愛縁航路   作:TTP

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10-3 真相

 雀荘に現れたるは、鬼面の麻雀仮面。

 

 相対するのは、犬面の麻雀仮面。その正体は、高鴨穏乃。今この場でそれを知るのは、煌のみである。

 

 穏乃の活躍により、雀荘には多くの雀士たちが集まっていた。いずれも腕に自信のある者ばかりだったが、既に大半は穏乃の前に沈んでいる。

 煌としてはそろそろ移動する腹積もりだったが、もちろんこうなっては迎え撃つ他ない。挑発行為を先にとったのはこちらだ。戦いは避けられないだろう。

 

「真・麻雀仮面とは言うてくれるやん」

 

 鬼面の麻雀仮面は軽く肩を竦めると、穏乃を見下ろす。

 

「ほんもんの強さ、教えたるわ」

「望むところです!」

 

 二人は卓につく。

 この時点で、目的の大半は達成できたと言えよう。はっきり言って、ここで穏乃が勝っても負けても、大勢に変わりはない――当然、勝つに越したことはないが。

 

 煌はギャラリーに紛れて、第三者を装い様子を窺う。穏乃が全ての目を引きつけている現状は、大人しくしているのが最善策。煌はそれを、重々承知していた。

 

 だが、二人の麻雀仮面に気後れしてか、面子は中々集まらなかった。穏乃が強さを見せつけた後というのもあるだろう。このまま二人麻雀を始めかねない流れだった。それでも問題ないはずだったが、しかし、煌は前に歩み出ていた。ほとんど衝動的な行動だった。煌自身、この選択を信じられなかった。

 

「私も混ぜて貰っても?」

「ふーん」

 

 鬼面の麻雀仮面に、値踏みするように煌を頭のてっぺんから靴先まで視線を向けられる。それだけで全てを見透かされた気がして、不安を覚える。けれどももう、後戻りはできない。

 

「ま、ええやろ。お前はどうなんや?」

「わ、私も大丈夫です」

 

 穏乃はやや戸惑いながらも、首肯する。予定にはなかったが、機転を利かせて他人のフリをしてくれたようだ。

 

「すばら! ありがとうございます」

 

 彼女には申し訳ないと思いながらも、煌は引き下がれない。

 理屈にそぐわない、自らの役割を忘れた暴挙――分かっている。自分の実力を度外視した無謀な挑戦だということも――分かっている。全て承知の上だ。

 

 けれども湧き上がる感情を止める手段は、煌は知らなかった。分からなかった。

 結局最後の一人は捕まらず、三麻となる。

 

 ――穏乃と二人で挑めば、有利に進められる。一瞬過ぎったそんな考えは、卓に着いてすぐに吹き飛ばされた。

 

「ツモ!」

 

 鬼面の麻雀仮面が、威勢良く牌を倒す。

 

「ツモです」

 

 犬面の麻雀仮面――穏乃も、負けじと和了る。

 

 始まったのは、容赦も遠慮もない殴り合い。高校時代の穏乃はスロースターターの気があったと煌は記憶していたが、あっという間に認識を改めることになった。

 

 防御が得意などと、言っていられない。二人のツモ和了だけで飛ばされてしまいかねない。さりとて、二人の間に割って入るほどの力もない。ここで積み上げた練習の成果を発揮できるわけでもなく、秘められた能力が開花するわけでもない。

 

 募るのは、悔しさばかりだった。

 

 相手がプロだから。麻雀仮面だから。そんな言い訳は、慰めにならない。したくもない。まざまざと見せつけられる実力差。才能の壁。積み上げた努力の量。フラッシュバックするのは、インハイでの無残な点差。

 

「ロン!」

「す、すばら……っ?」

 

 意図しない振り込み。予想外の角度からの攻撃。

 ただただ蹂躙されるだけの、苦々しさ。

 

 ――けれども。

 

 悔しさは、同時に煌に安堵を与えてくれた。

 悔しさを感じられなくなったら、終わりだ。圧倒的な差を見せつけられて、絶望して諦めてしまったときが雀士としての死を迎える。

 

 ともすれば、辻垣内智葉との一戦を避けほっとした自分は、既にそうなっていたのではないかと考えていた。大好きな先輩や友人の仲間として、相応しくないのではないか――と、危惧していた。

 

 けれども、違った。ちゃんと悔しがれた。

 

 ――それも、これも。

 

 全部、あの諦めの悪い後輩の影響だ。

 失礼を承知で言えば、煌の目から見ても、特別才能があるようには見えなかった。きっと絶望したこともあっただろう。何度も諦めかけたのだろう。

 

 しかし、彼は抗い続けている。抗い続けて、前に進んでいる。

 

知らず知らずのうちに、彼の泥臭さに救われていたのだ。人は自分を前向きだとか、折れない心を持っているだとか評価するけれど、やりたい放題やられて、何よりも仲間の足を引っ張って、へらへらしていられるほど強くない。どこかで糸が切れていてもおかしくはなかった。

 

 全く、逃げられなくなるわけだ。こんな化け物相手に、無謀な戦いを挑みにいくわけだ。

 

「ツモ!」

 

 穏乃が和了る。煌の点数は最早風然の灯火だ。

大勢は決した。実力差を勘案すれば、ここから煌が逆転するのは不可能であろう。二人の麻雀仮面の点だけが拮抗している。

 

 だが。

 

このまま手も足も出ず負けましたでは、麻雀部員たち全員に顔向けできない。自分たちはインカレ優勝を目指しているのだから。取り囲む大学生のギャラリーからも舐められっぱなしで終われないのだ。

 

「リーチ」

 

 鬼面の麻雀仮面が、リー棒を卓に放る。

 ここぞとばかりに、煌は追いかけた。

 

「私もリーチです!」

「ほー」

 

 この麻雀仮面は、園城寺怜よりも攻めの姿勢に重点を置いている。勝算は、あった。何が何でも掴ませてやる、そんな気迫が漏れ出ていた。

 

「ポン」

 

 穏乃がツモ順をズラす。

 そして、鬼面の麻雀仮面の次順。ツモはならず、指先から牌が滑り落ちる。

 

「ロン! 7700! すばら!」

 

 威勢良く、煌は和了した。

 

「おおぅ。やるやん」

 

 振り込んだにも関わらず、鬼面は嬉しそうだ。点差もあるだろうが、純粋に煌の打牌を楽しんでいるようだった。

 

 迎える最終局。

 

 ――まだまだここからですっ。

 

 煌はこの劣勢にあって、逆転の目を探っていた。今の和了でまだ戦える手応えを感じたのだ。暫定トップは穏乃なので、彼女に勝たせるよう動くべきなのは理解している。それでも雀士の本能が、勝ちを求めてしまっていた。

 

 けれども、

 

「おっと、ツモや」

 

 あっさりと、鬼面の麻雀仮面が和了してしまった。ああ、と零れる溜息を押し殺せず、煌は椅子に背中を預けた。

 

 だが、沈んでばかりはいられない。

 

「俺とそっちの麻雀仮面が同点やけど、起家は俺や。俺の勝ちやな」

 

 勝者は鬼面の麻雀仮面だった。腕組みして、穏乃の面をにやにや笑いと共に睨め付ける。

 

 ――こ、これはマズいですよ……!

 

 焦る煌だったが、意外にも鬼面はふっと緊張を解いた。

 

「ほんまなら、ここでお前の面脱げ言うところなんやろうけどな」

「む……」

「ま、結構楽しめたし」

 

 麻雀仮面は煌に一瞬視線を送ってから、今一度穏乃に向き直る。

 

「今日のところは引き分けにしたるわ。これに懲りたらふざけた真似すんなよ」

 

 そう言い残すと、麻雀仮面はざわつく雀荘の中を颯爽と去って行った。誰一人として、声をかけることはできなかった。

 もう一度煌は深い溜息を吐いてから、

 

「お疲れ様でした」

 

 穏乃に労いをかける。しばらく穏乃は雀荘の出入口を眺めていたが、やがてこっくりと頷いた。

 

 それから煌と穏乃は、タイミングをズラして雀荘を出た。自分たちには数名から対局の誘いがあったが、全て丁重にお断りした。

 

 戻ってきたのは、穏乃の車。助手席に煌、運転席に穏乃が座る。パーキングからはすぐに車を出さず、始まるのは反省会。始まりから暴走、さらに負けた上、手心を加えられた。何に言い訳も立たない完敗だった。

 

「いやすみません、勝手に打ち始めてしまって」

「あ――い、いえ、仕方ないですよ。あの人を前にして、わくわくする気持ちは分かります」

 

 煌の謝罪に、穏乃はどこか心ここにあらずと言った様子で答えた。

 

「どうかしましたか?」

 

 気になった煌が訊ねると、穏乃は自分の両の掌を見つめながら、

 

「あの麻雀仮面……どこかで戦った気がするんです。それも、最近」

「……高鴨さんが最近戦ったとなると」

「プロの、誰かですね」

 

 驚きはなかった。そのくらいの実力はあるだろう。動機はさっぱり分からないままだが。

 

「ああ、もうー! すみません、私が勝ってたらもっと簡単だったのに。折角麻雀仮面見つけたのに」

「ああいえ、その点は問題ないですよ」

「えっ? また真・麻雀仮面作戦をするんですか?」

「いえいえ、それには及びません」

 

 煌は自分のスマートフォンの電源を起動する。画面に表示されるのは、この辺一帯の地図だった。そこに、青い光が一つ点滅している。

 

「なんですかこれ?」

「発信器です。先ほどどさくさに紛れてあの麻雀仮面さんに付けさせて頂きました。これで彼女を追いかけられます。あ、秘密にしておいて下さいね?」

 

 しばらくの間、沈黙があった。

 それから、いつも元気な穏乃にしては珍しく、やや暗めの声で訊ねた。

 

「やっぱり花田さんって、何者なんですか?」

「やっぱりただのしがない大学生ですよ」

 

 

 ◇

 

 

 麻雀仮面を示す光点は、池袋の一角に向かっていた。穏乃が車を走らせ、現場に急行する。先回りとまではいかなかったものの、

 

「いた……!」

 

 煌たちは彼女の背中を捉えることに成功した。あの極めてラフな格好、トゲトゲの頭。鬼面は外しているようだが、真正面に回り込めず顔は確認できない。しかしあの雰囲気は間違いなく、発信器の表示も間違いなく彼女を指し示していた。

 

「私の後についてきてください」

「はいっ」

「静かに」

「は、はい……」

 

 煌が先導し、尾行を開始する。穏乃はともかく自分は面が割れているため、慎重にならざるを得ない。

 

 距離を保ちつつ、煌はしっかり麻雀仮面を尾ける。幸い、露見する気配はなかった。

 麻雀仮面がまた別の雀荘に向かうのなら、近くの喫茶店で時間を潰そうかとも考えていた矢先のこと。

 

 麻雀仮面は、中心街からやや離れた場所にあるビルへと足を踏み入れた。外側から双眼鏡で注視していた煌は、彼女がビルの中にあるバーへ入って行くのを確認する。

 

「まだ真っ昼間なのに、お酒でも飲むつもりなんでしょうか」

「ちょっと待って下さい。あれって……」

 

 穏乃が眉間に皺を寄せて、何やら思案する。それからすぐに、はっと何かを思い出したようだ。

 

「私、プロになりたての頃あの店に一度だけ先輩に連れて行って貰った記憶があります。麻雀プロ御用達の店で、中で麻雀も打てるようになってるんです。店長さんが麻雀協会の役員さんと仲が良いとかで」

「……麻雀仮面のアジト、というわけですか」

「どうしますか?」

「行きましょう」

 

 さらりと煌は答えた。この一件に麻雀プロが関わっているのなら、取って食われるということもあるまい。ただ懸念も残る。煌は穏乃に向かって、

 

「高鴨さんはここで待っていて下さい。もしかしたらプロ同士のいざこざに発展するかも――」

「私も行きます」

「……」

 

 燃える瞳を、鎮める術を煌は知らなかった。恋心というのはどこまでも恐ろしい。仕方なく、煌は首肯した。

 

「ではできるだけ見つからないよう、忍び込みましょう。私たちの最終目標は須賀くんです。彼があそこにいるかどうか、それだけを確認したら撤退です」

「分かりました!」

 

 かくして二人はビルに向かう。

 バーは、当然ながら営業時間外だった。しかしドアノブはあっさり回ってしまう。

 音を立てずに、煌は中に侵入する。バーの中は暗く、先ほど入って行ったはずの麻雀仮面も含めて誰もいなかった。

 

「奥に階段があったはずです」

 

 穏乃の囁き声に応じ、煌はさらに歩を進めた。進言通り、店内に下へ降りる階段があった。慎重に、一段ずつ降りていく。

 

 静寂に包まれていた店内だったが、下のほうからは人の気配が感じられた。女性の声。衣擦れの音。――そして、打牌音。

 

 閉まりきっていない扉に辿り着く。漏れ出るのは、照明の光。

 煌と穏乃は頷き合い、そっと中を覗き見た。

 

「――っ」

 

 驚きに、煌は声を詰まらせる。

 その部屋には、情報通りに麻雀卓があった。そしてそれを囲むのは――

 

 仮面。

 仮面、仮面。

 仮面を着けた女性たち。

 

 幾人もの麻雀仮面たちが、そこにいた。

 

 ある種異様な光景。すわ何かの儀式か、と煌はごくりと唾を飲み込む。

 そんなときだった。

 

 

「ああーっ」

 

 

 急に、穏乃が大きな声を上げた。その理由を、遅れて気付く。――あったのだ。

 麻雀仮面に取り囲まれている青年。我らが麻雀部ただ一人の男性部員。彼を、探し求めてここまで来た。

 

 須賀京太郎の姿が、あったのだ。

 

 元気そうで一安心、というわけにはいかない。

 

「あ」

 

 穏乃が、自分の口を両手で塞ぐ。しかしもう遅かった。

 部屋の中の麻雀仮面たちが、穏乃の声に釣られて一斉にこちらを振り向く。感じるのは、殺気。

 

 一瞬の沈黙があった。

 

 その後、

 

「誰かあいつら捕まえぇっ!」

 

 麻雀仮面の咆哮と、

 

「逃げますよっ!」

 

 煌の指示が、重なった。

 だが、通路は狭く上手く走れない。追いつかれるのは必至。

 

 せめて穏乃だけでも、と煌は彼女の背中を押す。

 同時に、煌は羽交い締めにされてその場に押し倒された。

 

「うっ、くぅっ」

 

 顎を打ち、悶える。

 

「花田さん!」

「良いから行って下さい! 早く!」

 

 苦渋に顔を歪ませる穏乃に、煌はあえて微笑みかける。年長としての役割を果たせた。けれども、ああ、ここで私の冒険は終わりか――なんて陶酔に浸ることは、許されなかった。

 

「……あれ?」

「……ん?」

 上から押さえ付けてくる力が、弱まる。煌は訝しんで、顔を上げた。

 

「えーっとぉ……」

「え……?」

「花田?」

 

 煌を捕まえていた麻雀仮面が、その猫の面を外す。現れたのは、

 

「ひ……姫子? なんでっ?」

 

 旧知の仲、つい先日もお茶をした親友――麻雀プロ、鶴田姫子だった。

 

 お互い間抜けにぽかんと口を開けて、言葉も出ない。何故だ。彼女は麻雀仮面のことは知らなかったはず。なんでこんなところに。煌の頭の中で疑問がぐるぐる回るが、回答する者は当然いない。穏乃は足を止め、わらわらと麻雀仮面が集ってくる。しかし、襲いかかられることはなかった。全員が、困惑しているようだった。

 

 しかし混乱は、そこで収束しなかった。

 かつん、かつん、と階段を降りてくる足音が響き渡る。その場にいた全員が、そちらに視線を送る。

 

「は……?」

 

 降りてきたのは、煌もよく知る人物。だが、やはり間の抜けた声しか出てこなかった。

 

「……そんなとこで何しとるん? 煌ちゃん」

「恭子先輩こそ、どうしてここに?」

 

 東帝大学麻雀部部長。

 末原恭子、その人だった。

 

 

 ◇

 

 

「事の発端は、うちが洋榎に麻雀仮面のこと……園城寺の話をしてもうたことにあるんや」

 

 場所をバーに移して、恭子が滔々と説明を始める。恭子はいつも部室で話してるような調子だが、煌はどうにも落ち着かなかった。

 

 なぜなら、周りをずらりと取り囲むのは同世代のプロたち。

 

 高校の先輩でもある白水哩。

 親友の鶴田姫子。

 先ほど雀荘で戦った鬼面の麻雀仮面、江口セーラ。

 世界ランカー、フランス出身の雀明華。

 恭子の隣に座るのは、彼女と同じ姫松出身のサラブレッド・愛宕洋榎。

 

 他にもリーグで活躍するプロが多数。そうそうたる面子である。――その、彼女たち全員が麻雀仮面だったと言うのだ。

 

「うちらにとって、麻雀仮面の噂は率直に言って面倒やった。いつまで経っても消えへんしな。酒の場でそれを愚痴ってもうたんや。そしたら、洋榎が『別の麻雀仮面を作ればええ』って言い出してな」

「それはまた、どうして」

「毒をもって毒を制す、やないけど。シナリオはこうや。――新しい麻雀仮面が現れる。そんで暴れまくる。で、最後にプロ雀士だったと正体を明かす。そしたら、春の麻雀仮面もそうだったんやって世間に思わせられる。――らしいで」

 

 そういうわけか、と煌は引き攣った笑みを浮かべた。中々に荒っぽい作戦だ。

 

「煌ちゃんも思うやろ。無茶苦茶やって」

「そんな文句言うなや、グッドアイディアやろ」

「せめてやる前に一度相談欲しかった言うてんねん」

 

 胸を張る洋榎を窘めて、恭子は深い溜息を吐いた。

 

 大阪や名古屋で出現したのも、その一環。ある意味での予行演習だったらしい。ちなみにそれぞれ正体は愛宕洋榎と白水哩とのこと。

 

「いやしかし、その作戦によくこれだけのプロが乗ってきましたね……」

「もちろん私たちにも思惑はあった」

「哩さん」

 

 仮面を弄びながら、答えたのは先輩の白水哩。さらに彼女の言葉を、江口セーラが引き継いだ。

 

「来年U-21の世界大会があるやろ。秋口にその強化合宿をやるんや。大体プロとインカレ上位校の一部の選手を呼ぶ予定なんやけどな。それ以外にも、埋もれとる奴や急に伸びた奴がおるかも知れん。そういう奴らをな、俺たち自身の目で見極めたかったんや。ま、洋榎の作戦はそれに乗った形やな」

「ははぁー」

「繰り返しになるけど、さっきは楽しませて貰ったで。やるやん、花田」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 江口セーラに褒められて、嬉しくないはずがなかった。こそばゆい想いをしながら、煌はお礼を言う。

 ここで疑問の声を上げたのは、穏乃だった。

 

「あの、私そんな話聞いてなかったんですけど」

「一年目は免除したんや。……まあ、宮永も大星もお前もすぐにボロを出しそうやって意見が多いのもあってな」

「酷い!」

 

 ショックを受ける穏乃だったが、言い返せない様子であった。煌は苦笑いを浮かべてから、今度は親友に訊ねる。

 

「姫子はどうして? この間会ったときは麻雀仮面、知らなかったよね?」

「あの後哩さんと合流してから知らされたの。解説の仕事に加えて麻雀仮面もやらされて、大変やったよ」

「そういうわけですか」

 

 ようやっと、麻雀仮面に関する疑問は氷解した。

 だが、問題はまだ残っている。

 

「で」

 

 煌が口を開く前に、うんざりしたように声を上げたのが恭子だった。

 

「なんで須賀がここにおるん? しかも、かなり長いこと拘束してたんやろ?」

「えっとー……ですね……」

 

 部屋の隅で息を潜めていた京太郎が、冷や汗を流しながら言葉を詰まらせる。恭子の怒気は、煌にまで伝わってきた。

 

 彼がここにいる理由は、今までの話では説明がつかない。恭子も麻雀仮面の作戦は知れど、詳細な推移までは把握していなかったようだ。まさに、イレギュラーな存在だろう。

 

「す、須賀くんは私ば助けてくれたんです」

「え、えっ?」

 

 庇うように京太郎の前に立ったのは、まさかの姫子だった。あまり交流のない彼女の行動に恭子もたじろぐ。煌も狼狽した。

 

「私が鈍くさくて、仮面を外されそうになったんばい。そこば助けてくれたのが須賀くんで」

 

 姫子がちらりと京太郎の顔を見上げ、少しはにかんだ。哩はうんうんと頷いているが、穏乃は凄い勢いで京太郎と姫子に視線を送る。これはまた面倒なことになるかも、と煌は予感した。

 一方で慌てるように、恭子が立ち上がる。

 

「ちょ、ちょう待ち。じゃあなんでこんなとこに連れてきたんや。それでお別れしてばいばいでええやろ」

「逃げてるときに、仮面が外れてしまったんです。顔を見られたので、どうしたものかとみんなに相談しようとここまで来て貰ったんです」

 

 なるほど、と煌は一瞬納得しかけたが、

 

「口封じで軟禁してたってことですか? 不法侵入した私が責める権利はありませんけど……」

「それは――」

「それは、私から説明しますね」

 

 姫子の言葉を引き継いだのは、これまで黙っていた、この場唯一の外国人。

 風神、雀明華。

 説明しようとする明華を、恭子が制した。

 

「……いやいや。あんたもよう分からんのやけど。日本のU-21選考になんであんたが関わるん?」

「麻雀仮面はテルやヒロエに頼まれてお手伝いをしただけですよ。U-21の合宿に関してはノータッチです。ただ、私にも目的がありました」

 

 どこかおっとりとした立ち居振る舞いを崩さず、明華は京太郎の肩に手を置く。一瞬、一部でざわめきが起こったが煌は無視した。

 

「彼にも予定があったようですが、麻雀仮面の秘匿を優先させていただきました。あ、これはみんなで決めたことですよ?」

「では、貴女の目的というのは?」

 

 煌の質問に、明華はこっくりと頷いてから、言葉を繰る。

 

「……欧州では今、若手男子の強化育成プログラムに取り組んでいる大学の研究チームがあるんです。近年麻雀界では、男子は女子に押されがちですが、そこに風穴を開けたいという思惑がありますね」

 

 煌は居住まいを正す。しっかりと聞かねばならない話だと、すぐに理解した。部員に危機が迫りやや喧嘩腰だった恭子も、すっかり大人しくなり耳を傾けている。

 

「その強化育成選手候補を、今世界的に集めているんです。そして、日本に縁のある私や、ヨーロッパの試合にも参戦しているテルに、声がかかったんです。『有望な男子はいないか』、と。そして私たちは、彼に……須賀くんに目をつけました」

「え、ええーっ? どうして俺にっ?」

 

 京太郎も初めて聞く話なのだろう、驚きで目を丸くしている。しかし明華は淡々と説明を続ける。

 

「麻雀仮面として雀荘を渡り歩いた結果です。ここにはいませんが、テルも『推薦するなら彼』と言っていました。彼女とも先日打ったんでしょう?」

「あ……あのとき……」

 

 覚えがあるのか、京太郎は頷く。明華はにっこりと笑った。

 

「そして昨日からここで他の皆さんとも打って貰い、確かめました。――どうですか皆さん、彼の可能性は」

「俺は前から目つけてたからな。特訓も付き合ったことあるし」

 

 すぐに答えたのはセーラ。さらに、哩や姫子も、

 

「面白か打ち手ばい」

 

 と太鼓判を押す。

 

 こうなると、煌は何も口を挟めない。麻雀に関して、彼女たちに意見を出せる立場ではなかった。それに何より、煌も同意できる評価だった。

 

 それは、恭子も同じだろう。後輩が褒められたのは嬉しいだろう。

 けれども、この後に続く話は単純に喜べないものと分かっていた。

 

 明華は、京太郎の前に立って微笑みかける。

 

「スガキョウタロウくん」

「は、はい」

「今お話しした強化育成プログラムに参加する意思はありませんか。場所はイギリス、向こうの大学に留学する形になります。旅費、滞在費、その他諸経費は全てこちら持ちです。単位を取得しながら、麻雀に打ち込める環境――各種研究施設、何よりも世界中から集められた選りすぐりの雀士たちがいる環境に身を置くことができます。これは、貴方にとって決して悪くない話のはずです」

「…………い、いつからですか。期間は?」

 

 絞り出すように、京太郎が訊ねる。さらりと、明華は答えた。

 

「急な話で申し訳ないのですが、すぐに決断して頂けるのならこの秋からでも。期間は……そうですね。貴方次第ではあるんですが、半年から一年は見込んで下さい」

 

 進んで行く話を、煌は止められない。穏乃もまた、同じく。

 ちらりと、縋るように煌は恭子の横顔を覗く。しかし、表情からは彼女の考えは読めなかった。感情が消えた、表情だった。

 

「キョウタロウくん」

 

 今一度、明華は京太郎の名前を呼ぶ。

 

 

「留学の話。是非、ご検討下さいね」

 

 

 伸ばされた彼女の手を、京太郎はおずおずと握りかえした。

 その様を、煌と恭子は見守るしかなかった。

 

 

 

            Ep.10 すばら探偵花田女史のシークレットファイル おわり




次回:Ep.11 たかみープロデュースフェアウェルティーパーティー
    11-1 賛否問答



残りはEp.11とEp.12のみとなりました。
完結目指してできる限り頑張りますので、よろしくお願い致します。

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