「――さすがに疲れた」
人生を走り続けてきた。
目指す憧れを只管求めて。
俺は腕の良いと評判されるとある医者だった。
医者になったのは俺は子供の頃、重い病気に掛かった俺を救ってくれた医者に憧れたからと単純な理由だった。
そこから始まったんだ。必死に頑張って、努力して、第一外科のエースとも呼ばれるようになる事が出来た。
そんな絶好調の俺に一件の手術依頼が舞い降りて来た。
俺が子供の頃かかった病名と同じ物だった。
カルテを見た瞬間、俺は思ってしまった。
これを成功させれば【彼】を超えられるかもしれない。
憧れの【彼】を超越するという理想を叶えるべく、すぐさま執刀を了承した。
だが、運命は俺には微笑んでくれはしなかった。
結果は惨敗。患者は懸命な蘇生措置を行ったにも関わらず死亡してしまった。
手術を失敗に終わらせた俺は勤めていた病院を解雇される処分を下された。
直接の原因は俺で無かったとはいえ、【チーム】としてのやりとげる能力が無かった俺を含めた他のメンバーにも責務はある事だろうからむしろ当然の処置だと思った。
病院としては、だがな。
真実を言えば、俺はその患者を自分の理想へ近付けるための踏み台にしようとしていた。
命を弄んだ罪人の俺としては軽すぎる物この上ない。
――誰か俺を罰してくれ、そうすればこの気持ちを片づける事ができる。
それを願いつつ、患者の家族にこのミスを伝えた時、患者の妻が言った言葉は俺の思いもしなかった事だった。
「希望をありがとう」
託していた。最愛を救うため、部の悪い勝負と真っ向から立ち向かうため、彼女はこんな俺に賭けていた。
全てを賭けていたんだ。
その言葉は心を罪悪感で埋め尽くすには十分な物であり、俺は全てから逃げ出した。
病院を、町を、県を、そして国を――。
無我夢中で逃げだした終着点は乱戦中の真っ只中のアフガニスタン。そのとあるボランティア活動の医療現場であった。
ここを選んだのは【彼】がいるという情報を手に入れたからだった。愚かにも俺は未だ捨てかけていた憧れにしがみついていた。
―――彼に会いたい。
唯それだけを思い、ひたすら自分が出来る事を考え、歩み続けていた。
もし彼に会えたのなら、今まで俺が目指そうとして来た事は正しかったのか?
自分が医者であり続けられる意味を教えてもらえるかもしれないと踏んだ。
今思えば、最後まで身勝手な人間だったと思う。
他人に理由を求めた所で何も変わりやしないというのに。
ここでの生活もだいぶ慣れてきた頃、とある事件が起きた。
乱戦中の兵士達が物資保存庫の物資を強奪するべく、テロを起こして来たのだ!
キャンプ中の難民達を含めたNGO団体の人達を人質として膠着(こうちゃく)状態が続いていった。
何時までも続くのかと募る不安と苛立ち。
俺の目前で衝撃的な場面に出くわした。
撃ったんだ――。
たった数秒のそれは一瞬の出来事であったが、俺の心にはその場面は強く刻まれた。
まだ15にも満たない少年兵が人を見せしめとして撃ち殺したのだ!
この時に俺は初めて現実というものを今まで以上に深く実感させられたのかもしれない。
恐怖心が高まっていった。
――このままだと殺されるッ!!
純粋に俺は本気で生きたいと願った。
だから、行動を表すのにはそう時間が掛かる事はなかった。
誰もが寝静まるような深夜、俺の行動した。
ここアフガニスタンは電気での明かりなど民家から漏れてくる事はまったくと言ってないので、テントの周辺以外は闇が広がっていた。見張りから逃げるには好条件と言えるだろう。
事実、この時間帯は人間にとっては心身揃って疲労がたまっている頃でもあり、意識が呆ける。
そこを突いて俺は昼時に目を付けていたある物を盗み出し、テント外へ走り続けていた。
一挺のライフル銃だった。
射撃の経験はとある手術依頼で行った外国の射撃場での一、二回だけだ。
そこで余興程度のつもりでやっていた俺だが、偶然にも射撃の腕が抜群に良いと周囲の利用者にも言われる程だった。
狙った的は外さない。
そんな言葉通りに俺は全ての飛んでくる的を一発も漏らすことなく撃ち当てた経験があった。
それを間近に見ていた自分自身もが驚愕した事も覚えていた。
だから、その能力をここで使う事に決めたのだ。
こちらからは焚き火が照明の役割をしているため、兵士達のシルエットが明確に見えた。
それとは対照的に向こう側からは無限の闇によって俺の姿を捉(とら)える事は難しい。
俺は膝を地面に付け、銃の後身を肩に押しつけて固定させる。
弾は予備で二つのマガジンが手元にある。
これは優位と言っていい。
俺はスコープを覗く。
スコープの先には兵士達の話し合い、笑っている姿が写っていた。
あの少年兵も一緒だった。
彼らをよく見てて俺は思った。
同じ人間だぞ。
お前に●せるのか?
だけど、甘えるわけにはいかない。今は大丈夫だがたとえ俺がこの場から逃げ切れたとしても人質がまた殺される可能性も少なくはなかった。
だから、ここで散ってくれ。
改めてスコープに記されてる照準の目盛を合わせる。
狙うのは頭じゃなくていい。的の大きい体を狙え!
即席で作り上げた自分だけのルールは覚悟を完全に決めさせる暗示となる。
正直、命の危機に陥る状況はこの土地に来てからは何度かあった。
違うのは――俺は初めて『治す者』から『殺す者』に変わるという事だ。
静かな土地で銃声が鳴り響く。
命を終焉へと導く殺戮の音が――。
またしても銃声は鳴り響く。
その音の数だけ命が消えていく。
撃つ――撃つ――撃つ――撃つ――撃つ撃つ撃つ撃つ―――――ッ!!!!!
その繰り返しが俺にとっては正義なのか、悪なのかは誰にも分からない。
マガジンは気がつくと取り替えていた。撃つべき標的も弾もまだまだ残ったままだ。
だから、まだ続ける。続けなければならない。
敵も銃を乱射し始めた。
音と光で場所を見つける所は彼らもさすが兵士であると賞賛できるだろう。
でも俺もここで死ぬわけにはいかない。
場所を移動しつつ、なおかつ途中で手探りで見つけた障害物となる所に隠れつつ、それを繰り返し続けた。
知識の片隅に入っていた軍人に関する情報を駆使した軍人ごっこ。
本職(プロ)の目から見ればあまりにもお粗末。
だけど、俺はまだ生きている。
敵の銃声も少なくなってきて、俺のペースも拍車がかかった。
次の狙いを定めてスコープを覗いた時、トリガーに掛かる指が一瞬止まった。
泣いていたからだ。
彼らもまた、死にたくないと戦い続けていた。
だが殺戮者として覚醒し始めていた俺の慈悲をもたらす心は、既に亀裂だらけだった。
――もう後戻りはできない。
だから、全てを終わらせる。
俺は最後の標的となった少年兵に向けてトリガーを弾いた。
何もかもが終わった時、俺に待っていた感情は喪失感と新たな罪悪感、それに絶望と微かな安堵だった。
人質は最初に見せしめとして撃たれた一人を除いて全員が助かった。
俺と違い、手を汚さずにいれたのだから彼らは笑顔だった。
スコープ越しでただ俺は見つめているばかりでその輪に加わる事はできなかった。
それは、悔しくなるほど羨ましいと思えるものだった。
もう医者なんかじゃない。
この身は人殺し、全うな人生を送れる可能性など0に等しい。
縋っていた医者としての矜持も無くなってしまった。
だから、もう終わりにしよう。
ライフル銃の銃身を上に向け、それを口にくわえる。そして、靴を脱いで足の親指をトリガーにひっかける。
その動作の中、考えていた。
思えば、俺はただ【彼】に認めてもらいたいと心のどこかそう思ってたのかもしれない。
だから、【彼】のようになろうではなく、【彼】になろうとして自分を見ようとしなくなっていたのかもしれない。
その結果がこういう事だったのだろうか?
望んではいなかったんだ。
ただ俺は人を治して救う、そんな医者になりたかっただけだったんだ。
歓喜の声満ち溢れる深夜の荒野、雷管が炸裂する音が唐突に響き渡った。
その音は大勢の歓喜の声によってかき消され、何者の耳にも入る事はなかった。
思えば、私の小説執筆は二次創作が始まりだったんだなってこの作品を見ていると感慨に耽ります。