戦う代行者と小さな聖杯(21)   作:D'

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屍食鬼

 時空管理局所属時空航行艦アースラ。私は今、その医務室にいる。

「ニーロットちゃん、りんご貰って来たよ! 剥いてあげるね」

 ベッドに横たわる私の傍らには、ツインテールの少女、高町なのは。手にナイフと赤いりんごを持ち、案外危なげなくりんごをむいていく。細く、長く、りんごの皮が少女の膝の上の皿に落ちていく。うまいものだ。

「……ところで、それ本当にりんごですか? もし地球産でないのなら、りんごのような別の何かだと思うのですが」

 その辺りの食料の違いとか、興味は尽きない。

 ぷつりと、りんごから足れた皮が途切れた。

 

「変な事言わないでよニーロットちゃん! 匂いも見た目もりんごだよ! 地球のものじゃなくてもりんご!」

「あなたは少し、疑問に思うべきです。海どころか次元を隔てたのなら種なんて届く訳ないじゃないですか。ならば当然、食文化も大きく変わっていて然るべき。りんごなんて地球にしか存在しないと考えるのが当然。いえ、むしろ人間という種がこれだけ酷似して存在していることに疑問を持つべきでは……」

「疑問じゃないよ! ほらほら、一口サイズにできたよ、食べてみて!」

「はあ、では一口(しゃりしゃり)」

「どう!?」

「ふむ。梨と比べて少し粉っぽい感じがします。正真正銘、りんごですね」

「な、梨!? 粉っぽいって、そんなりんごより梨のほうが優れているみたいな言い方……」

「個人的な感想ですよ。味こそ違えど、食感で言わせてもらえれば、りんごはパサパサした梨、というのが私の印象です」

「りんごに恨みでもあるのニーロットちゃん! りんごも梨も美味しいよ! そりゃ、見た目似てるのに梨のほうが随分水っぽいけど!」

「ふむ。でも実は梨もりんごも食べると唇や喉が痒くなるんですよね。柿とかも」

「それって、アレルギーだよ! 食べちゃダメだよ!」

「それは盲点でした。でもかゆみを我慢して食べます。美味しいので。少し喉が腫れて喋れなくなるかも知れませんが、気にしないでください」

「無理だよ気になるよ! 責任感じちゃうよー!」

「ところで、なぜ地球と同じりんごを時空管理局が所持しているのでしょうか。まさか、こことは別の次元世界がルーツ……!」

「うん、まあ、その辺りを研究している学者もいるし、ミッドチルダでもりんごって流通してるけど、そのりんごは地球で買ったものだと、僕は思うよ」

 少年の声。発生源はなのはの傍らにいるフェレット。名を、ユーノ・スクライアという。

 そうか、やっぱり地球産か……。ロマンが一つ潰えたな。

 大体おかしいと思わないのだろうか。人型の生物は必ず同じような発展を遂げるとでもいうのか、似た様な社会体系。似通った建築物。ほぼ遜色のない人体構成。次元の一つでも跨いだのなら、「俺の世界の人は心臓二つあるんだどうだすごいぜ君ら一個しかないの? おっくれってるー!」みたいな存在もいてもいいだろう。霞食べられますみたいな、びっくり不思議人間がいてもいいだろう。何が次元世界か。ロマンのカケラもないじゃないか。所詮、現実などこんなものか!

「妙に険しい顔で考え事してる中悪いけど、横になってたほうがいいと思うよ。仮にも怪我人なんだし」

「そうですね。ありがとう、ユーノ・スクライア」

 ……しかしこの姿こそがもっとも適した形であるというのなら、まあそうなるのかも知れない。でも本当に最適解の姿なのだろうか。人間。

 そんな人類史というか次元人類史というか、良く分からない事に思考リソースを割きながら、日々は過ぎていく。

 

 ベッドに無様に横たわりながら、スクランブルを知らせる警報を聞き流す。この船に乗ってから何度目の警報だろうか。すでに登場してから八日。ようやく右腕以外が動くようになった頃である。

 一週間で直しますキリッ、とはどこへいったのか。しかもその大部分が管理局側の治療結果というのが情けない事である。

 高町なのはは順当にジュエルシードを回収している模様。このまま何事もなく進んでくれれば御の字だ。ベルベットのほうも動きなし、らしい。月村のほうからもアースラからも連絡はない。

 ふーっと一息ついて柔らかなベッドに身を沈めて、戦況モニターに目を映す。場は海上。六つの水竜巻うねる世界で二人の少女たちがジュエルシードの封印に血道を上げている最中、一際大きな雷が二人を撃った。

 ……おお、佳境じゃないか。

 

「あら執務官殿。こちらのモニターから観戦していました。先ほどの海上の一戦は見事なものでしたね。お怪我とかはありませんか?」

「それは嫌味かい、代行者見習いさん」

 ちょっとした怪我の治療に医務室を訪れたクロノ・ハラオウンに声を掛ける。

「まあ、私にとっては敵の手に落ちたとしても、町からジュエルシードがなくなるというだけで懸案事項が一つ、消えたという事になりますから。後は敵を殲滅するだけではないですか。気楽なものですよ」

「君はまだ戦えないだろう。右腕の治療はまだかかると聞いているが? それと所在の確認が取れているジュエルシードは二十個だ。あと一つの所在は分かっていない」

「あれ……そうですか。全身の治療をそちらが済ませて頂いたおかげで、こちらの治療を右腕に集中できましたので。そろそろ完治しますよ。まあ無理やりな治療には変わりないので、以前より骨は弱くなりそうですが」

 確かこの場面で全てのジュエルシードがそろうはずじゃ?

「姑息な手段だな」

「え、姑息?」

「ん、その場しのぎ、という意味の言葉だろう?」

「……ああ、そうなのですか」

「君らの母国語だろう。こちらは翻訳魔法を使っているが」

「いえ、言葉のイメージとしては卑怯だとか、ネガティブな意味合いだと思ったので」

「もう少し勉強するべきだな」

 まったくもって。異世界人に国語について教わるとか、何の嫌がらせだろうか。

「そうか。腕はもう自力で治せるのなら、君も一緒に海鳴へ戻るのはどうだ? 高町なのはは、今回のことで少し、地上へ戻すことになったんだ」

「ふむ。そうですか。有事の際にすぐ連絡を頂けるのなら、少し戻ろうかと」

「わかった。そうしよう。しかし、ここにきて彼女を動員することに懸念が生まれたな……」

「何かあったのですか」

「今回、彼女は命令無視を行ったんだ。前にも言っただろう。彼女の事は僕達が責任を持って守るが、それは彼女が勝手な行動を取らない事を前提とした話だと」

 ああ、そうでした。高町なのはは、孤軍奮闘するフェイト・テスタロッサを見かねて、静止を振り切り助けに入る、でしたか。一度あった命令無視が二度目がないとは言い切れない。責任を持つ立場の人間としては、大いに困る事だろう。今後の扱いとか。

「彼女の非で彼女自身に何かあった場合は、私のほうから口添えしますよ。そのくらいはさせてもらいます」

「……そんな事が起こらない事を祈るよ」

 

 

 クロノとリンディに見送られて、転送ポートで地上へ戻った私は早速、自宅の教会へ戻った。今度は車椅子ではない。右腕にはまだギプスをはめているがしっかりと両足で歩いている。

 海鳴公園から教会まではかなり掛かるのだが、まあ訓練の一環だ。姿勢や呼吸、筋肉の動きに気を使いながら一歩一歩進む。ちょっとした遊びのような物だ。白線の上だけを歩くルールを守る子どものように。

 教会に入るといつもどおり、父がいた。私を見かけるとゆっくりとこちらへやってきて、そっと抱きしめられた。ああ、そういえば一週間の行方不明の後、唐突な連絡の末に外部への長期滞在、になるのか。まいったまいった。

 父といくらか話し、自宅に戻ると今度は北城大土が私を出迎えた。腕を見て大層驚いていたが、適当に往なして居間で一心地つける。

 久しぶりに見る彼はあの夜と違い、落ち着きを取り戻していた。彼の中で折り合いをつける事ができたのか、分からないが、通常の生活をできる程度にはなったようだ。

「で、その……倒したのか? 敵、って奴」

 あ、そうだ。この人には詳しい説明をしていなかった割にそこらへん、ちょろっと言ってしまったのだった。

「……負けました」

「は?」

「負けました。大敗です。ボロクソに負けて逃げてきました。以上」

「ちょっちょっそれ大丈夫なのか?! 襲ってこないのかよ!」

「平気でしょう。その気なら私が療養している間に、あなたが死んでいますので」

「実は俺餌にさせられてた!」

「そんな事ないですよ。その時は父も無事ではなかったでしょうし、ある程度、相手の動きを見張る事はしていましたが、私にできる事はなかったので、まあもしも、がなかった事にほっとしている所です。あ、コーヒーいれてもらえますか? お砂糖二つミルクはいりません」

「俺家政婦じゃないし!」

 そんな文句をブツクサいいながら台所へ彼は向かった。家政婦じゃないけど居候じゃないですか。ハハハッ。

 コトリ、と目の前に黄色いマグカップが置かれた。正面には白いマグカップを持った北城大土が座る。

「そういやあんた、転生者なんだろう? ……一つ聞いていい?」

 ずずりとコーヒーを飲んで一言。「どうぞ」

「あんたって女なの?」

「……どちらでしょうねえ」

「ああ、いい。わかった。その反応で大体分かった。そっか。マジでいるのか。TS転生者って。すげー」

「デリカシーのない発言はご遠慮願います」

「まあ、いいけどさ」

 ゆったりと時間が流れていく。目の前の少年は所在なさげに。私は無関心に堂々と。なんとも居心地の悪い空間である。少年からしてみれば私はよく分からない不審人物のような、そして圧倒的な上位者であり――何しろこの家の娘だ。居候としては肩身の狭い思いであろう――私から見れば少年は別にどうでもいいただの被害者である。ここで重要なのは、別に私が彼を保護する義務もない、という所だろう。さっさと放りだしてしまっても、別になんら問題もない。それでいて家においておくのは、接する機会がなかったという事と、放り出す理由もないという所からだ。面倒を見るのは私ではない。父だ。ならば、問題はない。むしろ彼の処遇を決める権利は私ではなく父にある。

 彼は恐らく、事の顛末を詳しく聞きたいと思っているだろうが、私はそれを話さない。勝手な行動を取られるのもあれであるし、何より彼も関わろうとはしないだろう。家族を死体へ変えられた事に錯乱した彼の事だ。恐怖は十二分に植えられて、そして自らの無力さも十二分に痛感してしまった事だろう。それを解決できるのは、今の所、彼の中では私しかいない。

 関わらないで済むのなら、それに越した事はない。一度関わっているのなら、やはりなおさらだ。好奇心という厄介者を削がれたのだから、自己保存本能に従っているべきだ。

 私は携帯を取り出して、月村忍にメールを送った。今までの報告と、異常がないかの確認だ。

「あ、そういえば……」

 携帯を弄る私を見ながら、彼は口を開いた。さも今、思い出した、という口調だが、顔つきに多少の緊張が見られる。この様子では、いつ切り出そうか、と考えていた、と見られる。

「俺があのマンションを飛び出したとき、フェイトとアルフっぽい人とすれ違ったんだ。マンション中で」

「は?」

 あの工房の中で?

「それは、彼女たちがあの場に住んでいる、という話ですか?」

「いや、そこまでは知らないし、あの時はよく覚えてないからあれだけど……でも多分、フェイトだったと思うんだよな……。金髪の女の子と背の高い女性」

「あのマンション、管理局も常時見張りについています。しかし、フェイトが発見されたとなったら早々に確保に動くでしょうし、こちらにもなんらかの報告があるはずです。しかし、未だにそれはない」

「知らねえよ。そんなの。ていうか、やっぱり管理局来てるのか……俺って魔力あんのかな?」

「知りませんよ。そんなもの。事件中は余計な事はしないでくださいね。死にたいのなら、別ですが。事件後なら簡単に紹介でもしてあげますから」

「マジで?!」

 おおう。そんな喜ばれるとは。いや、管理局に身柄を任せてしまえるのなら、こちらも楽なので願ったり叶ったりなのだが。

「なあなあ、今どの辺りまでストーリー進んでんだ? もう管理局来てるって事は、海上戦やった?」

「……黙っておかないと、黙らせますよ」

 ひう、と情けない声を上げて彼はマグカップに顔を埋めた。

 

 翌日、ゆっくりと右腕の治療に当たる、なんて事をできると私は思っていたが、早々に思い出して私は海鳴各地を駆け回っていた。例えば以前なのはがぶち倒した木々。もう二週間近く放置された案件であるがどのようになっているか確認しない訳にはいかない。そして竜巻まで巻き起こした海鳴近海。今の世の中人工衛星なんてものがあるせいで一体どこに感知されたか考えるのも億劫だ。その他、私が寝ている間に管理局が活動した地点を転々と周り、最後に海へと向かう。途中、管理局からアルフ確保の知らせを受けたが、そっちは任せる事にして、私は私の仕事をする。

 月村にクルーザーを用意してもらって月村忍、ノエルさんと共にちょっとしたクルージング。現場付近に近づいて、その異様に違和感を覚えた。

「魔力痕跡が消されている……」

 封時結界の中とはいえ、魔力の痕跡まで消す事はない。というより、結界を張った痕跡が残る。しかし、この場はとても清潔だ。管理局がそんな所を考えて処理してくれる、なんて事はないだろう。そんな作業、やり方すら知らないはずだ。

 つまり、誰か、こちらの世界の魔術師がここを掃除していった、と考えるのが自然。

「ベルベット・ベルナシーの仕業か……はてさて」

 懸案事項がまた一つ増えた……。

「んーそろそろ船戻していいかしら? ちょっと今日は用事あるのよね」

 月村忍が甲板に置かれたチェアから首をもたげて言う。彼女らにとっては本当に、クルージング以外の何物でもない。

「ええ。構いません。私も飲み物をもらえますか」

「ノエルー、おねがーい」

「畏まりました」

 クルーザーの運転に、このような雑事。本当にお疲れ様です。メイド様。

 

 

 そしてまた翌日。今日は昨日回りきれなかった地点を回ってから管理局と合流する流れとなっている。時刻は朝七時。今日は高町なのはとフェイト・テスタロッサがジュエルシードを掛けて決戦を繰り広げる事となっている。何があってもいいようにギプスは昨夜、外した。というより、時間的に終わっているか、真っ最中といった所だろう。管理局から続報はなし。まあ、プレシアやジュエルシード絡みの事件は私の感知する所ではないので任せておく。つもりだったのだが。

『大変な事になりました! すぐにこちらと合流を、転送の用意は完了しています!』

 切羽詰った執務官補佐、エイミィ・リミエッタの声が脳内に響いた。おや、これはあれか。私もプレシア捕獲に借り出されるのか。なんてのほほんと私は考えていた。

 

 その場を動かないようにと指示され、おとなしく待っているとアースラに転送された。そのまま急ぎブリッジへ。

 正面の大きなスクリーンにプレシア・テスタロッサが映っていた。その足下には倒れた幾人かの管理局員。なるほど、すでに押し入った後、という事か。それをブリッジの人員と共に見つめる、確保されたフェイト・テスタロッサとアルフもいる。その傍になのは。役者は揃っている。しかし……。

「ただいま到着しました。仔細を。……あの、リンディ・ハラオウン艦長殿。プレシア・テスタロッサの手元にジュエルシードが二十個見えるのですが、何かの冗談ですか」

 早朝の決闘。そこでの掛け金はなのはが回収したジュエルシードとフェイトの回収したジュエルシードのはず。ジュエルシード二十一個のうち、いくつかは管理局が押さえていたはず。その分は掛け金には含まれておらず、決闘の掛け金全てを奪われたとしても二十個にはならないはずなのだが?

「……局員の一名がジュエルシードを持ち出して、彼女の元に届けたのよ」

「……それってスパイ?」

「そう簡単なものでもなさそうよ。どうにも、操られていたような雰囲気でしたし」

 今スクリーンの中で倒れている局員の一人がそうらしい。しかし、この差異。どうにも……。

「これで、これで私の娘は甦るわ。ジュエルシード二十個。さあ、契約を果たす時よ! 私は約束を守った、今度はあなたが、口にした大層な奇跡を、私に見せなさい!」

 彼女、プレシアの背にした玉座の裏側に見える扉から、そろりと男が現れた。

 私はその男の顔を見て、驚愕した。

 白いスーツを着て、両腕の裾を血で真っ赤に染めた長身の男。

「クリケット、アイツは?!」

 しばし思考が止まっていた私を、クロノの声が呼び覚ました。クロノも嫌な予感を感じているのか、焦りが見える。

「――ベルベット・ベルナシー。私が追いかけた件の吸血鬼……!」

 ブリッジに緊張が走った。唯一、なのは、フェイト、アルフが呆けた顔をしている。そのずれた感覚も、知らないのだから無理もない。吸血鬼と言った所で、その脅威は目の前にせねばおおよその場合伝わらない。

 プレシアの手より、ジュエルシードがベルベットの元へ渡った。それを阻止するものは誰もいない。ここからは手が出せず、その場にいる者は全てが地に臥している。

「如何にも。頂戴した。かの約束を完璧に遂行したならば、私も十全を持って期待に応えねばなるまい。さあ、感動の再開だ! 死が別けた母と娘の!」

 ベルベットの背後に、フェイトと瓜二つの少女が立っていた。真っ白な、ウェディングドレスを着て、彼女はゆっくりと歩を進める。ベルベットが道を開けて、恭しく礼をした。

「う、嘘……」

 そういったのは、場をモニターしているエイミィの声だった。彼女やクロノ、アースラスタッフは事件の背景を正確に掴んでいたからこそ、目の前の現実を受け入れる事は簡単ではない。

「アリシア・テスタロッサだと?! なぜ生きている! 死者の蘇生なんて不可能だ!」

 クロノが叫ぶ。少女、アリシア・テスタロッサは間違いなく死んでいるのだから。それが動くのは間違いだ。それを聞いて、フェイトが食い入るようにスクリーンを見つめた。小さく「……アリ……シア?」と呟いて、事の顛末を見守っている。うっすらと残る自身の記憶が甦ったのか、かつてアリシアと呼ばれた日が少なからずある事を。

「ああ、ああ……アリシア……アリシア!」

 ゆっくりと歩を進めるアリシアを待ちきれないように、プレシアが駆けた。手に持った杖も、何もかも捨て去って、ただアリシアの前に走り寄る。その手に少女が触れる位置に立って、プレシアは少女を抱きしめた。

「アリシア、アリシア! 会いたかった、ずっと会いたかった……」

「――あの子は?」

 見かねて、なのはが尋ねた。

「……アリシア・テスタロッサ。事故によって二十六年前に亡くした、プレシアの実の娘」

「え……」

 なのはがスクリーンとフェイトを交互に見やり、フェイトに駆け寄ってぎゅっとフェイトを抱きしめた。

「彼女の研究していたのは、人工的な生命の創造。プロジェクトF.A.T.E。その……」

 その先を、エイミィは口にすることはできない。その先を引き継いで、クロノが口を開いた。

「……彼女は娘の蘇生を願って、クローン精製を研究した。そして、その過程で生まれたのが……フェイト・テスタロッサだ」

「リンディ・ハラオウン艦長! 至急、フェイト・テスタロッサをここから連れ出せ!」

 私は語尾を荒げ、告げる。スクリーンに映る、少女を抱きしめたプレシアの様子がおかしい事に気づいたからだ。

「エイミィ!」

「は、はい!」

 エイミィ・リミエッタがフェイトに駆け寄るが、フェイトは動かない。スクリーンを見つめたままだ。エイミィが手を取ると、激しく抵抗し、その場に留まろうとした。

「ま、待って、待って、母さん、母さん!」

「映像を止めろ!」

 スクリーン映る少女の胸元が、赤く染まっていく。血だ。プレシアの首に顔をうずめる少女から、ぐちり、と音が響いた。

「ひっ……」

 アリシアの口元には夥しい血が付着している。それは血を吸う、なんてスマートな物ではない。人を食らっているのだ。肉を、血を、貪り喰らうのだ。

「――動く死体(リビングデッド)

 首を噛み切られたプレシアは、まだ意識があるのか、すでにないのか、未だにアリシアであった物を抱きしめたままだ。その身を進呈するように、嬉々として少女に捧げている。

「あ、ああ、あああ――」

 その様はフェイトにとって、まさに悪夢だろう。愛する母を自らと同じ姿をした者に貪り喰われていく様は、地獄であっても見られる光景ではない。

 フェイトを連れ出そうとしていたエイミィも、アルフも、なのはでさえも、その光景に圧倒されて思考をとめている。

「……クロノ執務官」

「クリケット……ああ、分かっている。急ぎ武装隊と共に突入する! 艦長、指揮を!」

「違います。執務官。急ぎ、あそこを封鎖してください。物理的に隔離されたあの空間であるならば、あの化け物が外にでる心配はありません」

「ま、待って、助けて! 母さんを助けて! そんな事したら母さんが死んじゃう! そんなのは嫌ぁ!」

「まだあの場にいる局員は生存している! 彼らを見捨てる事など……!」

「突入し、いたずらに被害を広げるよりも、ここで封殺したほうが被害は少ない。戦闘中に噛まれた人間が、戦闘後に紛れ込む可能性だってある。私たちが向かい、現場に到着するまでに彼らが無事な保障もない。助けた彼らが牙を向ける事のほうが可能性は大きい! ハラオウン艦長!」

「……しかし、封鎖をかけてもあの場に繋がる転送ポートがある可能性も……」

「海鳴の藤見マンションが、その出口です。あそこはフェイト・テスタロッサの使っていた住居でもあり、ベルベットの本拠地、ベルベットが逃げ込む場所でもある。そこにも急ぎ封時結界を、海鳴が死都となってしまう!」

 しばしの間、ブリッジは静寂した。長い、長い沈黙。時間にしたら五秒ほどの短い間だが、只管に長い。誰もが、リンディの決を待った。

 救助か、封鎖か。

 人命か、使命か。

 酷い葛藤だ。公平さのカケラもない。人の命を吊り天秤に乗せて、その重さを謀る罪深い所業。それを、私は求めている。

「……噛まれた人間を見分ける手段は?」

「ありません。見た目には分かりませんので。日の光に当てれば灰になる、という事くらいですか。あの場、時の庭園ではそれも意味がない。人工光しかありませんから。人間の振りをされればそれまでです」

「……分かりました。エイミィ、海鳴に結界を。クロノ執務官、武装隊と共に出動準備を。各員は時の庭園の封鎖処置を」

「――艦長」

「命令です。これは、私があなた達に出す命令、無視は許しません」

「――くッ……了解」

「嫌、嫌! 母さんを助けて! 嫌ああぁ!」

 リンディは手の空いた人員を捕まえて、フェイトを客室へ移すのを命じると、すぐさま作業に取り掛かった。私はそれを見て、邪魔はしないように静かに見守る。スクリーンを見ると、そこには母を喰らう死体しかいない。首はすでにその六割を失い、あらぬ方向に折れ曲がっている。もはや命がないのは明白だ。それでも飽き足らず貪る姿は醜悪の一言に尽きる。

 そして、その場にベルベットはいない。アリシアに誰もが注目している間に姿を消していた。

「艦長! 海鳴の結界、展開完了しました。それと、海鳴でジュエルシード反応!」

「……モニターを回して」

 

 そこは夜だった。まだ時刻は日が差していなければならない時間にも関わらず、その日、その場だけ。海鳴は夜へと変わっていた。

 魔石によって作られた夜は、薄暗く、その様は肌寒い。電灯も明かりを灯している。結界によって人気の消えたその異様はまさに深夜。

「艦長、藤見マンションから人があふれ出てます! これ……死体です! 腐ってる……」

「執務官! 急いで現場へ! ニーロットさん!」

「私も向かいます。言っておきますが、殲滅です。生存者などありはしない。目に付いた死体は須らく、頭部を吹き飛ばしてください。それと、身体能力を侮らないように。出来るなら高空から狙撃する形が望ましい。接敵する事は避けるように」

「クロノ、聞いていたわね?」

『はい、行きます!』

 

 長い、長い夜が始まる。


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