愛縁航路   作:TTP

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3-2 彼女の影

 病室のベッドに寝転がりながら、怜はウィークリー麻雀トゥデイのページを捲っていた。今週はプロルーキー特集で、一際大きく取り上げられているのは、当然と言うべきかやはり宮永照だった。既に今年の新人賞は確定的と目されており、早くも日本代表のBチームにも選出された。

 

 高校時代から変わらず、世代のフロントランナーとして活躍する彼女のグラビアは、眩しいほどの笑顔だ。

 

「意外と愛想ええんよなぁ」

 

 ぽつりと、怜は文句を零す。対局中は表情一つ変えなかったというのに、詐欺くさい。ぱたんと雑誌を閉じて、怜は枕に頬を寄せた。

 

 昨日散歩の途中で倒れてしまったせいで、しばらく一人での外出は禁じられてしまった。様子見とは言え入院させられてしまったし、検査も増えた。地元から遠い長野の地では、見舞いに来てくれる友人もいない。部屋の外から聞こえてくる蝉の鳴き声が、酷く虚しかった。

 

 テレビをつけても、特に面白い番組はやっていない。インハイシーズンも終わり、プロの試合の中継も時間帯が合っていなかった。長野にいる間は、さほどお世話になる必要もなかったはずの入院生活に、早速辟易してしまう。

 

 ごろん、と怜は寝返りを打つ。

 できるなら、昨日自分を助けてくれた人に会って御礼を言いたい。そんなことも自分の意思でできず、もどかしい。

 

 と、思っていたら。

 

「――……」

 

 扉の向こうから、何者かの声が聞こえてきた――気がする。

 怜は、そっと耳を澄ませてみた。

 

「おい咲、だからそっちじゃないって」

「ご、ごめん京ちゃん」

「二人とも、静かに。病院ですよ」

 

 今度は、はっきりと聞こえた。男の子が一人と、女の子が二人。男の子の声は、つい最近聞いた覚えがあった。

 

 続いて、扉をノックする音。

 

「どうぞー」

 

 おそらく、医師や看護師ではない。体を起こし、できる限り平坦な声で怜は客を促した。

 

「失礼します」

 

 優しい声の挨拶と共に、ゆっくりと扉が開かれる。

 

「あ」

 

 先頭と、最後尾の二人の少女は知った顔だった。

 二年連続インターハイ長野代表、清澄高校の二大エース。原村和と、そして因縁深い血統の宮永咲だ。

 

 話したことは、いずれもない。彼女たちとは二学年離れている上、怜は遅咲きの選手だった。インターミドルで活躍した原村和とも、活躍の場が被った時間は少ない。あの夏はAブロックとBブロックで別たれており、千里山は決勝に進出できなかった。

 

 そして、もう一人病室に入ってきたのは男子。すらりと背が高く、整ってはいるものの若干軽薄そうな顔立ち。こちらは、見覚えがなかった。

 

 ともかくとして――

 どうしても、怜の視線は宮永咲に向かってしまう。

 

 まとう空気はまるで違う。姉のほうは常に淡々と、かつ堂々とした立ち居振る舞いをする。一方の妹は、卓についているときはともかくとして、どこか自信がなさそうな印象を受けるのだ。それでも顔つきや体つきは姉である宮永照に似通っており、姉妹と言われれば頷かざるを得ない。

 

 ――どうして彼女たちが、こんなところに。

 

 一瞬、そんな考えが怜の頭を過ぎる。

 

「もしかして」

 

 だが、そこまで難しい問題ではなかった。

 

「昨日、私を助けてくれたんって、貴女たち?」

「あ、はい。そうなります」

 

 やや躊躇いがちに、先頭の和が頷いた。

 

「こんにちは。えっと」

「園城寺です。園城寺、怜」

「ありがとうございます、園城寺さん。私は――」

「知っとるよー。原村さんやろ?」

 

 和は目を瞬かせたが、すぐに「そうですか」と納得した。流石有名人、こういう対応にも慣れているようだ。

 

 続いて和は、隣の咲を紹介してくれる。

 

「こちらは宮永咲さんです。昨日、園城寺さんを一番に発見したのが彼女です」

「それはそれは。ほんま助かりました」

「い、いえ」

 

 恥ずかしそうに咲は両の手のひらを振って、言った。

 

「私、おろおろするばかりで何もできなくて。救急車を呼んだのは和ちゃんだし、山の下まで園城寺さんを運んだのは京ちゃんだったし」

「見つけてくれただけで十分やって」

 

 やはり性格も、姉のほうとは大分違うようだ。どちらが良い悪いという話ではないが、あまり身構える必要もなさそうだ、と怜は思った。

 

「そんで――私をおぶって走ってくれたんが、そちらの『きょーちゃん』さん?」

「え、あ、はい」

 

 少し間の抜けた怜の呼び方に、彼は戸惑い気味に答えた。

 

「須賀くんです。須賀京太郎くん」

 

 和のフォローを受けて、ふむ、と怜は呟く。

 

「ありがとな。おかげで助かったわ、きょーちゃんさん」

「……さんは余計だと思うんですけど」

「ええやん。男の子が細かいこと気にしてたらあかんで」

「はぁ」

 

 首を傾げる京太郎が何だかおかしくて、怜はくすりと笑った。体は大きいが、嗜虐心がそそられる可愛らしさを感じる。

 

 それから怜は、三人へ改めて自己紹介した。

 自分の出身や体のこと、麻雀をやっていること、実は女子の部で同じインターハイに出場していたこと、長野には療養に来ていること。

 

 途中麻雀の話題で盛り上がりながらも、ひとしきり説明を終えると、怜は三人にもう一度頭を下げた。

 

「ほんまにありがとう、三人とも。あそこまで酷いのは滅多にないから、ちょっと油断しとったみたい」

「いえいえ」

「園城寺さんが無事で良かったです」

 

 やはり麻雀という共通項があるためか、怜は三人とすっかり打ち解けることができた。初対面だというのに、軽やかに口が回る。

 

 気付けば時間も忘れて、話し込んでしまっていた。夏場の陽はまだ高いが、時計の針は容赦なく進む。

 

「それじゃ、この辺で」

「あ……うん。ごめんな、すっかり引き止めてしもうて」

「いいえ、お気になさらず」

 

 三人が、病室から出て行く。

 思わず、怜は彼女たちを引き止めてしまいそうになった。倒れてしまったせいで、色々としがらみが増えている。しばらく一人で自由に出歩ける身ではなくなった。竜華あたりに電話をかければ紛らわせるだろうが、彼女もまた忙しいだろう。

 

 当然、和たちも暇なわけではない。たまたま出会った病弱な娘にいつまでもかまけている時間などないはずだ。

 

 我が儘など、言えない。人肌恋しいなど、言ってはならない。かけたい言葉を飲み込んで、怜はぎゅっとシーツを掴んだ。

 

 和と咲が、病室を出て。

 最後に残った京太郎が扉に手をかけたまま、首だけ振り返って、怜に声をかけてきた。

 

「園城寺さん」

「ん?」

「それじゃ、また」

 

 そう言い残し、彼は出て行った。病室に一人残された怜は、小首を傾げた。

 

 

 ◇

 

 

 翌日の夕方、京太郎は当たり前のように怜の病室に現れた。

 

「こんにちは、園城寺さん」

「……こんにちは」

 

 びっくりしすぎて、挨拶がワンテンポ遅れた。まともな突っ込みもできず、関西人として情けなかった。

 

 ベッドの近くの椅子に腰掛ける彼に向かって、怜は疑問を投げかける。

 

「なんで来てくれたん?」

「昨日、『また』って言ったじゃないですか」

「いやいや、そうやなくて。わざわざこんなところまで来るなんて、暇なん?」

 

 関西の言葉は聞く者が聞けば辛辣に聞こえるから、余所では穏やかに喋るように――そう注意されたこともあったが、怜はそんなこと構っていられなかった。驚きと困惑と、それから言い表しようのない感情が胸で渦巻く。

 

「暇でもないですけど。麻雀の練習もしなくちゃいけないし」

「そんならなんで?」

「だって、園城寺さんが寂しそうだったから」

「……はぁ? 何言ってんの?」

「うわ、冷たっ」

 

 悪態でもつかなければ、色々とぼろが出そうだった。怜はふいっと顔を逸らしてから、

 

「まぁでも、……あんがと」

 

 と、お礼を言った。ほっと安堵の息を吐く音が聞こえた。

 

 特に何をするというわけでもない。二人で麻雀をするのも寂しいし、そもそも道具だってない。ただ、怜は女子校育ちである。男子に免疫がない、とまでは言わないが、同年代の男の子というのは日常から離れた存在だった。京太郎の口が特別上手いのか分からないが、二人だけでも会話は弾んだ。

 

「そもそもなんやけど、きょーちゃんさんたちはなんであんな山の中おったん?」

「あそこは俺や咲のお気に入りの場所なんですよ。綺麗だったでしょう?」

「確かにそうやったけど」

「で、あの日後輩たちが夏風邪こじらせるわ優希はタコス食い過ぎで腹壊すわで部活出たの俺たち三人だけだったんですよ。仕方ないから早めに部活切り上げて、たまには外出歩いてみるかって話になったんです」

「なんや、それじゃあ私は風邪とタコスに救われたん?」

「まさしくその通りですね」

 

 酷い話やなぁ、と怜は笑う。とても楽しかった。彼が帰ってしまうのが、とても名残惜しくなるくらいに。

 

 ――けれども。

 

 翌日も、その翌日も、彼は病室を訪れてくれた。毎日ではないものの、和や咲、他の清澄高校の部員もお見舞いに来てくれた。一々寂しいなどと思う暇もないくらい、賑やかな日々が続いた。

 

 高校生の夏休みも残り僅か、というその日は麻雀部が休みということで、朝から京太郎は見舞いに来ていた。

 

 この頃になると、彼との距離はかなり短くなっていた。少なくとも、怜はそう思っていた。

 

 りんごの皮を剥く京太郎の頭のてっぺんから足の指先まで観察してから、ううむと唸り、怜は彼に声をかけた。

 

「ちょっとちょっと、きょーちゃんさん」

「はい?」

「こっち座って」

 

 ぽんぽんと叩くのは、自分のベッド。京太郎は、「はぁ」と曖昧に頷きながらも、包丁を置いて言われるがままに従う。

 

 怜はそんな彼の膝元へ、自分の頭を預けた。膝枕の形である。

 

「あの、園城寺さん?」

「しっ。黙って」

「は、はい」

 

 いつになく真剣な怜の声に、京太郎は押し黙る。そのままたっぷり三十秒、そうしていた。やがて怜は体を起こし、

 

「やっぱあかんな。男の子の膝はゴツすぎるわ。セーラが柔らかく感じる」

「……なんだかすみません」

「むぅ。それじゃ、元の場所座って。背中はこっち向けてな」

「は、はい」

 

 怜の視界に広がるのは、大きな背中。試そう試そうと思ってはいたが、中々機会が回ってこなかった。

 

 ごくりと生唾を飲み込んで、怜は頬を彼の背中に寄せた。

 

「おお……」

「ちょ、え、何やってるんですか園城寺さんっ?」

「この感触中々ええな、と思って狙ってたんや。動いたらあかんで」

「これって逆セクハラなんじゃないんですかね」

「ええやん減るもんやあらへんし」

 

 しばらく怜は京太郎の背中にくっついていた。検診にきた看護士さんに驚かれて、ようやく離れたときには彼の背中は汗ばんでいた。剥いてもらったりんごを頬張りながら、怜はいけしゃあしゃあと言う。

 

「次回もよろしくな、きょーちゃんさん」

「次回もあるんですか」

「当然やん。これがあったらしばらく生きて行けそうやわ」

 

 堂々と胸を張る怜に、京太郎は溜息を吐く。

 

「今日、近くで夏祭りあるの知ってます?」

「ん?」

「気分転換がてらに一緒にどうですかって思ってたんですけど、どうやら要らぬお世話――」

「行く!」

 

 元気よく、怜は手を上げた。ここのところずっと病室に引きこもり続けていたのだ。付き添いがいれば外出も可能、と昨日医師から許諾は得ている。今更夏祭りくらいで浮かれる年頃でもなかったが、溜まっていた鬱憤は大きかった。

 

「連れてって!」

「全く、調子良すぎですよ」

「そうは言っても連れてってくれるきょーちゃんさんが好きやで」

「……む」

 

 少し頬を朱に染めて、京太郎はそっぽ向いた。やはり可愛い。年下の男の子をからかうのは、とても楽しい。

 

 結局甘えに甘えて、怜は京太郎を口説き落とした。

 考えてみれば男の子と出歩くなんて初めてだ。もうちょっと着飾りたいな、とは思うが突然のこと、浴衣など当然準備できない。残念だった。

 

 夕刻を過ぎ、二人は病院を出た。

 祭りは近くの神社を中心に行われていた。ずらりと夜店が立ち並び、おお、と怜は興奮する。

 

「京ちゃん」

「園城寺さん」

 

 背中から、自分たちの名を呼ぶ声がかかった。振り返れば、和や咲、もう一人の同級生である優希が立っていた。二人とも、綺麗な浴衣を身に纏っていた。

 

「おー、これでみんな揃ったな」

 

 京太郎が満足気に頷く。彼の顔を見上げながら、怜は思った。

 

 ――なんや、二人きりやないんか。

 

 残念であると。

そう考えている自分に気付いて、はたと彼女は足を止めた。ほう、と妙な声が出た。それからしばらく目を閉じ、思索した結果。

 

「いや、それはないわ」

 

 確かに魅力的な背中ではあるが、そういうのではない。園城寺怜、命を助けられたからといって惚れるほど安っぽい女ではない。彼女は自嘲気味に笑って、呟いた。

 

「なにせ、昔っから誰かに助けられてばっかりやったからな」

「何か言いました?」

「なんでもあらへんよ、きょーちゃんさん」

 

 京太郎から離れて、怜は和たちに挨拶をする。

 清澄の面々と、怜は祭りを練り歩いた。普段聞かない喧噪や太鼓の音が、耳に心地良い。優希が次々と食べ歩いていくジャンクフードに心惹かれたが、一応は自重しておく。

 

 代わりと言っては何だが、射的やら型抜きやらで盛り上がった。和が意外に不器用であったり、初めて挑戦したという割に咲が精密な射撃を見せてみたりと、中々に興味深かった。

 

 幼い頃一度やったかやらなかったくらいだが、怜は綺麗に型抜きをクリアし、景品を貰った。子供が喜びそうなシールの詰め合わせだった。

 

「この歳になると使いどころが分からへんな」

「昔はあちこちぺたぺた貼ったものですけどね」

 

 咲も同じようにシールを貰って、苦笑いを浮かべる。彼女ともすっかり打ち解けることができた。

 ただ、彼女の姉の話はできていない。しなくてはいけない、というわけでもない。だが、怜は意図せずして忌避していた。

 

 宮永照と、宮永咲は違う。

 

 分かってはいる。知っている。だが、彼女を見ているとどうしても宮永照の影がちらついてしまうのだ。

 

 迷いを振り切るように、怜は顔を上げた。

 

「あ、あれ可愛い」

 

 その先、射的屋で追加された賞品に目が止まり、怜は歓声を上げる。

 

「可愛い……ですか?」

 

 問うたのは、京太郎。何せ怜が指差したのは、どちらかというと不気味な感じのする狐面だったのだから。子供向けのお面屋で売っているような、安っぽいプラスチック製のものではなく、かなりしっかりした作りのものだ。それがまた、妙な威圧感を醸しだしている。

 

「あれとって、きょーちゃんさん」

「簡単に言ってくれますね」

「こういうとき格好ええとこ見せたら女の子はころっといくもんやで」

「どうせ『私は違うけどな』とか言うんでしょ?」

「きょーちゃんさんも私のこと分かってきたやん」

「はいはい」

 

 何だかんだと言いながら、京太郎は挑戦してくれた。三度目のチャレンジで、見事に狐面を台から叩き落とした。

 

「おお……」

 

 怜は狐面を受け取り、近くでまじまじと観察して、

 

「……やっぱりあんま可愛くないな」

「酷っ!」

「ああ、でもさっきの」

 

 取り出したるは、型抜きで貰ったシール。その中からハート型のシールを選び取り、怜は仮面の目元に貼り付けた。

 

「うん。これで大分可愛くなったわ」

「わっ、可愛い」

「アリですね」

「ほんどだじぇ!」

 

 女子たちが追随してくれる中、京太郎だけが納得していないようだった。男子は感覚が違うのか、と思いながらも怜は彼に文句をつけた。

 

「もうちょっと喜んで欲しいわ。きょーちゃんさんと私の初めての共同作業やで」

「その言い回しはおかしいです」

「ん? 照れとるんか?」

「照れてませんっ」

 

 ぷいっとそっぽを向く京太郎がおかしくて、女子たちは揃って笑った。

 怜の事情もあり、あまり長居せずに一同は帰路に就いた。帰り道、狐面は怜の腕の中で大切に抱かれていた。

 

「それじゃ、ここで」

 

 病院前まで送ってもらい、怜は四人と別れの挨拶をする。

 

「今日はありがとな、みんな」

「私たちも楽しかったです」

 

 二つ年下の彼女たちは皆優しく、怜は今まで以上にこの地を気に入っていた。だが、そろそろタイムリミットが近づいていた。清澄の面々も、二学期が始まってしまえば今までのようにお見舞いに来てはくれなくなるだろう。

 

 最後の瞬間まで怜は悩み、しかし、彼女ははっきりと言った。

 

「咲ちゃんにお願いがあるんやけど」

「はい? 何でしょう?」

「――私と麻雀、打ってくれへん?」

 

 その希望は、どこから生まれたものなのか。

 口にした怜自身、未だによく分かっていなかった。

 

 

 




次回:3-3 彼がいたから

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