深淵の異端者   作:Jastice

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第16話 手術のメスはオランダ語mes(ナイフ)に由来するんだって

 ユリアシティに流れ着いてから早数ヶ月。

 ここでの暮らにもようやく慣れ、個人で歩くのも心配ないくらいになっていた。

 初めの頃にて向けられていた住人による排他的な感情は幾らかは薄れたが、まだ根深さは健在。

 生活していく上で必要な限りの接点でしかない。

 

 俺達がここに住むのを一時期は拒んだ彼らではあったが、そんな意見はどこ吹く風やら。

 特にヴァンとファルミリアリカ様の居住は率先して許可を与えたくらい。

 

 なぜなら、二人の身元――フェンデ家は『あの』始祖ユリアの子孫。

 いやー俺も重要な話があるってファルミリアリカ様から聞いた時はまさに目から鱗、口があんぐりと開いたまま立ち尽くしたくらいだからな。

 戦争の英雄とは訳違う、まさしく世界を一度救った救世主の一族そのものなんだしな。

 

 そんな切り札をユリアシティにおける保護を見返りに提示した。

 たぶん、俺やヴァンの事を考えてか…。

 悪意を少しでも和らげようとしてくれたあの人の決意に感謝だ。

 俺はともかく、ヴァンは次世代の血を受け継いでいくべき存在。

 始祖ユリアと深い関係であるユリアシティの住人には命よりも重視すべき事柄だろう。

 

 ちなみに、ファルミリアリカ様にも聞いた所、前当主(今の場合、現当主はヴァンとなる)が入り婿で彼女が血族なのだと。

 それを知ったとたん、住人の踵を返したようなあの態度。

 現金な奴らだ、まったく…。

 それに、俺はヴァン達の忠実な使用人みたいな事を陰で口叩いていたし。

 まぁ、そんな事は二人が頑なに否定してくれた。

 ヴァンもそれをを聞いた時は怒ってくれてた。

 俺の事は友達だ、掛け替えのない人だと言い張った。

 

 そんな風にまで言わるのは俺もなんだか照れるな。

 こういう訳で、俺達はユリアシティで未だ暮らしていた。

 俺も住む以上、何にもしない訳にもいかないので雑用を主にした仕事でちょくちょくと働いている。

 

「支給された食料の荷はこれで全部です」

「そうか、じゃあ倉庫に運んで置いとけ」

 

 俺は外殻から送られてくる物資の運搬をしていた。

 ユリアシティに住む住人は普通の街と比べて人口は少ないが、土地が狭い分それでも多いと感じられる。

 物資は木箱詰めや麻袋詰めの荷として届かれるから倉庫まで運ばなくてはいけない。

 

「えー倉庫は裏口を使って行くんだったな」

 

 場所を思い出しつつ荷台を使って運んで行く。

 坂道とかあったら大変な労力だが、この地は平坦な道しかないからあまり心配する事は無い。

 よし、出来れば早めに終わらせておこう。

 

「衣服類、薬品類、食料類――確認完了」

 

 ふぅ…これで終わりだな。

 

 渡されていたチェック表に記入して最終確認をし終えた後はこれを渡して帰るだけだ。

 

「しかし、暇だな…」

 

 ここには本の類はあるにはあるのだが、預言、創世期、ダアト、ユリア等とジャンルがそんなものばかりしかない。

 読もうにも俺にとっては聖書を日常的にで読み続けてる感じで嫌になりそうで仕方がない。

 だけどオールドラントの裏側を色々知るためには仕方なく読むしかなかった。

 

「はぁ、せめて生体系の本が読みたいぜ」

 

 ここで愚痴を零してても仕方がない、部屋に戻ろう。

 

 

 

「今戻りました」

「お帰りなさい、ハイル。今日はお早いですね」

「今週分は少し少なめでしたからね、ファルミリアリカ様」

「あら、もうそんな堅苦しい口調で話すのはせずとも良いと前にも申しましたわ?」

「…固着してしまいましたから、まだ……」

「ほらまた、私達にはあなたに礼を言っても言いきれないほど感謝しているのですよ? この数ヶ月、私達をいつも見守ってくださったのですから…」

「いえ、そんな…」

 

 ――そんな褒められるような事じゃないんだ。

 

 そういう風にしてたのは、自分に後ろめたさを感じているからだった。

 何とかする――そう決意した筈なのに…結局俺には何も出来なかったに等しい。

 ヴァンに一生十字架を背負わせる事になったんだ。

 

「そう、今は見守る事しか…」

 

「…?」

「あ、独り言です。気にしなくても」

「そう、ならいいのですが」

「そういえば、お腹の方もずいぶんと大きくなりましたね。もう妊娠中期に入ったところでしょう」

「えぇ、この子は私にとって旦那様から授かった最後の贈り物ですから…」

「…そうですね、無事に生まれてきて欲しい――いや、絶対無事に産まれてくると信じています」

 

 これ以上、この人達に悲しみを与えないでくれ。だから、頼む…。

 

「お聞きたいのですが、名前はもう決まりましたか?」

「勿論です。初めてあなたが懐妊の知らせを伝えた後、旦那様と二人で決めておいたのですから」

「お早い事で、してその名は?」

「それはね…」

 

 そんな時だった、誰かが勢い良く音を立てて走って来るのに気付いたのは。

 勢いよく開いた扉からはヴァンが入って来る。

 こら、胎教に悪いから静かにしろっての。

 

「ハ、ハイルさん! 大変なんです! リートが…リートが……ッ!!」

「どうしたヴァン、リートといえばライラックさんとこの息子の名前じゃないか。その子が何かしたのか?」

「と、とにかく来てください!」

「お、おい。そんないきなり引っ張るなよ」

 

 息を荒げながらもヴァンは俺の袖を引っ張って強引に連れて行こうとする。

 とにかくなにやら一大事らしいので、速度を上げて一緒に着いていく事にした。

 

 

「リート――リートッ! しっかりしてくれ! リートオォォォッ!!!」

 

 到着した先には人だかりが出来ていた。

 中心には横たわり、苦しそうな表情をした少年とそれを心配して呼びかけてる男。

 

 ――何があったんだ?

 

「どうした、その子になにかあったのか?」

「あ、あんたは――」

「今はそんな事どうでもいいッ! それより何があったか詳しく教えてくれ」

「さ、さっきリートが段差で躓いてしまって…あそこにある譜業に胸を強くぶつけて…それから急に苦しみだして――ッ!!」

「…胸をぶつけた?」

 

 それを聞いた俺は少年――リートの顔色をすぐさま調べた。

 

「――こいつはッ!?」

 

 唇や顔の皮膚が青紫に変わり始めている。

 

 まずい、チアノーゼの兆候が出てる可能性ありだ!

 

 俺はリート少年の上着を慎重にずらし、触診に移った。

 言っておくが、胴体を怪我した人間の服を脱がしたりする時は極力慎重でなければいけない。

 なぜかと述べると、触った時の衝撃で患部を余計に傷つける可能性がある為だ。

 服を脱がさず、鋏で切り開くのもこれに通ずる。

 

 ――肋骨に損傷なし。

 

 ――呼吸に浅さは見られない。

 

 肺に異常は無いという事か…。

 

 となると…心臓かッ!?

 

 俺はゆっくりと耳を心臓のある胸部に付ける。

 

 ――心音が不安定。

 

 ――脈は低下傾向。

 

 ――全身がうっ血状態。

 

 

 これは――ッ!?

 

 

「まずいッ! 心タンポナーデだ!!」

「し、しんぽたで…? なんだそりゃ?」

「心臓は本来、心膜と言う物に包まれている臓器なんだが、何かしらの強い衝撃により臓器本体の方に損傷を受けて出血し、その血液が臓器と心膜の間に溜まっていくとそれが心臓の動きを阻害し、全身に十分な血液を送れなくなってしまう症状の事だ」

「し、心臓が! ど、どうすればいいんだよ!?」

「…………」

 

 ――どうする、考えろ…。

 

 解離性大動脈瘤だと手術をしなければ助からない。

 ここには麻酔は愚か、抗生物質も外科手術道具もない。

 いや、ここじゃなくてこの世界にはまだないんだ。

 

 考えろ、考えろ!

 

 俺にこの子を救えるか!?

 

 オールドラントにおける治療法は正確には知らない。

 

 だけど俺の知識が果たして適応してくれるか?

 

 

 くそ、迷うな――ッ!!

 

 

「…今すぐ俺が言う物を持って来い」

「な、何?」

「裁縫針、ナイフ、フォーク、コルク栓つきのガラス瓶、ゴムのチューブ、沸騰させた熱湯を大量、白ワインのような色のつかない酒、一度も使ってない清潔な布を大きい方と小さい方を何枚も――そして絹糸だ。 片っ端からかき集めて来いッ!」

「なんだそれは、そんな物持ってきてどうするんだ!」

「そうだ! 早く治癒師をダアトから――」

 

「良いから早く持って来いと言ってんだろうがこのウスノロ共がッ!!! この子の命がどうなってもいいのか、てめえ等はッ!!!」

 

「「ひぃッ!?」」

 

 俺からの怒号が思った以上に恐ろしかったのか、最後には逃げるようにその場を離れて行った。

 野次馬も同様だ。

 

 ――あの頃に戻りかけたな、俺…。

 

 指示を与えた住人達はすばやくユリアシティ中から俺が提示した物を持って来てくれた。

 絹糸は節制な生活を送るユリアシティには見つからない可能性が大きいかと考慮し、少年の毛髪を代用する案を考えておいたが、心配なかった。

 

「ファルミリアリカ様ッ!?」

「ハイル、絹糸が必要なのですね。でしたらこれを受け取ってください!」

「で、ですけど…これはあなたにとって唯一のフェンデとの繋がり――」

「人の命がかかっているのです! 何を迷う必要がありますかッ!!」

 

 なんと、ファルミリアリカ様が俺達と一緒にユリアシティに初めて来た頃、その時に着ていた服がその素材だった。

 これを譲ってくれるとは、感謝してもしに切れない。

 ゴムチューブは譜業の部品である一部であり、それを包む箇所となる部分を取り出した物で代用。

 

 俺は準備を始める。

 大き目の白い布を所々にに穴を空け、簡易式のエプロン状にして作り出上げていく。

 それを着込むや、今度は小さ目の布を口、頭、手の部分に巻き付けてマスクや手袋といった代わりにする。

 

 ――麻酔は無し。

 

 ――抗生物質も無し。

 

 ――消毒は直接的なアルコールと煮沸のみ。

 

 多くを求めるな! 欲張りすぎると全てが台無しになる。

 昔の人はそんな状況でも手術をし、運が良ければ回復した記録があるんだ。

 それに、俺は第七譜術士。縫合した後、治癒譜術で素早く患部を塞げばどうにか出来る!

 これはスピードと的確な処置が命綱となる。

 後は、俺の腕が錆ついてなければの問題だ。

 

 

 自信を失うな、失うくらいなら――。

 

 

「手術(オペ)…開始……」

 

 

 ――取り戻すまでだ…。

 

 


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