愛縁航路   作:TTP

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Ep.6 末原恭子のアンビション
6-1 気になる彼は、アンノウン


 春季関東三部リーグを、東帝大学麻雀部は堂々一位で突破した。一時はどうなることかと冷や冷やしたが、戦績だけ見れば文句はない。このままの勢いで、週末の入れ替え戦も突破したいところだ。相手は二部リーグのチームだが、現状の戦力なら充分に勝ち目はある。

 

「先鋒は園城寺として、次鋒は誰がええかな」

「そうだねぇ」

 

 リーグ戦では、オーダーを自由に変更することができる。園城寺怜が加わった新体制において、恭子たちはいくつかのオーダーパターンを試した。丁度一コマ目が休講になった恭子と宥は部室に集まり、リーグ戦の結果を踏まえ、入れ替え戦のオーダーを検討していた。

 

「私は煌ちゃんが良いと思うな」

「理由は?」

「煌ちゃんが次鋒にいると、怜ちゃん生き生きしてる気がするの。煌ちゃんも、怜ちゃんに応えようっていつもより力を発揮できてるみたい。……精神論みたいで、だめかな?」

「そんなことあらへん。うちもこのツートップはええと思うてたから」

 

 理を重視する恭子であるが、感情や心構えを蔑ろにはしない。むしろそれで発憤できるなら利用するくらいだ。

 

「同じ卓で共に強敵に挑んだ絆、かな」

「なんや、あんまり宥ちゃんらしくない言い回しやな」

「京太郎くんがそう言ってたよ」

 

 メモをとっていた恭子の手が、ぴたりと止まる。

 

「恭子ちゃん? どうしたの?」

「……いや、なんでもあらへん」

 

 恭子は頭を振って、話を戻す。

 

「中堅はどうしよか。やっぱりこのポジションやと尭深ちゃんが安定感あると思うんやけど」

「そうだね。高校時代の経験を活かして貰いたいし」

「となると、残りはうちと宥ちゃんで担当するわけやけど――」

「大将は恭子ちゃんしかいないよ」

 

 断言されてしまい、恭子は鼻白む。

 

「な、なんで?」

「やっぱり最後に恭子ちゃんがいると安心感があるから。みんなもいつもそう言ってるよ」

 

 褒められて悪い気はしない。それに恭子も、団体戦の大将なら経験は豊富である。勝利と敗北のどちらも、だ。

 

「それじゃ、副将は宥ちゃん、大将はうちで」

「うん。京太郎くんも大将は末原先輩だって言ってたよ」

 

 再び、恭子の手が止まった。自分の名前が中途半端な状態で書き記される。

 

「恭子ちゃん?」

「う、うん?」

「京太郎くんと、何かあったの?」

 

 何の衒いもなく、宥が訊ねてくる。同時にびくりと恭子の肩が跳ねた。

 しかし恭子は、

 

「……何もあらへん」

 

 そっけなく、否定した。それ以上、追求を許さないという顔つきで。微かな溜息を残して、宥は引き下がる。

 

 全く、自分でもどうかしていると思う。

 けれども今は――その後輩の男子の名前を聞くだけで、心がざわつくのだ。

 

「とりあえずこれでええやろ。後はみんなの意見聞こか。……ごめん宥ちゃん、うち次の講義に行くわ」

「あ、え……うん、行ってらっしゃい」

「ほんまごめんな」

 

 逃げるように、恭子は部室を出た。

 講義棟に向け歩きながら、彼女は彼のことを思い返していた。

 

 あの日――麻雀仮面と戦って、彼と共に帰ったあの夜。別れ際に聞かされた一言は、激しく恭子を動揺させた。頭の芯まで熱を帯び、まともに思考もできなかった。結局疲れて自然と眠ってしまうまで、ベッドの上で身悶えた。

 

 翌日から、彼との距離の取り方がわからなくなった。自分でもつっけんどんな態度をとってしまったと思う。

 

 しかし、園城寺怜の入部や彼女の挑発的行動、さらに合宿での共同生活を経て、ある程度は元通りになった――少なくとも、恭子はそう思っていた。

 

 リーグ戦に集中していたというのも、あった。他大学の対策について議論を交わし合っている内に、一ヶ月前にあった出来事など忘れてしまったと、そんな風に振る舞えるようになった。彼は彼で、何も気にしていないように見えた。それがまた腹立たしいが、恭子の心の安寧には一役買った。

 

 だから浮気事件のときも、恭子は冷静に部長としての役割を果たせた。彼を守ることができたと、確信を持って言える。

 

 けれども。

 

 あの事件の最後、辻垣内智葉が彼に向けて残した言葉。

 

 ――マネージャー業などでその腕を腐らせるな。

 ――お前は戦う人間だ。

 

 思い出すだけで、俯き、唇を噛んでしまう。

 

 恭子の足は講義棟まで辿り着かず、道中のベンチで腰を降ろしてしまった。鞄の中から、取り出すのは一枚の牌譜。強い力で握りしめすぎて、あちこち皺が寄ってしまっている。インターネットでダウンロードしてから、もう既に何度も見た。

 

 一年前の、インターハイ男子個人戦決勝。

 

 彼がその卓で戦ったのは、知っていた。だが、戦い自体は知らなかった。四月は部員集めにかまけて、彼のことを知ろうとしなかった。五月に入れば、リーグ戦に集中していた。そうやって、彼から目を背けていた。

 

 一手一手から、血が滴るような意地と信念が感じられる。確率や運に見放されながらも、腐らずに勝機を窺うその姿勢。最後に勝負を分けたのは、僅かな差。それを実力と言うには、あまりに惜しい。勝者を貶めるつもりはないが、この卓で誰が一番輝いていたかと問われれば、皆口を揃えるだろう。

 

 ――そんなことも、知らなかった。

 

 知らずに恭子は――浮かれていた。あの日、どうしようもない恥ずかしさの中で、確かに喜んでいる自分がいた。

 

 溜息が出てしまう。辻垣内智葉の言うとおりだ。彼は、戦う人間だ。団体戦が前提のインカレにも出られない、麻雀不毛の地で骨を埋めて良いはずがない。もっと相応しい場所が、もっと彼が成長できる場所があるはずだ。

 

「……ほんま、あほやな」

 

 この二ヶ月でいつの間にか、恭子は彼に甘えていた。高校で仕込まれた雑用技術に、調整相手としては充分な実力。人員が常に足りない東帝大学麻雀部において、魅力的な人材であったことは間違いない。

 

 しかしそれは、間違いだったと。

 彼のためにならないと。

 

 悔恨の呟きは、五月の曇り空に吸い込まれる。

 じきに、雨が降り出しそうだった。

 

 

 ◇

 

 

 結局二コマ目以降は自主休講し、恭子は図書館でレポートを書いていた。一度、麻雀から離れたい気分だった。利用者はそれなりに多いが、恭子が拠点とする中央図書館は東帝大学内でも最も大きな図書館だ。広い机に資料を存分に広げて、恭子はレポート用紙にペンを走らせる。

 

 ふと、視界に影が差した。

 

「――末原さんって、先生になりたいん?」

 

 顔を上げるとそこにいたのは、恭子の教育概論のテキストを眺める園城寺怜だった。すぐに恭子はレポート作成に戻り、そっけなく答える。

 

「教育学部やからな」

「ふぅん。小学校?」

「高校や」

 

 許可など出していないのに、怜は恭子の向かいの席に座る。恭子はこれ見よがしに溜息を吐いて、ペンを机上に置いた。

 

「講義はどうしたん? 一年はこの時期全コマ埋まっとるやろ」

 

 ひとまず自分のことは棚上げし、先輩として後輩をたしなめる。

 

「私病弱やから……」

「病弱アピールやめい」

「あ、今んちょっと竜華に似とるわ」

 

 そんな褒められ方しても嬉しくない。

 

「何の用や」

 

 頬杖をつき、資料を捲りながら恭子は訊ねる。今、彼女に優しく接することができる自信がなかった。ついつい、ぶっきらぼうな態度をとってしまう。

 

 しかし、

 

「ごめんなさい」

 

 真摯な声でかけられたのは、謝罪の言葉だった。はっと、恭子は視線を元に戻す。しっかりと、怜が頭を下げていた。四月からまた伸びた彼女の髪が、はらりと机に落ちる。

 

 恭子は困惑を隠せず、

 

「何や何や、急にどうしたんや」

「麻雀仮面のことで、迷惑かけたやろ。辻垣内さんにバレて、それでも庇ってもろて。ちゃんと、謝ってなかったやん」

「……あほか」

 

 今更な話だった。

 

「あんたを入部させた時点で、そういう問題もひっくるめて引き受けるつもりやったんや。気にする必要なんかあらへん」

「せやけど――」

「押し問答する気もない。同い年でもうちは先輩で部長、あんたは後輩でヒラ部員や。口答えは許さへんで」

「ここって、そんな体育会系やったっけ?」

「今決めた」

 

 強張らせていた肩から力を抜き、怜は微笑んだ。同性の恭子から見ても、可愛い。やはり彼も、こういうタイプが好みなのだろうか。

 

「甘えさせてもらうわ、先輩」

「言っとくけど、麻雀は甘えさせへんで。入れ替え戦も先鋒で稼いで貰うから」

「分かっとる」

 

 はっきりと怜は頷き、それから彼女は首を傾げた。

 

「せやけど、リーグ戦から思てたんやけど、私がずっと先鋒でええん? 他の子らは色々オーダー変えてたのに」

「あんたはプロ志望やろ」

 

 ペン先で怜を指差し、恭子はつっけんどんに言う。

 

「伝統的に大将や中堅にエース置く学校もある。作戦で副将に置くとこもある。けど、なんだかんだ言うてエースと言えば先鋒や。他校のエースと鎬を削って実力を磨くならここしかない。マスコミも一番注目しとる。何もアピールせずにプロになろうなんて甘いやろ。そう考えたらあんたが適任や」

「……びっくりしたわ」

 

 今度驚いたのは、怜のほうだった。

 

「そこまで考えてくれてたんや」

「あほか。あんたは他の相手全員プロを目指しとるような場所で、勝ち続けなあかん。優しさで先鋒にあんたを据えたんとちゃうで」

 

 恭子はそっぽを向きながら言った。

 

「私頑張るわ、末原さん」

「頑張ってもらわなうちが困るわ」

「ん」

 

 雨が、降り出した。

 急速に雨足が強まってゆく。二人の間に、しばらく沈黙の帳が落ちた。元々静かな図書館の中は、地面を叩く雨音だけに支配される。

 

「須賀は」

 

 手元の中でペンを回しながら、恭子は訊ねる。その疑問を口にするには、それなりの懊悩があった。

 

「須賀は、どうしたん? 大学やといつも一緒やろ」

「反省中やから、ちょっと距離置いとる。今回は迷惑かけすぎたから」

 

 しゅん、と怜は俯く。

 現在の東帝大学麻雀部において、麻雀仮面の正体は弁慶の泣き所である。それが露見しないよう、誰にも相談せずに――あるいはできずに――京太郎は文字通り体を張っていた。原因を作った怜としては思うところがあるのだろう。

 

「今須賀を一人にしとくのも心配とちゃう? また辻垣内がちょっかい出してくるかも分からへんし」

「その点は心配ないわ。少なくとも大学の外は尭深さんが一緒におるから」

「それなら心配あらへんな」

「やろ」

 

 満足気に怜は頷いてから、思い出したように質問を投げかけてきた。

 

「末原さん、きょーちゃんと何かあったん?」

「な、なんや急に」

「急にでもないやん、きょーちゃんの話やったんやし。……末原さん、こないだの一件からえらいきょーちゃんのこと気にしとるやん」

 

 宥に続いて、怜にまで彼とのことを訊かれてしまった。――いや、それほど分かりやすいということか。恭子は自分にうんざりする。

 

 じっと自分を見つめてくる怜の瞳に宿る光は、どこか覚束ない。しかし未来を見通すという彼女の目は、半端な嘘も許してくれそうになかった。

 結局恭子が選んだのは、黙りこくることだった。付き合いの長い宥にも話せないことを、怜に打ち明けるのは中々ハードルが高かった。

 

 怜は苦笑して、軽く肩を竦める。

 

「その気になったら、話してな」

 

 実にさっぱりとした態度だった。反面、恭子はうじうじしている自分がみすぼらしく思えた。

 

「……あんたは、須賀のこと好きなんやろ」

「な、なんなん、いきなり直球やな」

「それやのに、他の女が須賀にかまけてる話なんておもろないんとちゃう?」

 

 その質問に、怜はあっさりと首を縦に振った。

 

「うん、おもろないよ。きょーちゃんが幸せならそれで良い、なんて達観したこと絶対言えへんし」

「なら、なんでうちのこと心配してるん?」

「私は誰かに助けられて生きてきたから」

 

 迷いなく、怜は言った。団体戦で迷惑をかけられたら困るとか、友達としてだとか、お為ごかしを言うだけならいくらでも言えただろう。

 

「せやからたまには誰かを助けへんと、割に合わへんって。そう思ただけやよ」

 

 だからこそ、それが彼女の本心だと恭子には分かった。いつものらりくらりとして、どこか冷めたところのある人間だと、思っていた。

 

「あんた、そんなキャラやったっけ?」

「きょーちゃんの影響かも」

 

 そう言って微笑む彼女は、実に幸せそうだった。全く、羨ましい。

 ふぅ、と恭子は小さな息を零してから、

 

「気持ちだけ受けとっとくわ」

「ん」

 

 そろそろ二コマ目が終わりそうな時間だった。学食が混み合う前に行こうと、恭子は広げていた筆記用具を片付け始める。

 

「そうや、末原さん」

 

 怜に呼び止められ、恭子は首を傾げる。

 

「今度はどうしたんや」

「こないだ尭深さんと話しててな、女子会やりたいなって話になったんや。入れ替え戦前の決起集会ってことでここは一つ、部長の許可を頂きたく」

「ええー? 本気?」

「もちろんや」

 

 いつもの変化に乏しい彼女の表情には、いくらかの強い決意が込められていて。

 恭子は頷く他、なかった。本音を言えば、飲みたい気分だった。

 

 

 ◇

 

 

「――それで、どうして私が呼ばれるんだ」

 

 空になった空きビール缶を机に荒く叩きつけながら、弘世菫は東帝大学麻雀部女子部員一同に文句を付けた。反射的に煌が頭を下げる。

 

「すみません、わざわざ来て貰って」

「いや、花田は良いんだ。君も巻き込まれた口だろう。――で、尭深、どうして私なんだ」

「末原先輩たちも飲める相手が一杯いたほうが楽しいと思って……」

「何があっても呼ばれるんじゃないか!」

 

 怒り狂いながらも、菫は次のビール缶に手を付ける。彼女も色々と鬱憤が溜まっているのか、今日はまたやけにテンションが高い。尭深はやはり、悪びれる素振りもなく、湯飲みを両手で握っていた。ここの先輩後輩の仲も面白い、と恭子は笑ってしまう。

 

「宥ちゃん、ごめんな急に大勢で押しかけて」

「ううん、一杯お客さんが来てくれてあったかいから嬉しいくらいだから」

 

 今宵の宴会場は、宥の下宿先。それなりに広くて良い部屋だが、女子麻雀部の面子に菫を加えた六人が集まると流石に手狭である。それでも皆さほど気にする様子もなく、思い思いに歓談していた。

 

 テーブルの上に広げられたつまみに手を伸ばしながら、恭子はアルコールを体に流し込む。時期が時期なだけに飲み過ぎは禁物ではあるが、今日のペースは速かった。

 

「やっぱりビールはあんま美味しないわ」

 

 つい最近お酒が解禁になった怜が、ビール缶を片手に文句を垂れる。

 

「子供やな、園城寺は」

「あっ」

 

 恭子はひょいとそれを奪い取り、口につける。むぅ、と何か言いたげな視線が送られてくるが無視。宴会が始まって三十分、早くも恭子はできあがり始めていた。

 

「菫のところはええなー、入れ替え戦なくて。次のおっきな大会はインカレやろ?」

「馬鹿を言うな、リーグ戦二位だぞ二位。確かにうちも本調子ではなかったとは言え、辻垣内の調子が良すぎだ。この勢いのまま来られると思うと先が思いやられる」

 

 菫のぼやきに、怜がぎらりと目を輝かせる。

 

「辻垣内さんはほんま一回叩き潰さなあかんな」

「な、なんだ園城寺。奴に恨みでもあるのか」

 

 困惑する菫の肩を、恭子は叩いておく。その辺は、あまり深く突っ込まないほうが良い。

 

 そのまま宴会は進み、成年組は充分に酔いが回ったところで、

 

「今日は女子会と言っていたが、須賀くんは無視していいのか」

 

 実にシンプルな質問が、菫からなされた。ぴくりと、恭子の指先が震える。

 

「今日須賀くんは自宅謹慎です……」

 

 静かに答えたのは、監視役の尭深だった。菫はぎょっとして、

 

「き、謹慎? 一体どうしたんだ?」

「……部外秘ですので」

「そ、そうか」

 

 藪蛇だと思ったのか、菫はその点について深く追求しなかった。恭子も少しほっとしながら事態の推移を見守っていたのだが、

 

「そう言えば――」

 

 次に彼女は、割とクリティカルな爆弾を投げつけてきた。敢えて東帝の麻雀部員が触れてこようとしなかった爆弾を。

 

「そう言えば、恭子は彼のことをどう思ってるんだ?」

 

 その質問の意図を、確かめるほど誰も初心ではない。

 口にお酒を含んでいれば、吹き出していた。事実、あちこちから咳き込む声が聞こえてきた。顔を真っ赤にして――既に赤くなっていたが――恭子は菫に抗議する。

 

「な、なんやいきなりっ」

「いきなりも何も、この間一緒に麻雀仮面と戦ったじゃないか。そのとき随分と彼を気に入っているというか、買っているようだったからな。私と彼が話をしていると、割り込んで来たし。何かあるのかと勘ぐるのも、当たり前だと思うが」

 

 あかんこいつ完全に酔っとる、と恭子は焦った。素面ならもっとこちらを慮ってくれるはずだ。それなのにこの直球ぶり。しかも、他の部員が聞いている中で。

 

 はっきりとは誰も口にしないが、「気になる」という視線が四方八方から寄せられる。恭子は頬を引き攣らせ、この状況をうやむやにしてしまおうとするが、

 

「どうなんだ?」

 

 すわった目で訊ねてくる菫に、阻まれる。

 

「どう、思ってるんだ?」

「……なんも思っとらへんっ。ただの後輩や!」

 

 必死になって、恭子は告げる。しかし菫はやれやれといった様子で、

 

「なんだ、好きな男もいないのか。寂しい奴だな」

 

 あんたにだけは言われたないわ、と恭子は文句を言いたかったが、何故か出てきたのは売り言葉に買い言葉。

 

「気になってる男くらい、おるわっ!」

 

 一斉に、部屋の中がざわめいた。

 

「どどどどどなたですかっ!」

「恭子ちゃんそれほんとっ?」

「詳しくお願いします」

「え、ほ、ほんまっ?」

 

 麻雀に青春をかける少女たちと言っても、色恋沙汰に興味がないわけではない。むしろ大ありだ。飲んだ組も、飲んでいない組も、一種の異様な空気に中てられ気分が高揚している。恭子に詰め寄るのも無理はなかった。

 

「誰なんですか! 名前はっ?」

 

 嬉々として訊ねてくる煌に向かって、恭子は顔を背けながら、

 

「……知らへん」

「は? し、知らない?」

 

 恭子はそうや、と半ばふんぞり返って答える。

 

「名前は、知らへん。どこの人かも知らん」

「そ、それじゃあ顔は? どんな人ですか?」

 

 その質問も、同じく。

 

「知らへんっ。顔も見てないっ」

 

 本当だった。嘘は言っていない。名前も顔も知らない。

 けれども恭子は確かに、彼と会った。彼は確かに、あの夏、この東京にいた。

 

 それでも当然、疑惑の視線はあちこちから飛んできて。

 

「ちゃ、ちゃんと直接話したからっ。ネットの出会い系とかちゃうからっ」

 

 一体自分は何を言い訳しているのだろう。何を説明しているのだろう。恭子は疑問に思いながらも、繰る言葉を止められない。

 

「一から詳しく教えて下さい!」

「そうだそうだ、教えろ」

「うう……」

 

 みんなに取り囲まれた恭子に、もはや逃げ場はなく。語り尽くさねば、許して貰えない状況になっていた。

 

 ――始まりは、きっかけはどこにあるのか。

 思い返してみれば。

 

 全ては、進路の選択から始まっていた。

 

 

 




次回:6-2 隣の彼

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