救う』も中途半端にしか出来ない腑抜け連中だな」
むしろ、ホドでの戦争は前菜。
この十数年後にもっと大きな戦いがあるのをこいつらは知っているんだろうか。
終いには繁栄など一時的でしかなく、滅亡しか先がないって詠まれているだなんて。
ズルして手に入れた知識だが、真実を知ってる分だけこいつらのしている事の何と滑稽な事か。
「預言なんざ――」
だからこそ、本心でこの言葉は言える。
「預言なんざ、霊感商法のパクリもんなんだよ。いい加減理解しろよ、この『思考停止野郎共』が」
その後は酷いものだ。
俺に対する罵声はもちろんの事、処罰を求める声がひっきりなしに飛び交ってきたよ。
俺の思い通り、悪意はこの時点で全て俺に集中した。
ハイル・シュヴェールという人間の異常性によって全てが片づけられ、ファルミリアリカ様への影響は抑え切れる。
そして、冒頭に戻る
ユリアシティ陣は途中で俺にもっと重い処罰をかけようとしていたが、ファルミリアリカ様が釘を刺したのだ。
もし、そうするのならば私達はフェンデの名を返上することになるだろうと…。
さすがにそれは向こうにとっても拙い事らしく、慌てて考え直したそうだ。
ここに住める権利を失った以上、俺は明日にでもこの街を出ていかなければならなくなった。
二度とこの地に踏み入る事が出来ない追放までとはならなかったが、ファルミリアリカ様達と離別しなくてはならない。
出来る限り見守るつもりでいたかったが、どうやら潮時という訳か。
たまにしか会えなくなるだろう。
しかも、ユリアシティに彼らはいる以上、連絡も出来なくなる。
繋がりを絶たれるという事を意味する。
「嫌だよ、ハイルさんと別れるなんて…」
「…ヴァン」
「僕、もう一回市長と話をしてみる! このままじゃ――」
「いい加減になさい、ヴァンデスデルカッ!」
「…嫌です、母上。どうしてそう言うんですか。ハイルさんがいなくなればいいと思っているのですかッ!?」
頬を叩く音が響く。
ヴァンが頬を抑える視線の先には手を振り抜いたファルミリアリカ様の姿。
「――――ッ!!」
「そんな事、そんな事などある筈がありません! だって、この子は――ッ!」
泣いていた…。
あなたは俺を家族だと言ってくれた事がありましたね。
俺、実を言うとそれは軽い冗談だと考えてました。
ですが、本気でそう思ってくれてたんですね。
その涙だけでもう十分。
如何なる事があろうと、フェンデ家はマルクトにおいて名のある貴族として知られている。
俺達が知るホドの真実を他の国民に広まる事があれば皇帝は黙っていない筈だ。
それから来る危険性を考慮したからこそ、俺はユリアシティには二人を何としてでも残せるように励んだ。
犠牲は俺一人で十分なんだ。
「…すみませんでした、ファルミリアリカ様。せっかくの弁護にも関わらず、場をかき乱すような真似をしてしまって」
「…いえ、いいのです。逆に私の方こそ御礼を申し上げますわ」
あぁ、気づいてたんですか。
俺があんな発言をした訳を。
敵わないなぁ…。
俺はヴァンの傍に立ち、しゃがみながら向き合う。
「いいかヴァン。別れというのはいつか必ず来るもんだ。それが何者であろうと変わらない。だけど悲しむ必要はないぞ、終わりってのは別の始まりを迎える事と同一なんだ」
「…………」
「離れていても俺はお前の事を忘れやしない。それに、機があればまた逢う日もいつかやって来る。それだけは覚えていてくれ」
「…また、会えますよね……?」
「あぁ、絶対だ。約束する」
俺はそう言って指きりをした。
ホドにはなんと、前世の日本と同じく格言やおまじないが存在するのだ。
その中には指きりも入っている。初めて聞いた時は平行世界という存在についてしばらく熟考を重ねたもんだ。
他愛もないようなちっぽけな約束の仕方だが、その中身は大きい。
――強くなれ、ヴァン。お前にとって守るべき物は何かを自覚し、全てを救う騎士となれ。
そして後日、俺はユリアロードを通ってアラミス湧水洞へと送り飛ばされる事が決まる。